機関誌『水の文化』48号
減災力

自分の命を守るために
―― リバーネット21ながぬまの取組み

自然災害である水害を完全になくすことはできない。水害多発地域である夕張郡長沼町に生まれ育った山本隆幸さんは、こう言います。しかし、水難事故で亡くなる人をなくすことはできる、とも。地域の歴史に学び、地域の特性を知り、水や川や森を正しく理解するところから、自助はスタートします。幼いころに水害で友だちを亡くした悲しみから、減災に取り組む山本さんとリバーネット21ながぬまの取組みを紹介します。

山本 隆幸さん

リバーネット21ながぬま 事務局長
山本 隆幸(やまもと たかゆき)さん

1949年北海道夕張郡長沼町生まれ。子どものころ、友人を水害で亡くした体験から、未来に無限の可能性を秘めた子どもたちに二度とこのような思いをさせたくないと、子ども水防団活動を企画。2002年7月に〈河川愛護団体 リバーネット21ながぬま〉の発足にかかわり、事務局長を務める。

長沼の成り立ち

私たちの住んでいる長沼町は、アイヌ語で「タンネトー」といい、細く長い沼という意味です。馬追(まおい)山麓と夕張川に囲まれた土地の80%が平坦地で、海拔7〜8mの低地帯のため、春は雪融け水、秋には台風と、年中水害の危険と背中合わせの地域です。せっかく育てた作物が収穫できなくなったり、尊い命が奪われたり。長沼町の歴史は、常に水害の脅威とともにありました。

馬追山麓と夕張川、千歳川に囲まれた低湿地が、豊かな田畑に生まれ変わったのは、1892年(明治25)北海道庁長官に就いた北垣国道(注)が計画した石狩平野の大排水事業のお蔭です。

当時の石狩平野は泥炭湿地が広がり、土地を改良して農地を開発することが重要な課題でした。そこで排水と舟運を主な目的に創成川(江戸時代に開削された大友堀)を延長し、札幌・茨戸間運河と花畔・銭函間運河、幌向運河(南幌町)、馬追(うまおい)運河(長沼町)が開削されました。馬追という名前は、アイヌ語のマオイ(ハマナスの咲く丘の意)からつけられたものです。

1896年(明治29)に完成した馬追運河は、排水を成し遂げるとともに交通機関としても活用されました。高低差を解消する閘門(こうもん)が3カ所に設けられ、船の航行を助けました。江別への下りは約4時間、帰りはおよそ一日かかったそうですが、それまでの行程を大幅に短縮するものとなりました。

河川が自由に流れる低湿地は、栄養分に富んだ肥沃な土地だったため、馬追運河の開削で付近に点在した沼や沢が排水されると農地が開墾されて、人が住めるようになりました。長沼でも精米業や運送業、倉庫業などが興り、飲食店や芝居小屋が建ち並んで賑わったそうです。運搬・排水と大きな働きをした馬追運河ですが、長い間に泥が溜まって河床が上がり、近年では石狩川流域治水工事のために、洪水時に千歳川が逆流するという思わぬ被害が続出したため、1991年(平成3)に大改修が行なわれました。

開削当時、運河は幅2mほどで、強制労働に駆り出された人たちの過酷な労働によって成し遂げられました。その辺のくわしい資料は残っていませんが、『石狩川治水小史』(北海道開発局石狩川治水事務所 1966)の中に戦後、強制労働者を本国に送還した経験談が残っています。

長沼町に流れている川はたくさんありますが、千歳川、夕張川、旧・夕張川以外は、馬追運河に代表されるように、すべて人工河川。だから川が全部真っ直ぐです。長沼町は、農地をつくるために水路を開削することで排水を行なって、人が住めるようになった土地なのです。

(注)北垣国道(1836〜1916年)
1881年(明治14)第3代の京都府知事に就き、琵琶湖疏水を推進し、東京遷都で活力が失われた京都の産業振興を成功させた。この大事業の主任技師には、当時21歳だった田辺朔郎(さくろう)が抜擢される。1892年には北海道庁長官に就任し、石狩平野の大排水事業を計画。田辺を呼び寄せて北海道官設鉄道の計画・建設にあたらせたほか、北海道治水調査会(石狩川の調査)の委員に任命した。実際の実務を担当したのは、当時24歳だった若き河川技術者、岡﨑文吉(1872〜1945年)。

国土地理院基盤地図情報(縮尺レベル25000)「北海道」及び、国土交通省国土数値情報「河川データ(平成21年)」より編集部で作図
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の基盤地図情報を使用した。(承認番号 平26情使、第516号)


  • 国土地理院基盤地図情報(縮尺レベル25000)「北海道」及び、国土交通省国土数値情報「河川データ(平成21年)」より編集部で作図
    この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の基盤地図情報を使用した。(承認番号 平26情使、第516号)

  • 零号川。これも真っ直ぐに伸びる、人工水路だ。

    零号川。これも真っ直ぐに伸びる、人工水路だ。

  • 撮影したのは長沼ではなく名寄だが、地中に配管を巡らせる風景があちらこちらで見られた。

    撮影したのは長沼ではなく名寄だが、地中に配管を巡らせる風景があちらこちらで見られた。北海道の低地の土壌改良工事は、現在進行形だ。

  • 零号川。これも真っ直ぐに伸びる、人工水路だ。
  • 撮影したのは長沼ではなく名寄だが、地中に配管を巡らせる風景があちらこちらで見られた。

リバーネット21ながぬま

今は大きな排水機場や堤防が完備され、ある程度の大雨にも耐えられるようになりましたが、最近の地球温暖化による異常気象の影響で予想外の水害に襲われる可能性も否定できません。

昨年(2013年〈平成25〉)も1時間あたり7.4mmの雨が12時間ほど降っただけで(総雨量87mm)、町内のあちらこちらが冠水しました。

長沼町に住む私たちは、土地の性質をよく理解して、過去の水害の歴史を忘れずに伝えていくことが大切です。いざというときの備えを怠らず、水害によって尊い命が失われることのないようにとの思いから、2002年(平成14)7月に河川愛護団体リバーネット21ながぬま(以下、リバーネットと表記)を発足させ、〈子ども水防団〉を中心とした活動を始めました。現在80人ほどの会員がいます。

実際につくろうと思ったのはその2年前、2000年(平成12)の1月です。準備は順調に進み、賛同してくれる仲間も集まったのですが、何かが足りない。最初はそれがわかりませんでしたが、準備を進めているうちにお金が足りないことに気づきました。

今の世の中だから、どこかにこのような活動を支えてくれる志があるはずだ。それをどうやったら見つけられるか、そのことを真剣に考えました。お金がないと活動も続けられないからです。

2年間かけて探した結果、活動を支えてくれるたくさんのお金があることがわかりました。また、お金ではなく機材を提供してくれたり、労力を補ってくれるタイプの助成もあります。みどりの羽根募金というのは、集めた募金の65%が翌年交付されて、植林などに使うことができます。資材を買ったりするのに大変役に立っています。そういう助成に助けられながら、活動を続けています。

水難事故死者をなくす

長沼町は、本当に水害が多い町なんです。長沼町の防災計画書に載っているのですが、1898年(明治31)から2014年(平成26)までで約60回の水害が起きています。災害救助法が適用になるほどの大規模被害を出した水害が何度も起きています。

人は水がないと生きていかれませんから、町の成り立ちと川との関係は密接です。それは長沼に限らずどこの地域でも同じこと。だからこそ、川の歴史、水害の歴史を学ぶことは、とても大切なのです。

それで水害資料の収集を始めました。資料は仕事の合間を見て、仲間にも協力してもらいながら自分で集めました。北海道新聞のライブラリーからも購入しました。

1898年(明治31)の水害では死者七十余名が出て、開拓者が旭川に逃げたぐらいの被害に見舞われました。あまりに水害が多い町だから、ちょっとした水害のときは新聞記事にもなりません。そんな町なのに、私たちがリバーネットを立ち上げるまでは、水害教育なんてまったくされてこなかったんです。「水害は長沼の恥だ」と考えている人もいるから、水害教育なんてしていると白い目で見られることもありました。

それなのに、なんでこんなことを始めたのか。それは私が12歳のとき、1961年(昭和36)の水害で友人を亡くした経験がおおもとにあります。

家族と一緒に避難するときに、お母さんが幼い兄弟を背負い、手を引いて、彼は荷物を持って家を出ました。お母さんが気づいたときには、彼の姿がなかったそうです。水が上がってきていて足下が見えなかったから、家の真ん前の用水路にはまって流されたのだと思います。

友だちみんなで探して、用水路の下流で発見したときの彼の顔が忘れられないのです。1週間も経っていましたから、魚やカニにあちこちかじられて痛ましい様子でしたが、なぜか顔はきれいなままでした。その顔が、本当に悔しい表情を浮かべていたのです。「おれはこんな水害なんかで死にたくなかった」。彼はそう思って死んだんだと、子どもながらに思ったのです。

そのときから「大人になったら長沼から水害をなくしたい」と、ずーっと思ってきました。その気持ちを持ち続けて50歳を過ぎたときに、思い続けてきたことに対して何かしたいと思いました。増水時の心得さえあれば、彼は死なずに済んだのに。その想いが、40年以上もの間、私の気持ちを減災につないできたのです。

できることは何かと考えていたところ河川法が改正になって、〈治水〉と〈利水〉に加えて〈環境〉という概念が入りました。それで、「環境の部分からアプローチすれば活動できそうだ」と、目処が立ったように思えました。

でも、水害はなくせないんです。自然災害には、人間は太刀打ちできません。そのことは大人になってわかってきました。その代わりに水害で亡くなる人をなくそう、ということに行き着くのです。水害はなくせなくても、水害で人が亡くなることを減らすことはできるはず。そう思って、〈子ども水防団〉の訓練に取り組んでいます。

また、地元にいるときだけでなく、いつどこで災害に遭うかわかりません。実際に私の弟は修学旅行で東北に行った先で、土砂崩れに遭遇し、3日間連絡が取れなかった経験をしました。それでも私は「あいつだったら、ちゃんと切り抜けられる」と確信していました。通り一遍の防災訓練ではなく、いつどこで災害に遭遇しても、自分の身の回りにあるもので危機を乗り切る力を身につけている、と信じていたからです。私は自分の子どもにも、そうした災害教育をしてきました。

山本さんは、地元の新聞記事をはじめ、水害の記録や文献を集めている。

山本さんは、地元の新聞記事をはじめ、水害の記録や文献を集めている。

水防意識を子ども時代から

全国どこでも水害が起こると、必ずニュースで映し出されるのは足下が見えない水の中を人が歩いている光景です。しかし水路がある地域だったら流されるかもしれないし、都会だったらマンホールに落ちるかもしれない。報道は見た目にインパクトのある映像を流したいのかもしれないけれど、安全ということからいったら、ああいう映像を流すのは無責任だと思います。

そして、なんの危険も感じずに見えない水中を歩いている様子には、安全ボケした日本人の脆弱さを感じてしまうのです。自分の命を守ってくれるのは他人だ、と勘違いしているとしか思えません。自分を助けるのは自分しかいない、という原点に帰ってほしいですね。

水害ごときで人命が失われるなんて悔しいじゃないですか。だから、水の中をどうやって歩いたら危険を回避できるのか、どういう服装、どういう装備が必要か、ちゃんと伝えていきたいのです。子どもたちに体験させて、いざというときに備えたい。

訓練は夕張川でやっています。夕張川は土質の関係で常時濁っていますから、水中の様子が見えないので訓練にはちょうどいいのです。棒で水中の様子を探りながら、棒につけた印で自分の膝より深い所に行かないように、という水中歩行訓練をします。この1本の棒が自分の命をつなぐ命綱になっていることを、徹底的に教えるのです。長靴を履いて歩いたときとスニーカーで歩いたときの違いや、服を着たまま水に浮く〈川流れ〉を体験させます。

私たちがやっているのは、「自分の身は自分で守る」という見識を子どもたちが身につけるお手伝い。これから先は、その子自身の問題。最初に習いにきていた子が高校生、大学生になって、今度は教える立場に育っている。これは自慢できることだと思いますよ。


  • 高校2年生の原田森都(もりと)くん。この日の水防団の集まりでは、年少の子どもたちのリーダーとして進行役を務めた。

    高校2年生の原田森都(もりと)くん。この日の水防団の集まりでは、年少の子どもたちのリーダーとして進行役を務めた。

  • 長靴とスニーカーで、水の中を歩き比べる。長靴は中に水が入ると歩きづらいし危険。

    長靴とスニーカーで、水の中を歩き比べる。長靴は中に水が入ると歩きづらいし危険。

  • 手に持った棒の印は、自分の膝までの深さを測るため。いずれも自衛手段だ。

    手に持った棒の印は、自分の膝までの深さを測るため。いずれも自衛手段だ。

  • ライフジャケットを着て、川流れの体験をする。

    ライフジャケットを着て、川流れの体験をする。

  • 溺れていたり流されている人を助ける訓練もしている。

  • 一度投げて出したロープを、絡まらないように注意して収納するメンバー。

    溺れていたり流されている人を助ける訓練もしている。スロー・バッグ(スロー・ロープ、レスキュー・ロープなどとも呼ぶ)を救助する人のやや川下に投げてロープをつかんでもらい引き寄せる(写真左)。一度投げて出したロープを、絡まらないように注意して収納するメンバー。絡まっていたら、いざというときに役に立たないからだ。

  • 夕張川の橋桁についているのは、水位が上がったときの痕跡だ。

    夕張川の橋桁についているのは、水位が上がったときの痕跡だ。

  • 子どもたちでも持てる小さい土嚢袋を使って、土嚢の積み方を習う。

    子どもたちでも持てる小さい土嚢袋を使って、土嚢の積み方を習う。水の流れには袋のお尻を向けること、重ねたらよく踏み固めること、間に土を盛ることなど、たくさんのコツを習う。

  • 高校2年生の原田森都(もりと)くん。この日の水防団の集まりでは、年少の子どもたちのリーダーとして進行役を務めた。
  • 長靴とスニーカーで、水の中を歩き比べる。長靴は中に水が入ると歩きづらいし危険。
  • 手に持った棒の印は、自分の膝までの深さを測るため。いずれも自衛手段だ。
  • ライフジャケットを着て、川流れの体験をする。
  • 溺れていたり流されている人を助ける訓練もしている。
  • 一度投げて出したロープを、絡まらないように注意して収納するメンバー。
  • 夕張川の橋桁についているのは、水位が上がったときの痕跡だ。
  • 子どもたちでも持てる小さい土嚢袋を使って、土嚢の積み方を習う。

植樹活動

リバーネットの趣旨と理念は四つ。

1. 川について学び、川に遊び、川を愛します。
 2. 水防活動に取り組み、いざというときに自分の身は自分で守る術を身につけます。
 3. 水害防止のため、二酸化炭素削減のため、
   小鳥のさえずる森の再生のために植樹活動を行ないます。
 4. 度重なる水害の歴史を風化させないように、
   世代間交流を通して過去の水害体験を語り継ぎます。

四つの柱の中に植樹活動を据えているのは、単に木を植えているのではなく、木を植えることが水害抑制につながるからです。そのためにジオラマを使って森の保水力についての実験を行ない、植樹をすると山がどうなるか見える化しています。

ジオラマは、森林の環境を苗を植えた発泡スチロールの箱に凝縮して再現したもの。植えた苗がしっかり根っこを張るまで時間がかかるので、植えつけて育てる作業を前の年から準備しています。

苗を植えた箱と土だけ入った箱を少し傾けて並べて、雨に見立ててジョウロで水を掛けると、苗が植わったほうの箱からはゆっくりと澄んだ水が流れ出しますが、土だけの箱からは水を注いだ直後に濁った水が流れ出します。これは樹木が茂った健全な森林と樹木のない地面では、豪雨時に水害抑制効果が違うということを見えるようにした装置です。小さい子どもにも一目でわかることから、自分たちがしている植樹活動の意味を理解してもらえます。植樹も、「水害抑制のためにやっているんだ」と意識してもらうのに、この装置はとても役立ちます。

設立した年から続けている〈小鳥のさえずりが聞こえる河畔林づくり〉と冠した植樹活動は、1993年(平成5)石狩川サミットで採択されたアクションプログラム〈石狩川流域一人一本三○○万本植樹運動〉の一環です。長沼近郊で採取した種子から育てた苗を、長沼町だけでも1万2500本以上植樹しています。

この植樹会では、グリーンコーディネーターの岡村俊邦さん(北海道科学大学空間創造学部教授)に通称コンパ法 (生態学的混播・混植法)という珍しい植樹法の指導をしていただいています。

コンパ法とは、近くの森林で集めた木の種を育てて植え、自然にまかせて育てることで、その土地の気候や土などの条件に合ったものだけが生き残り、自然界と同じように多種多様な木々が茂る自然林再生の方法です。

植樹にもいろいろな方法があります。大きく分けて4種類。昔からの在来の植え方、横浜国立大学名誉教授の宮脇昭先生のやっている宮脇方式、そしてこの混播・混植法、それから北海道の東三郎先生がやっているカミネッコン。いろいろ調べて試してみて、長沼ではこのコンパ法が発芽も良く、向いているなあと思って続けています。

逆に、河道に生える木は水の流れを阻害しますから伐らなくてはなりません。植樹とは逆になりますが、木を伐ることが水害抑制につながるのです。

柳は漂着した場所で芽吹いて根を張り、河川敷に増えていきます。それで、ゴミ拾いのときに柳が生えている状況をチェックしています。ゴミ拾いも単にゴミを拾って美化するだけではなく、川の様子を観察するのに役立っているのです。活動のすべてが水害抑制、水難事故防止につながっています。

植樹の意味を理解するのに役立つ、水害抑制の〈見える化〉。樹木が土壌流出を防いでいることがわかる。

植樹の意味を理解するのに役立つ、水害抑制の〈見える化〉。樹木が土壌流出を防いでいることがわかる。
(写真提供:リバーネット21ながぬま)

多くの人に知らせたい

2008年(平成20)の第1回と2013年(平成25)の第6回いい川・いい川づくりワークショップ・東京(主催:いい川・いい川づくり実行委員会)では準グランプリを受賞しました。

北海道から大勢で行くのはお金もかかって大変です。それでも毎年参加するのは、水害で苦しんでいる同じような環境の町に、活動を知ってほしいからです。「こうした活動を地道に続けていけば、水害で亡くなる人をなくせるよ」というアピールなんです。

まだまだ水難事故の危険と背中合わせの地域がありますし、これからの気候変動で今まで安全だった地域もなにが起こるかわからない状況です。リバーネットが長沼町でやってきたことを知ってもらって、そうした地域から水難事故死者を出さないことにつながったらいいな、と思っています。

リバーネット21ながぬまの事務所には、賞状がたくさん掲げてある。

リバーネット21ながぬまの事務所には、賞状がたくさん掲げてある。「受賞することが目的ではなく、活動の中身を知って真似をしてほしい」と山本さん。



(取材:2014年7月18日)

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