機関誌『水の文化』60号
水の守人

20周年を迎えて―― アドバイザーからのメッセージ

センター発足20周年に寄せて

東京大学国際高等研究所
サステイナビリティ学連携研究機構 教授
沖 大幹 Taikan Oki

「水の文化」が産声を上げた1999年、私たちは2000年問題やノストラダムスの大予言に怯(おび)えつつも「夢の21世紀」の到来を期待していた。携帯電話の普及率がようやく7割程度になったばかりで当然スマートフォンはなく、デジタルカメラはまだ黎明期だった。パーソナルコンピュータの普及率もまだ3割で、原稿のやりとりはメールではなくFaxや郵送が主流だった。長良川河口堰問題などを受け1997年の河川法改正で河川環境の整備と保全が河川管理の目的となる一方で、同じ年、諫早湾の潮受け堤防の水門は閉じられた。

 あれから20年。一人当たりの生活用水使用量は1990年代後半の322L/日をピークに今では280L/日程度にまで減少する一方、需要主導型の水資源開発からリスク管理型の水の安定供給が目指される様になった。2008年をピークとして日本の人口も減りはじめ、水インフラの持続可能性が大いに懸念される。このところ毎年の様に日本各地で水害が生じ、2018年は災害的な猛暑に見舞われるなど、気候変動の悪影響も徐々に顕在化しつつある。

 世界に目を向けると、中国やインドの経済発展に伴い、安全な飲み水にアクセスできない人口割合は半減以下となり、水に関するミレニアム開発目標は達成された。持続可能な開発目標にも水の目標は掲げられ、世界の水をめぐる状況はさらなる改善を目指している。

 新しいものには興味を惹かれるが馴染みがないと危険だと感じる、利益は早く確定したがるのに嫌なことや損失の確定はつい先延ばしにしてしまうなど、頭ではわかっていても必ずしも合理的な行動を私たちは選択しない。「水はこころにもいい」とサン=テグジュペリ「星の王子様」が述べている通り、私たちの心と水とは深くつながっていて、そのつながりが水の文化である。さまざまな水の問題を解決するにも、「智者楽水」で水を楽しむにも、水の文化の深い理解が欠かせない。

 ミツカン水の文化センターのますますの奮闘に期待している。

三つの水循環を考える

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 Kunio Koga

 人間の生活に欠かせないものは、水と食糧とエネルギーの確保である。これらの確保のために、水戦争、穀物戦争、エネルギー戦争さえ起こっている。この三つの物資の持続的、安定的な供給確保が国家の安全保障につながる。そのなかでも水の優位性は、水から農業用水としての食糧生産、水力発電によるエネルギーの生産が可能である点にある。

 水の循環を考えると、海から蒸発した水蒸気が雨となり、川へ流れ、植物、魚族を育て、また海へ戻る「自然的水循環」、川にダムや堰や導水路を造り、治水や利水でもって人間のために利用する「社会的水循環」、お祭りや雨乞いなどの伝統的な行事の「文化的水循環」の三つがある。水は多くても少なすぎても生活や生産活動に重大な悪影響を及ぼす。今夏の西日本豪雨(平成30年7月豪雨)では、水と食糧とエネルギーの確保が大混乱を起こした。

 河川災害シンポの際、河川学者に「水害はなぜ起こるのか」と聞く。「それは大雨が降り、許容範囲外の災害となるからだ」。また、「土砂災害はどうしたら防げるのか」と質問する。「土砂災害は防ぎようがない、すぐ逃げなさい」と。最近はこの二つの現象に加えて、土砂の崩壊に伴う流木の被害が目立つ。

 今夏の西日本豪雨は、広島県、岡山県、愛媛県などに被害を及ぼした。最近の水害は、2017年に平成29年7月九州北部豪雨、2016年8月に北海道・東北台風豪雨、2015年には平成27年9月関東・東北豪雨で鬼怒川が氾濫、2014年に平成26年8月豪雨で広島市に土砂災害が起こった。地球温暖化により毎年のように災害が生じている。その対策が追い付かない。ハード対策は予算と時間がかかる。至るところに災害の碑が建立され、警告する。ソフト対策の充実を図り、また、浸水しない都市計画の見直しも必要であろう。

『水の文化』は水と人のかかわり方を追究し、20年を経た。地球温暖化の加速により水問題は続くし、三つの水循環も変化するだろう。『水の文化』はよりよい水循環を図り、水を守り、人を守る役割をもつ。これからも大いに期待したい。

この20年を振り返って

法政大学特任教授
陣内 秀信 Hidenobu Jinnai

 東日本大震災が引き起こした津波による三陸海岸の都市、集落の大被害、そしてこのたびの西日本豪雨による各地での甚大なる被害は、特に水の怖さの面を際立たせた。怖さを知ったうえで、歴史の経験、知恵を活かしながら都市や地域をつくることの大切さを痛感させられた時期でもある。

 水を巡るポジティブな動きはもちろんたくさんあった。日本の都市の歴史がいかに水と深くかかわってきたか、という認識は、この20年の間に大いに深まったと思われる。東京、大阪、京都をはじめ、全国の都市や集落でそうしたアプローチの調査研究が進展した。桐生の絹織物産業も、水車が無数に可動する水の都市だからこそ発展できたことが解明された。東京でいえば、河川・掘割(ほりわり)が巡る下町だけではなく、山の手、武蔵野、多摩まで含めて水の都市、水の地域という認識が深まり、同時に、東京を水循環都市として捉え直し、その水循環を改善するための方策を検討する動きも強まっている。

 国土交通省のイニシアチブから生まれ全国展開しているミズベリングの運動は、従来の河川、水辺空間に関する活動の多くが自然環境の視点を中心に展開していたところへ、都市内の水の空間を舞台とし、文化、まちづくり、商業活性化へとつなげ、各地に自由な発想の活動を生み出している点が注目される。川づくりが景観づくりに、そしてまちづくりへつながりはじめたのが、この20年だと言えよう。

 これからは何が求められるのか。

 日本独自の水と人の関係、聖なる場所としての水の空間など、まだまだ知られざる面がたくさんあり、『水の文化』でも、それを発掘し、意味づけて、今後の地域の環境づくりの大きな方向づけをしてほしい。東京を見ていても感じる、日本の都市や地域における水資源の多様さ、水循環システムのおもしろさ、それを活かした近世の都市づくりの歴史的経験の集積などを全国展開して描き出してほしい。その代表として、各地の城下町がいかに水を巧みに巡らし、防御、舟運、生活用水、信仰、庭園、遊びの文化などの多方面にわたって独自のしくみをつくり上げたか。それをシリーズで紹介するような企画をぜひ、実現してほしい。

 諸外国と比べ大いに見劣りするのが、舟運の衰退である。東京のような大都市内の舟運、瀬戸内内部の港相互、島相互を結ぶ舟運、内陸河川の舟運など、行政側の思い切った発想の転換が求められる。

『水の文化』誌の根っこに

大手前大学学長
鳥越 皓之 Hiroyuki Torigoe

 水を文化という視点からとりあげるということは大切なことである。それは文化の本質が人間の価値観とかかわっているからである。

 例えば「清浄な水が望ましく、水を汚してはいけない」という価値観。具体的には本号の18~23頁の滋賀県針江集落にそれが示されていよう。「生活をする」ということは「水を汚す」ということなので、そこで技術ではカバーできない課題に対応するためにさまざまな社会的なルールも決められる。そのルールもまた規範という社会的文化を形成する。

 伝統的には子どもたちは小さいころから水の使い方のルールを厳しくしつけられた。水とのつきあい方が人間としての生き方と深くかかわっていたのである。もっともこのような言い方をしても、自然としての水から離れつつあるわれわれ現代人にはピンと来ないであろう。きれいな水を守ることがどれほど必死なことであったのかという例を、二つの話で示そうと思う。

 一つはソビエト体制下にあったモンゴルでの1990年の話。ウランバートルの北西にフブスグル湖という美しい湖があり、そのすぐ傍でリン鉱山の開発をすることを当時の共産主義政党が決定した。湖の汚染は避けられない。そのとき党機関紙の編集長が深夜に記事を書き換え「母なるフブスグル湖が今、死刑になろうとしている」という見出しの記事を掲載した。それを受けてモンゴル大学の学生たちが市の中央広場に決死の座り込みをし、例外的に開発は見送られた。この編集長は自分も学生たちも死や弾圧を覚悟していたと、聞き取り調査で語ってくれた。

 もう一つは中米グアテマラでの話。1996年、政府とゲリラとの間で多数の死者を出した内戦が終わった。政府とゲリラとは、政府側スペイン系の人たちと地元マヤの人たちとの対立の構図である。平和が訪れたとき、マヤの人たちがいまなすべきことは何か、と話し合い、われわれの誇りであるアティトラン湖を守っていこうということで、環境社会学者である私が呼ばれた。首都グアテマラ・シティでの講演は、まずスペイン語に訳され、それがマヤの言葉に訳されていく。私はそこに各地から集った民族衣装のマヤの人たち、その真剣に聞き入る姿に心を動かされた。

 きれいな水を守るということは、自分たちの生きる姿を守ることにつながると、そのとき教えられた。私たちは伝統的に必死できれいな水を守ってきたのである。その精神をこの雑誌の根っこにもっていたいものだ。

水文化へのまなざし、文化景観への道

多摩大学経営情報学部事業構想学科教授
中庭 光彦 Mitsuhiko Nakaniwa

 文化へのまなざしというものは、瞬時に変わる時もあれば、ゆっくりと変わる時もある。センター創設にかかわる一方、地域政策の変化を見つめてきたが、この20年間は、大げさではなく節目の時期と感じる。

 一つ挙げるなら、水への「怖れ」の変化だ。ゼロ年代、水への畏怖(いふ)の象徴は「たまに起きる」豪雨・河川氾濫だった。しかし2011年、東日本大震災の津波を目にし、国民の水への畏怖感は変化したと思う。これ以降、国民はより安全を求め、インフラ投資への異論は後景に退いた。

 近年高度成長期の想定を超えた水害が頻発すると、水を畏怖する不安が忍び寄る。人口減少期の水とのつきあい方は違う。そう思う人々にとって、水文化は自分事(じぶんごと)になってきた。これは1999年当時と大きく異なる。

 この「自分事化」を、私たちはスマホを通じて感じている。2007年に世に出て、いまや普及率約70%のスマホを見れば、災害だけではなく日本・世界の水情報も取得でき、発信者も増えた。

 水の脅威の自分事化は、水との距離が近くなったと言えるかもしれないが、間にスマホが入る。私たちの水文化への情報量は増えているが、まなざし=解釈力は深化しているのだろうか。

『水の文化』は、おもしろい活動や考え方を、時代の流れより少し早く提示してきた。軽やかなエッセイと深い記事だ。スマホで膨大な情報は得られるが、その背景にあるニュース発信者の意図まではわからない。それを解釈するためのオリジナル情報を提供してきたのだ。

 今後は、水循環の文化をつくらねばならないのだが、必要となるのは現在と過去の水文化の解釈とその貯蔵庫だ。「水と人のかかわりづくり」とは同時代だけではなく、未来と過去をつなぐ社会的意義でもある。水文化を自分事にしたい人にとっては、強い味方になるだろう。

 貯蔵庫も多様だ。資料のアーカイブズ。それもよいが、その場に身を浸すと水循環の知の来歴がわかる象徴――水の文化景観を保全し、つくり、新たな価値を生むことも、大きな役割と思う。まなざしが変われば、文化景観も変わる。このセンターの歴史はそれを体現しているのだから。

PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 60号,沖 大幹,古賀邦雄,陣内秀信,鳥越晧之,中庭光彦,水の循環,河川法,用水,安全,飲み水,持続可能,エネルギー,豪雨,水害,氾濫,都市,怖れ,水資源,舟運,価値観,スマートフォン

関連する記事はこちら

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ページトップへ