機関誌『水の文化』60号
水の守人


湧水

「カバタ」の暮らしを守る住民たち
── 琵琶湖畔の湧水文化

集落内を流れる針江大川。表流水の2分の1から3分の1は湧水という清らかな流れに惹かれて、隣町から少年が遊びに来ていた

集落内を流れる針江大川。表流水の2分の1から3分の1は湧水という清らかな流れに惹かれて、隣町から少年が遊びに来ていた

滋賀県の琵琶湖西岸に連なる比良山(ひらさん)系に降った雪や雨が伏流水となって湧き出ている地域がある。針江集落だ。住民は自噴する清らかな水を、飲料や炊事などに用いている。思わず見惚れてしまうような美しい湧水の集落だが、心ない訪問者たちに脅かされた時期がある。自分たちの生活の場を、いかにして守ったのか。

自噴する地下水で暮らす「生水の郷」

「生まれてこのかた水道水は飲んだことありません。必要ないから」

 そう話すのは、琵琶湖の北西岸に近い針江(はりえ)集落の福田千代子さん。

 福田家にある焼杉(やきすぎ)塀の小さな水屋に、こんこんと清水が湧き出ている。針江集落に今も残る「カバタ(川端)」だ。ここで野菜や穀物を洗い、果物を冷やす。池にはカバタのお掃除屋さん、コイが泳ぐ。

 21m打ち込んだ鉄管から地下水が自噴。それをポンプで家じゅうに回し、生活用水にしている。水道の蛇口をひねらなくても済む。カバタの水を口に含んでみた。まろやかで、トゲトゲしくない。

 ここでは湧水を「生水(しょうず)」と呼ぶ。水温は12~14゚Cと年中ほぼ一定なので夏は冷たく、冬は温かく感じる。ブナの原生林が涵養(かんよう)する伏流水や小川が琵琶湖へと注ぐ、その水の流れがもたらす恵みが針江の生水とカバタだ。

 集落の中心部を流れる針江大川で、子どもたちが水遊びに興じていた。繊維工場の廃材を使った発泡スチロールの筏(いかだ)に乗ってはしゃぐちびっこの傍には、ハヤやアユが泳ぐ。失われゆく日本の夏の懐かしい景色が、まだ残っている。

 針江大川は2000年(平成12)に護岸工事が施された。「見た目にはわかりにくいんですけれど」と教えてくれたのは、針江生水の郷委員会会長の三宅進さん。「橋脚部分と石垣の間でゆらゆら水が揺れてますよね?あれは湧水。石垣の間もコンクリートで詰めず、なるべく隙間を多くしています。湧水のところには魚がたむろするんです」

  • 国土交通省国土数値情報「河川データ(平成21年)、湖沼データ(平成17年)、行政区域データ(平成30年)」より編集部で作図

  • 福田千代子さんが使っているカバタ。自然の冷水で冷やす野菜や果物は、冷蔵庫とはまた違ったおいしさがあるという

  • 食器を洗ったあとの米粒などは、コイが食べてきれいにしてくれる。福田さんは水を汚さないために、今は粉石けんも使っていないそうだ

  • カバタのしくみ
    湧水を壺池(つぼいけ)で受けて、端池(はたいけ)から水路へと流す
    針江生水の郷の委員会提供資料をもとに編集部作成

  • 外カバタを覆う水屋。焼杉を用いた建物は風情がある

  • 針江生水の郷委員会の会長を務める三宅進さん。集落内をくまなく案内してくれた

  • 外カバタの内部。今も日常的に使っていることがわかる

  • 針江集落に水が湧くしくみ
    針江生水の郷の委員会提供資料をもとに編集部作成

  • 発泡スチロールの筏で針江大川を川下りする子どもたち

よそから言われて気づいた極上の価値

 針江集落は170戸。福田家のような小屋づくりの「外カバタ」、家屋のなかにある「内カバタ」を合わせ90軒ほどがカバタを残している(私有地なので見学は予約が必要(注))。家に沿って流れる水路と交じるものもあれば、あふれた水だけが水路に出ていくものもある。

 琵琶湖には400本以上の河川・水路が流れ込んでおり、伏流水を利用するカバタは、かつてどの集落にもあった。水道が普及するにつれて廃(すた)れたが、なぜ針江集落だけに今なお残っているのか。

 三宅さんによれば次のとおり。

「30年ほど前、当時の新旭町会議員が『カバタは全国的に見てもたいへん貴重なんやで』と。元滋賀県知事の嘉田由紀子さんや、県全域を調査した水と文化の研究会の小坂育子さんらも、各家庭で湧水が使えるのは全国的に珍しい、残すべきだと。針江の人には当たり前に昔からあるものですから、軒下で湧いてる水が珍しいとは思いもよらなかったんですけどね」

 外から言われて初めて価値に気づくのは地方ではよくある話だ。ライフラインに頼らずとも暮らせる針江のカバタ文化は自然災害がつづく今、絶大な価値を誇れるだろう。

 知る人ぞ知る存在だった生水の郷に多くの人が訪れるようになる出来事が14年前にあった。

(注) 針江集落を見学する場合は事前に申し込むこと。当日受付は不可。
詳細はホームページ(http://harie-syozu.jp/guide)参照。
電話でも申し込み可能(Tel. 0740-25-6566/9:00~15:00[冬季は10:00~15:00])。

静かな暮らしを荒らされないために

 生きものと人とが同じ水を分かち合いながら暮らす針江集落のカバタ文化の四季を2年間かけて追ったテレビ番組が2004年(平成16)に放映されると、静かな田舎まちを招かれざる客が翻弄した。アマチュアカメラマンが住民に断らず勝手に外カバタの台所道具を移動させて写真を撮ったりする。

「隣家の竹細工の小桶を私の家のカバタに持ってきて、そのまま放置されたこともありました」と三宅さんは苦笑しつつ振り返る。

 なかには無遠慮に家の内部をのぞく人もいた。暑ければ鍵もかけずに網戸だけにしている田舎まちのこと、住民たちの間では不安が募った。

 針江集落(区)の自治会は別組織として、賛同した有志26名による針江生水の郷委員会を立ち上げ、見学者を案内する有償のボランティアガイドをスタートさせた。ガイドが引率し見学を許可した家のカバタだけを回るコース設定にした。これで訪問客と住民とのトラブルは解消された。運営経費などを除いたガイド料の収入(見学者一人につき1000円)は環境対策費として清掃活動や植栽などに充てている。

「行政からの補助金は一切、受けていません。100%、皆さんからいただいたお金をもとに運営している自治的な組織ですから、すべて自分たちで話し合って自治会とも相談したうえで決めています。だから長続きしているのです」と三宅さんは強調した。

 ボランティアガイドの研修とテキストを最初の2~3年間は用意したが、そのうちやめた。リピーターが訪れるようになると、誰もが同じ金太郎飴のような説明では味気ない。実際に住んでいる人の主観も交えた目線で暮らしぶりが伝わる。

安住の地は静かな方がいい

 現在、年間7000人近い見学客が訪れている。小・中学生の団体も多い。先の番組は国際版もあり海外で六つの賞をとるなど世界的にも評判になったので、定番の観光地に飽きた外国人の旅行者や視察者も少なくないという。

 だが「見学のみなさまへ」の看板にあるように「ここは観光地ではありません」。当初から徹底してきた方針だ。湧水の恵みを受けた暮らしを知ってもらうため散策は必ず地元ガイドと一緒に、と看板は呼びかけている。「取材は受けますが自ら広告宣伝はしません」と三宅さんも明言する。生活の場なのだから観光気分で来られても困る。その姿勢は「ガイドを伴わない見学は場合によっては退去をお願いすることもあります」という看板の強い文言にも表れていた。

 外からの指摘でカバタ文化の価値に目覚め、図らずも知名度が高まったことから「見学」と「生活」の狭間で絶妙なバランスをとり、「生水の郷」を守ってきた針江集落だが、今後の課題は、どの地域にも共通する高齢化だ。

 針江生水の郷委員会のメンバーは65名。人口約600人の集落としては多い方だが、65歳の三宅さんが「私は中堅……いや若手かな」と笑うくらいの実情。若者が少ない。

 1970年代くらいまでの針江は織物が地場産業だったが、いまや大半の世帯が会社員で、大津、京都、大阪方面へ通勤している。移住者も何組かいるが、仕事がなければ「水だけでは食えない」(三宅さん)から格段に増える見通しもない。時間に余裕のない若い現役世代が地域活動に取り組むのは、どこであってもたやすくないことだ。

 とはいえ、繰り返すが「観光地ではない」から、見学者が減り自然収束してもかまわない。「むしろ静かなまちの方が針江の住民にとっては安住の地」と三宅さんは話す。

 軒下の湧水に価値を感じる住民がいる限り「生水の郷」は穏やかに続く。それこそ水のように自然なありさまなのだろう。

  • 針江集落内に設置されている見学者への注意書き。1行目に「ここは、観光地ではありません」と記している。ここでは、地元のガイドを伴わない見学はできない

  • 湧水を用いてつくっている上原豆腐店の豆腐

  • 上原豆腐店の外観。店の前にも水路が走る

  • 公道に面した場所にあるカバタ。登下校の子どもたちがここで水を飲んでいくという

  • 針江集落の地下水と高島市の水道の水を飲み比べられる場所もある

  • 家を改築した際、改造して残した外カバタで冷やすナスやキュウリ。夏、カバタは天然の冷蔵庫となる

(2018年7月14日取材)

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