機関誌『水の文化』48号
減災力

〈かわまちづくり〉で進む、
石巻の復興計画

川との精神的、物理的距離が近く、堤防に遮られないで暮らしてきた石巻に、〈命を守る堤防〉ができることになりました。江戸初期に、川村孫兵衛が北上川を改修して以来の大工事になる今回、川を中心に据えたグランドデザインが進んでいます。地震・津波で多くの方が犠牲になりながらも、「海と川と一緒に生きていく」ことを決断した石巻。復興を超えた新しい石巻づくりにみんなが心を一つにして、取り組んでいます。

亀山 紘さん

石巻市長 工学博士
亀山 紘(かめやま ひろし)さん

1942年宮城県石巻市生まれ。神奈川大学工学部応用化学科卒業後、宮城県塩釜高等学校教諭。東北大学工学部文部技官を経て、東北大学工学部講師、石巻専修大学教授、石巻専修大学開放センター所長。2009年より、現職。
著書に、『東日本大震災 復興まちづくり最前線』(共著/学芸出版社2013)

北上川を核として

新しい石巻づくり

石巻市は、東日本大震災からの復旧・復興を実現していくための道標として「石巻市震災復興基本計画」を策定しました。目指しているのは新たな産業創出や減災のまちづくりなどを推進しながら、快適で住みやすく、市民の夢や希望を実現できる「新しい石巻市」をつくることです。そのために「災害に強いまちづくり」、「産業・経済の再生」、「絆と協働の共鳴社会づくり」の三つを基本理念に掲げました。2020年度(平成32)までを計画期間の区切りと定めています。

  • 北上川を核として
    旧北上川河口に近い中瀬地区も、津波で大きな被害を受けた。石巻市震災復興基本計画において〈中瀬地区みらいの公園づくりワークショップ〉が行なわれ、石ノ森萬画館を核とした公園整備と有効活用が進められる。

  • 旧北上川河口に近い中瀬地区も、津波で大きな被害を受けた。

  • 旧北上川河口に近い中瀬地区も、津波で大きな被害を受けた。

震災前から

石巻のみなさんは、いつでも海や北上川を身近に見ながら暮らしてきました。そのため堤防は人と川を隔てる障害物という感覚があって、堤防の整備をなかなか受け入れられない伝統がありました。

私が石巻市長に就任したのは2009年(平成21)4月ですが、かなり高い確率で宮城沖地震がくるだろうと言われていましたので、翌年の5月に〈いしのまき水辺の緑のプロムナード計画懇談会〉を立ち上げ、策定した計画に「河口部の無堤防地域に津波・高潮対策を行なわなくてはならない」と盛り込んでいます。

水辺は、高潮などの被害をもたらす一方、散策や憩いの場ともなります。

北上川は市内を大きく蛇行して、まちを包み込むような流れになっています。また、北上運河もありますから、石巻はいわば水の回廊でぐるっと囲まれています。歴史と文化が薫る石巻で、水辺に点在する景観ポイントや観光施設をつなぐルートを設定し散策できるようにしようと考えました。

〈いしのまき水辺の緑のプロムナード計画〉では、水辺空間を治水や観光・環境対策、さらに中心街活性化対策も考慮し、より親しみやすい場所につくり変えようとしていました。堤防をつくるといっても壁をつくるようなことにならないようにと考えて、2010年(平成22)には川沿いの町内会を訪ねて、「こんな構想を考えています」とお伝えする懇談会を行ない、〈北上川・石巻湊公開講座〉やシンポジウムも企画してきました。

〈いしのまき水辺の緑のプロムナード計画〉

石巻市「石巻市震災復興基本計画(平成23年12月)、いしのまき水辺の緑のプロムナード計画の概要(平成25年3月)」、国土地理院基盤地図情報(縮尺レベル25000)「宮城」及び、国土交通省国土数値情報「河川データ(平成19年)、鉄道データ(平成25 年)、高速道路時系列データ(平成25 年)」より編集部で作図
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の基盤地図情報を使用した。(承認番号 平26情使、第516号)

かわまちづくりへ踏み出す

震災前からこのように準備していましたので、今回の災害からの復興も、「私たちは海と川と一緒に生きていく」と決断してあたりたいと思い、2013年(平成25)7月に〈第1回旧北上川河口かわまちづくり検討会〉を行ないました。

今回の津波では、多くの方が犠牲になりました。実際に目の前で大切な人を失った方々は、まだ水に対する恐怖心や否定感があると思います。ただ同時に市民の心の中には、長年、川とともに生きてきた想いが大切にしまわれているのです。〈命を守る堤防〉をみなさんが受け入れたのは、みんなが心を一つにして新しい石巻をつくりたい、と望んだからでしょう。堤防の高さが決まらない地域では工事に着手できませんから。

特に門脇地区では7.2mの堤防ができて、景色が一変するでしょうから厳しい決断だったと思います。

〈旧北上川河口かわまちづくり検討会〉の座長である島谷幸宏さん(九州大学大学院工学研究院教授)や委員の佐々木葉さん(早稲田大学創造理工学部社会環境工学科教授)には、「日和山から見たときの北上川の流れに留意すること」とか、「川をこんなに真っ直ぐにしたらダメだ」と修正していただきました。私たちは、単に川べりから川を眺めたときの姿しか気づいていませんでしたので、川の全体を見て、なぜ川がこの形になったかをしっかりとらえて生かしていく専門家の「目線が違う」アドバイスに、多くのことを教えられました。

非可住地域からの移転

今回の津波はL2(注1)でしたが、国ではL1の津波がくることを想定しています。

石巻市震災復興基本計画では、L1津波に対応する防潮堤とL2津波に対応する高盛土道路及び防災緑地で、市街地を守ることにしています。高盛土道路より北の約23.7haの区域は、土地区画整理事業を行ない宅地整備しますが、これより南の区域については、災害危険区域に指定して、内陸部への集団移転が予定されています。阪神淡路大震災のときとの違いは、ここにあります。

三陸地方の場合、内陸部は水田か高台で平地が少なく土地が足りません。また、用地や財源の確保に加え、諸々の手続きを踏まなくてはなりませんから、非常に時間がかかっています。被災後3年半の月日が経っているにもかかわらず、まだ仮設住宅で不自由な生活を強いられている方がおられることに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

(注1)L1とL2
1000年に一度程度の低頻度で発生する巨大津波を含めた今後の津波対策について、土木学会東日本大震災特別委員会津波特定テーマ委員会によって示された、津波防護レベル。海岸構造物による防護及び、津波に強いまちづくりの方針に関する提案と今後の検討方向などの指針とされる。
津波防護レベル〈L1〉:すべての人命を守ることを前提とし、主に海岸保全施設で対応する津波のレベル
津波防護レベル〈L2〉:海岸保全施設のみならず、まちづくりと避難計画を併せて対応する津波のレベル

石巻らしさ

江戸時代に川村孫兵衛(注2)が北上川の改修工事を行なっていますが、今回の大改修はそれ以来400年間で初めての大改修になります。

ただ、大規模な堤防をつくっても、それを乗り越える津波がこないとは限りません。そのことは今回の地震の教訓でもあります。堤防をつくって安心するのではなく、自助の部分を強めることが大切です。そのためには、市民のみなさんに川への関心を持っていただくことが不可欠です。意見を交換したり、丁寧なプロセスで合意形成しているのはそのためです。

北上川は、常に満々と水を湛え、実に堂々とした川です。日本に川はいろいろあるけれど、石巻には北上川がある。それを誇りに思って、北上川を中心に据えた地域づくりができることは、とても豊かな財産です。そういう川の文化が石巻にあることを改めて見直し、自助、共助の核としたいと思います。

(注2)川村孫兵衛重吉(1575〜1648年)
現在の山口県萩市に生まれ、毛利輝元に仕えたのち、初代仙台藩主・伊達政宗に取り立てられる。北上川の水害を防止するため、1616年(元和2)から河川の付け替えを行なった。これにより、北上川・江合川(えあいがわ)・迫川(はさまがわ)の河道が固定され水はけが良くなったことで、仙台平野北部の新田開発が進んだ。石巻の築港工事にも着手し、石巻港は仙台米の一大集積地となる。当時、江戸で消費された米の三分の二が石巻から千石船で送られた仙台米が占めたともいわれている。
その後も、仙台城下の用水路「四ッ谷堰」や水上交通を整備する「貞山堀」の建設に着手。重吉没後、その志を継いだ養子の元吉が貞山堀を完成させている。

(取材:2014年8月12日)

市街地の復興計画

  • 宮城県石巻市復興事業部基盤整備課長の三浦智文さん

    宮城県石巻市復興事業部基盤整備課長の三浦智文さん

  • 同基盤整備課主査の相原春彦さん

    同基盤整備課主査の相原春彦さん

  • 宮城県石巻市復興事業部基盤整備課長の三浦智文さん
  • 同基盤整備課主査の相原春彦さん
防潮堤と道路網の整備

石巻が3・11の東日本大震災で受けた被害の大半は、津波被害です。壊滅的な被害が生じた区域から、床上浸水した区域など、被害はさまざまです。まちの中心部でも、広範囲にわたり浸水しました。今回の復興事業は、津波に対して強いまちづくりを目指しています。

まず、堤防を整備します。数十年から百数十年の頻度で発生する津波にも耐える高さとして、TP(Tokyo Peil:東京湾平均海面)7.2mの高さの海岸堤防を整備します。今回の津波と同程度の津波と高潮を勘案した最大クラスの津波に対しては、さらに内陸側に高盛土道路をつくることにより、二重の防御を設けて、津波からまちを守ろうとしています。

まちの中心部を流れる旧北上川にも、津波が遡上しました。海岸堤防と同様に、下流から上流にかけてTP7.2〜4.5mの河川堤防をつくり、津波からまちを守ります。

また石巻では、津波から逃げ遅れたことで被災した方もたくさんいたことから、避難路の整備もまちづくりの上で重要となります。海沿いから内陸へ逃げる避難路や避難場所の整備と、それらに接続する幹線道路を整備します。

再開発によるまちづくり

こうして安全と安心の確保に努めていますが、それに加えて住民のみなさんがどうやって暮らしていくのかにも、配慮していかなくてはなりません。そのために、中心市街地の活性化に取り組み、方策の一つとして再開発事業を行ない、定住人口増加の促進、産業振興を図っています。

石巻の津波は、旧北上川を遡上したことで被害が大きくなりました。中心市街地では、だいたい1〜2mの高さで建物の1階部分が浸かった区域が多かったため、特に建築規制を設けているわけではありませんが、再開発事業では、権利者らの声を反映させた結果として、1階に居住スペースをつくらないような計画を立てています。具体的には、ピロティ式(1階部分を独立柱によって構成)にして駐車場にするとか、商業施設として利用しようというものです。

市街地再開発事業としては7カ所が復興交付金の採択を受けていて、そのうちの3カ所で都市計画決定と事業の認可を受けて実際に事業が進められている段階です。

責任ある再開発事業を

石巻の環境や気候風土、人の性質や生業は、長い時間をかけて育まれたものです。そういう地元の状況を理解し、実情に即した再開発事業が求められています。権利者のみなさんの生活が持続可能なものであるように、配慮する必要があります。

本日(2014年8月12日)の河北新報の1面にも、神戸の再開発の事例が掲載されていました。神戸に限らず、全国の事例から得られる教訓としまして、高コスト体質に陥る再開発は戒め、身の丈に合った事業計画にしなくてはなりません。

権利者の生活も考えながら、一方で、国の公金をいただいて事業として行なっている側面もあり、失敗は許されません。市ではそういう責任意識を持って対応しています。

万が一、事業が成功しなかった場合、結果的に権利者にダメージが及ばないか。市としては、まず第一に市民のことを配慮しますから、懸念材料がある再開発を簡単に容認することは難しく、一つ一つの手続きを進めるにあたっては、丁寧な折衝を行なってきました。失敗してダメージを受けることがないように、たとえ時間がかかっても慎重に進めていることをご理解いただきたいと思います。

どこにでもある地方都市から脱却して、石巻らしさを取り戻した復興、再開発事業を実現したいと思います。

(取材:2014年8月12日)

北上川と親しむ暮らし

浅野 亨さん

石巻商工会議所会頭
宮城ヤンマー株式会社代表取締役社長
浅野 亨(あさの とおる)さん

想定外の津波被害

石巻の平野部は津波の被害経験が少ない地域で、1960年(昭和35)のチリ地震でも、津波はきましたが大きな被害はなく、堤防のない珍しい一級河川という特徴のまま、今日まできていました。その危うさは、以前からいわれていたことです。

私の家は市内中心部の川沿いにありましたから、何回か津波の被害に遭っています。それで、地震が起きたらすぐに逃げるということが身についています。そのお蔭で、川沿いの人は他の地区と比べて、人的被害を免れた人が多かったかもしれません。

当初は堤防に反対

自宅は今回の津波で全壊しましたが、北上川と親しむ暮らしをずっと続けてきましたから、堤防建設には、当初、反対でした。津波だって、どれぐらい大きなものがくるかわからない。堤防では防ぎきれないかもしれないのだから、堤防をつくっても意味がない、まず、逃げることが大切だと主張してきたのです。

しかし、これだけの被害を受けた石巻のこれからのことを考えると、なんのガードもなしというわけにはいきません。つくらざるを得ない、と納得したのです。それでどうせつくるのなら、自然と共生する良い堤防にしよう、と頭を切り替えることにしました。

北上川を中心にまちを再生

石巻もご多分に漏れず、中心街はシャッター街です。人口は減り、高齢化が進み、郊外に大型ショッピングモールがある全国どこにも見られるような地方都市になっていました。

365日満々と水を湛えている北上川は、我々にとっての誇りです。津波で大変な被害を受けましたが、水と親しんでいかなくては石巻らしさを失ってしまうのです。それで復興にあたっては、改めて北上川を中心としたまちづくりをすべきと思いました。覚悟を決めて、もう一度水と仲良くしようと、川をまちづくりの中心に据えることに決めたのです。

堤防はつくりますが、コンクリートむき出しの堤防ができるのではありません。石巻には堤防が嫌いな人が多いのですが、たぶん、でき上がった姿を見て「ああ、堤防はできたけれど、結構良いものができたな」と思ってもらえるんじゃないでしょうか。

商工会議所としては、今後の石巻の経済的な復興を目指さなくてはなりません。

その際には、行政と議会と商工会議所と市民が一体となり、四輪駆動で取り組むことが必要です。このことは3・11以前から言ってきたことですから、一丸となって復興に邁進している今の気運を生かして、一層の推進力を持って進めたいと考えています。

  • 井内地区に残る石積みの階段〈かわど〉。

    井内地区に残る石積みの階段〈かわど〉。石巻の人たちの暮らしは、このように北上川と密接にあった。

  • 中心部の店の壁に、津波の高さを記録する書き込みがあった。

    中心部の店の壁に、津波の高さを記録する書き込みがあった。

  • 井内地区に残る石積みの階段〈かわど〉。
  • 中心部の店の壁に、津波の高さを記録する書き込みがあった。

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