富山 和子
「森林が海の魚を養う」、ということをご存知でしょうか。「ああ、海岸の森林と魚の関係か」と思われる方があるかも知れません。が、海岸林と魚の関係なら、後述のように昔から漁民の間では知られ、それは現代の保安林制度にも生かされて、「魚付き保安林」が法律で定められています。
が、今回の場合、海岸の森林ではなく、内陸の森林の話です。例えば上越国境の山々までが、日本海や太平洋の魚を養っている、という話です。
最初この話を世に出したのは、1978年、『森は生きている』によってのことでした。当時はだれもがびっくりするような話でしたから、原稿を渡した段階で出版社の校閲部から、「本当か」とチェックが入ったほどでした。
そのあまりの意外性ゆえでしょう。この話を語る人も増え、今では随分知られるようになりました。そして今では、日本の各地に「漁民の森」が育ち始めています。私が世に訴えてきた森林の働きの中で、現代社会がもっとも敏感に反応してくれた機能、それが、この「森林は海の魚を養う」ことだったのです。
しかしながらこの話には、実は元祖がありました。北海道、根釧原野の大造林事業です。人間が入り込むことさえ容易ではないような最北の原野に、戦後、いのちがけで木を植えてきた営林署の人たちの苦闘の歴史です。
その成果が実って、気がついたら海の資源がよみがえっていた。そして、森林が魚や昆布を養うことが証明されたのです。
今でこそ「木を植えよう」とのスローガンがはなやかにうたわれたり、「漁民の森」が脚光を浴びたりしているものの(その実、山村の実状はあまりに厳しいのですが)、そのおおもとの元祖については、人知れず歴史に埋もれてしまう、というのでは余りに残念です。すでに半世紀近くを経過し、当時の現場を知る関係者も数少なくなって来た現在、その数少ない貴重な経験者にお会いして、話を聞くことに致しました。
荒廃した国土から立ち上がった戦後日本の、国土緑化運動がどのようなものであったか、また、一口に木を植えるというけれど、それがどのような大変な仕事であったかということに関しても、考えさせられる方が少なくないことでしょう。