地域が抱える「水」と「コミュニティ」に関わる課題を、若者たちがフィールドワークを重ねて議論し、解決策を提案する研究活動「みず・ひと・まちの未来モデル」。
5年目となる今回は、京都府京都市の防災井戸「銅駝水(どうだすい)」を軸に研究を進めました。
かじ取り役である法政大学現代福祉学部准教授の野田岳仁さんの指導のもと、2年生のゼミ生12名が、2025年(令和7年)5月に3日間、8月に4日間、京都市に滞在し、防災井戸を調査しました。
東京に戻ってからも、グループごとに論理の構築と提言づくりに励み、議論を重ねました。
そして2026年1月23日、法政大学市ケ谷キャンパスにて「研究成果発表会」を実施しました。
本号では、5年目の「京都編」で得られた研究成果について、野田さんに総括していただきます。

法政大学 現代福祉学部 准教授
野田 岳仁(のだ たけひと)
1981年岐阜県関市生まれ。2015年3月早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。2019年4月より現職。専門は社会学(環境社会学・地域社会学・観光社会学)。研究・教育活動の傍ら、国や地方自治体への政策提言・伴走支援に取り組む。環境省良好な水環境保全・活用推進WG委員/良好な環境を活用した観光推進WG委員、内閣官房水循環政策本部水循環アドバイザー等。著書に『井戸端からはじまる地域再生』(筑波書房)。https://nodatakehito.com/
桂川にかかる渡月橋と嵐山
私たちは水のゆたかな古都・京都を舞台に、日常的に利用されている市内の井戸を調査した。京都盆地には琵琶湖に匹敵する地下水が蓄えられているとされ、数ある寺社の名水のみならず、割烹をはじめとした料理店、豆腐店、和菓子店、さらにはバーに至るまで、自前の井戸水で仕込みを行う例が少なくない。店舗前に水場を設け、井戸水を地域へ開放する店もある。京都の食文化の厚みは、地下水によって支えられているのである。
そのなかで私たちが強く惹きつけられたのが、非常時の備えであるはずの「防災井戸」が、地域の日常生活に深く埋め込まれていることだった。防災井戸は災害時の活用を前提に設置されるため、ふだんは隠れた存在となっていることが多い。にもかかわらず、京都にはミシュランの星付き料理人が仕込み水を汲みに来るほど、日常に埋め込まれた防災井戸が存在する。なぜ非常時の備えである「防災井戸」が人びとの日常生活に根付くのか、その理由を明らかにしようと試みた。
能登半島地震で示されたように、大規模災害時には断水が広域かつ長期化する。こうした状況を踏まえ、内閣官房水循環政策本部と国土交通省は、2025年3月、『災害時地下水利用ガイドライン』を公表し、防災井戸の整備と運用を重要施策として後押ししている。そこで焦点となるのは、井戸を日常の暮らしのなかにどう埋め込み、日常的に利用され続けるかたちにするか、ということである。私自身、各地の現場で日常的に使われない井戸ほど水質悪化や目詰まりが進み、非常時に十分機能しない例を繰り返し目にしてきた。防災井戸を非常時に機能させるには、日常の暮らしのなかで利用され、維持管理される仕組み――すなわち「日常装置」としての位置づけが欠かせないからだ。
そこで私たちは、数ある井戸のなかでも、もっとも日常に根付いた梨木神社の「染井」、下御霊神社の「御霊水」、銅駝会館前の防災井戸「銅駝水」に注目し、それぞれ12時間の利用者数を調査した(2024年10月31日、6時~18時)。結果は、染井136人、御霊水108人、銅駝水157人であった。利用目的の多くは飲用・料理用であり、「お茶やコーヒー用に汲みに来た」と話す地元住民や「修業時代からこの水を使っている」と語る料理人に数多く出会った。
結論を先取りすれば、防災井戸は「非常用装置」ではなく、日常生活に埋め込まれてこそ機能が最大化するということだ。いざというとき水がでることは、普段から水が出ていることでしか保証されないからである。銅駝自治連合会(25自治会・約1250世帯・加入率85%)は、防災井戸を地域運営のなかに組み込んでいる。特筆すべきことは、防災井戸を銅駝会館や銅駝史料館の運営、盆踊り大会などの地域活動と並行して、「安全安心街づくり」を学区の基幹事業として位置づけていることだ。井戸の協力金が水質検査や停電時の手押しポンプの切り替え装置に充てられるだけでなく、ソーラー安全灯や飛び出し坊やなど、地域の子どもや住民の安全を支える装置に充てられている。さらに学区内の8つのホテルとの災害協定、パチンコ店の屋上駐車場の避難利用といった取り組みも「安心安全」という地域の基本原理と呼べるような考え方のもとで束ねられている。銅駝自治連合会の役員が繰り返し述べていたことは、「人をつなぎとめる結集軸は防災」ということである。京都は本来、地蔵盆のような子どもを軸にした結びつきも強いが、銅駝学区でも少子化が進んでおり、結集軸としては安定的に働きにくくなっている。だからこそ銅駝水は、単なる水源ではなく、「安心安全」という地域の基本原理を日常のふるまいとして作動させる体現装置として位置づけられている。このように、銅駝学区では防災井戸を「使い続ける」ことが災害へのもっとも確かな備えとなっていたのである。
では、この「安心安全」という基本原理は銅駝自治連合会に固有のものなのだろうか。鴨川に隣接し、銅駝自治連合会の南に位置する立誠自治連合会(約800世帯・21自治会で構成)に目を向けて調査を行うと、基本原理と呼べるものは、「文化を守る」ことと「安心安全」があることがみえてきた。立誠小学校の敷地では日本初の映画の試写実験が成功したことから「日本映画原点の地」としてもよく知られている。「文化を守る」という基本原理はこのような歴史性をふまえたものである。「安心安全」の内実は、京都を代表する繁華街である木屋町を抱える立地のもと、防犯と火災への備えにある。立誠小学校の跡地利用をめぐっては、この2つの基本原理を巧みに接続しながら、跡地再編の方針が組み立てられた。結果的に立誠ガーデンヒューリック京都のホテルに活用されているが、立誠学区住民がなにを望んでいるのか、立誠学区の基本原理が反映されたかたちで整備された。跡地再編を先導した立誠自治連合会元会長の諸井誠一さんから伺った話は、ここで詳述できないのが惜しまれるほど、驚きと巧みさに満ちたものだった。
象徴的なのは、跡地再編においてホテル整備と同時に立誠図書館を敷地の四隅に分散配置する設計である。というのも、風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)には、学校や病院などの保全対象施設から一定の距離を保つという場所的制限があり、保全対象施設の配置によって規制が及ぶ範囲が大きく左右されるからである。とくに注目されるのは、敷地の四隅に図書館機能を4か所配置し、それぞれを教育施設(高倉小学校の第二教育施設)として位置づけた点である。四隅に置けば規制が及ぶ範囲を四方へ押し広げることができ、結果として場所的制限の効果を最大化できる。学区住民が求めた防犯と火災への備えとしての「防波堤」を制度と空間配置の両面から実現している。このように、それぞれの地域で基本原理を起点にじつに多様な実践が組み立てられており、つい詳細に踏み込みたくなる。だが、ここでは骨子の指摘にとどめ、詳述は別稿に譲ることにしたい。
ともあれ、「安心安全」は、銅駝学区固有のものというよりも、都心部の学区が共有しうる基本原理であることがみえてきた。けれども、同じ原理が共有されていても、それを日常の仕組みとして作動させる装置は地域条件によって異なるようだ。銅駝学区では防災井戸がその役割を担ったのに対し、立誠では跡地再編と図書館機能の配置が「安心安全」を支える装置として設計されていた。したがって銅駝学区の固有性は、「安心安全」という原理そのものではなく、防災井戸を「日常装置」として根付かせた点にあるといえよう。
こうした視点をもって、京都の店舗の井戸に目を向けたい。四条醒ヶ井に本店を構える京菓子司の亀屋良長の井戸である。亀屋良長は創業1803年(享和3)。初代店主は店先から湧き出る「醒ヶ井水」を求め、この地に店を構えたという。60年ほど前に阪急京都線の地下区間が開通した頃に水が枯れたとされ、その後、約30年間は水道水を使っていたが、1991年(平成3)に本店ビルの建て替え時に80mの深さの井戸を掘り直している。当時は、水がほしい人がいれば声をかけてもらう、いわば許可制の運用で、現在のように自由に井戸水を汲めるかたちではなかった。それが2016年の本店改装を機に、誰でも立ち寄って汲める現在の形式へと切り替わっている。ここには、単なる利用者の利便性向上にとどまらない、亀屋良長が大切にする価値観の転換がうかがえる。
亀屋良長の八代目当主である吉村良和さんは、「伝統は守ることが目的ではなく、人が幸せになるための道具」と言い切る。老舗であればあるほど「守る」ことが前面に出やすいものであろう。だがこの言葉は、伝統を保存対象として囲い込むのではなく、先人の知恵の結晶として使い、いまを生きる人びとの喜びへ接続することを宣言している。もっとも、吉村さんも当初からこのような考えをもっていたわけではない。
吉村さんにとって大きな転機となったのは、36歳の時に病を患い、ヨガと瞑想に出会った経験だったという。それまでは「伝統とは守ること、変えないこと」だと思っていた。京菓子は「こだわってなんぼ」なのだから、百貨店から「こんな菓子を作ってほしい」と相談を受けても、「そんなんできん」と断ろうとしていた。しかし、そこで吉村さんは、あえて一度こだわりを手放し、「やってみよう」と舵を切った。すると次第に、取引先のあいだで「亀屋さんに相談したら、なんとかなる」という評判が立つようになったという。病を経た後、吉村さんが大切にするようになったのは、伝統を守ることではなく、先人の知恵の結晶を「道具」として用い、目の前にいる人びとが喜び、幸せになる方へと働かせることだった。「道具として伝統を使う」という姿勢は、老舗の存在感を軽んじるものではなく、むしろ伝統を現代に作動させるための実践的な転換として位置づけることができるだろう。
和菓子にとって水は命といわれる。井戸水は味の核ともいえ、商いの根幹に近いものであろう。ここで注目したいのは、その井戸水を外部へ開放するという行為が、単なる善意の提供ではなく、「道具として伝統を使う」という考え方と響き合っている点である。
こうして銅駝水と亀屋良長の井戸を並べてみると、主体は自治連合会と京菓子店で異なるにもかかわらず、共通する輪郭が浮かび上がってくる。井戸は、単なる水源ではなく、地域や組織が掲げる基本原理を日常のふるまいとして作動させる「体現装置」として成立するということだ。
だとするならば、防災井戸の実効性を高めるには、当該地域の基本原理を言語化し、その原理に接続するかたちで井戸を日常装置として位置づける必要があるのではないだろうか。
本連載は今回で最終回となります。これまでの研究成果や政策提言は、国・地方自治体の政策形成や施策展開において参照され、実装に向けた動きが着実に広がりつつあります。本連載に込めた問題関心や考え方は、今後もゼミ活動や各地での実践のなかで引き継いでいきます。今後の取り組みについては、筆者のウェブサイトを参照ください。
最後になりましたが、これまで調査にご協力くださった地域のみなさま、政策提言の機会をいただいた国・地方自治体の関係者のみなさま、ともに「みず・ひと・まちの未来モデル」に取り組んでくださったミツカン水の文化センターならびに若手社員のみなさま、そして読者のみなさまに心より感謝申し上げます。