お知らせ

ミツカン水の文化センター オンラインセミナー
「江戸東京への舟運~古文書でたどる酢の軌跡~」

オンラインセミナー「江戸東京への舟運~古文書に見る酢の足跡~」

11月28日(土)にオンラインセミナー「江戸東京への舟運~古文書でたどる酢の軌跡~」を開催いたしました。
今回のオンラインセミナーでは、東北学院大学の斎藤先生に、一般財団法人招鶴亭文庫が所蔵する中埜家文書を解説いただきながら、「新興海運勢力と全国市場の再編」、「江戸の舟運を担った船の種類」、「中埜家とすしや与兵衛・中井半三郎商店との書簡を通じた、酢の物流」、「中埜家文書のハガキを通じた、関東大震災発生当時の様子」の内容についてお話しいただきました。

概要
日時 :
2020年11月28日(土)13:30~16:00
会場 :
オンライン(Zoomにて配信)
参加者数 :
オンライン講義 73名
オンライン交流会 7名
講師 :
東北学院大学教授 斎藤善之
主催 :
ミツカン水の文化センター
共催 :
一般財団法人 招鶴亭文庫

 

オンライン講義

オンライン講義で配信した斎藤先生の講義動画を視聴いただくことができます。

  • 動画内、スライドのセミナーの正式名称は、「江戸東京への舟運 古文書でたどる酢の軌跡」です
  • 2019年のフォーラムの正式名称は、「江戸東京からの学び 廻船が運んだモノと文化とは」です

また、セミナーで使用した資料も下記PDFよりダウンロードいただけます。ぜひ、ご覧ください。

講義資料ダウンロード

  • 〔史料8〕「受付印 大正12・10・6」と記載されていますが、正しくは「受付印 大正12・10・16」です

 

質疑応答

オンラインセミナーでは、講義中に参加者の皆さまからの質問を募集し斎藤先生よりご回答いただきました。
舟運によって運ばれたものに関するご質問や、舟運と文化の発展のつながりに関するご質問など、実に幅広い内容のご質問をいただき、参加者の方が興味深く講義を視聴してくださったことが伺えました。

参加者からいただきました質問と斎藤先生の回答を一部ご紹介いたします
一艘の船には、他の荷主の荷物は載せず、中野酢店の商品だけが載せられていたのでしょうか。
他の荷主の荷物も混載することもあったようです。ここでお話したように例えば東京で酢の需要が大きい時は、船一艘全て中埜の酢を積むことになったでしょうし、酢の需要が少ないときには、他の荷物を混載することもあったのではないでしょうか。
尾州・半田に酢の製造業が生まれ、大需要地から遠隔であるにも関わらずその地のままで大きく発展したのには、どのような要因が考えられるでしょうか?
まさに尾州廻船のような海運手段が発達したからだと思います。酢の原料(酒粕)が大量に入手できること、そして製品の酢(重量のある貨物)を運ぶにも鉄道がなかった時代には海運が活躍しました。大坂と江戸の中間に存在し海運が発達していたという地の利と交通手段が伊勢湾沿岸の醸造地帯を生み出したと考えられます。
北前船、尾州廻船、奥筋廻船と3航路の廻船が絡み合っていたのはよく判るのですが、それぞれ開発された時代が違うと思うのですが、その辺りについて少し説明して頂けますか?
3つの海運勢力ともに、すべて活動の起点の次期は天明期、発展期は安政期、活動をおえるのが明治10~30年代で、活動の時期は完全に一致しているのというのが私の理解です。
資料では3大廻船で全国が結ばれていますが、九州については「域外」になっている感じです。江戸時代には長崎にて輸入・輸出、博多も大きな商業の町として栄え、臼杵のフンドーキン醬油も半田と同じような運河沿いの工場で醬油を作っていた様なので恐らく舟運が発達していたと想像します。
その通りなのですが、そこは海運がなかったのではなくて、研究の空白地帯であることが地図での空白の理由です。昨年、九州の北部については筑前五ヶ浦廻船や玄界灘に面した宗像郡神湊や遠賀川河口の芦屋を拠点とする振興流通勢力の存在を指摘した研究を発表しました。ただ長崎や沖縄方面までは調査がおよんでいません。
当日斎藤先生は、仙台のご自宅からご出演いただき、皆さんからのご質問にご回答いただきました

当日斎藤先生は、仙台のご自宅からご出演いただき、皆さんからのご質問にご回答いただきました

オンライン交流会

オンラインセミナーの後は、斎藤先生と希望者によるオンライン交流会を実施しました。30分と短い時間ではありましたが、参加してくださった7名、全員の方の感想をお伺いしながら、和やかな雰囲気で実施できました。

交流会参加者が感じた、今回の講義で一番興味深かった内容、で最も多かったのは「中埜家とすしや与兵衛・中井半三郎商店との書簡を通じた、酢の物流」についてでした。

参加者の方からは、「半田(尾張)から江戸まで行く経緯、酢は液体で、重量が重かったため、遠方である東京(江戸)まで運ばれたというきっかけが興味深かった」「半田に住んでいますが、ここから遥々江戸に行くという流通のあり方、また残されているハガキ、古文書の口語訳を聞いて、今まで以上に関心が高まりました、参加してよかったです!」などのご感想をいただきました。

オンライン交流会で参加者からいただきました感想を一部ご紹介いたします
  • 舟運の発展の流れが面白かった、すしや与兵衛さんは個人のお寿司屋さんだと思っていました。
  • 関東大震災の部分が興味深かった、関東大震災の時期に江戸中のお寿司屋さんが各地でお店を開いたと聞いたことがありましたが、全国に散らばった後、すし酢をどのように調達してきたのか、ということが興味深く聞いていました。
  • 奥筋廻船を初めて知りました!また、斎藤先生のいらっしゃる東北地方では、どのようになっていたのか 気になりました。
  • 水は、人間が生活する上での核になると思う、陸上がまだ交通の手段として発展していないときに、水が大きな役割を果たしているということを改めて感じました。

交流会の最後には、「また先生のお話をまた聞きたい!と思った方は大きくまる印を作ってください」という掛け声とともに記念撮影をしました。参加者の皆さん全員が大きくまる印を作ってくださいました。

  • 参加者一人ひとりの感想に斎藤先生よりコメントをいただきました

    参加者一人ひとりの感想に斎藤先生よりコメントをいただきました

  • 参加者の皆さんから拍手をいただきました

    参加者の皆さんから拍手をいただきました

  • 参加者の方皆さんが先生のお話をまた聞きたい!と大きくまる印をつくってくださいました

    参加者の方皆さんが先生のお話をまた聞きたい!と大きくまる印をつくってくださいました

船は、食品や情報、文化も運び、江戸の流通を支えていたこと、今も、江戸時代も変わらない物流の重要性を感じていただけたと思います。 ご参加くださったみなさん、実施報告をご覧くださったみなさん、ありがとうございました。

関連リンク

・ミツカン水の文化交流フォーラム2019 江戸東京からの学び 廻船が運んだモノと文化とは
 http://www.mizu.gr.jp/forum/2019.html

・機関誌『水の文化』25号 特集「舟運気分(モード)」
 http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no25/

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