研究活動「みず・ひと・まちの未来モデル」は5年目を迎えました。2025年度の対象地域は「京都」です。法政大学現代福祉学部准教授の野田岳仁さん指導のもと、新2年生のゼミ生12名、そしてミツカンの若手社員3名が研究活動に取り組みます。
地域が抱える水とコミュニティにかかわる課題に対して、若者たちがフィールドワークと議論を重ね、最終的には研究成果を地域に住む人びとや自治体などに報告、提案することを目指しています。
2025年5月10~12日、野田さんとゼミ生、若手社員たちは京都を訪ね、日常的に利用されている市内の井戸を調査しました。地域住民が万が一に備えて掘った防災井戸「銅駝水(どうだすい)」を軸に、野田さんに井戸と地域のあり方に関する考察を記していただきました。
法政大学 現代福祉学部 准教授
野田 岳仁(のだ たけひと)
1981年岐阜県関市生まれ。2015年3月早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。2019年4月より現職。専門は社会学(環境社会学・地域社会学・観光社会学)。研究・教育活動の傍ら、国や地方自治体への政策提言・伴走支援に取り組む。環境省良好な水環境保全・活用推進WG委員/良好な環境を活用した観光推進WG委員、内閣官房水循環政策本部水循環アドバイザー等。著書に『井戸端からはじまる地域再生』(筑波書房)。
京都市内を南北に流れる鴨川
5年目を迎える今年度、私たちは水のゆたかな古都・京都を舞台に選んだ。地盤工学者の楠見晴重らによる研究によれば、京都盆地は琵琶湖に匹敵する地下水が蓄えられていることが知られている(注1)。京都の水については工学や水文学、歴史地理学的研究が蓄積されてきた。あえて京都で私たちが取り組む理由とはなにか。
京都の水を取り巻く状況をみると、北陸新幹線の延伸計画をめぐり、地下水への影響が議論を呼んでいる。市内の寺社仏閣の境内には、名水として名高い井戸が数多く残り、なかには掘り直されたものもある。さらには、水にこだわる割烹や和食料理店はもちろんのこと、イタリアンやフレンチレストラン、豆腐店、和菓子店、バーにいたるまで、自前の井戸水を使って仕込みを行う例は少なくない。驚くべきことに、店舗前に水場を設置し、自前の井戸水を地域に開放する店舗も存在するほどだ。じっさいに、まちなかにはそんな開かれた井戸が点在しており、近隣住民や観光客でにぎわいをみせている。つまり、こんにちの京都のゆたかな食文化を支えているのは、地下水にほかならないのである。私たちは、これまで手つかずであった、人びとの日常生活に息づく地下水利用の現場に光を当て、中立的な立場からその実態を捉えたいと考えたのがひとつである。
もうひとつの理由は、数ある開かれた井戸のなかで輝きを放っている「防災井戸」との出会いにある。
防災井戸とは、災害時に活用することを前提に設置される、いわば非常時の備えとしての井戸である。それゆえ、東京都内のある公園に設置された防災井戸のように、日常時は手押し部分が取り外され、ビニールシートが被せられているような隠れた存在であることが多い。にもかかわらず、京都市内には地域の日常生活に深く根付いた「防災井戸」が存在しているのだ。見逃せないのは、ミシュランの星付き料理人らにとっても水汲みに来る場所として日常に埋め込まれている点である。これは地下水が日常生活に根付いている京都ならではの風景であろう。私たちはこの現象に強く惹きつけられた。
つまり、私たちは、なぜ非常時の備えであった「防災井戸」が地域の日常生活に根付いているのか、その理由を明らかにしたいと考えた。
このような問いを掲げる背景には昨今の政策的な動きがある。能登半島地震でも明らかになったように、災害時において上水道システムは極めて脆弱である。こうした状況のなか、内閣官房水循環政策本部事務局と国土交通省水管理・国土保全局水資源部は今年3月に『災害時地下水利用ガイドライン〜災害用井戸・湧水の活用に向けて〜』を発行し、防災井戸の整備と運用の重要性を呼びかけている。能登半島地震の教訓をふまえて、防災井戸を整備する地方自治体は急速に増えており、このガイドラインに沿って、さらに多くの自治体がこれに力を入れると想定される。
ただし、このガイドラインはその中身を読み込めばわかるように、あくまで「非常時対応」としての機能確保が中心に据えられており、「日常利用」については補足的にしか述べられていない。だが、それでは不十分である。むしろその逆の発想こそが求められているのかもしれない。いざというときに水がでるということは、普段から水がでていることでしか保証されないからである。日常に利用されていない井戸は、水質が悪化したり、砂がつまったり、結局災害時に役に立たないことを私は各地の現場から教えられてきた。じつは、このガイドライン発行前に私の研究室に国の担当者が相談に来られ、日常利用の重要性をお伝えしたところである。今後、このガイドラインは「日常利用」を充実化させた改訂版が望まれるであろう。その部分に対しても本研究はなんらかの貢献ができるかもしれない。
すなわち、防災井戸は、非常用装置ではなく、日常生活に埋め込まれてこそ、その機能を最大限に発揮できるのではないだろうか。こうした認識の転換の必要性をこの「防災井戸」は私たちに突きつけていよう。
(注1)楠見晴重 2008 古都に眠る千年の地下水脈―悠久の雅を支える地下水『日本醸造協会誌』109(1): 36-43
京都のまちなかに数ある井戸のなかで、もっとも人びとの日常利用に根ざした3つの井戸に注目した。それは、御所三名水のひとつである梨木(なしのき)神社の「染井(そめい)」、下御霊神社の「御霊水(ごりょうすい)」、銅駝(どうだ)会館前にある「銅駝水(どうだすい)」である。ともに、井戸の深さは8mと共通している。
「染井」と「御霊水」はそれぞれ神社の手水にあたり、本来は参拝者が口や手を清めるための水である。「銅駝水」は銅駝自治連合会による銅駝学区住民のための「防災井戸」なのである。にもかかわらず、本来の機能とは異なる日常利用がみられる。飲用水や料理用に住民が水を汲んだり、料理人が仕込み水として水を汲んでいく。外国人観光客はその光景をおもしろがって、ありがたく口に含んでいく。これがなんとも興味深いことである。もちろん、本来の機能とは異なる利用に対して、管理者からは利用量について制限があったり、マナーを守ることが呼びかけられており、推奨されているわけではない(注2)。
私たちの研究室で、2024年10月31日木曜の朝6時から18時まで12時間の利用者数を調査したところ、染井136人、御霊水108人、銅駝水157人であった。利用者のほとんどは飲用、料理用であり、「来客があるので、コーヒー用に汲みにきた。この水は有名料理店が汲みにくるほどの名水だから」と自慢げに話してくれる利用者もいた。また、「修業時代からこの水を汲んでいたから、(独立して自身の)店をかまえてからも同じ水を汲んでいる。(出汁の出具合が)安定する」と話す料理人も少なくなかった。じつに多様な人びとの食の営みを支えていることがみえてくるのである。
(注2)たとえば、下御霊神社では、下御霊神社と氏子総代会の連名で「この水はあくまでも参拝する際に身を清めるための水であって、いくら汲んでもよいというものではありません。皆様のご協力をお願いします」と看板に記載されている。
もっとも利用者数の多かった「銅駝水」の前には、小さな公園があり、夕方には近所の子どもたちの遊び場となっている。そこで印象的な光景に出会った。公園内には市営水道による水飲み場が設置されているにもかかわらず、子どもたちは遊びの合間に、わざわざ銅駝水を飲みにやって来るのだ。このことは、銅駝水がいかに地域の日常生活に溶け込んでいるかを端的にあらわしていよう。
銅駝水が設置されるきっかけとなったのは、1995年(平成7)の阪神・淡路大震災であった。銅駝学区の住民がボランティアとして被災地を訪れた際、水の確保がいかに困難かを目の当たりにしたことから、「万が一に備えて水を確保しよう」と井戸掘削が決まった。銅駝学区の避難所に指定されている銅駝会館に防災用地下水として整備されたこの井戸は、誰でも使えるように蛇口が設置され、銅駝自治連合会によって日常的に管理されている。井戸の維持管理に必要な費用は「地下水管理費協力金」として募金箱が設置されている。協力金は、年に2回の水質検査(最近ではPFOS及びPFOAの検査を別途行っている)、停電時の手押しポンプ切り替え装置などに充てられ、協力金の使い道や水質検査の結果は井戸の脇にある掲示板で報告されている。
これまでのフィールドと異なるのは、銅駝水において私たちが探求してきた「井戸端」のような相互交流はあまりみられないことである(水汲み場という単機能に限定された水場の特性にかかわっていると想定される)。にもかかわらず、井戸は日常生活のなかに埋め込まれている。この事実は、防災井戸のある共助空間を考えるうえで、従来とは異なる論点を提示してくれているようだ。すなわち、人と人との関係性が乏しくても、なんらかの仕掛けがあれば、共助空間は機能しうるということである。相互交流がないことは、決して機能不全を意味しない。むしろ関係性に依存しない新たな共助空間のあり方がここには示されている可能性がある。
では、それを成り立たせている仕掛けとはなにか。
銅駝自治連合会は25自治会で成り立っており、およそ1250世帯、3800人が加入している。加入率は85%と高い。自治連合会の活動も多彩である。「銅駝会館」、「銅駝史料館」の管理運営、学区民盆踊り大会、レクリエーション、敬老事業などがあるが、注目したいのは、安全安心街づくり事業と位置づけられた独自の取り組みである。それは、予算化されているものだけでも子ども見守り隊、ソーラー安全灯、防犯カメラの設置といったものがある。じつはこのソーラー安全灯の設置費用は井戸の協力金からだされたものである。同じく、井戸の協力金で設置された「飛び出し坊や」の横にソーラー安全灯がつけられ、16時から夜通し点灯する。子どもたちには家に帰る合図になるし、防犯上の備えとなる。学区内の子育て世代には評判がいい。
改めて、この協力金の使い道を見返してみると、年に2回の水質検査、停電時の手押しポンプ切り替え装置の設置というのも、「安心安全」という考えのもとに行われていることがわかる。銅駝自治連合会は、銅駝学区内にあるザ・リッツ・カールトンやホテルオークラなど8つのホテルと災害時の協定を結んでいる。災害時には体調の深刻な学区住民を優先的に避難させるものである。この種の協定は現在では珍しくなくなっているが、市内の自治連合会のなかで先駆けた取り組みだったそうである。それだけではない。学区内のパチンコ店とも協定を結んでおり、洪水が起きた際に屋上にある駐車場を自家用車の避難場所として利用することができる。さらに銅駝校のグラウンド利用や銅駝校跡地活用をめぐる取り組みやアイデアにおいても、この「安心安全」という地域の基本原理が至るところに貫かれているのだ。そもそも、この防災井戸を掘った経緯を振り返れば、紛れもなく「安心安全」という基本原理が体現されたものといえるのである。
すなわち、なぜ「防災井戸」が非常時の備えではなく、地域の日常生活に根付いているのかといえば、それが「安心安全」という地域の基本原理を体現する装置として位置づけられているからである。こうしてこの井戸は、非常用装置ではなく、日常の実践においてこそ機能を発揮するものとして定着している。銅駝学区では井戸を「使い続ける」ことが災害へのもっとも確かな備えとなっているのである。
では、なぜ銅駝自治連合会はこれほどまで「安心安全」にこだわってきたのだろうか。まだはっきりと掴めていないが、銅駝学区は鴨川と隣り合わせであり、想定浸水深1.4mの地域であることも無関係ではなさそうだ。「安心安全」という地域の基本原理へのこだわりとその歴史的な積み重ねこそが銅駝学区において、人びとが納得できる地域運営のかたちだったのではないだろうか。
この4月にゼミ生となったばかりの新2年生たち。京都が初めてのフィールドワークということもあって、初日はさすがに戸惑い気味。しかし、日を追うごとにどんどん自分たちで考えて動くようになっていきます。そうした姿に触発されたのか、ミツカンの若手社員3名も積極的に学生たちと聞き取り調査を行なっていました。夜の討議は野田さんが驚くほどハイレベルなものとなりました。
8月初旬には4日間の現地調査が予定されています。今はそれに向けて各自で調べたり、グループごとに議論したり、合同ゼミを数回開いて準備しているところです。
春の現地調査に同行するなかで、編集部が抱いた関心事の一つは、銅駝自治連合会の役員が話した「京都は決して安全な街ではない」という言葉。京都の古い絵巻には火事が描かれていて、焼失した古い建物も実は少なくないそう。「安心安全」に対する意識は京都市内に住む人びと共通のものなのか、あるいは銅駝学区の人たちの意識が高いのか……夏のゼミ合宿で調べてみたいと思っています。
(2025年5月10日~12日取材)