山梨県都留市十日市場
堀口 校(ほりぐち ただす)さん
奥様のけい子さんが、渉外担当。ご夫妻で、公立大学法人都留文科大学の学生たちに農業指導も行なっている。
山梨県都留市十日市場と夏狩地区には、富士山に降った雨が30年程かけて湧き出ているといわれています。一年を通じて水温は、15゚Cほど。それが水路を通ってここにくるまでに12〜13゚Cほどになります。地下水の温度は、その土地の一年間の平均気温とほぼ同じといわれているんですよ。冬で12゚Cといえば、お湯のように暖かく感じます。冷え込んだ朝には、水路に湯気が立つほどです。
都留市が撮影した航空写真には、冬場の枯れた田畑に青々とした水掛け菜の田が写っています。水掛け菜はアブラナ科。暖かい湧水を豊富に使えるここでしか、つくることができない地域限定の菜っ葉なんです。明治時代、もしかするとそれ以前から地元でつくり続けられてきました。内陸部で冷え込みが厳しい当地では、12月に入るとマイナス5゚Cほどまで気温が下がることもざら。植物は根っこまで凍って、生長できません。昔は冬場の青物が不足したので、暖かい湧水を利用してつくる水掛け菜は、大変貴重なものでした。
水掛け菜は畝でつくって、畝の周りに溝を切って湧水を流します。まんべんなく湧水が流れるように、溝は一筆描きになるように切って、湧水の暖かさで畝を暖めて根っこを凍らせない工夫なんです。
静岡県御殿場市の裾野にも長野県の北杜市にも水掛け菜という菜っ葉はありますが、それぞれ違うものだそうですね。裾野の水掛け菜は少しぴりっとして固いために、漬物にするそうです。
ここら辺りでは、お雑煮に水掛け菜が欠かせません。だから、生産者は年末に向けて生産するのです。10月10日を目処に、その年の気候を睨みながら前後2日間の調整をしながら種を播きます。クリスマスケーキと一緒で、時期を外したらガクンと価値が下がります。
12月には青々していた葉っぱも、1月に入ると寒風に当たって傷みます。でも、年を越した水掛け菜のほうが本当はおいしい。葉っぱの生長が一段落すると、今度は葉っぱの厚みを増すほうに変わるからです。寒さが厳しければ厳しいほど、植物も「生き残るぞ」という危機感から甘味が増すのです。今年は寒さのためにうまく育たなかった。でも、小さくても引っ張りだこでした。店頭で1把360円という記憶に残る内で最高額がつきました。
とはいえ、一般市場に流通するようなものではないため、親類や友人に分けるためだけに個人的につくる人が多いのです。私は何年か前に〈十日市場水掛け菜生産グループ〉をつくって、1畝ごとに買い取る水掛け菜オーナー制を始めました。東京から近いのに知名度に欠ける都留に来ていただくことで、湧水の豊かさを味わったり、自分で収穫する楽しみも経験できると思います。
水掛け菜は米をつくったあとの水田を利用してつくっています。春まで残しておけば、黄色い菜の花が咲いてきれいだしおいしいんですが、雑草が増えるので、2月10日には耕して漉き込んでしまいます。種取り用の水掛け菜は、畑地で別に栽培しています。
十日市場と夏狩地区には水利組合がない、と言うと、みなさんとても驚かれます。みんなが自由に水を使っていても争いにならないほどの水量があり、長い間、涸れることもあふれて困ったこともありません。ちょっと離れた所では、水が得られなくて激しい水争いの歴史があるのに、ここでは水の苦労とは無縁でした。
都留には養蚕や機織りが行なわれていたのと併せて、水が豊富なので動力水車が小水力発電機に移行した歴史があります。そこから精密機械産業も発展しました。農業だけで生活してきた土地柄でないのです。
私は水掛け菜だけではなく、インゲン豆もエンドウ豆も水ネギも自分で種を取って育ててきました。私だけでなく、周囲の人もほとんどがそうです。専業農家として流通させる作物をつくっているわけではないから、みんな自家採取を長年当たり前に続けてきました。
食べ比べてみたら、生産地の違いどころか、私とお隣りさんで違うほど、つくる人限定の味になっているかもしれませんね。
(取材:2013年1月24日)