中国の親水についての補足があって、「日本人にも『仁智の楽しみ』という言い方で山や川を楽しむ文化が江戸時代まで定着していた。近代に入って、我々日本人が失ってしまった感覚だ」と指摘がありました。蜂屋さんは今まで中国のことを研究してきましたが、年々、日本にとってどういう意味があったのかということに興味が向いているため、今回の里川文化塾をきっかけにして、日本と中国が、同じような文化を持ちながら違っている点というのを、もう少し探っていきたい、と心境が語られました。
私にとって今日の研究会というのは大変刺激的でした。いつも出る学会は、いわば同業者の集まりで、同窓会みたいなところがあるわけです。顔ぶれも決まっていますし、誰が何を言うかまで、想像がつきます。
ところが今日は私にとってはまったく違う世界で、非常に刺激的でした。今まで読んできた史料を別な目で見ると、もっと違う発見があるかもしれない、ということに気づかされました。
実は水利史関係の本などは、かなり前に読んだのですが、新資料を含めてもう一度読み直して改めて考えてみたいと感じました。
私の話は治水と利水と親水の三つに分けてお話したのですが、親水のところは少し話し足りなかったところがありますので補いたいと思います。
一つは、『論語』の「雍也」にある「智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」についての解釈です。なぜ「智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」のか、ということについては、たくさんの注釈がありますが、三国時代くらいから「仁智の楽しみ」という言葉が出てくるんですね。仁は儒家の徳目ですし、智というのも人が持つべき徳目として認識されるものです。ですから「仁智の楽しみ」というと、すごく思想的で高尚な楽しみと我々は受け止めてしまうわけですが、実を言うと、山水を楽しむ、早く言えばピクニックのことなんです。
この言い方が中国でだいたい3〜4世紀に広まって、それが日本に入ってきて日本人も「仁智の楽しみ」という言い方で山や川を楽しむという発想を持ったわけです。
ところがこの「仁智の楽しみ」という言葉は、日本でずーっと続いていくのです。現代の我々はそんな言葉は使いません(使えません)が、江戸時代の日本人は当たり前に使っていました。当時の漢詩の中にも出てきます。ポピュラーな言葉でした。
しかし、その文化は途絶えてしまって、現代の我々には、この表現がそういった内容を指す言葉、しかも一般的に広まっていた言葉であるという感覚が途絶えています。これ以外にも、途絶えていることはたくさんあると思います。
そうしたものをもう一度見直してみたい、掘り起こしてみたい、という気持ちがしています。
もう一つ、今日、島谷先生のお話をうかがってずいぶん刺激的だったのは、私はずっと中国のことを研究してきましたが、日本人でありながら日本のことを知らないということですね。
年齢とともに、日本のことをちゃんと知りたい、という欲求が高まってきていました。中国の学会でも、今まではずっと中国のことを話してきたんですが、2012年(平成24)7月の北京大学での学会では、江戸時代の佚斎樗山(いっさいちょざん)が著した『田舎荘子』(和泉屋儀兵衛 1727〈享保12〉)についての研究を発表します。
佚斎樗山(1659〜1741年)
本名は丹羽十郎右衛門忠明。父定信の代より下総国関宿藩の久世家に仕える。『田舎荘子』『河伯井蛙文談』『再来田舎一休』など「樗山七部の書」を著す。『田舎荘子』は通俗的な教訓を奇矯な筆致に包んで世相風俗を描き、江戸中期に大流行した。荘子の三言(寓言・重言・卮言)を表現方法に用い、老荘思想流行の端緒となる。談義本の祖ともされる。
これを見ると、老荘思想の中国での解釈とは、ずいぶんかけ離れていることがわかります。極めて日本的です。良いところも悪いところも含めて、日本的なんですね。そういう違いを通して、同じような文化を持ちながら、それぞれが違っている、という点を、もう少し極めたい、と思っているところです。
『田舎荘子』は水とは関係がないんですが、今まで、だいぶ水について書いてきました。思想の分野から水を見てきたのですが、それにもっと具体的なことを加味して、研究していきたいと思います。
例えば島谷先生が書かれた「瀦(ちょ)」という言葉が中国でどういう風に使われてきたか、これを調べることは私の領域なので、そういう形で、みなさんの知的探求に協力できたらいいなあ、と感じています。
取り留めない話ですが、これが私の感想です。まあ、だいたいまとめなんていうことはできないんですよ。今日は結論のない話でよろしいということで、思いついたことを、ああだこうだと申し上げました。
やはり、こういうチャンスがあれば、もっと続けて、そのうちにもう少しはっきりした筋道が見えてくるんじゃないかという感じがしております。一つは禹の問題で、日本側の情況と中国の実状をぶつけ合って〈国際禹学会〉のようなモノができれば面白いと思います。
こういうことを考えさせられた会でした。参加してくださった皆さん、開いてくださった皆さんのお蔭です。ありがとうございました。
思想がない技術というのは危険であり、思想の背景を知って使わないといけない、と提言がありました。高知県の須崎の新しい津波対策を例に挙げ、〈亀技術〉はぶつけたり、渦を巻いたりすることで、エネルギーを削いだり、土砂をコントロールする減災の技術であると指摘。今の社会に必要なのは、流れに逆らいながらも頑張って、徐々にエネルギーを削いで方向を変える〈亀技術〉ではないか、というのが島谷さんのまとめです。
最初、お話をいただいたときには「どうなるんだろう」と思っていて、今日こうして蜂屋先生のお話をうかがってみると、やはり禹の話に結びつきましたね。
禹は龍だ、という話、禹のお父さんは鯀。鯀は亀だ。亀の技術が滅んで、龍の技術に変わった。では、龍と亀ってなんだ、という話から、この会は始まりました。私も亀は意識したことがなかったんですが、日本には意外と亀の技術は残っているんだなあ、ということをしみじみと考えました。
思想がない技術というのは大変危険だ、とつくづく思います。その技術がもともとどういう考え方で出てきたのか、日本でどう発展しているかということをきっちりと知って使わないといけないと思うんです。
今日、蜂屋先生から遥堤とか格堤とかの絵を見せていただいたことが、非常に刺激になりました。それらの中国の技術に対応して、日本の技術者がどう対応してどう変化させてきたのか、というヒントになりました。
最後に、亀について考えたことをお話します。
先週の台風のときに高知に行っていました。高知県で一番津波が多いといわれる須崎という場所で、長野先生という方が新しい津波対策をしています。
これは大きな堤防をつくるのではなく、漂流物を止める、という発想で考えられています。津波で人間が死ぬのは流れてきたものにぶつかって圧死することが多いから、漂流物を発生させないようにする、発生しても止めてやる、ということを考えています。
流速を低減するのに、樹林帯を使う、建物を配置して流速を遅くする、避難時にはライフジャケットを着る、ライフジャケットを着ると溺れないそうです。オイルタンクを囲って流れにくくするとか、避難施設に消火設備を完備する、とか、非常に具体的な方策を複合的に考えています。これらは大技術じゃなくて、小技術の組み合わせです。
貯木場の木材を網で覆うとか。町中に漂流物が流れ込まないように、漂流物フェンスをつくるとか。これはまさに亀の技術。今まで行なわれてきた技術とは違うんです。この会のお題をいただいてから、私はこれらが亀に見えてきました。
ところで治水と利水を同時に処理するために、リスクと恵みを分けるという必要から、こういう〈亀技術〉が発展してきた。それに対して、治水利水技術が一体化していない現在においては、〈亀技術〉はあまり意識されなくなりました。
地面から盛り上がって水をぶつける。地面に這いつくばって頑張る。しかし、力づくのようだけれど、力づくではない技術。
〈亀技術〉はぶつける、渦を巻くことで、エネルギーを削いだり、土砂をコントロールするという、減災の技術なんですね。
今回私が思ったのは、今の世の中、社会の風潮に流されるじゃないですか。それに抵抗することは大変なことです。しかし、亀というのは水の中で頑張って抵抗する。重い物を背負うのが好き、というご説明もありました。国家レベルの大技術ではなく、庶民の技術のように思います。
再生可能自然エネルギーが注目されていますが、地域密着型、分散型という点からも、これも〈亀技術〉。環境の技術として復活する可能性は大です。
今まで考えたこともなかったのですが、そういうことに気づいて、しみじみと考えています。今、社会に必要なのは、このように流れに逆らいながらも頑張って、徐々にエネルギーを削いで方向を変える、というような〈亀技術〉かもしれないなあ、と。
そのことに気づかせてくれたきっかけとなった、今回の里川文化塾に大変感謝しています。
(文責:ミツカン水の文化センター)