今回の里川文化塾は、日本橋船着場から船に乗り、日本橋川や亀島川、隅田川などをクルージングして感じたことをTシャツに描く「わくわく・すいすい『水辺探検』」を2回にわたって開催しました。これは、わくわく・すいすい「水辺探検」実行委員会の皆さまとの協働で行なったものです。夏休み中の子どもたちは、船に乗って東京の水辺を巡るなかで、何を見て感じたのでしょうか。2014年8月2日(土)の様子をお伝えします。
わくわく・すいすい「水辺探険」実行委員会 委員長
一般社団法人 まちふね みらい塾 常務理事
建築家・都市環境プランナー
阿部 彰 あべ あきら
山下寿郎建築設計事務所(現・山下設計)、日本設計事務所(現・日本設計)などを経て1978年A+A総合計画事務所を設立し、代表取締役就任。霞が関ビル、三井記念病院、新宿三井ビル、古河市役所などを手がける。都心の水辺再生についても長年取り組んでおり、2014年に まちふね みらい塾 常務理事に就任。千葉大学工学部都市環境システム工学科非常勤特任講師、法政大学エコ地域デザイン研究所研究員、日本橋川・亀島川流域連絡会 副座長などを務める。
一般社団法人 まちふね みらい塾 代表理事
法政大学エコ地域デザイン研究所 研究員
高松 巌 たかまつ いわお
1946年、東京都中央区八丁堀生まれ。東京教育大学文学部哲学科卒業後、東京都入都。都市計画局参事(首都圏新都市鉄道企画部長)、建設局総合調整担当部長、港湾局臨海開発部長、産業労働局観光部長などを経て2005年に退職。八千代エンジニヤリング株式会社顧問、東京都公園協会公益水辺事業部長などを歴任。2014年から現職。
「使いながら守る水循環」を学ぶ場として、ミツカン水の文化センターは「里川文化塾」を年に数回開催しています。前回の「水のおはなし会〜河童の伝説とめぐる水の物語〜」に続き、今回も子どもたちを対象としたプログラムを実施しました。一般社団法人 まちふね みらい塾(以下、まちふね みらい塾)を中心に、大学生やまちづくりに携わる若者たちもかかわる「わくわく・すいすい『水辺探検』実行委員会」との共催というかたちで行ないました。
「東京の水辺からみらいをひらく」をキャッチフレーズとするまちふね みらい塾は、都市計画、土木、建築、まちづくり団体、学識経験者などさまざまなバックボーンをもった人々が集まり、水辺を活かしたまちづくりの提案や水上交通の活性化に向けた施策提案などを行なっています。
今回の「わくわく・すいすい『水辺探検』」は、主に小学校3〜6年生を対象としたクルージング&ワークショップのプログラム。船からふだんはあまり見られない水辺を見学することで、新しい知識と発見、そこから得た刺激によって子どもたちの思い出を育むとともに、江戸時代から今日(こんにち)につながる東京という街および川への関心をもってもらおうと企画したものです。
8月2日、9日ともに午前中はクルージングを体験し、午後はクルージングで印象に残ったことをTシャツに自由に描くワークショップです。参加者がつくったTシャツは2014年11月2日に晴海トリトンスクウェアで行なわれる「中央区まるごとミュージアム」で展示され、12月には作品集としてまとめて広く配布する予定です。
それでは、当日のクルージングとワークショップの様子をお伝えします。
強い日差しが照りつける午前9時。日本橋のたもとにある「日本橋船着場」には続々と参加者が集まってきました。日本橋船着場は、江戸時代に舟運都市として栄えたかつての姿を取り戻そうと2011年4月に設置されたもの。ここから屋根のない台船型の船に乗って、日本橋川や亀島川、隅田川などをクルージングします。
まちふね みらい塾 常務理事でわくわく・すいすい「水辺探険」実行委員会の委員長を務める阿部彰さんの挨拶のあと、千葉大学4年生の松本京子さんの「がんばろう! エイエイオー」という掛け声で第19回里川文化塾が始まりました。子どもたちは4つのグループに分かれ、それぞれのグループには東京銀座ローターアクトクラブのメンバーがリーダーとして付き添っています。熱中症予防のために帽子をかぶり首筋にタオルを巻いて船に乗り込む子どもたち。保護者は船の後方で見守っています。まちふね みらい塾 代表理事の高松巌さんをはじめとするスタッフに見送られ、いざ出航です。
舳先に座るクルージングガイド・稲川健二さんの説明を聞きながら、船はゆるやかに日本橋川を下ります。子どもたちはめったに見られない橋の裏側を仰ぎ、続いて現れた日本橋水門で「川に信号がある!」と驚いています。霊岸橋(れいがんばし)や亀島橋は頭がぶつかりそうなくらい低いので、思わず身を屈めてしまいました。
亀島川を経て隅田川に出ます。水面から見る隅田川は実に広大です。かつて「大川」と呼ばれていたことがよくわかりました。隅田川を上っていくと永代橋が現れます。「私、この橋よく通るよ。すぐ近くに住んでいるから」と女の子が教えてくれました。東京消防庁の消防艇とすれ違うと、「はじめて見た!」と興奮する子も。初めての経験ばかりなので、みんな目を輝かせています。
「川は下流に向かって見た左側を左岸、右側を右岸と呼ぶんだよ」と稲川さんの説明を聞きながら清洲橋をくぐりました。隅田川から小名木川(おなぎがわ)に入る角に江東区芭蕉庵史跡展望庭園があります。稲川さんは川面を向いている芭蕉の像を指さしながら、「あの銅像は夜になると90度動くんだって!」と怖いことを言い出しました。子どもたちは「うそだー」と少し怯えながらも楽しそうです。
小名木川は江戸初期に開削された人工の川です。江戸時代には、千葉県の行徳から江戸に塩を運ぶルートとして重要な役割を果たしていました。高度経済成長期にこの付近で著しい地盤沈下が起きたことも稲川さんはさらりと説明します。押しつけるのではなく、東京の歴史について子どもたちが自然に興味を抱くような工夫が感じられました。
小名木川を西に進み、「東京のパナマ運河」と呼ばれる扇橋閘門(おうぎばしこうもん)に到着します。扇橋閘門は、2つの水門に挟まれた水路(閘室)に船を入れたあと、水門を閉じて水位を人為的に上げ下げすることで船を通過させるもの。水面の高さが違う河川を船が通航できるようにしたパナマ運河と同じ仕組みです。
「前扉」と表示された閘門をくぐる前に、大きめのビニール袋が全員に配布されましたが、その理由は後でわかりました。前扉をくぐり抜け、「後扉」の手前で船はいったん停止。振り返ると前扉が徐々に閉まりはじめています。水位が下がるのを待っているのです。
みんなは船の上から川面を覗いています。目ざとい子が「あれ、クラゲ?」と尋ねます。この運河の水は淡水と海水が混ざっているので、クラゲだけでなくエイなど海の生物もいるようです。
水位がぐんぐん下がります。やがて水位の調整が終わり、後扉が開きはじめました。先ほどまで水に浸かっていた後扉からは水が滴っています。先ほど配られたビニール袋の出番です。頭からすっぽりかぶると、船は後扉に向かって進みます。真下に来るとバラバラバラ……と水が落ちてきます。「濡れたー」「そうでもなかったー」と子どもたちは大騒ぎ。
東京の川の水に直接触れた子どもたちが、身近な水に興味をもつきっかけになることを期待します。
扇橋閘門の先には歩行者と自転車の専用橋「小名木川クローバー橋」がありました。小名木川と横十間川(よこじっけんがわ)との交差点で、まるでたすき掛けのようにクロスしている橋でした。釣り人がたくさんいましたが、珍しそうに私たちのことを眺めていました。
ここで船はUターン。隅田川に向かって戻ります。しばらく進むと、カルガモの親子が水際を泳いでいました。「わあ、かわいい!」「初めて見た!」と子どもたちも大喜び。私たちの船が起こした波に少し煽られながらも、雛たちは一生懸命親について泳いでいきました。
再び通った扇橋閘門では先ほどよりも大量の水が……。なにしろたいへんな暑さなので、いいお湿りになったみたいです。疲れ気味の子たちもいましたが、少し元気を取り戻したようでした。
隅田川を少し遡ります。両国橋を過ぎて左に曲がって神田川に入りました。柳橋と浅草橋のあいだは屋形船がたくさん係留されていて壮観です。稲川さんによると、屋形船は江戸に住む人たちの足として気軽に使われていたそうです。「浅草寺へのお参りや、お酒を飲みに行く向島、天ぷらそばを食べに新橋へ行くときなど、みんなふつうに船を使っていたんだよ」と説明します。
神田川を上流に向かうと、聖橋(ひじりばし)が見えてきました。稲川さんは「今日のハイライトだよ!」と呼びかけます。丸ノ内線の線路をくぐると聖橋です。「うわー、でっかい」と巨大な建造物を見上げる子どもたち。それもそのはず、1927年(昭和2)に完成した聖橋は船から見上げたときにもっとも美しく見えるようにデザインされているのです。
水道橋、後楽橋を過ぎて左に折れると再び日本橋川です。日本橋川はもともと江戸城の外濠なので、雉子橋(きじばし)を過ぎると石垣が現れます。ところが、この石垣は当時のままではなく、首都高速道路を建設する際にいったん解体して新たに積み直したものです。白いペンキで石に番号が振ってあるのはその名残です。しかし、急いだせいかきれいに積み直すことができなかったようです。稲川さんは「他の城の石垣に比べて、素人っぽく見えるのはそのせいです」と残念そうに語ります。たしかに隙間は多いし、力感に欠けるようにも見えました。
石垣にはところどころ小さな穴が開いていますが、これは江戸城の内部に通じる特別な通路だったのではないかと言われているそうです。なかには隠密が出入りしていた穴もあったとか。時代劇でしか知らなかった世界が、こんなに身近にあるとは不思議な気分です。江戸時代の話も織り交ぜることで、子どもたちが自分たちの住んでいる東京という街のあり方について思いを馳せるのではないか。そんなことを感じました。
2時間強のクルージングを終え、日本橋船着場に戻りました。ここから午後のワークショップ会場のMizkan Holdings 東京ヘッドオフィスに向かいます。20分ほど歩いて会場に到着。朝からワークショップの準備をしていた人たちが出迎えてくれました。ビルのなかの冷気にあたりホッとします。
昼休みを挟んで、午後1時からワークショップが始まりました。司会の千葉大学4年生の西村主水さんと上西美由貴さんがTシャツづくりについて参加者に説明します。次にクルージングと同じく4つのグループに分かれて座ります。Tシャツに絵を描く前に、まずはワークシートに「見ておもしろかったこと」「お話を聞いてわかったこと」「見た生きもの」を記入してから、Tシャツに描く下絵のスケッチに取り掛かります。
子どもたちの様子を見ていると、すらすらと書き始める子もいれば、ほかの子のスケッチを横目で見ながら悩む子、そしてじっと考えこむ子など、1人ひとり個性が感じられます。Tシャツづくりには子どもたちだけでなく、保護者たちも参加します。
スケッチの途中で清水建設株式会社の増森裕太郎さん、菊地裕介さんから声がかかり、会場の真ん中につくられた「えのぐコーナー」に集まりました。グループごとに配られた予備のTシャツに絵の具やペンでどんな風に絵が描けるのかを試しました。
再び下絵のスケッチに戻ります。なかなか進まない子どもにはグループリーダーや若いスタッフがクルージングの記憶を呼び起こすように声をかけます。下絵ができた子から順にTシャツに絵を描いていきます。見て回るとカルガモの親子やクラゲ、隅田川から見たスカイツリー、小名木川クローバー橋などを描こうとしている子どもが多いようです。お父さん、お母さんたちも夢中で絵を描いています。どんな作品ができあがるのでしょうか。
わくわく・すいすい「水辺探検」実行委員会には、若者が多数かかわっています。ワークショップの司会を担当した西村さんと上西さん、クルージングの全体進行に気を配っていた松本さんは千葉大学の学生です。千葉大学工学部の特任講師を務める阿部さんから声をかけられ、西村さんと上西さんは3年前から、松本さんは去年から手伝っています。
「『このTシャツ、お店で売れるんじゃない?』と思うくらい素晴らしい絵を描きますよ」と言う西村さんは、子どもたちの独創性に毎回驚かされるそうです。「最初はこんなに深くかかわるつもりじゃなかったんです」と笑う上西さんは、大学院の試験を控えているので多忙ですが、阿部さんや高松さんの人柄に惹かれての参加です。齢の離れた人たちと接することで、学ぶことが多いそうです。
「去年に比べて今年はみんな描くのが早いですよ」と話すのは日本大学2年生の古川侑里さん。去年も参加しています。クルージングとワークショップともに全体の進行をサポートしていました。川の水質に興味がある古川さんは、東京の川を巡ると匂いが気になるところとそうでもないところがあることを学んだそうです。
ワークショップの会場設営と進行にかかわった清水建設の増森さんと菊地さんも去年に続いての参加です。若くて体力のあるおふたりは、とくに設営準備で大活躍でした。
4つのグループのリーダーを務めたのは、東京銀座ローターアクトクラブの平林翔さん、佐野瑛子さん、本多健太郎さん、柾谷梨子さん。4人とも初の参加です。18歳から30歳までの男女17名から成る東京銀座ローターアクトクラブは、ネパールのヒマラヤ小学校などのボランティア支援活動を行なっています。小学校の卒業生が製作したアクセサリーやフェルトグッズを日本でチャリティ販売し、その収益をもとに支援活動を続けています。今回参加したきっかけは、去年行なわれた「中央区まるごとミュージアム」の会場で阿部さんたちに出会ったこと。「私たちも中央区の子どもたちと接点をもちたいと考えていたのです」と語る平林さん。4人とも笑顔を絶やさず付きっきりで子どもたちをサポートしていた姿が印象的でした。
こうした若い世代を巻き込む理由について、阿部さんは「子どもたちと年齢が近い大学生や若者を前面に出して、私たちはそのバックアップに専念したほうがいいと考えているのです」と語ります。水辺を活かしたまちづくりは一朝一夕でできるものではありません。いろんな場面で若者に声をかけているのは、自分たちの次の世代を育てようという意図があってのことなのです。
ワークショップ会場では、Tシャツづくりが順調に進んでいます。作業が一段落した保護者の方々にお話を聞きました。
3人兄弟がそろって参加したお母さんは、去年に続いての参加。中央区内に住んでいるものの、近すぎて船に乗る機会がないので今日の水辺探検は貴重だったと振り返りました。 前回の里川文化塾(6月14日開催)にも参加したお母さんは、「水の話を聞いたあとなので、今日のプログラムにも入りやすかったです」と話します。お子さんも参加することで水に対する親しみがどんどん深まっているそうです。
文京区在住のご家族にも尋ねました。いつもは上から眺めている神田川や日本橋川を船から見たことで印象が大きく変わったとのこと。「川から見た風景はまったく違いました。東京は川の街なんだと再認識しました。水の道がもっと広がっていけばいいですね」と言うお父さん。お母さんは橋の上から手を振る人が多かったことが印象に残ったそうです。「思っていた以上に川は人を楽しくさせるものなんですね。その楽しさが広がっていけば、街自体がもっともっと楽しくなるでしょうね」と水辺の魅力を話してくれました。お父さんは、その楽しさを広げるためにも川と向かい合うべきだと力説します。
「住宅も工場もみんな川に背を向けていますね。洪水などの脅威を感じるからなのでしょうか。みんなが川を眺められるようなまちづくりを進めて、人と川と街が一体化している風景を取り戻すことができたら素敵ですね」
2時間強のクルージングは、保護者の方々にも大きな影響を与えたようです。
16時からいよいよTシャツの発表会です。隣の会議室で1枚ずつ撮影されたTシャツが、プロジェクターで投影されます。1人ずつ順番にみんなの前に出て、作品の説明や今日の感想を話していきました。
「太陽の光がまぶしかったので、Tシャツに黄色をたくさん使いました」(女子)
「絵本の『スイミー』をイメージしました。カルガモはかわいかったし、屋形船にも乗ってみたい」(男子)
「クローバー橋の上に、ほんとうのクローバーを描いてみました」(女子)
「閘門をくぐるときに落ちてきた水がキラキラしてきれいで、冷たかったことが印象に残りました」(男子)
「いつも自転車で走っている場所だけど、水面が近いと涼しいことを知りました」(母)
「江戸を舞台にした時代小説が好きなので、よく登場する俎橋(まないたばし)や日本橋を水面から見ることができてよかった」(母)
「アシを植えている場所のそばでカルガモに出会いましたが、こういう景色が都心にあるのだなと思った」(父)
これは参加者全員が語ったことのほんの一部です。作品もすべてはここで紹介できないので、ぜひ11月2日に行なわれる「中央区まるごとミュージアム」に足を運んでみてください。創造力あふれる子どもたちの作品、そして力作ぞろいの保護者の作品にきっと目を見張ることでしょう。
発表会のあとは閉会式です。まず、わくわく・すいすい「水辺探検」実行委員会の藤森訓子さんが「私は一緒に船に乗ったことがないので、みんながどんなものを見て、どんなことを感じたのかを作品から教えてもらっています。今年はカルガモの親子やクラゲ、アシなど今まで見たことがない新しいものを私に教えてくれました。夏のいい思い出になればお手伝いした甲斐があったなと思います」と挨拶しました。
続いてミツカン水の文化センターの後藤喜晃センター長が「みんなの様子を見ていると楽しかったんだろうなと思います。食品をつくるときに水はとても大切なんです。みんなも水に関心をもって、好きになってくれたらうれしいです」と話しました。
最後に高松さんが「今日はみんなを支えてくれた素敵なスタッフがたくさんいますが、全員同じ気持ちです。みんなのふるさとである東京の川を大切にして、いずれもっと光り輝くための種を蒔いたと思っています。今日つくったTシャツが、10年経っても20年経ってもみんなの『心の原点』として残ることを願っています」と締めくくりました。
見たことのない景色を目の当たりにし、偶然現れた生きものに歓声を上げ、川と人と街の関係性に思いを馳せること。今回参加した子どもたち、そして保護者は、船に乗って東京の川を巡ることで、水辺を身近で大切なものに感じてくれたようです。
実行委員長の阿部さんには、「自分たちの住む東京という街に愛着をもってほしい」という思いがあります。「『東京がふるさとです』と言う人はあまりいませんが、都心には川という自然があります。残念ながらそのほとんどはコンクリートの堤防があるため、ふだんは川が遠い存在になっています。水辺に関心をもつことで、自分たちが住む東京という街への関心が高まることを願っています」と語ってくれました。
参加したお母さんが語っていたように、水辺には人を解放的にする魅力があります。つまりいろいろな人が集まるきっかけや場となる可能性を秘めているのです。戦後の高度経済成長期には水辺や川をあまり大切にしませんでしたが、それはまた変えていけばいい――。そんなことを感じた1日でした。
(文責:ミツカン水の文化センター)
一般社団法人 まちふね みらい塾
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