機関誌『水の文化』73号
芸術と水

芸術と水
【潜る】

泉を浮遊してとらえた光と陰 
──
映画『セノーテ』

「傑作」と激賞されるドキュメンタリー映画がある。タイトルは『セノーテ』。かつて生贄が捧げられたとも伝わる、ユカタン半島に点在する泉の名だ。前作『鉱 ARAGANE』では地下に潜り、『セノーテ』では水中に潜った小田香さんは、何を感じたのか。

小田香さんの映画『セノーテ』の劇中画像。現世の光に対し、時間が積み重なったかのような水底の陰。そのコントラストが美しい 提供:スリーピン

小田香さんの映画『セノーテ』の劇中画像。現世の光に対し、時間が積み重なったかのような水底の陰。
そのコントラストが美しい 提供:スリーピン

小田 香さん ©Miura Hiroyuki

インタビュー
フィルムメーカー
小田 香(おだ かおり)さん

1987年大阪府生まれ。『ノイズが言うには』がなら国際映画祭2011 NARA-wave部門で観客賞を受賞。『鉱 ARAGANE』が山形国際ドキュメンタリー映画祭2015・アジア千波万波部門の特別賞を受賞。2020年に設立された大島渚賞の第1回受賞者となった。

マヤ神話と重ねて描かれる水中の光

メキシコのユカタン半島北部に「セノーテ」と呼ばれる洞窟内の泉が点在している。古代マヤ文明の時代、川も湖もないこの地では唯一の水源で、雨乞(あまご)いのため生贄(いけにえ)が捧げられた神話的な場所でもあった。大きな泉は遺跡として観光地になっているが、今でもマヤに先祖をもつ人々が周辺で暮らし、水源としているセノーテもある。

石灰岩の断崖に囲まれたこの泉をテーマに、マヤ神話と重ねて水中洞窟の様子と地上の暮らしを行き来するドキュメンタリー映画が『セノーテ』(2019年)だ。

監督・撮影の小田香さんは、メキシコの友人を通じて見せてもらった写真をきっかけに、撮影しながらの現地リサーチを始めた。

「セノーテは陥没した穴に地下水が溜まった泉なので上から太陽の光が差しています。大きめのセノーテで少年が蔦(つた)につかまってターザンみたいな遊びをしている写真を見て、行ってみたいなと思ったんですね。それと、どの作品でも水の表現が豊かなアンドレイ・タルコフスキーの映画を思い出し、自分でも水を撮ったらどんな感じになるんだろう、水のなかの光ってどんな風だろう、と興味が湧きました」と小田さんは語る。

映画の冒頭、地上からの太陽光をプリズムのようにとらえ、万華鏡さながら、色とりどりの様態(ようたい)を生み出す水の挙動の美しさに思わず息を呑み、目を奪われる。さぞかし綿密に計算して撮影したのだろうと思いきや「まったくたまたま撮れた」のだと言う。

水中はスマートフォンのカメラで撮影された。そもそもカナヅチだった小田さんは、この映画の撮影のためにダイビングライセンスを取得。ベテランのダイバーに後ろから付き添ってもらい撮影した。大型の水中カメラでは体ごと水圧で持っていかれるので、カメラの性能が高度化しているスマートフォンを潜水用ケースに入れて使ったが、動かすとモニターが反射し撮影中はほぼ確認できない。

「水中では危険と隣り合わせで必死なので、その時々の現場に反応し、おおよそのフレーミングだけ決め、なんとなくこういうものが映るだろう、と思いながら撮っていましたが、何回かやっているうちに映像でとらえられるものが想像できるようになりました」

事前に想定していた以上の映像が撮れたという。何かあったら命を落としかねない過酷な環境で自分がどういう反応をするか。怖い気持ちがだんだん高まっていく。自身で撮影しているからこそ、そんな変化が潜水場面の編集をしているとわかった。その感覚はたしかに観客も共有できる。水中洞窟の横道に迷い込んで行方不明になった人たちが「セノーテの主(ぬし)」に捧げられた生贄として伝わったのかもしれない。黄泉(よみ)の国への入口。「水中の呼吸音だけが自分の身体の存在する証のようでした」という実感のこもった映像から、マヤ神話の一端を垣間見る。

  • セノーテで泳ぐ人びと、水中から地上を見上げた神秘的な光景など印象的なシーンが相次ぐ映画『セノーテ』。さらに独白のようなナレーションが入ることで、時空を超えたかのような錯覚に陥る 提供:スリーピン

    セノーテで泳ぐ人びと、水中から地上を見上げた神秘的な光景など印象的なシーンが相次ぐ映画『セノーテ』。さらに独白のようなナレーションが入ることで、時空を超えたかのような錯覚に陥る
    提供:スリーピン

  • セノーテで泳ぐ人びと、水中から地上を見上げた神秘的な光景など印象的なシーンが相次ぐ映画『セノーテ』。さらに独白のようなナレーションが入ることで、時空を超えたかのような錯覚に陥る 提供:スリーピン

    セノーテで泳ぐ人びと、水中から地上を見上げた神秘的な光景など印象的なシーンが相次ぐ映画『セノーテ』。さらに独白のようなナレーションが入ることで、時空を超えたかのような錯覚に陥る
    提供:スリーピン

  • セノーテで泳ぐ人びと、水中から地上を見上げた神秘的な光景など印象的なシーンが相次ぐ映画『セノーテ』。さらに独白のようなナレーションが入ることで、時空を超えたかのような錯覚に陥る 提供:スリーピン

    セノーテで泳ぐ人びと、水中から地上を見上げた神秘的な光景など印象的なシーンが相次ぐ映画『セノーテ』。さらに独白のようなナレーションが入ることで、時空を超えたかのような錯覚に陥る
    提供:スリーピン

得体の知れない水への畏敬の念

小田さんは米国バージニア州ホリンズ大学の卒業制作の中編映画『ノイズが言うには』で注目され、2013年、ハンガリーの映画監督、タル・ベーラが指導するプログラム「film.factory」(3年間の映画制作博士課程)の第1期生として招聘された。俳優と協働する課題として出された原作、フランツ・カフカの短編『バケツの騎士』は、寒さに耐えかねた貧しい男がストーブの石炭を恵んでもらう話だが、ふと「その石炭はどこから来るのか」と思い、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボ近郊の炭鉱へ取材に行った。

「暗闇の地下は湿度が高く、たちこめている霧にヘッドランプが反射し、その光のあり方が魅力的でした。過酷な労働環境ですが同時に美しく見えたんですね。採掘重機の爆音を全身に浴びつづけて地上に戻ってくると、なんともいえない高揚感に包まれました」

地下300mの異空間を映画として提示したい。そうして完成した長編デビュー作が『鉱 ARAGANE』(2015年)だ。

地下世界の光と闇に魅せられた小田さんが「次は水のなかの光と闇を撮りたい」と思ったのは必然だったのかもしれない。メキシコ人の学友とのランチでそのことをなにげなく話すと、互いの帰国後に神秘的な泉を紹介され、彼女の協力を得て『セノーテ』が完成した。

「2年間で3回行なったリサーチでは村から村へ巡り、家庭用水として使われている小さなものから海につながる大きなものまで30を超えるセノーテに入りました。現地のガイドにセノーテの近くで暮らす人々を紹介してもらい、泉にまつわる記憶や伝承、マヤとのかかわりについて話を聞きました」

鶏や豚の肉をさばいていた男性が突然、マヤ演劇の台詞を朗誦(ろうしょう)しはじめた。その場面は映画でも使われている。小田さんの映画に登場する、生活の年輪が刻まれた「顔」が皆すばらしい。カメラを見つめる目から「ちゃんと生きてる?」と問い返されているような気さえする。

「龍が出てくるとか主がいるとか、村の人たちが幼少期に聞いた記憶は伝説に由来します。子どものころは遊び場としての水辺ですが、大人になると生きていくための生活用水になる」とセノーテの取材で思った小田さんだが、自身で潜ってみると「一定の恐怖心を超えたら、不思議な安心感がありました。水という得体の知れないものに対する畏敬の念というか……」。

今は日本各地の地下を撮りつづけている。国内の異空間を小田さんはどうとらえるのだろうか。

  • 映画『セノーテ』には現地の人びとや祝祭、闘牛のシーンなどもあるので生と死が際立つ。しかし、不思議なことに生と死の間に断絶はなく、むしろ対のものであると感じる 提供:スリーピン

    映画『セノーテ』には現地の人びとや祝祭、闘牛のシーンなどもあるので生と死が際立つ。しかし、不思議なことに生と死の間に断絶はなく、むしろ対のものであると感じる 提供:スリーピン

  • 映画『セノーテ』には現地の人びとや祝祭、闘牛のシーンなどもあるので生と死が際立つ。しかし、不思議なことに生と死の間に断絶はなく、むしろ対のものであると感じる 提供:スリーピン

    映画『セノーテ』には現地の人びとや祝祭、闘牛のシーンなどもあるので生と死が際立つ。しかし、不思議なことに生と死の間に断絶はなく、むしろ対のものであると感じる 提供:スリーピン

  • 映画『セノーテ』には現地の人びとや祝祭、闘牛のシーンなどもあるので生と死が際立つ。しかし、不思議なことに生と死の間に断絶はなく、むしろ対のものであると感じる 提供:スリーピン

    映画『セノーテ』には現地の人びとや祝祭、闘牛のシーンなどもあるので生と死が際立つ。しかし、不思議なことに生と死の間に断絶はなく、むしろ対のものであると感じる 提供:スリーピン

(2023年1月14日/リモートインタビュー)

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