2017年よりスタートさせた「発見!水の文化」も第9回を数え、「江戸の水辺街歩き」企画に新ルートが登場。今回は、佃を出発して隅田川を渡り、築地エリアを巡りました。
「江戸」の街を発展させる物流拠点となった佃島の役割や、外国人居留地が置かれたことから日本の西欧文化の発祥の地となった築地エリアについて学び、かつての水辺の街の痕跡を辿りながら、現代にまで引き継がれている“水の文化”を再発見しました。
東北学院大学経営学部 教授
斎藤 善之(さいとう・よしゆき)さん
1958年栃木県生まれ。1981年宇都宮大学教育学部卒業。1987年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、1995年「内海船と幕藩制市場の解体」で早大博士(文学)。日本福祉大学知多半島総合研究所嘱託研究員などを経て現職。専門は日本近世史、海運港湾史。主な著書に、『海の道、川の道』(山川出版社 2003)、『日本の時代史17近代の胎動』(吉川弘文館 2003、共著)など。
徳川家康が入府し、湊を埋め立て掘割を張り巡らせて造り上げた水の都「江戸」。江戸湊の埋め立てに伴って登場したのが、佃島・石川島です。佃島には、家康の命により移住した摂津の漁師達が住み、幕府に魚を献上していました。石川島には灯台が建設され、江戸湾から入ってくる船と、八丁堀や日本橋へ入る船が行き交う江戸湊の中心として大変賑わいました。
現在の佃エリアを散策すると、江戸情緒あふれる風景と高層マンション群が共存し、江戸時代と現在の両方の水辺を感じることができました。
築地エリアは、埋立地に西本願寺が進出する海辺の街でしたが、明治に入り外国人居留地が置かれ、日本の西欧文化の発祥の地となっていきました。「江戸」に近い地の利が外国公使館や領事館を集め、それに伴い宣教師や医師・教師などの知識人が居住し、教会や学校が数多く開かれ文教地区を形成することにつながりました。
佃と築地、同じく隅田川に面した水辺の街ながら、その役割や雰囲気が全く異なる理由を、肌で感じながら学ぶことができた一日でした。
「今回参加しなかったら一生知ることが無かったことが多かった」
「体を動かしながら、勉強もできました!」
「外国人居留地があったことを初めてしれました」
「東京に生まれ育ったのですが、知らないことが多くとても有意義な時間となりました」