機関誌『水の文化』73号
芸術と水

ひとしずく
ひとしずく(巻頭エッセイ)

今、なぜアートが必要なのか

千住博『ウォーターフォール』 2019年 187 × 1680 cm 六曲二双屏風 シカゴ美術館蔵

千住博『ウォーターフォール』 2019年 187 × 1680cm 六曲二双屏風 シカゴ美術館蔵

ひとしずく

画家/日本藝術院会員
千住 博(せんじゅ ひろし)

1958年東京生まれ。東京藝術大学卒業。同大学院修了。現代アートのオリンピックと言われるヴェネツィア・ビエンナーレで東洋人初の名誉賞、イサム・ノグチ賞、日米特別功労賞、外務大臣表彰、恩賜賞、日本藝術院賞など受賞。京都造形芸術大学学長を経て、現在京都芸術大学教授。

私は今、画家であると同時に日本藝術院会員という国家公務員でもあります。それで、文化庁との共同事業の一環として、全国の公立の小学校を訪ねて美術の授業をしています。

のべ何百人もの小学生に、和紙を揉んでもらって、何に見えるか考えてみよう、そして見えたものを和紙に色を着けて作品にしてみよう、という私が考案した授業に取り組んでもらっています。

驚くことに、この小学生たちの作り出した作品は、皆ことごとく違うのです。蛸を上から見たところ、とか、海底爆発、ハンバーグや山、水道の蛇口から水が流れていたり、大きな花、アマゾンの巨大魚、怪獣、崖、富士山、海の底、池、川、雲、樹木の幹……と枚挙にいとまがありません。

私は、みんな違うって、なんて素晴らしいことなんだろう、お互いを、君はこんなこと思いついたんだねと尊敬したくなるよね、みんな違うから、自分も違っていていいのだね、と話します。

もちろん私は画家や彫刻家をこの授業で育成したいのではありません。小学生たちに、この様な多様性に満ち、創造的で自由な、つまりアートな発想のできる社会人になっていって欲しいのです。

しかし中学、高校生くらいになると、受験に役立つこと以外は、興味を持っていても頭がなかなか回らなくなる生徒たちが増えてきます。私が教えた経験上、特に、都会の有名進学校ほど、そんな傾向がありました。

厄介な問いかけや創造的な問題は後に回して、知識だけで回答できる問いにそつなく答え、大学受験で勝者になり、卒業して、その方法論のまま、できそうな仕事にだけ対処する政治家や役人、企業のトップがつくり出す未来はどんなことになるのでしょう。今の日本が必ずしもそうだとは言いませんが、しかし自分にはアートがわからないから、と思い込んでいる会社の役員や政治家があまりに多い。わからないのではなく、かつてはわかっていたのに、その流れを意識的に止めていたのではないでしょうか。

創造性とは、いわば水です。

もう一度、その水の流れの蛇口を回してみてはどうでしょう。

そして、かつて自分が小学生で、夢ばかり見ていたことを思い出し、また、できることならこの小学生たちの様に和紙を揉んでみたらどうでしょう。それは初めはただのシワ以外には見えません。小学生たちもそうでした。しかし、裏返したり、横を縦にしたりして観察をしているうちに、何かの呼ぶ声がしてきます。ここに羊がいるよ、これは森を上から見たところだよ、と。小学生のかつての自分自身が、今の自分に語りかけているのです。

水という創造性は、勢いよく流れれば、必ず次のヒントがどこからともなく流れて来るものです。そして固体にも気体にも自由に姿を変えます。

私は、この水の様に柔軟な発想法が社会にとても大切だと考えています。

水がなくなると命が危険にさらされるように、創造性がなくなると、人の文明はこの先どうなるのでしょう。

アートは人類の発展にどうしても必要だからこそ、今日まで消えなかったのです。

今こそ大人たちは、かつての自分を呼び戻し、創造性という水をしっかり補給して、みずみずしい未来をつくっていって欲しいと感じています。

PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 73号,ひとしずく,千住博,水と生活,芸術,滝,アート

関連する記事はこちら

ページトップへ