機関誌『水の文化』6号
天然ガキをよみがえらせた大造林

木を植える文化の国

別寒辺牛川が注ぐ厚岸湾

別寒辺牛川が注ぐ厚岸湾

富山 和子

日本列島の隅々で人知れず続けられる国土緑化

日本は木を植える文化の国。そう私は位置づけています。これは世界の奇跡である、とも。

世界の諸文明が、森林を破壊することで文化を育てて来たのに対し日本は、木を植えることで文化を育ててきた国でした。高度に発達した文明国で、そのような国が他にあるでしょうか。その秘密こそ「米」にあった、というのが私の三十年にわたる謎解きの結果得た回答であったのですが、詳しくは『日本の米』、及水と緑の国、日本』をお読み下さい。

参考までに森林づくりの最初の事業である「治山砂防」のS A B O の語は、国際用語です。あたかもチャイナが、中国の陶磁器を指す国際用語であるのと同じように。その木を植える文化のほんの一つの姿が、このパイロット・フォレストでした。

そして現代日本は、一千万ヘクタールの大造林をした国です。アメリカと旧ソ連も一千万ヘクタールの造林を行った国ですが、国土面積に対する割合からいえば、日本のそれは、「昭和の大造林」として、世界史に残るでしょう。

今も、人の目に触れることなく国土の隅々で懸命に続けられている大小の地道な事業が、全国にどれほど沢山あることでしょうか。パイロット・フォレストのような大面積の事業は例外ですが、自分の裏山の木を植えるという、山村の人たちの、ごく日常的な作業はもとよりのこと、山奥で繰り広げられてきた治山砂防の事業だけでも、数え切れません。それが、ヘリコプターで空から見るのでもなければつぶさに見ることも出来ないような、山深いところであればこそいっそう、都市の人には知られず、従って評価もされない。赤字会計の国有林事業であったりすれば、度重なる行革で人員も減らされ、予算も減らされ、かくていよいよ世間からも忘れられて、ただ地元山村の関係者だけがはらはらと行く末を見守っている。そんな姿が実際のところです。

しかしながらそれが、水を作り土地を守り、海の資源を育てる、国土の守りの原点であることを、やはり都市の方々に分かっていただきたいのです。

パイロット・フォレストについていえば、先人たちが懸命に灯したその汗の歴史の灯を消すまいと、今、地元標茶町を中心に、森林づくりを継続するための市民たちの運動が始まっています。北海道各地から都市の人たちも参加しての、ボランテイアの活動です。去る五月下旬、私もその集まりにお邪魔して、皆さんの熱心な姿に心打たれたのでした。

それにしても私は改めて、考えさせられています。このように懸命な市民の運動もある。それに引きかえおおもとの国の姿勢の、森林に対して、いまなんと手薄なことだろうかと。折角の昭和の大造林も、外材輸入による林業不振、山村の過疎化で、有史以来の危機に直面していることは御承知の通りです。日本の森林はいま、山村に踏みとどまっている人たちの善意と、心ある市民のボランテイアに辛うじて支えられているわけです。「ボランテイアで国土が守れるか」という痛烈な批判を、この北海道でも、ボランテイアで活動する市民の皆さんからも聞かせられたことでした。

都市よ、漁民を見習って

森林と魚の関係についても、補足しておきます。前述のように海岸の森林と魚の関係であればすでに江戸時代から、漁民たちの間では知られ、手厚く守られてきたことでした。

例えば本誌2号の浦嶋伝説の地である丹後半島。この丹後の海には、沢山の魚付き林が指定されています。江戸時代から漁民に守られ、そして現代になって魚付き保安林として、新たに指定されたものです。

浦嶋伝説の地、京都府伊根町は、有名なブリの漁場でもあります。伊根湾の入り口には、青島という小さな島がありますが、江戸中期の儒学者、貝原益軒はこんなことを言っています。「伊根のブリがうまいのは、青島の椎の実を食らうがため」(「丹後与佐海図誌」)と。

その伊根町でこの夏の七月二日、「浦嶋フォーラム、この伝説の青い海を二十一世紀に」が催されました。全国の浦嶋伝説のある自治体関係者を初め、北海道から沖縄まで、大都市からも木曽の山奥からも幅広い参加者を集めました。私も基調講演と、パネルディスカッションのコーディネーターとしてお手伝いを致しましたが、漁村であり棚田地帯でもあるこの伝説の地で、漁業と林業と農業とが実は一つのものであることを、多くの参加者が実感されたのでした。

伊根町の浦嶋フォーラムは、十月一日、京都府網野町で催された「第二十回全国豊かな海づくり大会」の、いわば前段としての催しでした。そしてその「豊かな海づくり大会」の大会テーマは「新しい世紀につなぐ海づくり」であり、「山・里・海を守る」がキャッチフレーズでした。海を守るためにも山、里、海を一体としてとらえようとした点、本年の大会は画期的なことでした。時代の意識が変わりつつあることを、私も実感いたしましたが、それが京都府という、歴史の長い年月、日本文化の中心地であったところから起こされたということに、象徴的な思いが致しました。

それにしても、最近の「漁民の森」の運動を見るにつけ、資源を守るためによいことと知ればいち早く立ち上がり、山村と手を組む漁民の皆さんの行動力には敬服します。

「自然を守るとはどういうことか。自然にその生産手段を依存して生きている人たちこそ、自然の真の守り手ではなかったか」(『水と緑と土』)と書いてきた私の所論が、ここにも示されていることを、思わずにはいられません。

いのちの水を山村に依存している大都市の人たちが、自己の水のため、山村を守るべく同じような行動力で立ち上がってくれていたらと、つい考えてしまうのです。



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