機関誌『水の文化』9号
北前船から北洋漁業へ

「漁の文化」と「海の文化」は同じもの? 〜 京都府 海づくり少年団 〜

少年・少女で“種苗(お魚)”放流。 「ふるさと海づくり大会」のメインイベント。少年・少女で“種苗(お魚)”放流。 「ふるさと海づくり大会」のメインイベント。お魚博士・鳥羽水族館館長 中村幸昭氏のわかりやすい講演に親子そろって大爆笑。

左・中央:少年・少女で“種苗(お魚)”放流。「ふるさと海づくり大会」のメインイベント。
右:お魚博士・鳥羽水族館館長 中村幸昭氏のわかりやすい講演に親子そろって大爆笑。

「海の文化とは何?」と尋ねられて、すぐに答えられる方は少ないと思います。漁法、潮の具合、魚の知識、観望、漁村に伝わる習慣などすぐに思い出します。しかし、よく考えると、これは「海の文化」ではなく「漁の文化」であることに気がつくでしょう。では"海という場での人と水のつきあい方"とはどのようなものなのか。そして、どのように楽しく伝えられているのか。この点は、今後当センターでも意欲的に取り組んでいきたいところです。 そこで、今回は海を題材にした「水の文化楽習」の実践例として「京都府・海づくり少年団」の二名にお話をうかがいました。海への関わり方も、世代も異なるお二方をご紹介することで、"海を場にした水の文化楽習"がどのような考え方で、どのようなプログラムとして実践されているのかをご紹介しましょう。

編集部

舟屋の里伊根で『ふるさと海づくり大会』

2001年9月2日、日曜日。京都府・丹後半島にある伊根漁港に二千人あまりの人々が集まった。府内各地区の「海づくり少年団」の少年・少女達とその家族、そして近郷の人々や行政関係者だ。この日は、海づくり少年団の年一回の大会「ふるさと海づくり大会」が開かれたのだ。

京都府の海づくり少年団とは、2000年に京都府網野町で開かれた「第二十回全国豊かな海づくり大会」を契機に組織されたもので、九団体、約500名あまりの団員が登録されている。海に面している地区の小学校五年〜六年生で組織されており、団長は学校の校長やPTA会長等が務めている。

昨年からのスタートということもあって、現在のところ学校単位の活動が主体となっている。「定置網体験」、「地引き網体験」、「稚魚の放流体験」、水中ガラスで海中を見ながら左手で櫓をもち右手でやすでを操る「水視漁法体験」(写真左下)など、いろいろな海とのふれあいプログラムが積み重ねられている。こどもたちは、こうした体験を作文や絵に描く。大会はその発表の場でもあるのだ。

この日、漁港では漁船パレード、稚魚の放流、地魚を手づかみにできる「ふれあい水槽」、舟屋やいけすを海から見学できる湾内クルーズ船、まき網船団のサバ網の展示、土地の方による延縄(はえなわ)のつくろい、定置網の模型や伊根の歴史が紹介され、府下の全少年団員が集まった。

裏方として実務を取り仕切ったのは(財)京都府水産振興事業団専務理事の西村元延さんだ。西村さんは栽培漁業のエキスパート。栽培漁業とは、陸上である程度まで魚を人工的に育て、それを漁場に放流し海域での持続的な漁獲高向上につなげようというものだ。毎年百万匹以上のマダイやヒラメなどを放流している。この稚魚を栽培漁業では「種苗」と呼ぶ。「栽培」といい「種苗」といい、漁業が農業的に捉えられているところがおもしろい。

これら種苗を放流する時に、ただ放つのではつまらない。どうせ放流するならば、財団が運営する「栽培漁業センター」の活動も地元の方に知ってもらいたい。そこで、日頃から府下の漁協・漁連との関係が密であった西村さんは、これを「放流体験」や「栽培漁業センター見学」として、いわば楽習プログラムに仕立てることにしたのだ。そして、これに、定置網や地引き網体験などを加え、「海づくり少年団」というまとまりを整えていったのである。

当然、こどもたちの海への心理的距離は、漁の町とその他の町では異なる。たとえば、府下第一位の水揚げを誇る漁師町「伊根」で定置網体験を実施すれば、黙っていてもお母さんはヘルメットとゴム長靴、ゴム手袋をもたせてくれる。一方、他の地域では、おっかなびっくり初めて船に乗る子もいるが、そういう子も魚を見ると目を輝かす。

今回の大会では、伊根以外の府下各地からこどもたちが集まった。「ふれあい水槽」には、ヒトデ、ヒラメ、タイ、サザエ、タコなどがたくさん泳いでいる。何でもないように魚を片手で掴み挙げる子もいれば、ヌルッとした触感に泣き出してしまう子も出てきた。でも、水槽の周りではこどもたちと家族が大はしゃぎだ。

大会の成功を支えたのが地元伊根町の方々。こどももおとなも大いに盛り上がる。

大会の成功を支えたのが地元伊根町の方々。こどももおとなも大いに盛り上がる。

海づくり少年団の仕掛け人 西村 元延さん

右:海づくり少年団の仕掛け人 西村 元延さん

体験を定着させるしくみこどもの作文

この活動のキーポイント。それは作文だ。自分が体験した海との関わりを綴ってもらうのだ。海に触れる体験は確かに減っている。体験の場を増やすことで、こどもたちの海への知は充実する。ただ、その次に、こどもたちが自分の体験を解釈し、何かをつかみ、それを友達や家族・先生たちと共有していかなければ、個人的な体験の積み重ねは地域の文化に昇華しない。ここにどうしても一工夫が必要となる。

西村さんは、これを「作文」に求めた。こどもたちにとっては一過性の体験でしかないプログラムで感じたことや、考えたことを言葉にしてもらうことで、みんなの知恵にしようとしたのである。集まった作文のタイトルを見ると「ヒラメ達に教えられたこと」「ドキドキした漁業体験」「さいばいセンターを調べたよ」「中浜漁港の人にサザエの取り方を教えてもらったよ」「うまいトビウオ料理」「よくゆれた定置網の漁業体験」??と、こんな具合だ。

「ふるさと海づくり大会」では、今年集められた作品の中から優秀作を選び表彰する。この日最優秀作品として選ばれたのは伊根小学校4 年生千賀雅俊君の作文『伊根の伝とう料理、雑魚(じゃこ)作りをして』だ。

「浜の男はこどもにやさしい」と、西村さんは言う。だから、作文の中で「海にたばこを投げ込んでいるのはいけないと思いました」などと書かれると、おとなも襟を正さざるをえなくなる。

おれたちの海をこどもたちに伝えたいという思いは強い。だから、こどもたちに体験を積んでもらうことが重要なのだ。西村さんの活動はこれから本格化する。

「伊根の伝とう料理、雑魚作りをして」

伊根小学校4年生 千賀 雅俊

「ジュー。」
「お。あっつー」

ぼくはとびちった湯でやけどをしてしまいました。

向井のおっちゃんがざるを入れる時、中の雑魚がぐにゃりと曲がったのが見えました。今まで冷たい水の中にいた雑魚が急に熱湯の中に入っていくのを見ていると、なんとなくかわいそうな気がしました。ぼくもアクをとらせてもらったけど、なかなかむずかしかったのに、向井のおっちゃんは、すいすいと取ってしまいました。すごいけむりだし、近づくと熱いし、こんな方法でやっているのに、よくがまんできるな、と昔の人の苦労を思いました。

時間がたつと、煮上がった雑魚を干します。干す方法は機械で干すのと、お日さまで干す方法があると後で教えてもらいました。機械で干す方法は、ビタミンDという栄養素ができないけれど、太陽で干すとビタミンDがふえるそうです。けれど、ねこなどがとりにくるので、「こらっ。ちょっとやるから、あっち行け。」としかります。するとねこはにげてしまいました。

雑魚は、色んな料理に使われていて、よくみそ汁に入っています。けれど優作もぼくも、ペッとはき出していました。けど、おじいちゃんに、「食べな、食べな。」と言われたし、雑魚作りもしたので、食べるようになりました。雑魚は保ぞん食とかにもできるし、だしにできるし、食べ物のなんでも屋です。雑魚作りは大変だったけど、美味しい雑魚が出来てよかったです。これからは、お年よりの知恵をもっと学んでいきたいです。

変化する漁業の社会的位置

ただ、漁業を取り巻く現在の状況は深刻だ。漁師を息子が継がないという家も多く、後継者がなかなか育たない。伊根湾につながれていた京都府最後の大型巻き網船二隻も今年で廃業するという。

こどもたちの体験の場を増やすことは欠かせない。ただ、それだけでは問題は好転しない。漁業を「食っていける職業」「魅力ある職業」としていくことも必要だ。

「伊根の舟屋」としても有名なこの地の漁業者は、ほぼ専業漁師。会場で延縄漁師の方にうかがうと、朝三時か四時頃に出漁。十一時頃に港に戻り水揚げ。その後、延縄のつくろいに数時間をかける。これでほぼ一日がすぎてしまう。「忙しくて米なんか作っている暇はないよ(笑)」と言う。

伊根は、裏手の山に千枚田が広がっていることでも知られている。でも、伊根は半農半漁型の集落ではなく、漁業で主な収益を得ている町だ。それでも、この話を聞かせてくれた漁師は、「たとえ息子が後を継ぎたいと望んでも、そうはさせない」と言う。「なぜですか」と尋ねると、「稼ぎが少なくて不安定だから」。

果たして「漁の体験の場」を増やすことが、そのまま「漁の文化」を伝えることになるのだろうか。もしかしたら、別の見方で漁を考えねばならないのではないか。ならば、若い世代はどのように考えているのだろうか。

そこで、「あみの海づくり少年団(網野町)」団長の松尾省二さんにお話をうかがった。

  • 「定置網体験」や「魚料理教室」など、積み重ねられてきたふれあい体験が模造紙に描かれ、会場に貼りだされた。小学生・中学生、それぞれの視線の違いが窺われ興味深い。
    左下:「あみの海づくり少年団」団長の松尾省二さん。網野町琴引浜のネットワーカーだ。

  • こどもたちに開放された海洋調査船「平安丸」。この隣にも海洋実習船「みずなぎ」、漁業巡視艇「らくよう」が開放された。

  • 左:魚が泳ぐ水槽からなかなか離れようとしない。そろいのスカーフとブルーのキャップが「海づくり少年団」のしるしだ。
    右:海づくり少年団活動の主要プログラム、“地引き網体験”

「漁の文化」から「海の文化」へ

松尾省二さんは網野町の有名人だ。家は定置網をもつ漁師。琴引浜で民宿も営んでいる。先代までは山の方で農業を営んでいたという。琴引浜は浜を歩くと「キュッ、キュッ」と音を立てる「鳴り砂」の浜として有名だ。力強い精悍な海の男を勝手に想像していた私たちは松尾さんに会って拍子抜けしてしまった。三八歳。茶髪にウェーブがかかり、一つ一つ言葉を選ぶはにかんだ笑いが印象的な物静かな方だった。

でも、その行動力は聞きしにまさるものだった。彼は大学卒業後、大阪で就職し、アパレル企業でマーチャンダイジングの仕事に携わっていた。でもある日「都会にいると毎日変わる夕日の色、空の色に気がつかなくなってしまう」と、生家に戻ってきた。父親は琴引浜を守る会会長。そこで自分もいろいろな活動に携わっていくようになった。

中でも、年一回、浜で「はだしのコンサート」と呼ぶ野外コンサートを開き、小室等やブレッド&バターの岩沢幸矢など全国のミュージシャンを呼んでいる。今年で第七回となる「鳴り砂ビーチマラソン」も開催する。

そして、何よりも彼の行動力をとどろかしたのは一九九八年のナホトカ号の原油流出事故だ。浜を覆ったドス黒い油。これを取り除くため、全国から集まったボランティアの中心メンバーとなって、琴引浜を元のきれいな浜に戻したことだ。

その松尾さんは現在、ビーチクリーン運動も行っている。「ビーチコーミング」すなわち「海岸探検」と称して、こどもたちに浜に流れ着いた漂着物を題材に「気づくことの大切さ」について教えている。ここには南洋だけではなく中国や韓国の方向から、様々なものが流れ着く。テレビや洗濯機、沖縄のビールが流れ着いたこともあるという。それを清掃しながら、流れ着いたものについて考えてもらうのだ。

彼のホームページには、次のように書かれている。

『ビーチコーミング海岸体験』

砂浜に限らず海岸を散策すると、色々な漂着物に出会う事が出来る。貝魚海草石骨それに様々な漂着物。
なかには、あまり、夢を見させてくれないものもあるが、それ以上に夢を見させてくれるものも多い。探検に必要な装備手袋ビニール袋ペンノートタグリュック
まず散策、そして自分の好きな物を探そう。
小さな微小貝から変わった形の大きな流木
挙句の果ては軍用ガスマスク注射器に到るまで
またまた、メノウヒスイやアンモナイト
地球の七割をしめる海の広大さは想像を遥かに越える物を運び蓄えている。
そして、私たち人間が海をけがし汚していることに気がつく。

ゴミ拾いではなく散策を楽しもう。そして、できればデータ集積もして頂きたい。ついでに、ゴミも持ってあがってくれれば、なお、有難い。

松尾さんは、「琴引き浜の鳴り砂を守る会会長」「網野町漁業協同組合監事・青年部長」「網野町観光協会情報部会」そして府の「青年漁業士」三十数名の一人でもある。

松尾さんの主宰するホームページを見ると、琴引浜の実に多様な情報が書き込まれ、リンク先のネットワークからもそのフットワークの広さが想像される。琴引浜の活動も、地元を本拠地にしながらも、彼のもつ全国のネットワークに呼びかけをおこなっている。網野町に足をつけ、外部とのいろいろな連携を行っている境界人(マージナルマン)なのだ。

大会では海の男も大活躍。地元伊根漁師による漁船パレードと、消防船による一斉放水。右下: 伊根の舟屋 伊根といえば舟屋。1階が船庫となっている。船が大型化し軒先に係留している家も多い。

大会では海の男も大活躍。地元伊根漁師による漁船パレードと、消防船による一斉放水。
右下:伊根の舟屋 伊根といえば舟屋。1階が船庫となっている。船が大型化し軒先に係留している家も多い。

漁場を共にしているから「海の文化」に心がいく

松尾さんは農業者の方から「何で、儲からない漁業を続けるのか」と聞かれたことがある。その時に彼は「十年先、二十年先のこどもたちに何を食べてもらいたいのかということを考える仕事もあるのではないか」と答えたという。

このように答えた理由の一つには、彼自身の海に対する見方がある。家業は定置網漁師。定置網だから、いわば「店を作って魚が来るのを待っているだけ」。ならば、湾内の魚を持続的に増やしていくことが最も大事なことになる。そのためには、周囲の漁師仲間だけではなく、流れ込む川上の森林まで目配りするエリア感覚が必要となってくる。松尾さんは、今後は、川上の森林を充実させるために、「川の上流下流交流をしたい」と言い、川上の小学校とも連絡を取り合っている。

松尾さんは湾内の「漁」を出発点にしながらも、「漁の文化」を包みこむ「海の文化」の一面を見据えているのだ。漂着物、ビーチクリーン、森林、鳴り砂保全。そこには、定置網を営み「浜と湾」を意識するがゆえの海とのつきあい方がある。こうした「海との関わり」への意識は「田畑を守る」という見方と随分と似ていることに気づかされる。

西村さんと松尾さん。同じ運動に係わりながらも違うスタンスで運動を発展させていこうとしている。西村さんはこどもたちの体験の「場を広げよう」と日夜奔走している。その西村さんが信頼する松尾さんは、こどもたちに何かを教える時にも最初から結論を言わずに「ちょっと考えてみて」と「気づき」を重視する。決して押しつけをしないし、肩に力も入らない。「みんなで海を考えてみようよ」と言っても、伝統にはこだわらないし、型にはまった常識に当てはめようともしない。

西村さんと松尾さんが進めていること。それは、「漁の文化」を「海の文化」に広げることで、こどもたちに新しい海とのつきあい方をゆっくりと気づかせて、楽習させてくれているのではないだろうか。松尾さんは「そんな難しいことは考えていませんよ」と静かに微笑むかもしれないが。

  • 当日は伊根湾を一周するクルーズ船が出され、伊根の舟屋や生け簀を船上から間近に見ることができた。岸壁にはサバ網も展示され、漁業が営まれる空間に浸ることができるように工夫されている。

    当日は伊根湾を一周するクルーズ船が出され、伊根の舟屋や生け簀を船上から間近に見ることができた。岸壁にはサバ網も展示され、漁業が営まれる空間に浸ることができるように工夫されている。

  • 延縄漁
    伊根の延縄漁は、約7メートル程度の間隔でテグス糸、針がぶらさがった延縄にえさを一つ一つつけ、それをひっぱる漁法だ。延縄は適当な針数・長さにして籠に収められる。全長は短くても500メートル。長いと2500メートルにもおよぶ。伊根ではタイやヒラメを釣るため、えさに、はエビをつけるという。ただ、太刀魚のように浅い所を泳ぐ魚を捕る場合には、縄の深さを変えるなど、漁師ごとのノウハウがあるという。漁場はもちん秘密。漁師は、陸では隣り同士で密接なコミュニティが築かれるが、海の上では競争が繰り広げられることになる。

  • 当日は伊根湾を一周するクルーズ船が出され、伊根の舟屋や生け簀を船上から間近に見ることができた。岸壁にはサバ網も展示され、漁業が営まれる空間に浸ることができるように工夫されている。
  • 延縄漁 伊根の延縄漁は、約7メートル程度の間隔でテグス糸、針がぶらさがった延縄にえさを一つ一つつけ、それをひっぱる漁法だ。延縄は適当な針数・長さにして籠に収められる。全長は短くても500メートル。長いと2500メートルにもおよぶ。伊根ではタイやヒラメを釣るため、えさに、はエビをつけるという。ただ、太刀魚のように浅い所を泳ぐ魚を捕る場合には、縄の深さを変えるなど、漁師ごとのノウハウがあるという。漁場はもちん秘密。漁師は、陸では隣り同士で密接なコミュニティが築かれるが、海の上では競争が繰り広げられることになる


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