機関誌『水の文化』10号
アジアの水辺から見えてくる水の文化

《雨》

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967(昭和42)年西南学院大学卒業、水資源開発公団に入社。 勤務のかたわら30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。 昨年退職し現在、日本河川開発調査会、筑後川水問題研究会に所属。水に関わる啓蒙活動に専念している。

これまで「水の文化」に関してどのような著作が世に出ているのでしょうか。今回からテーマ毎に、様々な文献を紹介して参ります。最初は「雨」から入ります。

映画にはよく雨のシーンが出てくる。収穫時、野武士が農産物を奪いにやってくる。農民と七人の侍は、野武士と壮絶な闘いを挑む。大雨の中、七人の侍は泥水に足をとられ、のたうちまわりながら闘う。黒沢明監督の「七人の侍」は余りにも有名である。この大雨は何と表現されるのだろうか。収穫時だから秋の雨であることは確かである。

高橋順子(文)、佐藤秀明(写真)『雨の名前』(小学館、2001年)をめくると、「澎雨」(ほうう)が目にとまった。「澎」は「水勢のさかんなさま、洪水を引き起こしかねないほど烈しく降る秋・冬の雨」とある。この書は雨を四季ごとに分類し、短歌と俳句と美しい写真から成る。

気象学者の倉嶋厚監修、原田稔編『雨のことば辞典』(講談社、2000年)に、「米作りには、夏の高温と潤沢な水が必要である。古来、日本人は、潤沢な、しかし変動の大きい、災害と恵みの両方を持ってくる雨とつきあいながら暮らしてきた。そのために日本には雨のことばが特に多い」と述べられている。ここには全国の方言を含め雨のことば一一九○語が収集されている。例えば、雨一犂(あめいちれい:耕作に適したちょうどよい量の雨)、門掃位(かどはきぐらい:岡山県苫田地方で埃が立たなくなるほどの少量の雨)、沛然(はいぜん:雨が盛んに降るさま)、日照雨(そばえ:日が照っているのに降る雨)、三束雨(みつかあめ:雷雲が発生してから稲を三束も束ねないうちに降り出すところから生まれた言葉。群馬県沼田地方などで使われる)と、千変万化の雨の言葉が収められている。日本人の表現の豊かさに改めて驚く。これはまさしく水の文化である。

三束雨については、登丸芳夫著『御荷鉾(みかぼ)の三束雨』(文芸社、2000年)がある。群馬県勢多郡粕川村の天気俚諺に関する研究の書である。ネコが耳で顔を洗うと雨。両毛線の汽車の音が聞こえると天気は下り坂。赤城山が近くに見えると雨が降る。このような雨の俚諺(りげん)は、粕川村が内陸性の気候のため冬はたいへん寒く、上州名物の空っ風が吹き、夏は寒く、雷が鳴ることも多い風土のなか、長年、村人たちの暮らしから醸し出されたものである。

レインドロップス編著『雨の事典』(北斗出版、2001年)は、雨が森や街に降り、川に流れ出し、海に注ぐ流れを循環系でとらえている。第一章「雨と日本人」では、文学、歌、映画の係わり、第二章「暮らしに生きる雨」では、讃岐のため池、地下水の源も雨、水の自給自足、島の暮らし、雨乞い、第三章「地球をめぐる雨」では、モンスーンアジアの中の日本、雨を科学する、第四章「雨水を活かす」では、ハワイは水の島、イランの地下水路カナート、雨水調整池等の項目から構成されている。

女流俳人中村汀女編『雨』(作品社、1986年)は、宮本輝、五木寛之、竹内寛子、樋口一葉、團伊玖麿等、四九名の著名人の雨に関する名随筆がまとめられている。團伊玖麿の「雨乞い」はおもしろい。干ばつの時には、相模の大山・阿夫利神社に各宗教団体が集結して、雨乞い歌大会を開催すればよいと提案されている。その場合の曲目は、「あめよふれふれ、なやみを流すまで」の「雨のブルース」、「あめあめふれふれ母さんが」の「雨ふり」、「さんさ時雨か萱野の雨か」の「さんさ時雨」がよいと記されている。できれば鉦や太鼓を伴奏にと、音楽家らしい発想である。

俳句は五七五、十七文字、世界一文字の少ない文学である。手塚美佐著『雨・虹』(飯塚書店、1997年)は、雨と虹の俳句のできるまでの技法をつづる書である。この書から二句を掲げる。

二輪草日照雨明るくまた暗く(石田小坡)

ゆけどゆけどゆけども虹をくぐり得ず(高橋重信)

秋月さやか(文)、高橋真澄(写真)『雨』(青菁社、1998年)は、雨の占いについての書である。雨占いを著した書は珍しい。

宮尾孝著『雨と日本人』(丸善、1996年)は、雨と日本人の精神的風土についてのエッセイである。歌手川中美幸のヒット曲「遣らず雨」をとりあげている。遣らずの雨は、恋しい人や客を帰らせないように激しく降る。客を留める雨、留客雨(りゅうきゃくう)ともいう。著者は、英語の世界ではただRAIN のみで表すのに、日本人は千変万化の雨をとらえる情の深さに感嘆するという。

建築美に借景があるように、小林亨著『雨の景観への招待‐名雨のすすめ』(彰国社、1996年)は、日本人の雨の景観美を論じた書である。著者は景観工学を専門としている。広重画の「名所江戸百景高輪うしまち」、鳥居清長画の「三囲(みめぐり)の夕立」、小林清親画の「東京新大橋雨中図」等をかかげ、雨の景観美を追求している。さらに、建築に雨線、雨垂れ、波紋などの雨の景観をとりいれ、雨の風景を日本人の心の癒しとしたいと述べている。

日本建築学会編『雨の建築学』(北斗出版、2000年)は、建築に「雨水循環系を保全し育む」必要があることと、建築と敷地に「植物のような生態的な働き」を持たせることが大事だと説いている。雨水を積極的に取り入れる建築を目指すべきことを説いている。雨水という水資源を有効に活かす方法であり、それは洪水を防ぎ、渇水を和らげ、生態環境を守ることにつながる。

雨水の利活用は、今までの日本の古代からの水の使い方を再現することであり、現代の水の使い方を反省することでもある。このことは、新しい水の文化を構築する際に、大いに役立つであろう。

  • 『雨の名前』

    『雨の名前』

  • 『御荷鉾の三束雨』

    『御荷鉾の三束雨』

  • 『雨の事典』

    『雨の事典』

  • 『雨』

    『雨』

  • 『雨と日本人』

    『雨と日本人』

  • 『雨の景観への招待‐名雨のすすめ』

    『雨の景観への招待‐名雨のすすめ』

  • 『雨の建築学』

  • 『雨の名前』
  • 『御荷鉾の三束雨』
  • 『雨の事典』
  • 『雨』
  • 『雨と日本人』
  • 『雨の景観への招待‐名雨のすすめ』
  • 『雨の建築学』


PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 10号,水の文化書誌,古賀 邦雄,雨

関連する記事はこちら

ページトップへ