機関誌『水の文化』12号
水道(みずみち)の当然(あたりまえ)

水みちと会話する地図の下の探検フィールド 聞き取り調査で井戸体験、井戸文化を伝える

井戸も湧水も、普段は見えない水です。こんこんと湧き出る水の美しさに、人々は不思議な力を感じ大切に奉ってきました。そんな井戸や湧水が地下でどのように流れているのか、どういう経緯で地上に涌いてくるのかを調べてみた人たちがいます。 井戸を大切に使ってきた人たちの間で語り継がれてきた「水みち」。それらを聞き取り地図化することで見えてきたのは、水みちという見えない世界。そこに、世代を超えた人々が惹きつけられていきました。

水みち研究会

神谷 博さん

水みち研究会代表
神谷 博(かみや ひろし)さん

1949年、東京都生まれ。1977年、法政大学大学院建設工学科修士課程修了。株式会社大谷研究室を経て、1990より株式会社設計計画水系デザイン研究室代表取締役。
法政大学工学部兼任講師。環境省環の国くらし会議・エコ住宅分科会委員など、多くの委員会の委員を務める。
主な著書・共著書に、『雨の建築学』(北斗出版、2000)、『井戸と水みち』(北斗出版、1998)、『環境用水浄化事例集/4・10共同住宅のビオトープ』(パワー社、1996)等がある。

水みち研究と水みちマップ

ーー神谷さんが、水みちの研究とかかわってこられたいきさつを教えてください。

全長20km ほどの野川という川とかかわったことがきっかけです。野川は、武蔵野台地の国分寺市に源を発し、世田谷区の二子玉川で多摩川に注ぐ小さな川です。高度経済成長期を経て汚染の進んだ野川を清流に甦らせようという、野川の湧水保全運動に、大学時代からかかわってきたので、もう28年ほどになります。

ほかの川も同じような状態にあったのに、なぜ野川にだけみんなが注目したか不思議に思われるでしょう。その理由は明け方の一瞬、野川がかつての清流を取り戻すことにありました。それは、なぜか。野川は崖線湧水を数多く持った川で、涸れていない湧水がたくさんあったからです。国分寺、小金井、三鷹、調布、狛江、世田谷と続く高さ10〜15mの崖線(国分寺崖線。ハケとも呼ばれる)に沿って、いくつもの泉が湧いています。野川にはそれらの泉が流れ込むという、ほかの川にはない魅力があり、それに愛着を持った地元の人たちが清流を甦らせようと努力したのです。湧水を中心に育まれた文化や環境は、単なる湧水と区別して「湧泉」と呼びます。野川の周辺には、まさに湧泉と呼ぶにふさわしい、文化的な環境が育まれていました。

1974年(昭和49年)に、仙川分水路という計画が持ち上がりました。地下河川を造って、野川と仙川を結ぶという計画です。このときの工事で出た湧水を川に捨てていたのを見て、ある子どもが「あの水を使って野川で魚釣りがしたい」と言い出したんです。当時の野川はドブ川のように汚れていましたから、捨てられた湧水を見て「きれいな水なのにもったいない」と思ったのでしょう。そこで大人たちが川を土嚢でせき止め釣り堀を作って、みんなで釣りをしました。川の中にわざわざ釣り堀を作って釣りをする、というのは、汚染が進んだ都会の川のシンボリックな状況だったのです。

これが「わんぱく夏まつり」の始まりで1975年のことです。野川公園のサンクチュアリーもこのころの湧水保全から始まりました。わんぱく夏まつりのジュニアリーダーも育ち、今では自分の子どもとやって来るようになっています。現在では仙川も野川も下水道が完備して、ずいぶんきれいになりました。住民の環境への配慮も以前よりは良くなっています。しかし、どんなに川がきれいになっても、湧水が涸れたら野川は干上がってしまうのです。水のない川は、川ではありませんから。そこで湧水の先の水のことをもっと知ろう、と「水みち」を探るべく井戸の調査活動が始まりました。

見える水、見えない水

ーー「水みち」という言葉は、今では一般にも用語として定着した感がありますが、始められた当初はどうだったのでしょうか。

学問的に定義された言葉ではなかったのですが、井戸を使っている人たちの間では、経験的に使われてきた言葉です。「水脈」は広域に広がる地下水の流れや、深さごとに異なる地下水の層のことを指しますが、「水みち」は、浅層の地下水、しかも局所的な現象としての流れをとらえています。

当初は、あたかも地下に川が流れているような印象を受け、誤解を招く恐れがあるという指摘もありました。「水辺」という言葉でさえ、珍しかった時代ですからね。それぐらい、水は人々の生活からかけ離れた存在になってしまっていたのです。しかし、水みちという言葉が湧水や井戸保全の手がかりとすることを目的として取り上げられ、使われる機会が増えたことで認知度も増し、結果的には良かったように思います。調査の途中で水みち流について研究している農業工学研究所の小前隆美さんと出会うこともでき、これまでの調査研究の内容が的外れではなかったと一安心しました。

1988年(昭和63年)にスタートした水みち調査は、国分寺、小金井、調布地区から始められ、狛江、三鷹、世田谷の野川流域と、国立の矢川流域、府中と8地区に広がりました。この間10年ぐらいの時間をかけて、井戸の所有者などに、水みちについての聞き取り調査を重ねてきました。この聞き取り調査は水みちだけに留まらず、井戸をめぐる暮らしの現状を聞くことでもありました。相続に伴う建て替えや売却、井戸堀り職人さんの減少、暮らし方のスタイルの変化など、生活とのかかわりを抜きにしては語れないことばかりで、ときには長時間にわたることもあります。

このような聞き取りは子どもではなかなか難しく、大人が中心となって行ないました。しかし、井戸を子どもたちに見せると、水が出るという驚きだけで、充分に大切さは伝わったと思います。本来、見えないものを探って認知していく作業は、どの世代の人間にとっても楽しいことです。普通の地図の下に隠された水みちを探って水みちマップを作ったことは、まさに見えない世界を見えるようにする作業だったわけです。

8つの地域で行われた聴き取り調査は、水みちマップとしてまとめられました。水みちを地図化すると言っても、調査した井戸の数は全体の半分から三分の一程度です。点でしかない情報をつないで、水みちを完全に解き明かすことは不可能ですが、一つひとつの井戸で調べた水の流れは、確信度の差こそあれ描くことができました。1・流れの方向、2・水量(涸れるかどうか)、3・掘られた年代、4・飲用等の用途、といった項目についての表現方法を決め、地図上に記入してできたのが、それぞれの地域の水みちマップです。そして、それが1 枚の地図に集約されて、野川全域の地図になりました。

井戸分布の他に、湧水の位置、河川、用水、低地、崖線を基礎情報として記入しました。また等高線で表現しきれない微高地を、用水の位置で示すことにしたほか、国分寺と小金井では市が行った地下水調査の結果を、了解を得て反映させています。

武蔵野台地の水みちモデル

武蔵野台地の水みちモデル



水みちの形成

1. 井戸によって作られる「水みち」
水みちは、もともと流れやすい部分があるというだけでなく、井戸で汲み上げることによって形成されると考えられます。井戸を使うと地下水が動きますが、その際地下水は通りやすい所を通っていきます。 その通り道は、井戸をいつも使っていると、より通りやすくなります。「井戸は使えば使うほど良い」といわれるのも、うなづける気がします。

2. 湧水によって作られる「水みち」
湧水はどこにでも涌くというわけではありません。昔からいつもほとんど同じ場所から涌いています。崖線の下の出口から、地下水が重力によって流れ出る際も、通りやすい所を通るので、それがずっと同じ所に水みちになっていると考えられます

3. 木と「水みち」は共生している
大木の根元から、こんこんと湧き出す湧水は、神秘的ともいえます。木は育つために根を下ろし、周りから水を集めます。木の周りの水が動くことによって細かい水みちが形成され、根が張りやすくなり、さらに根を広げていきます。 木が集まった林や森は、水を吸い上げることにより、一帯の地下水を逃がさないように保ち、多くの水みちを形成していると思われます。「裏の雑木林を伐ったら、井戸が涸れた」というのも道理といえます。

水みちの様子

4.「水みち」の合流点にある井戸、湧水
水みちは網の目のように複雑になっていると思われます。1つの井戸の中で2カ所「水口」があるという例もありました。また、1カ所の湧水点の右と左で水質が異なる例(東京農工大学の研究事例)も確かめられており、水みちの合流点に当たっているケースと考えられます。

5. 上下方向にも形成される「水みち」
水みちは水平方向だけでなく、上下方向にも形成されているようです。湧水の池をよく見ると、池の底からボコボコと水が涌いているのを目にすることができます。

6.「水みち」は細い
れき層を通る水みちは、通常、直径10センチメートル内外と、かなり細いようです。また、木の周りのローム層の中の水みちは、もっと細いものと思われます。いったん水みちが形成されると、水が動く一定の量に対応できる適度な大きさに固定されるようです。

7. 人工の「水みち」
水みちは自然にあるものだけでなく、人工的にも作られます。上水道が漏水したり、下水道が地下水を集水したり、また建物の地下に漏水する地下水も、みんな水を動かすことにより、その周りに水みちを形成します。そのため地下の構造物の周りに大きな空洞ができることもあります。

水みち研究会『水みちマップ』より



水みちとは

「水みち」とは、地下水のゆっくりした流れの中で、特に流れやすい経路のことだ」と考えられます。「水みち」に似た言葉に「水脈」があります。「水脈」は広域に広がる地下水の流れや、深さごとに異なる地下水の層のことを指しますが、「水みち」は、浅層の地下水の、しかも局所的な現象としての流れをとらえています。

水みちが生かされていた、江戸の都市計画

井戸の所有者が聞き取り調査に協力してくれるというのは、「いい井戸ですね」という言葉が聞きたいからという面もあります。水質の良し悪しにも関心があります。つまり井戸と一緒に暮らしている快適さと井戸の大切さを、伝えたいという気持ちがあるのです。だからこちらも通り一遍の話だけで終わらせたら、失礼だと思いますよ。長年使い続けてこられた人の知恵を、学ぶべきです。

水みちマップを作っていて、つくづく感じたのは先人の偉大さですね。野川の流域は武蔵野台地の縁辺ですが、縄文時代から水の文化の中心地だったのです。ところが江戸幕府は玉川上水を開削して、羽村から江戸城まで武蔵野台地の尾根に、絶妙に水を引っ張っていった。甲州街道も自噴井に沿ってできた道で、昔の人は今よりずっと水と地形、地理に精通していたことがわかります。

どこに玉川上水とその分水を引いたかということは、水みちマップを広げると、納得がいきます。水みちは地下を侵食し、わずかな地盤沈下を起こし、微地形を作ります。その微地形は、どこに分水網を引いたかによっても読み取れるんです。玉川上水というのは、実にエコロジカルな計画だったんですね。地形や水の入手など、かつては兵法で当たり前の知識であったことが、逆に今では忘れられているような気がします。

1991年(平成3年)の秋は異常に降雨量が多かった年ですが、10月にJR武蔵野線の新小平駅で地下水の噴出による水没事故が起きたのを覚えていますか?これは武蔵野線の貨物線が地下区間となっている部分で水みちを遮っていたために起こったと考えられます。伏流水系の水みちに沿って稀にですが野水が走ることは、これまでの研究からも知られており、このような知識が土木工事の際に生かされないということが、現代の都市開発の欠陥だと思います。

今までの都市計画は、どちらかというと自然環境を食いつぶすようなものが主流でした。これからは、自然と人間の暮らしとの豊かな関係性を取り戻すことに力を注ぐべきでしょう。開発の理念が問われるようになり、都市を維持していく手段を本気で考えなくてはいけないと思います。そのためには、まず足元の水をどう維持するかを、真っ先に考えていかなくてはなりませんね。

印刷物になった「水みちマップ」。これは野川を中心に作られているが、地域(小金井、国分寺、世田谷など)ごとに詳しく表現されたものもある

印刷物になった「水みちマップ」。これは野川を中心に作られているが、地域(小金井、国分寺、世田谷など)ごとに詳しく表現されたものもある

災害対策としての井戸や雨水

東京都は、地下水の汲み上げは地盤沈下につながると規制してきたのですが、1995年の(平成7年)阪神淡路大震災を契機に災害用に限って大型井戸の掘削を認めるようになりました。一方、生活用水の確保は区市町村レベルの問題ですが、規制を強めています。国分寺市では1989年から3年間かけて、市の西側半分に10カ所の手押しポンプ式の井戸を設置しました。そのうち2カ所では、近隣の住民が毎月一回井戸端会議と称して集まり、水質検査や周辺の清掃を行っています。

練馬区の場合は、災害時に飲料水として利用できる深井戸が23本あります。またそれとは別に、生活用水として用いる目的で「ミニ防災井戸」と呼ぶ浅井戸505本(1989年3月時点)の所有者である市民と区が協定を結んでいます。1996年度からは小中学校103校で、井戸の新設工事を行いました。

世田谷区では、公共施設に用意されている井戸は14本。この他に区民が所有する2184本の井戸を(1997年4月時点)震災時指定井戸として登録しています。練馬も世田谷も、登録された井戸の維持管理を、区が一定条件の範囲で補助するというシステムをとっています。

もう一つ忘れてならないのは、雨水です。沖縄や三宅島などでは雨水を大切に使っており、災害時にも心強い存在となっています。三宅の人たちは雨水タンクを井戸と呼んでいるほどです。一元的なライフラインに頼ってきた私たちの生活も、発想の転換が迫られているということです。

ドイツにエコ住宅の見学に行ったときのことですが、基礎の一部を連続させずに切り取ってあるという。「どうしてなのか」と聞くと、「ここには水みちが通っているからだ」と当たり前のように言うんですよ。これには参りましたね。考え方がまったく違う。

もちろんドイツなどヨーロッパの場合は、日本とは違った事情があって、主たる河川が国際河川ですから、国防上の問題としても、水源を一元化するというのは危険なわけです。ライフラインとしての水道が、自国の都合ばかりで管理できないんですよ。

わんぱく夏まつり

ーー野川のわんぱく夏まつりは、今年で28回目を迎えたそうですね。水みち研究で培ってきた経験を、ぜひ次世代に伝えて頂きたいと思うのですが、いかがでしょうか。

私見ですが、環境教育には限界があると思います。生活の中で、自然と接して学び取っていったり、必要があるからこそ学ぶのであって「自然が大事なんだ」と大人が教えるのは違うのではないか、型にはまったやり方で教え込んでも役に立たないのではないかと思うのです。わんぱく夏まつりは、子どもたちが自ら学び、子どもたちに教えるのではなく、子どもたちから学んで、それを大人が受け止めて続けてきた活動と言えるでしょう。祭りの盛り上がり方といったらそれはものすごいエネルギーですが、単なる祭りではなく、野川を守る運動の流れを汲んでいるのです。今でも水質調査とか、川の生物の調査も続けていますしね。

ここのユニークなところは、特定の機関が主体となっていないこと。あくまでも「祭りをしたい」というたった一点で結束している「実行委員会」によって運営されています。きわめて不安定な状態でありながら、28年間も続いてきたのですから大したものです。役所も最低限のサポートしかしていません。その代わり、中学生でも実行委員会に参加することが可能で、大人と子どもが本気で議論するという、ほかではあまり見られない光景が繰り広げられています。手法としては遊び場づくりと同じですが、環境保全のノウハウが最初に結びついたことが、ただの遊び場づくりだけでは終わらなかった理由ではないでしょうか。

わんぱく夏まつり2000年の報告書 ほかの写真はいずれも2001年のもの。

わんぱく夏まつり2000年の報告書 ほかの写真はいずれも2001年のもの。

水みちは、地下だけではなく空を巡って循環している

70年代中頃には72カ所を数えた野川の湧水も、10年後には三分の一が失われてしまいました。水みち調査を始めた当所は、もともとそこに流れやすい所があると想定しそれを探っていこうとしていたのですが、水みちは「形成されるもの」でもあることがだんだんわかってきました。水みちは井戸で水を汲み上げることでも作られますし、湧水や木によっても作られます。水みちが予想と逆の向きに流れていた井戸の例もありました。

いい井戸、いい湧水というのは、いい水みちが固定されているということです。水みちというのは意外と細く、れき層を通る水みちは通常直径10cm内外と推定されます。根の周りのローム層の場合はもっと細い。しかし、いったん水みちが形成されると、水が通りやすくなり、適度な大きさに固定されます。ですから井戸を使うことで、地下水は通りやすい所、つまり水みちを通って湧き出て、使えば使うほどその水みちは良くなるのです。しばらく使わなかった井戸は、逆に水みちが埋まってしまうのです。

聞き取り調査にうかがった際、「空にも水みちがある」と言った方がいました。「まさか」と思いましたが、あとでよく考えてみると木が水蒸気を蒸散させたり、山に当たった水蒸気が雲になったりするわけですから、当然空にも水みちと同じような道筋は存在すると納得しました。また、木が集まった森や林は一帯の地下水を保ち、大きな水みちを形成しているようです。だから「裏の雑木林を伐ったら、井戸が涸れた」という話も、道理にかなったことなのです。

このように聞き取り調査では、水みちに一見関係ない周辺の話もたくさん聞くことができました。よく数字データだけに頼る研究者もいますが、数字はある条件下での一瞬の状況しか表現できません。しかし住んでいる人からの聞き取りでは、いろいろな条件下での経験の集積を聞くことができます。「私が嫁にきた時分は」とか「台風○○号の時には」といった話が聞けるのです。そういう意味では、井戸というのは見えない水と出会う場所、地下と会話できる場所とも言えますし、歴史を発掘できる場所とも言えるでしょうね。

水みちは自然にできている場合もありますが、井戸や木によって形成され、固定されることもあります。もちろん、工場が大量の地下水を汲み上げて水みちが変わることもあるでしょう。そういう意味では、良くも悪くも水みちの経路や水量、水質は、人間の意思に左右されます。大切に守ろうという意思がなければ、分断されて失われてしまう危険性もはらんでいるのです。

水みちは空にもあるわけですから、井戸、湧水、雨水、用水、川といったすべての水は、水みちとかかわる存在です。これらの多様な水とバランスよくつき合っていけること、これが本来の意味でのエコロジーだと私は考えています。

上:真姿の池(国立市)の脇から湧き出る湧水で遊ぶ、親子連れ。ザリガニ捕りは、糸の先に餌を吊した昔ながらの手法。釣果をご覧あれ。 下:湧水が豊かに流れる、住宅街。蓋をせず、枯れ葉などもマメに掃除している様子が、うかがわれる。(国立市) 上2枚:ハケとも呼ばれる国分寺崖線の崖下、国立(くにたち)市東元町3丁目には、40軒で構成された自治会が維持管理する非常時用の井戸がある。毎日汲み上げないと水が涸れてしまうので、かわるがわるに汲み上げに来ているそうだ。たまに当番を忘れる人がいるので、「呼び水」がそば(ポンプの背後のポリタンク)に置いてあった。

中上:真姿の池(国立市)の脇から湧き出る湧水で遊ぶ、親子連れ。ザリガニ捕りは、糸の先に餌を吊した昔ながらの手法。釣果をご覧あれ。
右上2枚:ハケとも呼ばれる国分寺崖線の崖下、国立(くにたち)市東元町3丁目には、40軒で構成された自治会が維持管理する非常時用の井戸がある。毎日汲み上げないと水が涸れてしまうので、かわるがわるに汲み上げに来ているそうだ。たまに当番を忘れる人がいるので、「呼び水」がそば(ポンプの背後のポリタンク)に置いてあった。
右中・下:湧水が豊かに流れる、住宅街。蓋をせず、枯れ葉などもマメに掃除している様子が、うかがわれる。(国立市)



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