これまでにない思索の場として国内外に知られつつあるアートビオトープ「水庭(みずにわ)」。建築家の石上純也さんが手がけた。移植した樹木の間を沢から引いた水が池を通して流れ、また沢に戻る。この風景を外国から来た人たちは「極めて日本的だ」と評するという。真冬が到来する直前の「水庭」を訪ねた。
苔むした地面を飛び石づたいに歩く。数多(あまた)の木々の間を抜け、大小さまざまな形の池を巡る。風が梢を揺らし、池と池をつなぐ水流のかすかな音が聴こえる。奥まで行くと渓流のせせらぎが心地よい。池ではカモが気持ちよさそうに水面を滑っている。
栃木の那須高原にあるアートビオトープ「水庭(みずにわ)」は、東京ドームのグラウンドがすっぽり入る敷地(約1万7000m2)に、絶妙な塩梅で配置された318本の落葉樹と160の池が広がる。池の水源は、すぐそばの上黒尾川(かみくろおがわ)。8つの取水口からパイプを通じて池に水を循環させ、最後は上黒尾川へ戻る。
コナラ、イヌシデ、ブナなど水庭の318本の樹木はすべて隣地から移植したもの。プレミアムヴィラとレストランの建設予定地の樹木を伐採せず、位置を再レイアウトしている。通常の移植では、大きな枝を切り落とす「枝打ち」や、根元の部分を藁などで巻いて1年ほど寝かせる「根巻き」を施すが、それらを一切していない。日本に2台しかない特殊な重機を使って、根の周囲の土ごと、微生物も含めて隣地に移したのだ。天候や季節によっては作業できず、1日に移植可能なのは平均4本程度。構想から完成まで4年の歳月を要した。
水と木だけではない。地表を覆う苔も散策者を導く飛び石も周囲の石垣もすべてこの土地のもの。作庭した建築家の石上純也さんが言うように「生態系がそのまま引っ越して模様替えしたような、人間が手入れをした自然環境である里山の延長としての庭」なのだ。
那須は皇室の御用邸で知られるロイヤルリゾート。那須連峰の山麓で1986年(昭和61)、「アート・自然・人の共生」をテーマに、文化リゾートホテルの先駆け「二期(にき)倶楽部」が創業された。その後、創立20周年記念事業として陶芸とガラスのスタジオを備えた体験型アートレジデンス「アートビオトープ那須」を設立。二期倶楽部は2017年(平成29)に閉館したが、その翌年、アートビオトープ那須の敷地内に誕生したのが「水庭」だ。
創業者の北山ひとみさんは「私のライフワークである〈アートコロニー〉の一環としての文化事業です」と語る。
2007年(平成19)から実施してきたアートフェスタ「山のシューレ」もその一つ。自然の叡智を探る大人のオープンカレッジとして「庭」をテーマにセミナーを重ね、多様な対話のなかから知恵を出し合ってたどり着いた答えが「水庭」だった。
なぜ水なのか?それはここがかつては水田だったからだ。
「雑木が生い茂る森林を先人が切り拓き、沢から水を引くという苦労を重ねて水田にしました。それが減反政策で牧草地となり、さらに放棄地となった。それを石上さんが『ここはかつて田んぼでしたね』と、水田の取水口を8カ所も探し出したのです。森林〜水田〜牧草地と積み重ねられてきた土地の記憶、里山としての環境を、もともとここにあった木と水と苔を重ね合わせて表現するという『水庭』のコンセプトを石上さんから提示されたとき、即座に承認しました」と北山さんは振り返る。
石上さんは作庭にあたり、隣地の318本の樹木すべてを測量し、図面に起こし、模型をつくった。2~3mの大きさの紙に池の形を描きながら樹木の模型を配置していく。造園や景観デザインというより、位置や角度を綿密に計算して最終的な空間の完成形を細部まで設計する建築の方法論に近い。
「そのとき気づいたのは、知らないうちに樹木が整然と並んでしまうこと。自然界でのランダム性は、樹木が共存するために一定の距離を保つなど、何かしら僕らには見えないシステムが働いて生まれているはずです。人間が無作為にレイアウトすると、おそらく情報量が少なすぎてバラバラにならないんですね。そこでコンピュータのプログラムを併用しながら少しずつずらし、模型でも確認してランダム性を生み出し、パズルを解くように樹木と池の配置を決めていきました」と石上さんは言う。
その結果、建築と同じような精度で樹木と池が配置された。
160の池をつくるのも土木作業だ。一般的な造園では3〜4個の池をつなぐと均等に水が流れにくい。渓流から水を引いて、すべての池へ均等に水が巡り、また渓流に戻す必要がある。大雨で氾濫してもいけない。
「都市での雨水排水システムのシミュレーションを行なう会社の協力を得て、160の池をどうつなぎ合わせれば氾濫せずに一定の水がスムーズに循環するかシミュレーションしました」
自然界では本来、落葉樹は水辺で生息できない。しかし、池に自然素材の防水剤を施し、排水システムも整っているので池の周りに水がにじんだりあふれ出ることがない。だから池と落葉樹が共存できている。
ここまで徹底してこだわるのは「人間が関与することで初めて成立する自然=里山」をつくり、自然と人間との関係性の象徴の場にしたいとの意思があったからだ。
「水庭」は完成から4年を経て、台風などで倒れた木も10本ほどある。だがそれは想定内。やがて樹木は朽ちるだろうが、地面に落ちたドングリが発芽し新木に置き換わっていく。100年後は、まったく違う草木の景色になっているはず。
「ただし池だけはずっと同じ位置で留まっています。流れつづける水が環境構造のマスタープランのようなものになっているのです」
石上さんは話す。木も苔も飛び石も石垣もあるなかで、もともと水田だったこの土地の記憶をもっともよく留めるのは水。だから水を主役にし、水の経路を残すことで木々が置き換わったとしてもこの土地のアイデンティティは保てる──そう考えたそうだ。
落ち葉が水のパイプに詰まらないようにするなど「水庭」は里山と同じように絶えず人の手入れを必要とする。石上さんが2019年(平成31)に「水庭」で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞したとき、選考者の一人、建築家の内藤廣さんは次のようなコメントを寄せた。
「こんな風景は自然の中には存在しない。だから、少しでも人が手を緩めると崩壊してしまうフィクションであり、その蜻蛉(かげろう)のような儚(はかな)さが人を引き付ける。危うい姿勢でつま先立ちをして語り掛ける静寂。自然とは何か。人とは何か。それは、精神の深奥に語り掛ける美しい逆説である」(原文より抜粋)
この文章をこよなく愛する北山さんは、「『水庭』は公園ではなく内省の場です。ライトアップなどという俗っぽいことはしません。月明りで十分です。今の、結果だけを追い求める社会でなんとか記憶を伝えたい。ここに佇んで、美しい水の景色にご自身の人生を重ね合わせ、目に見えない土地の記憶や時間を感じとっていただけたら」と願っている。
※「水庭」見学には事前予約が必要(前日17時まで)。
「ガイド付き水庭ツアー」は11:00と14:00があり、料金は1名につき2970円(税込)。
ランチ、ディナー付きのコースもある。宿泊者は無料で自由に見学できる。
申し込み方法などの詳細はHP参照。 https://www.artbiotop.jp/water_garden/
(2022年12月16日、24日、27日取材)