機関誌『水の文化』17号
雨のゆくえ

雨に思えば

沖 大幹さん

東京大学生産技術研究所助教授
沖 大幹 (おき たいかん)さん

1964年東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科修了。総合地球環境学研究所助教授などを経て2003年より現職。その間、NASAゴッダード宇宙飛行センターの客員科学者を2年間勤める。 共著に『水をめぐる人と自然』(2003年 有斐閣)など。他論文多数。

「雨の日の方が、心が落ち着く気がして好きです」

そりゃ雨の日よりも晴れた日のほうが断然いいに決まっていると思い込んでいた高校生の僕は、当時応援していたアイドル歌手のこの一言を雑誌で読んでびっくりした。カーペンターズだって「雨の日と月曜日はいつも気が滅入る」と歌っているように、毎日毎日雨だと陰鬱な気分になってくるし、車に乗っていても恐く感じるほどの豪雨だって1度か2度は経験していたので、雨の日のほうが好きだなんて、とても理解できなかったのである。その時は、普段華やかで楽しい生活をしていると、雨の日が好きになるのかなぁ、とか、仕事ばかりで遊べないのに晴れていると悔しく思うからかなぁ、とか想像して納得していた。

大学生になり、少し智恵がつくようになると、干魃(かんばつ)で雨が降らない日が続いている際には、農家にとって雨こそが「良い天気」であり、爽やかな青空イコール良い天気だ、というのは偏狭で一面的な見方であることを学んだ。そういえば、夕立の降り始めのわくわくした気持、大粒の雨が土を叩く躍動感、打ちつけられる雨音、そして雨の匂いが広がる感じなどは好きだったな、ということも思い出した。乾いた大地がみるみるうちに湿り、木々の葉が雨露に濡れ、石の色が変わって風景が一変する様子は、生命の再生を感じさせたものであった。大学では、雨水をさっさと川から海に流すのではなく、流域に貯留させたりしてゆっくり流すことが、結果としては洪水の脅威を減らし、普段の水循環も豊かにすることも学んだ。小学校への道すがら、霜柱を踏んで遊ぶのを楽しみにしているこども以外にとっては、雨が降れば泥々になり、乾けば土埃が舞うような未舗装の道よりは、アスファルトやコンクリートで固められた道の方が歩きやすいに決まっている。しかし、そうした舗装された道や宅地面積の増大等の都市化そのものが、都市の洪水を激化させてきていたのだった。

これに対し、僕が大学で学んだころには、雨水をある程度貯留したり浸透したりできる透水性舗装や雨水浸透施設がすでに実用化され始めていたし、もっと積極的に、屋根に降った雨水を利用する施設も設置され始めていた。雨を嫌い、雨水をさっさと自分の身の回りから排除しようとする、僕でいう子供のころのような価値観から、雨を邪魔者ではなく、身近で貴重な資源として有効利用しようとする価値観に変化しつつある時代だったのかもしれない。もっとも、雨水を貯水できる量は限られているので、めったに生じないような豪雨に対しての効果は限定的な場合も多いだろうけれど、洪水対策にも普段の水循環を豊かにすることにも貢献できる各戸、各施設での雨水利用は悪くない。

日本でもアジアの国々でも、雨水を溜めておいてそのまま生活用水に、あるいは沸かして飲用に、と昔からあたりまえのごとく使われていたようであり、雨水利用自体は決して目新しくはない。しかし、今となっては不思議な気もするが、従来は川の水や地下水をわざわざ汲み上げて使う場合のみが水資源学の中で考慮されていて、雨水が重要な水資源である、ということは表立って認識されていなかった。土壌に一旦溜り、作物の成長に役立つ雨水も重要な水資源であるとして、スウェーデンの研究グループが、そうした作物からの蒸散に使われる雨水をグリーンウォーターと呼ぶことを提唱したのは、なんと1990年代後半になってからのことだったのである。

これに対し、従来から水資源配分の対象と考えられてきた河川水や地下水はブルーウォーターと呼ばれるようになっている。河川の水に関し、下流に住む人は、上流の人が一度使った下水を取水し、浄化してまた飲んでいるのだ、という言い方をされることがある。しかし、少し考えてみると、水自体は、ぐるぐると地球上を太古の昔から回っているのだから、ある時はシベリアのマンモスのおしっこに含まれていて、ある時は日本狼のよだれだった水が巡り巡って、今日、手元のペットボトルの水に含まれているかも知れないのである。それなのに、河の上下流という水循環のごく一部だけを切り出して、人間の体を何回通った、と大騒ぎするのは、なぜなのだろうか。おそらくそれは、例えどんな酸性雨だって、雨は浄化され純粋できれいな水だ、という信仰に近い共同幻想、あるいは思い入れがあるからに違いない。だからこそ、人は雨を恐れ、敬い、大切にするし、雨の日の方が心が落ち着いて少し内省的になる気がするのではないだろうか。



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