機関誌『水の文化』17号
雨のゆくえ

雲が風を呼び、風が雨を連れてくる 海に生きる観天望気

山田 吉彦さん

日本財団海洋グループ長
山田 吉彦 (やまだ よしひこ)さん

1962年生まれ。学習院大学経済学部卒業後、金融機関勤務などを経て、1991年より日本財団勤務。日本の海上保安体制、マラッカ海峡の航行安全対策、現代海賊問題に詳しい。 著作に『海のテロリズム』(PHP研究所、2003)『天気で読む日本地図』(同、2003)他。

かろうじて残る観天望気

『天気で読む日本地図』は、天気についての言い伝えアンケートが出発点です。全国の海事関係者にご協力いただいて、海に生きる人々に伝えられている観天望気について書きました。

長崎県平戸に松浦史料博物館というミュージアムがあり、かつて倭寇と呼ばれた松浦党の史料が残っています。そこには平戸藩山崎家の『天気見伝書』という65項目にわたる伝承文書が残されているのですが、これを見てびっくりしまして。例えば「天に雲なくして北斗の序下に雲あるは、五日のうちに大雨と知るべし」などと書かれています。文化文政年間の藩主・松浦静山、親子が10年間にわたり、担当者を決めて山に登らせて、古来から松浦党に伝わっている口伝が当たるか当たらないかを検証させたものでした。

松浦党は常に海で生きていた。海では天気が自分たちの生死を左右する。先を読まないと、自分の命が守れない。このことは、現代でも何ら変わることはありません。そこで、海の民の言い伝えを調べてみようと思ったわけです。

日本財団では、海事関係ミュージアムのネットワークをつくっているのですが、そこと海上保安庁の方にも協力いただきました。アンケート調査の質問票に「天気予報に関する言い伝えありませんか」と書いただけです。そうしたら、1万のデータが集まりました。

日本中からこれだけの回答が集まってきたことから、日本には海で生きている人がまだまだおり、観天望気もしっかりと残っているということがわかりました。ただ、観天望気が伝わっているのは現在75歳以上の方です。70歳の人ではもうわからない、と言う人もあるぐらい、微妙な時代背景があります。昭和30年代になってくると、みんながラジオを持っているし、無線も使い出して観天望気をしなくてもよい時代になってきます。それ以前に海で生きてきた人には、しっかりと伝わってきているのです。それを今のうちにまとめておきたいと思いました。

今も海に生きる生活者

海で生きている人はたくさんいます。

まず漁業者の方は40万人と言われ、海からの恵みで生計を立てています。それと、内航海運従事者。今の東京では考えられないですが、広島などの瀬戸内海に行きますと、まだまだ交通の足として海で船が使われています。九州に行けば、五島列島にしても壱岐にしても、離島交通があります。生活の足として、普通に船を使っている。例えば、電気屋さんがごく当たり前に船でやってくる。あるいは、観光業者も船を使っています。

魚を食べない日本人は少ないでしょうし、直接的ではないにしても、日本人はこうした人々を介して今でもなんらかの形で海とかかわっています。

―― レーダーが普及し、観天望気の必要がなくなってくるのは、いつごろですか。

昭和40年代ですね。現在ではレーダーを持っていない船はほぼありません。まだ九州には、お年寄りが目に見える範囲で船一隻を出して漁をする姿が見られ、こうした場合は例外ですが。

また、漁協単位で動くようになった昭和30年代になると、あまり個人の能力が問われなくなりました。漁協が天気情報を集めてくれるし、港の事務所に行けば天気予報が貼ってある。漁協が業者から天気情報を買うような状況は、10年前には既に当たり前になっていた記憶があります。個人経営の漁師も減ってきています。

むしろ、いま本当に天気を見ているのは、サーファーであったり、シーカヤックを楽しむような人々、あと若干の個人経営の漁師ですね。

人によって天気の見方がちがう

観天望気は、その人の生活や生産の様式によって、見方や方法が異なります。

漁民について言いますと、遠洋漁業の人は雨をあまり気にせず、風を気にします。沿岸の近場で操業している人が、雨、風をともに気にします。しっかりとしたキャビンの中にいる時間が長ければ気にならないのですが、小さな船の場合ですと雨は体温を下げたり、滑る原因となりますので、神経質になるようです。

沖合の人は行って帰ってくるだけで、カッパを着て作業しますから、まあそんなに気にしないようです。ただ、長雨になりますと水温が下がり、魚が餌を食べなくなる。雨が魚の動きに影響を与えるので、それを気にすることはありますね。

魚種によっても違いがあるでしょう。底魚をねらう漁師にとって雨はあまり関係がない。しかし、アジのように群れで動く魚については、それが上方を泳ぐか下方を泳ぐかということが問題になります。雨が続き水温が下がると、魚の餌への食いつきが悪くなるし、上がり過ぎても食いが悪い。適度な温度が必要で、雨が降るということ自体より、雨による水温変化が問題になります。

逆に晴れが続くと、「水が澄む」と言って海水の透明度が高くなります。こうなると、魚も馬鹿ではありませんので、船の影が魚に感知されやすくなり、食いが悪くなります。

ですから、関サバ、関アジの一本釣りなどというスタイルですと、自分が体調を悪くしてまで、食いが悪い所で仕事をしても仕方がないわけです。そういう時は、パッと陸に上がって、飲みに行ってしまう。

さらに、釣ってきた魚を、開いて、干す都合もあります。昔は保存技術の問題で、雨が降る前の日に魚をとってきても、魚がうまく乾かなくて腐ってしまう。シラス干しとか、桜エビ干しなども、雨が降ってはできません。だから、今日晴れていても明日雨だとわかると、さっさと上がってきてしまうこともあったようです。

まあ、漁民にとって雨はほとんどマイナスです。その点は農民とは対照的です。

―― タンカーや貨物船は、どのように天気の情報を判断していますか。

いまは気圧配置が全部わかりますので、まず行き先までの気圧配置を見て、どこで前線にぶつかるのが一番安全なのかなどを判断します。大型船になれば、雨はほとんど気にしません。

しかし向い波にはできるだけ45度の角度で入りたい。そのためには、どのようなコースをとればいいか、風の吹いてくる方向を見ますね。

風の影響については、南蛮船の影響を受けた江戸時代より前の船というのは、風が逆風でもかなり風上に上れたのですが、鎖国後は舵が退化したため、性能向上が求められるようになります。日和見、観天望気の技術が発達した背景には、船のこうした変化もあったのです。

富士山にかかる雲と天気予報

富士山にかかる雲と天気予報

観天望気の予測力

やはり、観天望気の能力が一番高いのは漁師さんでしょうね。彼らは「雲が風を連れてきて、風が雨を連れてくる」とよく言います。実際は風が雲を運び、雲が雨を降らすのですが、遠く離れた雲は見えても風は吹いている場所以外では体感できないため、まるで雲が風を連れてくるように思ってしまうのです。

相模湾あたりですと、「丹沢連峰の大山に雲がかかったら、今日の午後は雨」、「富士山に雲がかかったら、明日は雨」また、伊豆大島が間近に見えたら船は出ません。でも、そういうことを知らないプレジャーボートも多く、良い天気だからといって出てしまう。そして、湾から少し外へ出ると、海は表情を変えてしまうわけです。大島がよく見えるということは、かなり早い風が流れていることで、天気は崩れる兆候なのです。

雲を見たら方位と距離を見て、どういう風が吹いたらいつごろ雨になる、ということをだいたい3日ぐらい先まで予測します。的中率は当たるも八卦、当たらぬも八卦ですが、3日ぐらい先までだったら結構当たります。気象庁の人も「局所予報は、観天望気にはかないません」とおっしゃっていました。例えば、三重県の鳥羽では、浦ごとに全部天気が異なります。こうなると、気象庁の解析できる範囲を超えていますから、観天望気にはかなわないのです。

観天望気がそれぞれの歴史の中で生き残ってきたという事実を考えると、皆さんが聞いたことのあるような言い伝えは、7割方は当たると見ていいのではないでしょうか。

―― 山田さんが聞き取り調査をされた、漁師の方角の使い分けがおもしろいですね。それだけ、微妙な差異を使い分けていたということでしょうか。

この方位の聞き取りには大いに悩まされましたね。地元の方の通訳がいるんですよ。最初は録音機材を持っていったのですが、その場で通訳してもらわないと再生しても何を話しているのか、さっぱりわからない。

そこでわかってきたことは、彼らにとっては西、東というような正確な方位は関係ないんですね。言葉にはできないけれど、海に出ればわかるという具合で、目で見たことを感覚として覚えている。西というのは「だいたい、こっち」という、かなり広い範囲を指します。生活のリズムの中で、その時のその状況に一番よく当てはまる自分たちの経験則をまとめたのが観天望気というものなのでしょうね。

しかしいい加減なものかというと決してそうではなく、現場に実際に行ってみると、文字から想像した絵がその通りに出現することに驚かされます。

おもしろい話があります。大名行列をするのに天気が大事だからと、村の天気予報名人のお婆さんを駕篭に乗せて本陣まで連れてきて予想させようとした。そして「明日の天気は」と訊ねると、お婆さんは「うちの山はどこにある?」と言って、結局役に立たなかったという話です。自分が目安にする見慣れた山がないと、方向もわからない。観天望気は、住んでいた場所でしか機能しないのです。おそらく昔はそういう人が、一家に一人ぐらいはいたのかもしれません。

松浦党の観天望気の知恵は、もとは口伝でした。それを藩主が、「消えてしまうから書いておけ」と命じて、史料として残ったのです。他の家でも同じように、代々家に伝えられていた観天望気があったと思います。口伝を継承した立場にあることは、船頭としての威厳にもつながったはずです。それを駆使して、部下に「明日はこうする」と示せたわけですから。魚は米と違って、近くの町にまでしか売りに行けなかったので、おのずと移動範囲も限られました。ですから漁師は文明開化になって初めて文字に接する人も多かったので、当然口伝となったのではないでしょうか。

現在では、みんな携帯電話を持っていて観天望気などしなくても情報はどんどん入ってきますし、その中には局所予報も含まれています。船の性能が上がり、行動範囲が広くなった分、広域の天気情報も必要になってきました。

風の呼び方

風の呼び方

観天望気は空との距離を近くする

学校で観天望気を教えたら、こんなにおもしろいものはないですよ。

私の現在の職場はビルの6階にあり、ビルの谷間に国会議事堂の方向には国旗が見えます。その狭い空間で風がどう流れ、雲がどう動くかを見ていると、だいたい翌日の天気がわかります。一番はっきりしているのは夕焼けです。正面のビルの窓ガラスに夕焼けが反射されて見えるんですよ。夕焼けが出れば翌日晴れ。雲の流れが速くなってきたら、「あ、雨が来るな」南からの海風が吹くときは、湿気を含んでいますからやはり雨。逆に、北からの風は関東平野を通ってきて乾いていますから晴れ。

自分の席から見るので、いつも決まった空間、自分のポイントを観察しているわけです。あとは、冬の間の通勤時に、電車から富士山が見えるかどうかも目安になります。

地元の学校で、「学校に行く前に朝焼けが残っていると、雨が降る」とかを、子供に教えたらいいですよ。父親がこういうことを教えたら、きっと尊敬されますよ。地元でも、教えられたらいいと思うのですが。

現代の人にも、天気にピンとくるようになってほしいですね。例えば、地方のビジネスホテルなどでも、「あの山が雲で見えなくなったら雨ですよ」とかが部屋に書いてあるとよいですね。実際に体験してもらいたい。

あるいは、主婦にとって洗濯物を干せるかどうかを判断する上で、観天望気は必須の技術ではないでしょうか。自分の家で、あるいは勤め場で観天望気を試してみるといいですよ。

平戸の古文書にも、一日は天気予報から始めていたことがわかります。今でも、傘を持っていくか、何を着ていくか、外回りするかしないかは、朝決めるわけですから同じです。朝、天気予報を見ますしね。

観天望気の観測ポイントはこの空間です」と山田さん」

観天望気の観測ポイントはこの空間です」と山田さん」見なれた風景の中に日々刻々と変わる違い、再び訪れる同じ条件を発見するのが、観天望気の入門編。 今日はここがチョット違うなー、が積み重なってその理由がわかってきたら観天望気は当たるように。

「もしも」がなくなりつつある社会で

風に押された雲が山にぶつかって雨になり、ふもとを潤す。その流れをずっと人は見てきました。観察しながら予想してきた。だから、山から水が流れてきたり、後ろの山が崩れることも、ある程度事前にわかったでしょう。それは、身の回りの自然と位置関係、つまり、風、雲、山、川、海、すべての関係の中で天気というものが決まり、それを人間は事前に推し量る能力を身につけていたからです。その結果、自分たちにどういう災難、あるいは恵みがもたらされるかも、ある程度予想することができました。しかし、現在ではそういう予想を個人がする必要がなくなってしまった。

天気の兆候というのは、自分が望むときにあるわけではありません。インターネットの天気予報は自分が望んだときに得られますが、夕焼けは夕方まで待たなくてはならない。雲はいつ出るかわからない。昔の人は、それを待って、自分たちを順応させていた。

もともと天気というのは、自然の関わりの中で決まっているということ自体は、今も昔も変わっていません。ただ、海で漂流したとき、山で遭難したとき、もしもに備えてそういうことができるかどうかで、その人の人生が変わるということは充分考えられます。「もしも」ということを考えなくてよい時代になってきましたが、携帯電話の電池はいつでも充電できるとは限りませんしね。

昔は、自分が飲む分の水(雨)ぐらいは、観天望気で予測していたのではないでしょうか。例えば、雨が降れば井戸水が濁るときもあるので、その前に汲みおくとかいう知恵がありました。生活のリズムの中で使ってきた観天望気を口伝えで残していたものが、社会が変わると伝える必要がなくなり、機会もなくなる。やはり人間は、生きることに直結しないと、なかなか伝えようとしないのです。

人間も自然の一部。水も工業製品ではなく、自然の一部。観天望気に見る生活の知恵に触れ、人間も水も自然のものということを忘れていたのではないかと、振り返ってそう思います。



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