「里川の原体験は?」「これからの里川とは?」。こんな問いかけを出発点に、「里川対談」を行なっています。多分野の人が抱く、現代里川の特徴を探る第3回のゲストは、演劇人の立場から人と人とのコミュニケーションのあり方を見つめ続けてきた平田オリザさん。嘉田由紀子さんをホストに「物語はなぜ生まれるか」というテーマで対談が行なわれました。
劇作家・演出家
大阪大学コミュニケーション・
デザインセンター教授
平田オリザさん
1962年生まれ
京都精華大学教授
嘉田 由紀子さん
1950年生まれ
きれいな景色を見て、全員が感動するわけではありません。川や自然環境でも、それは同じ。環境は、その人が家族とうまくいっているとか、いわば個人の事情を含んでいると思うんですね。多分、そういう視点が今までの環境教育とか環境運動には欠けていたのかなと思う。つまりw、「個人の事情」という、それまで生きてきた人の人生を見ないで、「自然を守りましょう」と語ってきた。環境運動が、ある所では盛り上がるけど、参加していない人にとっては距離が遠く感じられのは、そこに原因があると思います。
では、川や自然との距離を対話で近くできないのか。
フィクションのつくり手という立場から言うと、観客を意識するということは大事だと思います。住民対企業、住民対行政という二項対立の図式に加わらない、第三者の視点を持つ人の存在も必要だと思うんです。見ている人間、演劇でいえば観客が納得できるかどうかというのは、実はとても大事なんですね。
例えば、僕は、日本の子供たちが東南アジアの子供たちに水俣病を伝える演劇ワークショップを手伝ったことがあります。そのときに、日本の子供たちに最初に言ったことは、「ものすごく貧しい国の子供たちに、ものすごく豊かな日本の子供が、『開発するとこういう恐ろしいことが起きるよ』と言っても全然説得力がない」。そこから、語らないで黙してきた患者さんの受難の歴史を語ることで再生していく物語が生まれました。このように、第三者が見て納得に導かれる視点が、これからの住民運動にも必要になってくると思うんですね。そのときに、演劇的な視点、手法が役に立つと思います。
それと、個人の事情を含んだ環境の話をすると、リアルな話になってしまうのですが、フィクションとしての対話だとそれが程よくできる。日本ではフィクションというのは嘘で、嘘は悪いことだ、という生真面目な考え方があったのですが、実際にワークショップをしてみると面白くて、大っぴらに言えない自分の気持ちをお芝居だから役になぞらえて表現できるようになる。これは、対話をちょっと楽にしてあげるということにつながるでしょうね。
私たちは、逆に徹底的に生活史とか環境というリアリティを追求しているのですが、これを、そろそろベタなリアリティから、フィクションの世界にまで持っていかないと、興味を持たない人にはかかわってもらえないのではないかと思います。みんながかかわる、いわば劇場型のコミュニケーションの仕組みと生活史をつないでいく。
ところで日本人の人気のある歌は、美空ひばりの「川の流れのように」がトップなんです。どうも日本の川というのは、ライン河や揚子江のような大河に比べ、短いけれど多様なんですね。だから、人が川を人生になぞらえやすいのかもしれません。でも、過去を見れば日本の微細な精神文化の中に、本来川が位置づけられていた。鴨長明から美空ひばりまでです。その「川の流れに人生を感じる」という精神がある意味で、今失われつつあって、川は汚いというイメージに覆われ始めています。そのベールをはがすことで、さまざまな演劇空間としても、川と人の関わりを展開していくことができるかなと、改めて感じました。
川の持っている意味を人生にかかわらせていく、そういう演劇空間として川をとらえ直すことも、これから必要になってくるかもしれませんね。
自分の体験と重ね合わせ、一人ひとりの物語をつくり、人にわかりやすく、物語として語っていくことが大事なのでしょう。
(2006年5月11日)