住宅難を解消し、戦後日本の新しい暮らしを牽引してきた旧・日本住宅公団。集合住宅の水まわりも、当初は湿式で手間も時間もかかる工法でした。人研ぎ流しが一体型ステンレス流し台に、木製風呂桶がバランス型風呂釜へ、さらにバスユニットに、やがて給湯設備も一元化されました。 住宅の工業化に成功し、技術的制約を克服した公団の過去の歴史だけではなく、UR都市機構の次なるステップもうかがいました。
独立行政法人都市再生機構
住まい技術研究チームリーダー
中田 誠 (なかた まこと)さん
みなさんから「水まわり」についてお話をうかがいたい、と言われましたときに、改めて水まわりだけに焦点を当てて考えたことがなかったものですから、不意をつかれた感じが致しました。
また、水回りとか水廻りというと設計図面の○○回りを連想してしまいますので、居住文化を含めて広義の言葉として、平仮名の「水まわり」を使うのが適切ではないかと思います。
ちなみに水に関係があるのでお話ししますが、独立行政法人都市再生機構(以下 UR都市機構)の前身である日本住宅公団設立当初には、井戸を水道に利用して、公団が水道事業を実施していた団地が20数カ所ありました。鑿井(さくせい)団地と呼ばれていました。
同様に、汚水処理場を持っていた団地もあって、現在でも30団地近くが稼働中です。水洗トイレを標準装備したために、郊外型の団地で下水道が完備されていなかったところでは公団自らが汚水処理をする必要があったのです。
さて、水まわりのいうのは、住戸の中の台所とか、トイレとか、洗面、浴室を指すのですが、建築の用語だろう、と思い、集合住宅の歴史をたどってみました。すると、木造賃貸集合住宅ではせいぜい流し程度の台所が、同潤会アパートでは台所に加え便所がつきます。当時の記録を見ると、同潤会アパートのことを「簡易集合住宅」と呼んでおり、そこには浴室がついてこそ、本物の近代集合住宅だよ、という気持ちが込められていたようです。日本の国力では、それが精一杯だったのではないかと思います。
それで、本当の意味で水まわり全般が整ってくるのは、戦後になってからです。1950年(昭和25)公営住宅で51C型で洗面台と簡易シャワー室がつきました。シャワーといっても水でしょう。ただバルコニーと連続しているところを見ると、洗濯室を意識していたように思います。
当時は銭湯での入浴が想定されていたので、それで充分だったのでしょう。ですから、実際にここでシャワーを浴びるということは、なかったのではないでしょうか。
1955年(昭和30)設立の日本住宅公団で初めて、今で言う水まわり、「台所」+「便所」+「洗面」+「浴室」が登場します。
ここでやっと「水まわり」と呼ぶべき素材がそろったのではないでしょうか。私見ですが、台所と便所だけでは「水まわり」と呼ぶには、少し弱いかなという思いがしますので。
建築図面で納まりの詳細を指すときに「押し入れまわり」とか「洗面所まわり」という呼び方は割と古くからされていました。
しかし日本住宅公団設立当初には、まだ「水まわり」という言葉の用例は見当たりません。
ちなみに公団設立当初は、洗濯機の設置は意識されていませんでした。徐々に需要が高まり、給水管を工夫して洗面所に無理矢理置くとか、排水は浴室にホースで流すというやり方で、居住者がなんとか置き場をつくるようになりました。早い事例では1967年(昭和42)ごろから分譲住宅を中心に洗濯機置き場の防水パンがつき始めたようです。賃貸物件まで含めて、防水パンが統一規格になったのは1975年(昭和50)です。
それと期を同じくして、浴室がユニットバスに変わっていきます。大阪万博のころにホテルブームがあって、ユニットバスが開発普及したという経緯があるからです。
そして、そのユニットに給湯をどうするか。それまでの住宅では、風呂には釜を直接つけて、湯は浴室で沸かし、台所は別に瞬間湯沸かし器、というように火元が二つあったのです。ユニットバスでは火を燃やせないことから、給湯のセントラル化が起こります。
ここで大きく水まわりが変化しました。また、コンクリートとかタイルとか湿式で行なっていたそれまでの浴室仕上げ工事では、排水管は下の階に通していました。
それがバスユニットになると、配水管は住戸の床スラブの上を通すこととなり、上下階で浴室位置をずらすことができるようになります。これで上下階の縛りが断ち切られて、自由度を獲得した。同じ間取りでなくてもよくなったわけです。
このことによって、団地型の標準設計で何十棟も同じ間取りというのではなく、それぞれの住宅で違いを出せるようになっていくんですね。
ちょうどこのころ、戦後の住宅難というのが一段落しましてね、公団住宅に空き部屋が目立つようになる時期と重なるんです。
そういう中で「売れるもの」「選ばれるもの」をつくらなくてはならない、という転換が起きました。ですからバスユニットの採用により、間取りの自由度が高まるということは商品性を高めることに貢献したわけです。
ここで、集合住宅の「水まわり」は第二段階に達したと、私は考えています。
こうした背景の中で、1978年(昭和53)に標準設計が廃止されます。もちろんバスユニットを組み込んだ標準設計は現れることがなかったのです。
ただ、標準設計をなくして、まったく0からすべてを設計するというのではありません。規範になるモデルを設定して参考にする、汎用設計というものが標準設計に替えて考えられました。
もうしばらくすると、住宅の工業化といいますか、住宅部品が非常に発達してきます。実は給湯システムやバスユニットの実現は、排気や排水方式の変化と同時に起きたことになります。つまり、バスユニットができてすぐ採用する、というのではなく、それを支えるシステムである給湯、給水、排水、換気といったすべてのものの辻褄がうまく合っていないと採用できないわけです。
そして、それらを修繕しながら使い続けていくためには、部品ごととか部品と駆体とのルールが必要になってくるのです。
それらの交換・耐久性の概念整理のための指針がKEP(ケップ:Kodan Experimental Planning)だとかCHS(シーエイチエス: Century Housing System)(注1)だとかKSI(ケーエスアイ: Kodan Skeleton Infill)。
KEPというのは、公団の実験的な設計システムという意味で、1973年(昭和48)に開発されました。
の3つを主な柱としたシステムです。特に3番は、駆体より耐用年数の短い部品や部材を駆体の中に埋め込んではいけない、といったルールを定めていきました。
それを国のレベルで1980年(昭和55)にスタンダード化したものがCHSです。戸建ても集合住宅もスクラップ&ビルドじゃなくて社会資産にしていきましょう、ということで100年長持ちする住宅を目指したシステムです。
これらの流れがずっと続いていまして、現在では実に進化したスケルトン・インフィル・システムへと引き継がれています。そのことはまた、SI棟でくわしくご説明します。
公団の場合、賃貸の資金償還を70年間に設定していますので、基本的に駆体は70年もつように設定されています。現在築50年ほどで建て替えられているのは、設備も古く、狭さや壁の薄さなどに課題が大きい昭和30年代に建てられたものです。
このように部品の更新性をさらに追求していく中で、鞘管(さやかん)ヘッダー方式であるとか、給排水ヘッダー方式のようなものが生まれてきました。見栄えだけではなくて、下支えするこういった設備システムが開発され、具体化されていきました。
バスユニットを導入したことで、室内給排水系統が変わり高度化、システム化したことが、水まわりに一大変革をもたらしたのです。これが第三段階です。
昔の浴室は、アスファルト防水して、モルタルを塗ってタイルを貼って、という湿式だったので、工期も手間も乾かす時間もかかったんです。バスユニットだったら持ってきてポンと置いて配管をつなげるだけで終了です。部品化、工業化の一番の典型だと思います。
そしてそれは、バスユニットからの一方的な作用ではなく、給排水システムを含めた水まわりの側にも変わらざるを得ない下地のようなものができ始めていたように思います。というのも、KEPが1973年(昭和48)からですから、ほとんど同時なんですね。むしろ理論が先行していたところに、バスユニットの開発導入が起きた、というのが正しい姿でしょう。
(注1)CHS
建設省(現・国土交通省)が「住機能高度化推進プロジェクト」の一環として開発。(財)ベターリビングが、戸建てとマンション、個別認定とシステム認定で、それぞれ認定している。
現在のSI住宅では、給排水管など設備の制約をほとんど感じないレベルまで設計システムが進化しました。
今ではこれらの設計システムにより、間取りは何でもできるようになっているんですよ。だから超高層の住戸にジャグジーをつけたり、自由な水まわり空間を設計することができます。家事労働の動線を考えれば、水まわりがどうしても1カ所にまとまっていくのは仕方がないことかもしれませんが、実際にはまったく自由に設計することが可能なのです。
例えば、一般にマンションの浴室というと住宅の中央部にあり、窓もないというイメージがありますが、いったん南向きのプランをつくってみると陽が当たって非常に気持ちが良いのです。たとえ隣の家との間が近くとも、体験してしまうとその良さは失い難いものになるでしょう。最近の設計では、可能な場所には、そういうものをできるだけつくっています。
KSI住宅実験棟や居住性能館は、そういうことを目的として行なわれた開発の概要を展示しています。
現在、UR都市機構が提供している物件はすべて賃貸ですので、今の需要に応えるのに加えて、将来的な需要にも注意しながら設計を考えなくてはならないのです。
実際20年ぐらいでライフスタイルも変われば、住まい方の流行も変わります。例えば、20年ぐらい前ですと90m2の住宅なら4LDKの間取りをつくってきました。今は細かく仕切らないで広いリビングや寝室をつくるほうが人気です。
UR都市機構の賃貸住宅の中では、空き家になった住宅の間取りをまったく別のものにつくり替えることもいくつか試みるようになってきました。このような改造のときにも、良い設計システムに従ってつくられたものは、自由なつくり替えが可能になるんです。
極端な話ですが、新しい設計システムに従っていれば、間取りのルールはまったく気にしなくていい時代になったんですよ。だからこそ、マーケッティングを大事にした「商品企画」が重要になるんですね。つまり水まわりとは、設計的には住棟全体の設計生産システムすべてと一体化したものになり、ユーザーにとっては商品性のキーワードになっているのではないでしょうか。
一方、今まで公団として大量につくってきた古いスペックの住宅をどうするか、今のスタンダードとの差をどう埋めていくかは大きな問題です。現在、「ルネッサンス計画」と名づけて、住宅ストックの住棟単位の改修技術開発に取り組んでいます。
住宅難の克服という最初の使命を果たした公団が、KEPを生み出し、スケルトン&インフィル開発へと変遷してきました。
民間の超高層マンションなどもだいぶスケルトン&インフィルを採用していますから、公団の変遷は、一般のハウスメーカーさんやマンションデベロッパーにも影響を与えていると思います。
UR都市機構は、こうした技術開発やデータの蓄積を、これからの住宅づくりに反映させていかなくてはならないと思っています。