機関誌『水の文化』34号
森林の流域

林政史が語る日本の森

林政史が語る日本の森

林政史が語る日本の森

日本の森林は、豊富にあるけれど使われずに荒廃していると思っていましたが、実はストックを上回る量の木材が使われていて、自給率を上げるにも限界があることが、永田信さんのお話からわかりました。 木材の安全保障という発想からも、森林資源を「つくる」ことと「使う」ことのバランスを取り、木材の出所に気を配り、使い方まで再考する時期にきているようです。

永田 信さん

東京大学大学院農学生命科学研究科教授
永田 信 (ながた しん)さん

1976年、東京大学大学院農学系研究科林学専門課程博士課程入学。アメリカ・Amherst大学、Yale大学大学院博士課程(経済学部)入学。北海道大学経済学部助教授、東京大学農学部助教授を経て、1996年より現職。
主な著書、論文に「世界と日本の森林・林業」(『現代森林政策学』日本林業調査会2008)、「新たな墓地形態としての樹木葬墓地の現状と今後の課題」(共著/『林業経済』林業経済研究所2008)、「社会的共通資本としての森林」(佐々木恵彦・木平勇吉・鈴木和夫編/『森林科学』文永堂2007)ほか。

昔々ある所に

私はいつも学生に、講義の最初のところで、桃太郎の話をします。

「昔々ある所に、おじいさんとおばあさんがありました。おじいさんは山にシバ刈りに」と、ここで話を終えるんです。

林学を学ぶ学生たちにまず話をしておかなくてはいけないのは、日本の森林というものは、誰が持っていて、誰が、どのように利用していたのか、ということです。日本の森林についてはもっと遡った話もできますが、おじいさんが山にシバ刈りに行っていたという話からは、江戸時代のころの典型的な利用の在り方が学べると考えられます。それで、桃太郎の話を引き合いに出すわけです。

まず「シバ刈りってなんだかわかるか」と、学生に聞く。やはり草冠のほうの「芝」しか出てきません。しかしおじいさんが山に取りに行ったのは下に木がついている「柴」のほうですね。小柴という言い方もあります。薪にするための小枝などの細い木のことです。

それから「おじいさんが行ったという山は、誰の山だったんだろうか」と聞くと、たいていの学生はポカンとします。

おじいさんが山持ちであって、自分の山から柴を刈ってくるということでしたら、桃太郎が頑張る必要はなくなってしまいます。それじゃあ、人様の山だったのかということになると、盗んできたことになってしまう。これもまた困った話になります。

それで、おじいさんだけではなく同じような立場の人がいっぱいいて、みんなで使っているような山だったのではないか。おそらく江戸時代には、このおじいさんのような人がたくさんいて使っていく「入会山(いりあいやま)」のような山だったのではないか、という話から入るんですね。

日本人はこのようにして森林を利用していましたが、明治維新になって、この利用方法が大きく変わりました。一番大きな変化は、地租改正です。

地租改正では地券というものを発行して、誰が土地を持っているのかを明らかにして、その所有者が税金を納めなければいけない、ということになりました。税金は、原則として貨幣で納めます。それまでの税金である年貢は、お米で納めていました。

秋田の杉であるとか、木曽の檜(ひのき)は藩や幕府が治めていたので、個人所有にはしないで明治政府が召し上げました。

問題は入会の山なんですが、地券を発行して税金を納めてもらうといってもたいした額にもなりません。当初はといって隣村がOKをすれば認めますよ、ということになったんですが、これだと入会山のまま民有地になってしまうので、その後といって明らかな書になっていないと認めない、ということに変わりました。このため、入会の山というのは多くが官有地になっていきました。しかし要存地、不要存地、つまりお金になる所とならない所を分けて、役に立たない所は払い下げるということをしました。

明治政府は地価というものを定めて、その3%を地租にしました。これを地価の考え方で計算すると、収穫高の6割ぐらいになって、非常に高率の税金で全国を統一したことになりました。

これは血税ということで、暴動が起きたりして、大変問題になりました。その後2.5%に引き下げて、収穫高の5割に落ちつきました。

森林の環境資源としての機能 経済資源としての機能

森林の環境資源としての機能 経済資源としての機能
林野庁HP および日本学術会議「地球環境・人 間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について(答申)」より編集部で作図

江戸時代は禿げ山だったか

江戸時代の森林については、いろいろな見方があります。

このあたりのことは、データがありませんので本当のところがどうであったかということは、よくわからない。当時の写真や絵を見ると、確かに森林が豊かであったようには思えません。広重の絵を見ても、山が緑に塗られていませんから、おそらく荒れていたんだと思います。

ただ私は、桃太郎のおじいさんたちのような人たちに管理をされていた森というのは、そんなにひどいことにはなっていなかったと思います。明らかに村が管理しながら使っていたときには、みんなで守ろうということになるんです。

豊かな山ではなくても、伐ったあとから芽生えたも利用していたんだろうと。のことを、我々の業界では萌芽更新(ぼうがこうしん)と呼びます。萌芽と書いて、なぜかと読みます。また、次の世代になることを更新と呼ぶのも、この業界特有のことですね。

おそらく、江戸時代全般を通して禿げ山が増えていったということはなくて、江戸時代後期に幕府の統治がうまく機能しなくなってから、また明治時期の混乱期に禿げ山が増えたということだったのではないかな、と思います。

世界を見回して豊かに森林がある所というのは、まずは既発展国です。発展途上国は、森林がぐんぐん減少しているという状況にあります。

しかし、その既発展国がずっと昔から引き続いて緑豊かだったか、というと必ずしもそうではない。例えば日本の場合を見ても、それは明らかですね。

ですから、森林というのはいったん貧しくなって再び豊かになるというパターンを持っているということが言えるでしょう。私は、それをU字型仮説と呼んでいます。

では、日本におけるU字型の底というのは、いつごろだったのか。地目上で森林という名前になっているものだけしかデータはありませんが、1910年(明治43)ごろが底になっていたらしいということが読み取れます。

しかし、北海道は少し事情が違います。北海道の国有林は、はじめ内務省が持っていたのです。

なぜ内務省が持っていたかというと、森林経営をしていく場所ではなく開発用地である、という考えからではないか。実際に北海道の森林は、その後ずっと開発が進んでいきます。

それで北海道を合わせて1910年(明治43)ごろ底がきているので、本州・四国・九州だけを見れば、もう少し前の時代に底がきているんじゃないかな、と考えられます。

治水三法と呼ばれる河川法が1896年(明治29)、砂防法と森林法が1897年(明治30)にできています。こうした法律ができたのは、おそらく1897年(明治30)ごろから山や川が荒れているという認識が生まれ、「対処しなくては」という気運が高まったからだと思うのです。

もちろん、戦争中の混乱期にも、禿げ山が増えています。ですから戦後の林業政策は、そうした木の生えていない所に植林していかなくてはならない、というところから始まっているわけなのです。

エネルギー革命と薪炭山(しんたんやま)

日本の森林の中では、おそらく、人が木を伐って、芽生えを育てながら使うというような薪炭山が非常に大きな部分を占めていたはずです。人の手が入っていない森林(原生林)というのは、日本にはほとんどない、と言って構わないでしょう。

というのは不思議な言葉で、本来は木がない所に木を植えるというのが本来の意味でしょう。しかし日本では林種転換で、薪炭山として使われていた天然林を人工林にするのもといわれました。

林種転換は、供給する山村側の問題と消費する都市側の問題という、二つのことが同時に起きたことで、飛躍的に進みました。

山村側の問題としては、山から人が減ることによって、薪や炭の価格が上がっていくこと。都市側の問題としては、ガスや電気の利便性が認知され、収入が増えて可能になれば、薪や炭ではなくガスや電気を使いたいと考えるようになったこと。

エネルギー革命によって薪や炭をつくるために使われていた薪炭山が、加速度的に意味を失っていきました。

拡大造林の時代

では、なぜ、こんなことになったのでしょうか。

戦争で焼け出されたり、外地から引き上げてきて住む家がない人たちのために、大量の住宅需要が引き起こされ木材不足に陥るという背景があって、木材が大変な投資目的になったのです。

このような状況に対処するために、三つの対策が進められました。

まずは国有林での伐採。もう一つは、港湾を整備して、外材を輸入しました。三つ目は、人工造林を進めて製材が取れるような木材生産を目指していくことです。

これに加えて、エネルギー革命が起こり、薪や炭が石油・石炭に急激に取って代わられていきます。

一方で国有林の伐採というのは、どうだったのでしょうか。それまでは、生長量に見合った分だけを伐りましょう、といっていたのです。ところが、これからは技術の発達があるので、それによってもっと大きな生長を確保することができるから、従来考えられていた生長量を上回って伐ってもいいんだ、という考え方が主張されるようになりました。それで、国有林の伐採がどんどん進められ、こうした無理をしたことが、今日の国有林の赤字の源になっています。

もう一つの外材導入ですが、港湾整備だけでなく、関税を下げて、外材を輸入しやすくする政策を進めたわけです。これが今日の国産材自給率の低下を招きました。2008年(平成20)あたりは24%で少し上がっていますが、一時期は18%まで下がってしまいました。戦後すぐの外貨の割り当てがなかったころは自給率がほぼ100%だったわけですから、大変な減少の仕方です。たしか、1969年(昭和44)にちょうど50%だったと記憶しています。

単に自給率を見るのではなく、今日の需要の中身を見ていきますと、紙と製材で80%を越していて、そのあとに合板が続く、というような内訳になっています。

実は、合板はもともとは南洋材のラワンが主流でしたから、合板の自給率は非常に低い。また紙は為替の影響をもろに受ける存在でもあり、紙の自給率も10%程度です。これらの自給率が低いことが、木材全体の自給率を下げる大きな要因になっています。製材だけについてみると、自給率は40%ぐらいです。

こういうことがみんな重なって、それまで天然林であった森林を杉や檜の人工林に変える政策が、大々的に行なわれていったのです。日本におけるとは、このような背景を持った出来事です。

これは当時の状況に即して考えると、政策的に必ずしも間違ったことだったとはいえないと思います。当時の政治的状況の中では、国有林にもっと伐れ、という圧力がかかっていたというのも事実です。日本的な拡大造林は、必要なことを行なった結果だと思うんですね。


  • 日本の木材需要量内訳

    日本の木材需要量内訳
    熱帯林行動ネットワーク(JATAN) HP をもとに編集部で作図

  • 日本の木材供給量と自給率(丸太換算)

    日本の木材供給量と自給率(丸太換算)
    「木材需給表」(林野庁)より編集部で作図

  • 日本の木材需要量内訳
  • 日本の木材供給量と自給率(丸太換算)

木材生産量の適正値

現在CO2固定のために間伐を頑張ってやられているようですが、出すほうは熱心なのですが需要の喚起が追いついていないように思います。

では、いったいどれぐらいが日本の木材生産量の適正値なのでしょうか。

新しく政権与党になった民主党では「木材自給率を50%にしよう」と言っています。そうするためには、おそらく5000万m3ぐらいの木材生産が必要だろうといわれているんですが、私はその数字は少し大きすぎると思います。

生長量を見ると年間8000万m3ぐらいなんです。これは立木としての量で、民主党が言っている5000万m3は丸太にしたときの量です。歩留まりを考えると、これはぎりぎりの数字です。ぎりぎりのところまで伐ってしまっていいのか、というのが私が危惧するところです。

拡大造林で人工林をつくっていたのは、1970年(昭和45)ぐらいまでです。この時代までは、「ここにはこれ以上人工造林をするべきではない」という場所にまで植林していきました。ですから、人工林の生産に向かない所も含まれています。ですから、ここでいう年間生長量8000万m3というのは一つの目安であって、あまりぎりぎりまで伐ってしまうと弊害が生じる恐れもあると思います。ですから生長量から見たら、50%達成ではなく40%なのか45%なのか、それぐらいが伐っても構わない木材生産量なのだと思います。

日本が擁する材積(ざいせき)

私が先程申し上げたU字型の回復というのは、縄文時代にはおそらく森林がたくさんあっただろうとして、そこから使い続けて明治のはじめごろに谷底まできた。それ以降、徐々にではあるが回復基調にある、という非常に長いスパンでの話です。回復しているとはいっても、人間の数が全然違いますから、縄文時代まで戻ることは不可能です。

日本におけるこの度の人口減少は、長い歴史における4回目の人口減少であるといわれていて、縄文時代にも人口減少が起きています。

大規模な人口減少は、森林の増加につながることがあります。例えば、ドイツではU字型ではなくW字型回復です。黒死病の影響で人口が減少したときに、森林増大に転じています。しかし、日本の人口増減は、その速度がゆっくりですので、再び人口増加に転じても、森林の減少に結びつくようなことにはならないでしょう。

韓国では木の本数ではなくてボリュームで見たほうがいいだろう、と考えています。ボリュームのことを、業界用語で材積(ざいせき)と呼んでいます。普通は体積とか容積といいますが、木材の体積ということで材積という言い方をします。

現在、日本にどれだけの量の木があるかということについては、森林簿をもとにするやり方とサンプリング法の2つの量り方があります。

人工林は面積と林齢がわかっています。だいたいにおいて補助金で植林していますから、報告のためにこうしたデータが森林簿という帳簿に残っているのです。本数も森林簿に残っています。林齢に沿った地域ごとの生長量がありますから、この林齢の樹木が何本あればこれぐらいの材積になっている、というように標準値をもとにして計算できるのです。木は生長しますから、帳簿上、木の材積は増えていきます。

また、日本の森林面積は約2500万haです。5%近くが無立木地(むりゅうぼくち)ですから、95%が森林になっているということです。

もう一つの量り方は、あまり公表されていませんが、サンプリングでやる方法です。世界的にはサンプリング法が主流となっています。例えばCO2の吸収源としての森林評価などは、サンプリング法から算出された数値がもとになっています。

日本では森林簿をもとにして計算しており、このやり方については国際的にも認められています。しかし、実際に調べてみると間伐が遅れている地域では生長が標準値に満たない場合があり、必ずしも実勢に見合っているとはいえません。

もう一つ問題なのは、生長曲線と呼ばれる標準値が、古いデータだということです。戦後まもなくは若木の段階、つまり木が大きくなる前に伐ってしまうのが普通だったんです。杉や檜の標準伐木齢が、35〜40年といわれていたころの話です。そういうときに高齢で残っている大木というのは、おそらくあまり生長が良くなくて、伐られなかったために残っているような木だったと思います。

それで生長曲線を描けば、若い林齢の木は旺盛に生長しますが、高齢の木はあまり生長しないというカーブが描かれてしまいます。ところが、同じ樹勢がある木だったら、高齢になってももっと生長したかもしれませんよね。

森林簿のデータとサンプリングのデータに食い違いが生じ、サンプリングのほうが高いというのは、このように昔の生長曲線を使い続けているところに原因があると考えられます。

間伐の必要性

多分、通常考えられている以上に材積は多いと思うんですよ。

間伐をすると木と木の間が空きます。つまり枝(樹冠)を伸ばす空間ができるわけです。樹冠に葉がついていて、葉が光合成をしますから、間伐をして樹冠が空くと、一時的に上長生長が抑制されます。やがて空いていた隙間にも枝が伸びていって、樹冠がふさがると、多分、樹冠が空く前と同じような生長率に戻るわけです。

ですから間伐が遅れている森林では、材積は多いけれど、ひょろひょろと細長い、あまり使いものにならない木がたくさんあるということになります。

間伐が必要だという理由は、こういうところにあります。

特に檜は、間伐をしないでおくと、森林をひどく荒廃させてしまいます。檜林には下草が生えない上に、檜の葉は分解しにくいので、それが土壌を一面覆うようなことになっていると、雨水が浸透しません。表土も流れてしまい、明らかに荒れた状態になります。

現在の日本の森林面積が約2500万ha、その内、人工林が1000万ha。間伐が遅れている森林というのは、その1000万haの3分の1程度だと思います。

自己間引きするような樹種でしたら、間伐せずに放っておいても、それほど問題にはなりません。ところが杉や檜というのは、ほとんど自己間引きしない樹種なんですね。しかも表土が流れますから、根が露出してきて、台風や大雨のときに倒壊するということも起きてくるのです。

国有林と民有林

国有林は東北、北海道に多く残っています。なぜなら、東北では明文保証が厳しく実践されたので、国有林になった率が非常に高い。おそらく明治政府に対する抵抗が大きかったために、政治的な理由から厳しくされたのだと思います。

一方、民有林として認められた入会の山がその後どうなったかというと、明治以降この行政単位は、おそらく江戸時代の村が五つか六つ分合わせられて行政村(ぎょうせいそん)を構成し、市政町村制が敷かれるようになりました。

それまで村の人たちは、入会山の口開けの日を決めたり背中に背負えるだけしか伐ってはいけないだとか、資源を保全するために内部的な規制をやっていたのです。

同時に、外部的な規制もしていました。隣村の人たちが盗伐をするのを防ぐために巡回をするだとか、入ってこられないようにしていたわけです。そういう状況の中で行政村にまとめられていったわけですから、なかなか大変なことだったと思います。自分の所は立派に守ってきたのに、隣の貧弱な山と一緒にされてたまるか、というような気分も生じたことでしょう。

それで何をやったかというと、割山(わりやま)ということをしたのです。割山というのは、共有だった山をそれぞれ個人の所有に分割することです。

供給サイドの整備として、具体的には林道整備があります。道をつくれば搬出費も安くなりますし、伐採の機械化も進みますから、林業経営にとってはいいことなのです。

しかし、割山に象徴されるように、日本の森林というのは非常に零細で錯綜していますので、難しいのが実情です。つまり林道をつくりたくても、いろいろな人の土地をまたいでつくらなくてはならないために、一人でも嫌だという人がいた場合にはつくることができないからです。

または、条件付き統一ということもなされました。これはその山で取れたものは、その地域だけで使ってもいいという条件をつけるから、名目上は統一させてほしい、というものです。

あとは財産区有林というものがあります。これは地方自治法が法人格を認めた特別地方公共団体が森林を所有するやり方です。運営についての取り決めは、市区町村の条例で、最高責任者は市区町村長が担います。

このように入会の山は、いろいろな形に変わっていった。ただ、入会の山がどれぐらいあったかというのは、難しいところなのです。

問題になるのは、縄延べと呼ばれる現象です。山では測量がいい加減にされることが多いのです。新たに分割された所は正確に測量されるために、残った土地の縄延べは、だんだん大きくなってしまいます。ですから実態を知るのは、なかなか難しいのです。

今、国有林の面積が760万haですけれども、1899年(明治32)下げ戻し法という法律ができました。正式名称は、国有林野下げ戻し法というんですが、国有林に囲い込まれたことに文句のある人は1年の間に申し出なさい、という法律です。

こういう法律ができたということは、それだけ召し上げに対する苦情が多かったということでしょう。そのとき出てきたのが200万haという面積なんですよ。ただ、実際に民間所有と認められたのは、その約2割の40万haだけだったのですが。

ですから入会の山がどれぐらいあったかというと、係争にかかる所だけでも200万haもあったということですから、もっとたくさんあったということになります。

地租改正ですべての土地に所有者が明確化して、税金がかかることになりましたから、入会の山は民有第二種に分類されました。ちなみに民有第一種が普通の地券になります。民有第二種は村持ちの山ですから、おそらく税金はかからないような形になっていたのだと思います。


  • 日本の木材需要量内訳 日本の供給先別木材需給状況

    日本の木材需要量内訳 日本の供給先別木材需給状況
    「森林・林業白書 平成20 年度版」(林野庁)より編集部で作図

  • 日本の森林を構成する主要樹種 国有林と民有林の割合

    日本の森林を構成する主要樹種
    ※無立木地,竹林は含まず 
    森林・林業学習館HP をもとに編集部で作図
    国有林と民有林の割合※その他は伐採跡地、未立木地、竹林
    「森林・林業白書 平成20年度版」(林野庁)より編集部で作図

  • 日本の木材需要量内訳 日本の供給先別木材需給状況
  • 日本の森林を構成する主要樹種 国有林と民有林の割合

森林認証の制度

また林野庁ではということをやっています。日本で使う木は、合法的に伐採されたことが証明された木だけを使いましょう、という取り決めです。ただ、すべてにおいて実現するのは不可能なので、グリーン購入法で、国が購入する木材、木製品、紙の購入に際しては合法的に伐採されたことが証明された木材を使うこと、と定められています。地方公共団体その他についても、努力目標にしてくれ、と言っています。

もう一つは森林認証制度です。国際的な認証制度であるFSCというのは、1993年(平成5)にカナダで創設されたNPOです。PEFCはもともと北欧などヨーロッパでつくられた認証制度で、FSCのやり方ではなく、それぞれの国のやり方を認め合う相互認証ということを始めました。

日本におけるFSC第一号は三重県の速水(はやみ)林業です。FSCというのは認証を取るのに非常にお金がかかるシステムでした。それで日本型の認証制度をつくろうということになって、SGEC(エスジェック)がつくられました。

FSCも他の認証制度ができて競争が激しくなったので、だいぶ安くなってきましたし、日本にも対応する良い制度になってきています。やはりこういうものも、ちゃんと競争がないとだめですね。

国産材を推進したいと思う人にとっては、相互認証をやろうとすると、日本の木も外国の木も同じということになってしまって、国産材推進にならないということで、SGECの中には否定的な人もいます。私個人としては、SGECも相互認証すべき、と思っています。

林野庁は国産材を使ってもらうような政策を立てていますが、一方経産省では外材をしっかり使ってもらったほうがいい、という方針でやってきましたから、縦割り行政の弊害というものはあります。

その点、地方公共団体はもう少し風通しが良くて、県産材使用への助成が出ています。

もっと小さな地域ビルダーも、頑張ってやっていますよ。三浦しをんさんも林業小説(『神去なあなあ日常』徳間書店2009)を書いてくれましたので、是非、こういうことをきっかけにして林業が元気になってほしいと思います。

  • 国際的な認証制度
    • FSC(Forest Stewardship Council:森林管理協議会)
    • PEFC(Programme for the Endorsement of Forest Certification Schemes:PEFC森林認証プログラム。前身は汎ヨーロッパ森林認証制度)
    • CSA(CanadianStandards Association:カナダ規格協会)
    • SFI(Sustainable Forestry Initiative:持続可能な林業イニシアティブ)
  • 日本の認証制度
    • SGEC(Sustainable Green Ecosystem Council:緑の循環認証会議)

需要を喚起する仕組み

うちの大学の学部長は農業経済学の専門家なんですが、食料の安全保障はいうのに木材の安全保障をいわないのはなぜなんだろう、と言っていました。

食料が外国から入ってこなくなったら大変だ、ということは、多分、みなさん気づいているのだと思います。ところが木材が入ってこないということになっても、すぐには困らないと思っているんではないでしょうか。家をこれから建てようと思っていた人は困るかもしれませんが、取り敢えず住む家はあるわけですから、それほど困ることはない。

そういうことだから、木材の安全保障という発想はないのかな、と思います。しかし、紙は必需品ですから、実際にはかなり困ることになるはずです。

ずっと政府の下支えでやっていくというのは好ましいことではありませんから、需要を喚起して市場経済のもとでやっていかれるような仕組みが必要です。

ひょろ長い木は、建材には無理でも紙パルプにはなります。しかし、伐採や運搬コストを考えると、安価な輸入材にかなわないので、間伐材をチップにして紙パルプに利用するという林野庁の政策も、なかなか進まないですね。

日本人の住宅への意識を改善するために、ちゃんと教育していくことも必要です。少なくとも住宅を買うときに、構造や使われている木の種類を知ってから買う、というのが当たり前になってほしいですね。

ご飯を食べるときには、どこのお米か気にして買っておられるはずなんですが、家や紙を買うときには気にしないというのはおかしなことだと思います。

家を売るときにも、システムキッチンがどこのメーカーのものかは書いてあるのに、どこの木を使っているかについては書いてありません。木造であれば基本として明記してあるようにしなくてはなりません。

今は古紙配合率100%の紙が、環境に一番優しい紙だと考えられていますが、私はとんでもない話だと思うんです。リサイクルしても必ず目減りしていきますから、新しい紙パルプを足さなければなりません。古紙100%の紙を同じだけの量で永久にはつくり続けられないのですから、足していく新しいパルプにどういうものを使うのかということを、ちゃんと考えなくてはいけません。

紙の生産も持続可能な循環の中に入れる必要があります。そういう意味で、グリーン購入法で紙に関しては古紙100%が一番いい、ということになっているのは、私としては納得がいきません。

今は国産材の価格が下がりすぎていて、輸入材より安くなっています。ですから価格からだけで見た競争力という点からは強いのです。

ただ、国産材はまとまって出てこないとか、欲しいときに手に入らないという観点から見るとまだ弱い。

本当の意味での市場競争力は、供給サイドの整備が進まないと生まれてこないのです。

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