機関誌『水の文化』34号
森林の流域

《森の国土環境保全論》

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川開発調査会筑後川水問題研究会に所属。
2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。

アル・ゴア米国元副大統領が、『不都合な真実』(ランダムハウス講談社 2007)を刊行して以来、一段と地球温暖化の問題がクローズアップされた。地球温暖化について、日本で最初に唱えたのは誰だろうか。それは農化学者・童話作家の宮沢賢治ではなかろうか。彼の童話『グスコーブドリの伝記』のなかに、次の一節を読んだからだ。

「先生、気層のなかに炭酸瓦斯が増えて来れば暖かくなるのですか」

「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、大抵空気中の炭酸瓦斯の量できまっていたと言われる位だからね」「カルボナード火山島が、いま爆発したらこの気候を変える位の炭酸瓦斯を噴くでしょうか」「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、瓦斯はすぐ大循環の上層の風にまじって地球全体を包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度位温かくするだろうと思う」

賢治は、東北地方における農作の冷害を防ぐために、このような発想をしている。大正時代である。また賢治は森が登場する童話も多く残している。森林は地球温暖化を防ぐ役割をも、持っている。

さて、古代から多くの日本人は自然の中に神が存在すると、信じている。八百万(やおよろず)の神の思想である。森の神も八百万の神の一つである。岡谷公二著『原始の神社をもとめて』(平凡社 2009)は、日本、琉球、済州島の清浄なる、聖なる森のなかの素朴な小さい堂を巡り歩き、そこに森の神が宿っているとみる。「暗い森の中に入っていく時、私は、戦慄やときめきに似た心の震えを感じる。迫ってくる木々の生気、音のしない葉むらのそよぎ、森の奥へと吹き通ってゆく風、木漏れ日の矢、鳥の声…私はすべてに神を感じる。森そのものが神なのだ」と。だから森は杜とも表現され、この小さな祠、堂が神社の原型と迫る。

即ち、沖縄の「御願所(うがんじょ)」、「御岳(うたき)」である。これらの古いお堂、神社などを囲む森を鎮守の森として大切に守ってきた歴史がある。宮脇昭著『鎮守の森』(新潮文庫 2007)によれば、鎮守の森、その土地にある本来の森は、火事、地震、台風等の災害に強いと指摘する。それはふるさとの木によるふるさとの森こそが長年の現地調査とあらゆる植物群落の比較研究から、最も強い生命力を持っているからだという。

1995年の阪神大震災のおり、神社の森では、鳥居も社殿も崩壊していたが、カシの木、椎の木、藪椿、モチノキも1本も倒れてない。また住宅地でもアラカシの並木があるところは、アパートが焼けずに残っていたという。78歳の今まで、精力的に国内外で3000万本のその土地固有の植樹活動を続けている植物学者であり、森林破壊や地球温暖化を防ぐ行動を行なっている。

只木良也著『森と人間の文化史』(日本放送出版協会 1988)、同『森の文化史』(講談社 2004)は、われわれの地球と森林、森林と水保全・土保全、緑の効用、休養の森と森の風景、森林は日本文化の石油であった、マツ林盛衰記、森林の遷移と人の営み、森のエコシステム、森の環境学、いつまでも森の恵みを得るために等の内容となっている。

  • 『鎮守の森』

    『鎮守の森』

  • 『森と人間の文化史』

    『森と人間の文化史』

  • 『鎮守の森』
  • 『森と人間の文化史』


日本の森林の現状について、具体的にこの2書から見てみた。我が国の国土面積は3778万haを有し、そのうち森林面積は66・6%を占める2512万haである。そのうち約1300万ha(約52%)が天然林、1000万ha(約40%)が人工林、残りが無立木地、竹林などである。国土1人当たりの森林面積は0.2haである。全国的に充分な降水量があるために木が育ちやすい風土を持っており、有数な森林国を誇っている。その森林の歴史を辿ってみたい。

戦時中、樹木は建築材や燃料材として根こそぎに利用された。昭和20年終戦、戦後の復興のために日本の森林はまた大量に伐採され、切りっぱなしの森林面積は全国で150万haに及んだ。禿げ山からは、洪水禍が相次ぎ、そのため昭和25年から全国植樹祭が始まり、全国の造林熱は高まった。

昭和31年には150万haの造林が完了。昭和30年代後半には経済成長期に突入し、木材需要が増え、奥地林の伐採がすすみ、木材価格は高騰した。

昭和38年の木材自由化以来、米材、ソ連材、ラワン材が国内に氾濫した。昭和40年代半ば、高度成長による環境汚染が問題化し、森林地帯も地形が変えられ、宅地、工場、ゴルフ場、観光遊園地などに変貌し、森林は荒れた。

世論は一変して緑志向となったが、若者流出で活力を失った過疎の山村、手入れが行き届かず荒れた人工林が残った。林業就業者は昭和35年44万人から平成17年5万人に減少し、この間に高齢化が進んだ。

ごく最近の森林の歴史を述べてきたが、旧石器時代から昭和までの森林史がある。日本林業調査会編・発行『総合年表 日本の森と木と人の歴史』(1999)である。

明治以降の林業制度を追ってみる。森林法公布(明治30)、国有林野法公布(明治32)、治水費資金特別会計法公布(明治44)、公有林野官行造林法公布(大正9)、営林局署官制公布(大正13)、水源涵養造林補助規制公布(昭和2)、森林火災国営保険法公布(昭和12)、林業種苗法公布(昭和14)、木材統制法公布(昭和16)、兵力伐採(昭和19)、森林資源造成法公布(昭和20)、林政統一・林野局設置(昭和22)、木材引取税の創設(昭和23)、松くい虫等その他の森林病害虫の駆除予防に関する法律公布(昭和25)、保安林整備臨時措置法公布(昭和29)、国有林生産力増強計画(昭和33)、林業基本法公布(昭和39)、自然休養林通達(昭和43)、自然保護を考慮した森林施業通達(昭和46)、国有林の赤字累増(昭和50)、森林組合法公布(昭和53)、森林浴構想を発表(昭和57)。森林は経済財であることに変わりはないが、現在では環境財としても捉えるようになった。

千葉徳爾著『はげ山の研究』(そしえて 1991)によれば、荒廃林地を山崩れ、地すべり地、禿げ山であって、国土保護の働きを失った林地として規定し、荒廃林地は人為によって生じたと論じる。瀬戸内海塩業の発達による林地荒廃、東濃陶業地帯の禿げ山の形成、田上山地の荒廃林地を追求している。森林はその時代の要請に基づき過度に伐採が進み、植栽を怠ると、禿げ山の状況となり、その回復には長年の労働力を要することになる。

  • 『総合年表 日本の森と木と人の歴史』

    『総合年表 日本の森と木と人の歴史』

  • 『はげ山の研究』

    『はげ山の研究』

  • 『総合年表 日本の森と木と人の歴史』
  • 『はげ山の研究』


現在、我が国における天然林と人工林の面積比率は、前述のように52%と40%である。戦後の拡大造林ブームにより植栽された杉、檜等の人工林の問題について、恩田裕一編『人工林荒廃と水・土砂流出の実態』(岩波書店 2008)の中で、15年にわたる調査研究の結果で論じる。その荒廃の要因は間伐の時期を迎えているにもかかわらず、間伐がなされていないこと、また、材価の下落により人工林が適切に管理されていないことを指摘する。この対策の一つとして、平成15年から緑の雇用担い手対策事業が行なわれている。

これは日本特有の森林政策ではないだろうか。学校林という制度である。竹本太郎著『学校林の研究』(農山漁村文化協会 2009)には、明治政府の国家政策の下で、複数の村落共同体をはらんでいた町村は、一つの共同体秩序へと再編成されるために、その中心として神社と学校林の設置がなされたという。学校林は学校のために利用される森林であり、学校の財産である。学制公布による学田、学校林の萌芽から、学校樹栽日による学校林設置、日露戦争による学校林設置、昭和に入って昭和恐慌期における愛林日の開始、国家総動員体制期における学校林造成、そして、国土復興に向けた緑化運動を論じ、具体的には、長野県上松町、佐賀県背振村、熊本県南小国町における学校林の展開を追っている。現在では、環境教育の場としての新しい学校林施策として、平地林、里山、雑木林などの学びの森、学習の森林づくりとなっている。即ち、植林運動を通じ、森林の保全、社会教育活動に重点を置かれてきた。

  • 『人工林荒廃と水・土砂流出の実態』

    『人工林荒廃と水・土砂流出の実態』

  • 『学校林の研究』

    『学校林の研究』

  • 『人工林荒廃と水・土砂流出の実態』
  • 『学校林の研究』


以上、日本の森林の歴史と現状に触れてきた。アメリカの学者は、我が国の人と森の文化ついてどうみていたのだろうか。そのことに関し、コンラッド・タットマン著『日本人はどのように森をつくってきたのか』(築地書館 1998)がある。採取林業の千年では、平安時代等の都形成による乱伐を挙げ、近世における育成林業の台頭では、徳川幕府の森林の政策等を述べながら、多くの国々では豊かな森林が荒廃地に及んだが、なぜ日本では森林が残ったのかと。そのことを日本人の自然を愛する性向が強いからだというが、近世の森林回復もこの自然愛によるものではないと、否定する。これは誤った考え方だと。そして次のように論じる。

  1. 生物的要因として、社会的変容を受けた森林は、杉や檜やヒバが伐採されたにしてもそれに代わる広葉樹の多い混交林になる。森林遷移の自然のプロセスが林地利用者で行なわれてきた。日本列島の地質と気候の条件が森林の保存を助けた。
  2. 技術的要因として、江戸期には荷車とか鋸には制約があり、森林地帯は主に渓谷地であり、多量の切り出しは困難であった。
  3. 思想的要因として、秋田藩の家老渋江政光の忠告が残っている。「この国の宝は山の宝である。山の衰えは国の衰えであるといって保全を図った」
  4. 制度的要因として、留山、割山、部分山、年季山を設け森林管理を行なった。
  5. 生態的要因として、日本人は、自分たちの力だけで生態系に強いダメージを与えなかった。すなわち、日本人はほかの植物相、動物相を犠牲にして自身の利益を高めると同時にこれらの利益も高めた。共働する動植物との共生関係が生まれた。

終わりに、都市近郊で森づくりが行なわれてきた書を挙げる。石城謙吉著『森林と人間』(岩波新書 2008)は、苫小牧の幌内川流域における森林づくり、泉桂子著『近代水源林の誕生とその軌跡』(東京大学出版会 2004)は、甲府市、横浜市、東京都の水道水源林を追い、藤澤和人著『森の道楽』(コモンズ 2009)は、サラリーマン生活をやめ、広島県内の山林を購入しての森づくりの体験である。

  • 『日本人はどのように森をつくってきたのか』

    『日本人はどのように森をつくってきたのか』

  • 『近代水源林の誕生とその軌跡』

    『近代水源林の誕生とその軌跡』

  • 『日本人はどのように森をつくってきたのか』
  • 『近代水源林の誕生とその軌跡』


地球温暖化に戻るが『不都合な真実』の中で、「沢山の木を植えましょう。1本の木は、その生育中に、1t以上の二酸化炭素を吸収することが出来ます」とある。森づくりは、地球温暖化を防ぐ森の国土環境保全論を確立する必要に迫られている時である。そのため、森林環境税の制度が、雇用と環境対策に有効に活用されることを期待する。

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