箱根 塔ノ沢温泉 元湯 環翠楼 フロントマネージャー
鈴木 純子(すずき じゅんこ)さん
塔ノ沢は、湯本・宮ノ下・堂ヶ島・ 芦之湯・底倉・木賀と並んで箱根七湯と呼ばれ、一般の方が来られる湯治場としては、箱根の中でも古い温泉です。1614年(慶長19)開湯といわれて、あと3年で400年目でございます。昔は掘削技術がありませんでしたから、お湯が湧いている場所があったら、その上に建物を建てて温泉宿にしたんですね。今は掘る技術があるので、言ってみればどこにでも温泉地がつくれるんです。それで、今は、大平台、小涌谷、強羅、宮城野、二ノ平、仙石原、姥子、湯ノ花沢、蛸川、芦ノ湖、早雲山、大涌谷、湖尻を加えて、箱根二十湯といわれています。
環翠楼は「元湯」。ですから初期に掘り当てられた温泉です。NHKの大河ドラマで「篤姫」が放映されたときに(2008年〈平成20〉)、皇女和宮様だけではなく、篤姫様も環翠楼に来られたことがわかって、NHKの問い合わせがあったんです。それで従業員一同、江戸東京博物館に行って勉強しました。お客様から質問されたときに、ちゃんと答えられないと困りますから。
明治の元勲伊藤博文や西園寺公望、井上馨など政界の大物や島崎藤村などの文人も多く訪れて、掛け軸や額などを書いてくださいました。勝海舟の書いたものも、たくさん残っています。
建物は1919年(大正8)につくられ、国の登録有形文化財に認定されています。見ていただくとわかると思いますが、ガラスもほとんどが当時のもので、今のガラスのように真っ平らにはできませんので、完全にクリアではなく外の景色が揺らいで見えます。このように大きなサイズのガラスで、きちんと枠に収まるものをつくれる人が、今の日本には一人もおりません。ドイツでならつくる人がいて、今でも手に入れることができます。こんなところに、意外とグローバルな面があるんですね。もちろん、非常に高価なものになってしまうので、古民家を壊す話を聞きつけるとガラスをいただきに行ったり。今年の5月も、滋賀県のほうにトラックで取りに参りました。旅館さんや料亭さんがみなさんガラス狙いで何軒も集まりました。苦労は、みなさん一緒なんですね。
この辺りは東京電力になる前は、塔ノ沢電力(注1)といって早川の水で水力発電をしていたんです。塔ノ峰という沢に環翠楼も発電所を持っていて、自家発電をしていたそうです。私は知らなかったんですが、私の父は小田原におりまして、当時はしょっちゅう停電が起きたそうですが、「子どものころ、環翠楼だけは、煌々(こうこう)と明かりがついていた」と言っておりました。湯本はまだ今のように開発されておらず、塔ノ沢から下はずっと田んぼだったために、見晴らしが良かったようです。小田原から箱根を見ると、環翠楼だけが明るく照明に照らし出されていたそうです。
今は東京電力さんに依託して、土地だけ、うちで持っています。
発電所のみならず、戦後、ここには何もなかったんです。それで電話局も薬屋さんも郵便局も、全部、環翠楼の中にありました。何もないので、当時は大きな建物があるとそこに全部依託して入ってしまったそうです。そう申し上げるとみなさん、「箱根ですら、そうだったんですか」とビックリされます。電話局の名残で、当時の電話機もたくさん残っております。
電気部だけで40人、従業員が全部で百何十人もいたそうで、野球チームも二つありました。きっと、人件費がすごく安かったんでしょうねえ。今の環翠楼の従業員が、全部で約40人ですから、ちょっと考えられないですね。通いも住み込みもいました。仲居さんたちも今でこそ給料制ですが、無給に近い状態で働いていたそうです。ですから、当時はお客様が心づけをくださったんでしょう。お茶の点て方から着物の着付け、礼儀作法まで学べますから、昔は花嫁修業がてら働いていたんです。
実は塔ノ沢には今でも水道がありません。定年後に塔ノ沢に移り住まれた方がいるんですが、みなさん温泉があるかどうかは気にされるんですが、まさか水道がないとは思っていないので、移住してから水で苦労されています。お気の毒とは思ったんですが、水利権が発生してしまうので、お水の問題は難しいみたいです。
環翠楼は水源をいっぱい持っていて、塔ノ沢全部をまかなえるぐらいの水量を持っています。うちだけに限らず、ほかの方も同様です。塔ノ沢は山々に挟まれた地形で、水が豊かな場所なんですね。ただ、下を掘ると温泉が出ちゃうんですよ。ですから、横に掘っていきます。横に掘っていくと隣の敷地に行ってしまうじゃないですか。ですから、たくさん敷地を持っていないと水が確保できないんです。
露天風呂に行く途中にも斜面に横穴が開いていて、よく、「防空壕ですか」とか言われるんですが、水源を探して掘った痕です。昔は適当に掘りましたが、今は調査するとどこに水源があるかわかりますから、無駄に掘ることはありません。百発百中です。
建物ができたあとから、ファンコイル(注2)の配管をしたわけですが、それを行なったのは現在の社長です。生まれたときからここに住んでいたのですが、社長になる以前にいろいろ手を入れました。「お水がこんなにあるのにもったいないね」と言われて。今でこそ、エアコンが当たり前になりましたが、冬は火鉢、夏は団扇(うちわ)をご案内していた時代の話です。ファンコイルは、当時、最新設備だったそうです。
現在、ファンコイルを使っているのは、2階の31号室と32号室だけになっております。以前、映画「ハチ公物語」で仲代達矢さんが撮影に使われた3階の続き間は、洗面とトイレを新設して2部屋に分け、埋め込み式のエアコンになりました。
3階の続き間は、31号室と32号室の続き間と同様に、経営側からすると非常に難しいお部屋でして、一番最初に予約が入るか、最後まで売れ残ってしまうか。欄間の部分が開いているので、今は風俗営業法で許可されませんが、以前は襖を閉じただけで違うお客様をお通しした時代もあります。
昔は壁よりも襖や屏風を重んじた文化があったんですね。日本のマナーといいますか、暗黙のルールがあって、襖や屏風のそばには行ってはいけないというたしなみがあったようです。
水回りは、その当時の最新の機器が入ります。今、60代、70代のお客様の一番の関心事は温水洗浄便座。特に男性のお客様は、必ず気にされますね。階段よりも、トイレが温水洗浄便座かどうかが気がかりのようです。3階の続き間は改装で手が入ってしまいましたが、31号室、32号室は昔のままに残しておこうとしています。
ファンコイルの中の水を電気で冷やしたり、水そのものを流したり、という切り替えはボイラー室でしています。あまり外気温が上がると単に水を通しただけではクーラー機能が足りないので、電気を使うことになります。
この山の上に水源がたくさんあって、パイプで持ってきて貯水槽に溜めています。大雨や台風などでパイプが詰まったり外れたりすると、直しに行くんですが、命綱がないと行かれない場所もあります。「帰ってこなかったら探しにきてください」と言いおいて、ザックを背負って決死の覚悟で登ります。命綱をつけて行くような所ですから、工具を持って行かれないんです。そのため、工具を運ぶのに専用のトロッコまであるんですよ。
今は31号室と32号室のためだけにこの仕組みを残していますが、エアコンが見えるだけでお客様からクレームがくることがあるぐらいですから、ファンコイルの設備が室内にドンと鎮座しているというのがなかなか難しいんです。ですから、あそこの部屋も近々埋め込み式のエアコンに替えてしまうかもしれません。しかし建物の中に従業員の休憩室とか、プライベートな部分があって、そこではまだまだ使っていく予定です。
ただ、今後は「エコな部屋」と打ち出すと、お客様のご理解がいただけるようになるかもしれません。3・11以降、本当に変わりましたよ。私どもも、「あれ、お客様はいらっしゃらないのかな」と思うほど、お客様自身で照明も消されていて。ものすごくこまめに照明やエアコンを消されています。
温泉にいらしたときぐらい、贅沢にかけ流しのお湯を楽しんで、ノンビリしていただきたいですね。
(注1)塔ノ沢発電所
県内最古の発電所で、「箱根水力電気」が1907年(明治40)に完成させた。「横浜共同電燈会社」と合併後、「横浜電気会社」の所属となり、京浜地区に電力を供給していた。現在は東京電力が無人で運転しており、早川から取水した水を214mの落差に流し、発電量は3800kW。
(注2)ファンコイルユニット(Fan Coil Unit)
熱交換器(コイル)、ファンモータユニット、エアフィルタで構成される簡易な空気調和機。室内から空気を取り、エアフィルタで塵埃を取り除き、水熱源の熱交換器で温度・湿度を調整し、送風機で送風する。
(取材:2011年9月22日)