国土地理院基盤地図情報(縮尺レベル25000)「高知、愛媛」及び、国土交通省国土数値情報「河川データ(平成18年)」より編集部で作図
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の基盤地図情報を使用した。(承認番号 平23情使、第357号)
2基の風車の売電収入が、環境基金につながった梼原町。そのほかにも県や国の補助金をうまく組み合わせ、温水器やペアガラスをはじめ、エネルギー問題や地球温暖化にかかわるすべてのことに対して、補助金、支援金を出してきました。大きなものをドンとやる力は、都市に負けるけれど、小さい町だからこそ、コンパクトな組み合わせができる、と矢野町長。小水力発電も、地域密着型の醍醐味の一つです。
高知県高岡郡梼原町長
矢野 富夫(やの とみお)さん
1973年高知市立商業高等学校卒業後、梼原町役場に勤務。産業建設課長、総務課長を経て2001年退職し、梼原町助役就任(2007年自治法改正により副町長)。2009年第4代の梼原町長就任。高知県水源林造林協議会会長、全国森林環境税創設促進連盟理事。
梼原(ゆすはら)って、字を読めましたか?梼というのは、イスの木とも呼ばれる樹木の名前で、そろばんの珠に使われています。大変成長が遅いために、堅くて目が詰まって、重みがあります。宮崎地域が主産地なんですが、地域にこの木が多いことから名づけられたのでしょう。今は減ってしまって、植樹をするようにしています。
梼の字は、木偏に寿と書くのです。ですから私は「木とともに幸せになる町だ」と言っております。梼原町は91%が森林ですから、そう言い聞かせて頑張っているわけです。
梼原では、1929年(昭和4)に村が電気利用組合という組織をつくって発電していました。小水力発電の出発点は、そこから始まっています。その後、国の法律が変わって、発電所は1936年(昭和11)に県に移管、1942年(昭和17)に電気事業者に移管しました。
森林セラピーもやっていて、基地とロード(注1)を三つ整備しました。人混みに疲れている都市住民のみなさんにリフレッシュしていただく。元気になって、再生して帰っていただく。光・風・水・土・森林(もり)と森林セラピーを含めて、梼原町全体がクリニックだと思っているんですよ。その機能を創生しようとしています。森林セラピーの効果も科学的に立証されつつあり、その認定をいただいています。
(注1)森林セラピー基地とセラピーロード
特定非営利活動法人 森林セラピーソサエティによって認定され、2011年(平成23)現在、全国に44カ所誕生している。
うちの森林組合は、本部がドイツに置かれているFSC森林認証を、団体では全国に先駆けて(2000年〈平成12〉10月)取得しています。約4000人の町民のうち、1300人が森林組合の組合員、約60人が直接雇用されています。
梼原は山深い土地ですから、伐採のためにワイヤーを張ったりするのはコストがかかりすぎるため、林道、作業道を含め、路網整備が不可欠であると考えています。これにずっと取り組んできて、現在54m/haの整備が済んでいます。全国の路網密度の平均は、おそらく20m/ha程度だと思います。
これは将来にわたって、森林を守り育てていくんだ、という意志の表われでもあります。このように路網をつけることは、森林資源の循環にとって不可欠なんです。
国の政策も、だんだん変わってきています。昔は林道も曲がり角の角度とか勾配も決められていて、それを守らないと補助金が下りないようなこともありましたが、今は状況に応じた対応が認められるようになりました。一人ひとり人間が違っているように、木も生きていますから1本1本違う。山も同様です。
そうした個性に応じた路網をつけていくには、山や木の状態を見極める力も求められていると思います。できる限り山を傷めないで手入れしていく方法を選択するためには、状況を一番把握している地域に任せてくれたらいいんです。そういう方向に変わりつつあるのは、良いことだと思います。
1999年(平成11)3月に梼原町エネルギービジョンを策定しました。
光・風・水・土・森林(もり)という地域資源を生かしていこう、という方向性が決定しました。光・風・水・土・森林というのは、いうなれば、地域資源です。その地域資源を生かし、そして「共生と循環」のまちづくりを目指そうと決めたんです。
これに先立って、1994年(平成6)し尿に籾殻を混ぜて堆肥をつくる〈土づくりセンター〉を立ち上げました。1998年(平成10)には、地熱利用を始めました。町営の〈雲の上のプール〉の熱源の70%を地熱でまかなっています。地中熱も水力同様、昼夜を問わず一年を通じて安定的に利用できます。ですから、もっと利用していく方法があるんじゃないかと思っています。
1999年(平成11)4月には、カルスト台地(標高1485m)の標高、約1300m地点に風車を2基設置して、その売電収入が年間約3500万円生まれました。そのお金を循環の発想に則って、「自然から得たものだから自然に帰そう」ということで取り組みを始めました。
その一つが、太陽光発電です。これで得られた収入は、住民のみなさんに1kWあたり20万円還元する、と決めています。だいたい普通の住宅ですと4kW発電できます。ですから1軒あたり80万円の補助金を出しています。この金額は、多分、全国トップクラスではないでしょうか。
それで梼原町に1780戸ほどある住宅の内106戸の住宅(設置率約6%)に太陽光パネルが設置されています。これも全国でトップクラスだと思います。
次に取り組んだのが、森林です。森林にはきれいな水を生み出す力とCO2の吸収源という働きがあります。それで間伐をする際に1ha当たり10万円の助成をしました。この10年間で、補助事業以外に6億円ほど投入してきました。四万十川の流れは196kmありますが、源流の町として森林を整備することできれいな水をつくり、四万十川を通して太平洋に流入しています。ある方が言われました、まさに「森は海の恋人」を体現しているわけです。
国も今年から切り捨て間伐ではなく搬出し自給率を高めていこう、5haの団地化をし、その中で1haあたり10m3は搬出しなさい、という指導を始めています。
梼原は以前から間伐材を搬出しペレットとして活用してきました。循環ですから。柱や板にした木の端材もペレットにして使います。
木質ペレットをバイオマス燃料として利用する仕組みづくりにも、投資してきました。矢崎総業という会社をご存知でしょうか。そこが30%、梼原町が51%、森林組合が10%、あとは製材業者から出資していただいて、ペレット工場をつくりました。今、操業3年目になっています。最大1800t/年の生産量が目標ですから、小さい工場なんですが、仕組みが既にできているんです。
住民のみなさんにはストーブの形でペレットを活用していただいています。公共事業所の冷暖房機器も矢崎総業が開発したペレット利用のものを使っています。矢崎総業の系列会社の四国部品という自動車の枠組み電線をつくる会社を、梼原町で1991年(平成3)工場誘致したという関係があります。そのつながりを縁にして、いろいろな協力関係に至りました。
このペレットは農業用ハウスの加温にも使えるようになっています。高知県の森林率は84%で、全国でもトップクラスです。そのことを考えても、伐採した間伐材の搬出の仕組みを考えていけば、エネルギー問題に貢献できる余地は大いにあると思います。
町立の中学校のそばに、落差が7mほどの水路があるんですが、そこを6.07mに修正して54kWの出力の小水力発電をつくりました。昼間は子どもたちのために使い、夜は町中の街路灯に使っています。
今後、小水力発電を設置しようとしたら、私は水利権が一番の課題と思います。
これからは農業用ハウスなど、電気をたくさん使っている農家にも供給したいので、小水力発電の設置も進めていきたい、と思っています。
こうして光・風・水・土・森林の地域資源を活かして、現在、梼原町のエネルギー自給率が約28・5%なんですよ。わたしはこれを2050年(平成62)までに100%にしたい、と今、プロジェクトを組んで検討しております。つまり、梼原は2050年には電気代のいらない町を目指しているんです。その目標に向けて、風車の部門で新たなプロジェクトを起こしています。
町の総合庁舎は5年前、2006年(平成18)にできました。すべて地元の木材でできていて、ブラインドも杉です。屋根には80kWの太陽光パネルを載せています。夏は、電力利用が減る夜間に氷をつくり、それに風を送って冷風を地下に送り、床から出しているんですよ。風を循環させる仕組みなんです。冬は夜間、上でお湯を沸かしておいて暖房に利用しています。
こうした政策のすべての始まりは、1999年(平成11)に補助金を使って設置した、2基の風車の売電収入にあります。それが環境基金になったわけです。また、ここは過疎地域ですから過疎債(注2)も利用しています。
実は梼原町は1963年(昭和38)に大きな災害と積雪被害があったんですよ。梼原北部の地区では累積の積雪が、なんと11mに達したのです。それらからの復旧を契機にして、そこから社会資本整備に努めてきたんです。そのほかにも県や国の補助金をうまく組み合わせてきました。これ以外にも温水器やペアガラスに補助金を出したり、エネルギー問題や地球温暖化にかかわるすべてのことに対して、支援金を出してきました。
農業、林業、畜産と公共事業との複合経営もやってきました。今でも風車のあるカルスト台地に、夏山冬里方式で放牧をしています。夏に草を食べることで刈り取りをしなくて済みますから、これも循環なんですよ。冬は山に入って林業に従事しています。
(注2)過疎対策事業債
過疎地域自立促進特別措置法に基づき、公共施設や情報通信基盤などを整備する事業を対象とした債券。償還期間は据置期間を含み12年以内。2010年度(平成22)からは、ソフト事業にも充当できるようになり、義務教育学校の統廃合要件も撤廃され、太陽光、バイオマスを熱源とする自然エネルギー利用施設にも充当できるようになった。
私が梼原に生まれてずっと思ってきたのは、モノをつくるということはお金さえあればできますが、運営していくのは、結局、人だということです。特別会計を合わせても、年間100億円ぐらいの財政規模の小さな町である梼原が生きていくためには、お金だけではダメなんです。
では、どこに力を入れたらいいか。人ですよね。人こそが社会資本ですから、人と人が絆をどうやって強めていくか。そこには対話力とか学習意欲が求められます。いつも職員に言っているのは「自分の知識は小さいものだ。それを分厚くするためには学習をしようよ」と。
今までは、ビジョンをつくるといっても、「これをやります」という内容だったのですが、私が昨年つくったのは「考え方の方向性を示す」だけ。時代の流れで社会は動いていますから、社会が変化しても柔軟に目標に向かっていかれるようなビジョンをつくることが必要なんではないか、と思ったからです。
昨年は、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」を活かさせていただき、高知県の三つのサテライト会場の内の一つとなった「梼原社中」に、大勢の観光客が訪れました。9万9099人来たんです。10万人と言ってもいい数字ですが、10万人に届かなかった分を、次へのチャレンジにすることが大切です。
龍馬以外にも〈再生可能なエネルギーの里〉ということで注目されているんです。職員たちも視察ラッシュに駆り出されていますが、住民サービスもしなくてはなりませんからできるだけ時間を決めて対応しています。
ここに企業を誘致するのはとても難しい。でも交通の便が良くなったことで、子どもを育てやすい環境の梼原に住んでもらって、町外で働くことが可能になります。
今年の4月から、学校も小中一貫校にしました。子どもの成長に合わせた4・3・2制です。私は、今の時代の教育はこれしかない、と思ったんです。地域ぐるみで子どもを育てていくということを実現するには、このスタイルが最適だと考えました。
3・11の大震災と福島の原発事故をきっかけに、私は日本人の生き方が大きく変わると思っています。そう考えると、梼原町を魅力的だと思って移住してくれる人が増えるんじゃないかと思うんですね。今も、何名か引き合いがあるんですよ。梼原はエネルギーも食料も自給率が高いですから。
トンネルや道路の整備で、愛媛県の松山まで1時間で行かれるようになりました。逆に高知までは1時間半かかる。ですから、今後は愛媛圏にも流通が広がる可能性があって、久万(くま)高原町との連携も視野に入れているところです。京都の左大臣の子ども、藤原経高という人が伊予(愛媛県)を経て入ってきたのが梼原の始まりといわれています。913年(延喜13)のことです。ですから愛媛県との交流は昔からあったんです。
また住の分野では、〈ライフサイクルカーボンマイナス住宅〉と名づけて、実験を行なっています。つまり木を伐ってから家を壊すまでCO2がゼロになるような家づくりをしていこう、としています。それで家を建てるときに環境に配慮した梼原の材木を使ったら、200万円の助成をしています。加えて40歳未満の場合は、100万円の上乗せをしています。
木造住宅で1坪に1m3の木材が必要と考えて、30坪の家でだいたい30m3になります。それに単価を掛けると約200万円。ですから、木材価格分がタダになるという計算です。それに加えてペアガラスもペレットストーブも太陽光パネルも補助が出るんです。
梼原のまちの駅〈マルシェゆすはら〉には電気充電スタンドも設置しております。自治体で最初に入れたのは、四国では梼原がトップと思っています。普通の家で充電するには14時間かかりますが、役場の充電所では8時間、〈マルシェゆすはら〉では30分で完了する急速充電設備です。
太陽光発電もうまく蓄電すれば、災害に強くなります。山間部では倒木や積雪で電線が切れることもありますから。これからはそうした場合に備えて、各家庭に充電器を安く提供すれば、電気自動車も充電できるし、いざというときはその電池を車から外して利用できますね。
一方で、ゴミ収集車は天ぷら廃油で動かしています。これをうまく利用したら、木材運搬にも貢献できます。木材をトラックで輸送すると、CO2のことを言われますが、天ぷら廃油だったらゼロで済む。都市に木材を運んで、帰りは都市の天ぷら廃油をもらってきたらいい。
梼原では、このようなコンパクトシティ構築を視野に入れているんです。大きなものを一つドンとやる力は、都市に負けます。しかし、小さい町ほど、こうしたコンパクトな組み合わせができるんですよ。まさに、これこそが地域密着型の醍醐味だと思います。
(取材:2011年8月1日)