新しい活動が、伝統になろうとしています。筑豊の代表的な汚れ川だった遠賀川で、元気な川の博物館が活動中です。空っぽの箱と、熱い地元住民の想いからスタートした〈遠賀川水辺館〉から育ってきた青少年博物学会、通称YNHCについて取材しました。
編集部
青少年博物学会(YNHC:Youth Natural History Club 以下、YNHCと表記)のことを知ったのは、当センターのアドバイザー 島谷幸宏さんからだった。
「川の博物館で子どもたちがグループをつくって活動している。どんどん人が育っている」と聞き、それはすごいことだ、と話をうかがうことにした。別件でつながりができた筑波大学大学院の坂本貴啓さんに話したところ、「YNHCをつくったのは僕たちです」とのこと。偶然に驚きつつ、お話を聞くことにした。
創設期のコアメンバーは、坂本貴啓さん(発起人・初代代表)、中尾浩子さん(発起人・初代、2代目副代表)、岩見崇弘さん(2代目代表)、黒山喬允さん(2代目副代表)の4人。この日は、坂本さんと中尾さんと岩見さんが集まってくれた。坂本さんだけ1歳上で、ギリギリ昭和生まれ。中尾さんと岩見さんと黒山さんは同じ年、平成元年生まれの若者だ。
そもそもの始まりは、遠賀(おんが)川と彦山(ひこさん)川の合流点に、〈遠賀川水辺館〉ができたことにあった。
2004年(平成16)10月23日、〈遠賀川水辺館〉(以下、水辺館と表記)は福岡県直方(のおがた)市遠賀川地域防災施設としてオープン。遠賀川の洪水被害の歴史を伝え、災害(洪水)から身を守る治水の大切さや、豊かな河川環境の保全、河川愛護活動の啓発を目的としている。平常時は、防災や河川環境などの学習会やイベント、資料展示を行ない、地域住民が川について楽しみながら学べる施設だ。
災害時には、直方市の避難所や地域防災情報の拠点として使用されるため、川の水位情報や川の映像などもモニターで見ることができるようになっている。
8年も継続し、今では多くの〈卒業生〉を輩出したYNHCだが、始まりは中尾さんとの二人でスタートした、と坂本さん。
「僕は『川の博物館ができるらしい』という噂を聞いて、10月23日のオープン前に調べてみたんです。最初は県の土木事務所に聞きに行ったら、市役所へ行くように言われて。市役所に『対岸の国土交通省の河川事務所に聞いてみてください』と言われて、行き着いた先が中州にある水辺館だった。水辺館の人たちからは、『ここをホームグラウンドにして自由に使っていいよ』と言っていただきました。
中学のときから科学部に所属していて、水生生物が大好きだったから、水辺館はものすごく居心地の良い場所でした。
中尾さんとは、学校が違ったんです。同じ学校だったら同じ部活に入ったんでしょうけれど、違う学校だから水辺館で活動することになりました。水辺館の人に『君と同じような変わった子がいるから』と、オープン翌月の11月に引き合わされました」
最初にタッグを組んだ中尾さんはホタル少女だった。
「遠賀川水系の小さな川で、弁城(べんじょう)川という本当にきれいな川が家の近くに流れていました。今は田川郡福智町になりましたが、以前は方城町(ほうじょうまち)の弁城という所です。そこにゲンジボタルがいて、小学校のときに興味を持ったのが川にかかわるようになったきっかけ。
小さいころからホタルが好き。護岸工事などで減っていくのが気になって、北九州にホタルの飼育にくわしい方がいると知り、教えてもらいながら母とホタルの飼育を始めました。〈九州「川」の日ワークショップ〉などの河川イベントに出るようになりました。
当時は子どもの発表が珍しかったので、新聞にも載りました。初対面のときに坂本君には『中尾さん、君の載った新聞記事を読んだことがあるよ』と言われました」
学校では少し浮いた存在だった、と言う坂本さん。水辺館に来るとありのままの自分をさらけ出しても構わないし、同じ志を持った仲間にも出会えて感動したという。
コアメンバーの一人である岩見さんは、
「僕がYNHCを知ったのは4月。北九州に〈いのちのたび(注)〉という博物館があるんですが、そこの研究発表会でYNHCを知りました。
石が好きで、高校生のときに〈自然史友の会の地質鉱物研究会〉に入っていました。それで〈いのちのたび博物館〉の機関誌を見て発表会があることを知ったんです。そのころは北九州に住んでいて、家も近かったので行ったところ、坂本さんが来ていました。懇親会で『こういうことをやっているから一緒にやらない?』って誘われて。中学までは直方の隣町に住んでいたので、あまり距離は感じなかったんで、水辺館にはしょっちゅう行きました」
もう一人のコアメンバーは、岩見さんの中学校のときの友だちだった黒山さんで、残念ながらこの日は欠席。
「黒山君は高専に行っていた。機械系というのかな。
それぞれの学校から、変わり者が集まったという感じ。石が好きな人、山が好きな人、虫が好きな人とか、いろいろ。全員興味の対象が違うんですが、川というところで共通している。川にかかわるいろいろな学問、ということで博物学。そこに青少年をくっつけたのが、会の名前の由来です。
最初から名前をつけて会にしたのは、グループをつくっていると、みんなが入りやすいかなあ、と思ったから」
水辺館の大人たちのホスピタリティとありのままの姿でいられる居心地の良さに、仲間はどんどん増えていった。
最初は何も期待されていなかったし、水辺館も空っぽな建物で、設備も整っていなかったから、自由に活動できた、と坂本さん。
「みんなでそれぞれがやりたいことをどんどん始めて。最初にやったのが冬の星座講座。自分たちで、牛乳パックを使って望遠鏡をつくったんです。小学生と一緒に星空を見て。準備からすべてをやって、材料をどうするかとか、初めての経験だったので大変だけれど楽しかった」
「気づいたら人生の3分の2は川とのつき合い。坂本君とは人生の3分の1だよね」
という中尾さん。それに対して、坂本さんは、
「昔の中尾さんは、本当に堅物な感じで。今から想像もつかないよね。何かするといったときに、いっつも僕は怒られていた」と言う。
「いや、違うんです。坂本君の行動力はすごいんですが、後先考えないで、やりたいと思ったら、すぐに実行に移す。最初の星座観察も言い出したのはいいんですけれど、道具は?スケジュールは?って聞いたら、何にも考えていなくて。すごい口論になっちゃった。あれからすると、だいぶ成長した。
でも、その行動力と求心力がなかったら、ここまでこなかったと思います。ちょっと興味がありそうな子がいると、名前や学年を聞き出して、同じ学校だったら『ちょっと行ってくる』と言って、昼休みにスカウトしに行っていた。それだけ熱心だったから、人も集まったんだと思います。『新しいメンバーだよ』と、放課後にいきなり連れて来ちゃったりする。それが可愛い女の子だったりするから、ビックリですよね」
実は、代表になるのは少しズボラな性格の人物とか。放っておけない、と周囲に思わせておいて、会の結束力を高める作戦だそうだ。
坂本さんが一番感謝しているのは、水辺館の大人たち。
「ゼネラルマネージャーの野見山ミチ子さんは、遠賀川のお母さん。『どこに行ってもいいから、いつか大きくなって戻っておいで』と。つまり、僕たちは鮭の子どもで、大海原を回遊して武者修行して産まれた川に戻ってくる。
みんな違う学校だったから、会にする必要があったのかも。だから水辺館がなかったら、活動はできなかったと思う」
(注)北九州市立自然史・歴史博物館
通称〈いのちのたび博物館〉。北九州市立の三つの博物館(自然史、歴史、考古)が一体となって、2002年11月にできた博物館。
野見山ミチ子さんに開館当時のお話をうかがった。
「1996年(平成8)〈直方川づくり交流会〉が発足しました。遠賀川は筑豊を代表する川。筑豊地帯である飯塚市、田川市、直方市、山田市(現在は嘉麻市)が産炭地として発展していた時代は、石炭を洗っていたため、川全体が真っ黒に染まり、お汁粉のように真っ黒だ、という意味で善哉(ぜんざい)川と渾名されていたときもあります。九州では唯一、鮭が遡上する川でもあったのですが、鮭も上らなくなりました。
〈直方川づくり交流会〉は、そんな川の状況を変えていこう、次世代に誇れる遠賀川をつくろう、と地域の変わり者が立ち上がってつくった会です。
川づくりへの夢を大切にしながら、住民と行政が同じテーブルについて論じ合い、より良い川づくりを目指して、熱い想いを胸にさまざまな活動を行なっています。ああでもない、こうでもないと現地見学、勉強会をしているうちに、とうとう環境保全の先進地スイスまで行きました。多くの経験の中から『川づくりは人づくり、まちづくり』であることを学びました」
水辺館や周辺の傾斜護岸の水辺空間は、土木学会デザイン賞2009年(平成21)最優秀賞を受賞している。野見山さんは、
「建物はコンペティションで決まったので、100%私たちの希望通りとはなりませんでしたが、坂本君たちYNHCは、この箱を血の通った〈場〉にすることに貢献してくれました。
1998年(平成10)3月には〈遠賀川夢プラン〉を作成し、都合3度、行政へ提案してきました。〈遠賀川夢プラン〉は50年後の夢を描いたものでしたが、今は、その夢が一つひとつ私たちの目の前で現実のものとなる喜びを感じています」
野見山さんの想いを反映するように、YNHC(中高校生)から始まった子どもたちの活動は、めだかの学校(小学生)、JOC:Joint of College(大学生)と広がり、〈遠賀川ユースリーダー〉という遠賀川在住・出身者のための大学生グループもある。
「めだかの学校の子どもたちも、先輩たちの姿を見てカッコいいと思っているようです。いずれは自分たちもサポートする側に立ちたいと思って、自然に育っていくんでしょうね」
水辺館にうかがった日は、ちょうどめだかの学校が市有林の手入れをする日。下草刈りや枝払いをして森林の手入れをするほか、ボランティア組織〈おやじの会〉のサポートで伐期になった杉や檜を伐採。森に光が入るようにして、クヌギを植林しているそうだ。市有林には開拓団が植えた栗の木も多く、秋には栗ご飯を炊いて収穫祭を行なっている。近年、繁茂し過ぎて森を荒らしている竹も適宜伐採して、コップをつくり有効利用しているという。
こういう力仕事を引き受けてくれるのが、〈おやじの会〉の清野重秋さんだ。
もっと多くの人に活動を知ってほしい、という想いでYNHCが最初に出かけたのが「全国川の日ワークショップ」。開催地となった愛知県の矢作(やはぎ)川に4人が参加した。全国から集まった大人に交じって、遠賀川での活動をアピールし、名刺を配って交流した。高校生がこれだけの活動をしていることもさることながら、自ら集まりに参加して発信していることに、多くの大人たちは驚かされた。しかも、違う学校の子どもたちが水辺館という拠点で横のつながりをつくっていったということが評価されて、全国入賞を果たしている。
その後、YNHCは世界にも羽ばたいていく。坂本さんと中尾さんが2006年(平成18)メキシコで開催された〈第4回世界水フォーラム〉のセッション〈第2回世界子ども水フォーラム〉に参加。これにはまず、〈世界子ども水フォーラム・フォローアップ in 東京〉に参加して、派遣候補者の選抜に残らなければならない。17名の派遣候補者が選ばれたのち、勉強会を経て、最終的にメキシコ大会に派遣された。坂本さんは、古賀河川図書館主宰の古賀邦雄さんに河童のことを聞きにいったと言う。
「古賀さんと最初にお会いしたのは、福岡水もり自慢のとき。そのときに文献を蒐集されていることを知りました。河童のことを紹介したかったので古賀さんを訪ねたら、久留米市田主丸(たぬしまる)町に連れて行ってくれました。おばちゃんたちがつくってくれた河童スーツを着て、水掻きがついた軍手をはめて、クロージング・セレモニーで河童について発表をしたところ、すごく反響がありました」
中尾さんは、剣道着を着て開会宣言をしたそうだが、実は中尾さんにとって、メキシコ大会はリベンジでもあったという。
「私は2003年(平成15)、京都・滋賀で行なわれた〈第1回世界子ども水フォーラム〉に中学2年生で参加しているんですが、英語がしゃべれなくてコミュニケートできなかった。さらに、議題は自然環境ではなく、水と衛生問題。まったく知識がなかったので、通訳を介してもディスカッションには参加できませんでした。それでメキシコがあるよ、と教えられて、海外の人とちゃんとコミュニケーションして議論し、リベンジしたかったんです」
岩見さんも強者だ。大学のゼミでのフィールドワークは、現地集合、現地解散が原則。
「大学の地形学の授業で、スイスのサメーダン(Samedan:スイス南東部、グラウビュンデン州マローヤ郡にある)という聞いたこともないような駅に現地集合だった。フィールドワーク自体は1週間なのですが、せっかくなので1カ月ぐらいヨーロッパを放浪しました。
国内ではだいたい自転車。茨城県のつくばから山梨県の清里までアイスクリームを食べに行ったりしています。鳥取には縁がなくってまだ行ったことがありませんが、鳥取県に行けば全県制覇です」
坂本さんも「目指せ、109水系!」と全国の川を歩いている。みんな、遠賀川のお母さんの想いを受けて、地球を泳ぎ回っているのである。
創設期のコアメンバーは、なぜか今は4人全員、筑波大学にいる。中尾さんは大学院から、黒山さんは3年時編入、坂本さんと岩見さんは学部から筑波大学に入った。専攻はみんな違うし、示し合わせたわけではないのだが、集まってきてしまったらしい。岩見さんは、「つくばは、広い。入試のときに駅に降り立って『空が広い!』と感じたことを今でも覚えています。それまでずっと九州にいたから、関東平野に来た、という感じがしました」
「何もないから、ほかにやることがなくって、研究しろっていわれている感じです」と、坂本さん。勉強に専念できて良い環境だったようだが、受験生のときには悩みもあったようだ。
「水辺館に通っている僕を、『あんなことしたってセンター試験で良い点数は取れない』と冷ややかに見ている先生や友だちもいた。でも、高校3年生のとき、自分に合った入試があることを知ったんです。学力だけでは測れない問題解決能力を問うアドミッションセンター入試(Admissions Center:AC入試。自己推薦入試のこと)です。僕だけでなく、水フォーラムの仲間やYNHCの後輩もAC入試で合格して、好きな専門分野の研究に取り組んでいます」
ちょうど社会に出るタイミングである。将来の進路を聞いてみた。
「スタートはホタルという生きものだったんですが、それから自然環境のほうに興味が移っていきました。高校までは理系で生物を専攻していたんですが、メキシコ大会での経験をきっかけに、社会学や都市計画の分野からも〈水〉を見てみたいと思い、文理融合分野がある横浜市立大学に進学しました。社会学や都市計画に近い分野を中心に学び、卒業論文は川や生態系と人間の生活の関係を研究テーマにしました。現在は、地誌学を専攻しています。
修士論文は小貝川(利根川の支流)を選びました。本当に水害が多い川ですが、最近は破堤はしなくて、内水氾濫に変わってきているようです。住民の水害意識も新住民と旧住民が混ざったことで変わってきた。そこで、住民の意識調査と土地利用の変化を重ねて、水害の地域性を見ようと思います。今は水ビジネスにとても興味があるので、その分野でお仕事ができたらと思いますね」と言うのは中尾さん。
石が好きだった岩見さんは、水草にもはまっている。坂本さんは、
「水辺館をきっかけに川に目がいくようになり、学部では自然学類というところに入って地球科学を専攻し、人文地理学をやりました。
大学院に入ってから河川環境が専門の白川直樹先生につくようになり、川を見る目が変わりました。今は人口減少社会の影響による水環境の将来予測や、川の市民団体の活動量の定量化などの研究に取り組んでいます。将来のことはもう少しゆっくり考えたいですが、川と人を元気にする仕事をしたいです」
現役の代表 仲野健太郎さんに水辺館周辺を案内してもらった。
「水辺館の建っている高台には、春の小川という約300mの水路があり、彦山川の岩場から取水して、浄化装置を通した水を流しています。この浄化装置は、割り箸を炭にして利用するという珍しい構造になっているんですよ。
ホタルの幼虫を飼育する小屋もあり、3月ごろに水路に幼虫を放流しています。今年は管理が行き届かなくて、飼育していた幼虫が全滅してしまったんですが、水路のホタルの卵が自然に孵ったので、今年も観測することができました。
春の小川には、オイカワ、カワムツ、ミナミヌマエビ、スジエビ、メダカ、ミズカマキリなどがいます。チューリップや桜、菜の花が咲くと色のコントラストが素敵で、人気スポットになっています。
山羊、ミニ豚のレモン君などの動物がいて、0歳児からの体験学習も行なっています。山羊は水辺館で飼っているのは2匹だけで、あとはおやじの会の清野さんが毎日連れて来てくれて、雑草を食べさせています」
仲野さんの入会のきっかけは、〈リバーチャレンジ〉というサマースクール。〈リバーチャレンジ〉は、小学校4年生から6年生を集めて行なう1泊2日のイベントで、YNHCがお世話係を務める。それが面白かったので入ったそうだ。
「遠賀川の見た目はきれいになったけれど、実は生活排水で汚れています。流域の人口密度が、九州1位(約67万人)。流域全体で下水道普及率が五十何パーセントしかなく、中流域はまだ下水道が普及してないので、生活排水が入ってくるんです。」
現在は、月に1回定例会を開く。前回の定例会との間に行なわれたことを、3代目のときに発刊された『YNHC通信』にまとめている。その他、主な活動はホタルの飼育と放流、流域の中高生との活動交流会の企画・運営、河川敷のゴミ拾いやイベントのサポートなど。
仲野さんは、今年3月フランスのマルセイユで開催された〈第6回世界水フォーラム〉に参加したのだが、前回まであった子ども水フォーラムのセッションがなくなってしまったそうだ。
「大人に混じって、主にホタルの飼育について発表しました。日本と違って、ホタルに特別な想いを抱くという文化がないので、ホタルを熱心に飼育していることに驚かれたみたいです。
みんなで水のオノマトペ(擬声語を意味するフランス語)を書いて、思い出に一部分を切り取って持ちかえりました」
このあと、中学1年生の勝木悠生(かつきゆうき)さん、同じく中学1年生の有吉ひかるさん、高校1年生の高田賢人さんを交えてお話を聞いた。ちなみに勝木さんは鳥、有吉さんは生きもの全般、高田さんは昆虫や魚、両生類に興味があるという。
「僕は鳥が好きなので、めだかの学校でやっている〈すずめ教室〉に入りました。おやじの会の人たちがつくってくれた巣箱を敷地内に設置していますが、穴が大き過ぎてスズメが入ってしまいました。メジロを呼びたかったので、次回つくるときには直径2.8cmぐらいの穴にしてもらおうと思います」
と勝木さん。有吉さんは、小学校2年生のときからめだかの学校に来ているという。中尾さんは、
「私たちが活動を始めたときに中学生だった女の子が、今、学部の2年生で、大学内で環境系のサークルを立ち上げています。その彼女がこの間の〈いい川・いい川づくりワークショップ〉でプレゼンテーションをしました。そのときの選考委員の方が、私たちが高校生だったときのことを知っている人で、『こんなに続いているのはすごいね』と言ってくれてうれしかった」
と言うが、遠賀川のお母さんである野見山さんたちは、YNHCの成長をもっと喜んでいるだろう。
水辺館は、帰郷した際に必ず立ち寄る大切な〈場〉になっている。成人式の日に、OB・OGが水辺館に植樹した木が何本にもなって、鬱蒼と葉を茂らせている。
最後に先輩から現役に一言。
「先輩がやってきたことを引き継ぐことも大切ですが、自分たちで興味を持ち、新しいことを始めることはもっと大切だと思います」
こんなエールを送ってくれる先輩に見守られながら、若鮭も自分の海に泳ぎ出してほしいと思う。
(取材:2012年8月25日)