山形県農業総合研究センター
水田農業試験場水稲部長
中場 勝(ちゅうば まさる)さん
稲の品種改良のための交配は、7月下旬から8月中旬、稲の開花時に行ないます。
育てるだけには手間はかからないのですが、父親と母親の花の咲く時期を合わせなければなりません。北海道の品種を山形に持ってくると、7月の10日過ぎには穂が出てしまいます。九州の品種を持ってくると9月まで穂が出ないんです。それで種を播く時期をずらしたり、寒い所や暗い所に置いたりして、開花時期を合わせます。
開花してそのまま置いておくと、自家受粉してしまうので、母親になる品種の花を43゚Cの温湯に5分間浸けて雄しべを取り除きます。お湯に浸けることで、雌しべは元気なままですが雄しべが取り除かれるのです。それから父親になる品種の花粉を掛け合わせます。
山形県の主力品種は〈はえぬき〉です。ササニシキの後継品種を目指し、山形農業試験場庄内支場で〈秋田31号(あきたこまち)〉と〈庄内29号〉を交配し、1990年(平成2)「山形45号」として誕生しました。1993年(平成5)に品種登録しています。
冷害と倒伏に強く、食味評価では18年連続で最高ランクの特A評価をいただくほどの良食味を持ちますので、ブランド米の魚沼産コシヒカリに引けを取らない品種ですが、山形県外での作付けがほとんどなく、家庭用としての認知は今ひとつです。冷めても味が落ちにくいことから業務用になっているのが実情で、価格が低迷しています。現在4万haの作付けがありますが、米の主産地、米どころ山形としては、何とか復権を目指したい、と考え、新品種の品種改良に取り組んでいました。そこで誕生したのが〈つや姫〉です。
主力品種として期待される〈つや姫〉は1998年(平成10)8月17日に交配しました。母親は〈山形70号〉、父親は宮城県の〈東北164号〉です。父と母が逆でも変わりないんですが、母は開花時期を合わせるために暖かい所に置いたり暗い所に置いたりするので、移動できるようにポットに植えます。
少し晩生(おくて)にして、〈はえぬき〉と競合しないような品種を目指しました。
6本の穂から27粒の交配種子を採ることができました。ご飯茶碗1膳で何千粒もあるんですが、最初に採れるのはわずかな種。それを、10年かけて品種改良を進めながら増やしていきます。〈つや姫〉の交配が始まった1998年(平成10)は、長野オリンピックの年です。ついこの間のことのような気もしますし、すごく前のことのような気もしますね。
最初のころの子どもには、父親の形質や母親の形質がバラバラに表われます。その中から優秀な個体を残して種を採るためには、とにかく育てていくしかないんです。F1とF3世代は冬に温室で、F2世代は夏に圃場で育てます。
優れた形質の種を採りたいわけですが、逆に親のだめなところだけ受け継ぐ子どももいます。ただ、たくさん採れるとか、背が高いといった形質は目に見えるんですが、おいしいかどうかは見ただけではわかりません。そこのところは、早い段階では選抜できない形質です。
それで3年目に個体数が増えたところで個体選抜を行ないます。4年目に60株ぐらい植えますので少し数が多くなり、出穂期やタンパク質の量を測って食味を検討したり、耐冷性や葉いもち病の抵抗性といった形質を調べることができるようになります。
5年目には収量調査のために200株育てますから、この時点で食味試験をして、初めておいしいかどうかはっきりとわかるんですね。
食味試験のときは、同じロット番号の3合炊きの炊飯器を10個並べて、250〜300g炊いて20人ぐらいで食べます。基準となる米と食べ比べてどうなのか、という評価を下すようになっています。米は水分も測った上で、正確に重量を測り、加水量を厳密にして炊きます。
外観、炊飯光沢、白さ、香り、味、粘り、硬さという7項目を判断して、総合評価します。私は毎年、11月中旬から2月上旬にかけて、400〜500ぐらいの品種を食べているんですよ。
毎年、新たに60組み合わせの交配をしますが、どの組み合わせを選ぶかは、育種担当の研究者全員が参加する交配設計会議で決めています。各地の農業試験場と種の交換を行ないますし、大変な数の中から選ぶわけですから、「こういう品種をつくろう」という一定のイメージを持って選びます。
ただ、10年前に描いた設計図が、10年後にも支持されるものであるかどうかはわからないのです。例えば温暖化が進んで、晩生でつくったつもりが早生(わせ)になってしまう、ということもあり得るからです。そこに難しさがありますね。
ですからあまり絞り込んでしまわずに、幅を持っていないと総崩れになってしまうんです。ちょっとギャンブルみたいなんです。
そういう意味では今までの蓄積は、貴重なデータベースでもあります。1960年代は、たくさん食べたいという時代でしたから、味よりも量でした。その内に豊かになって「どうせ食べるんならおいしいほうがいい」という時代になって、昭和の終わりから平成にかけてコシヒカリがヒットしました。今は食べるだけではなくて、身体に良いもの、という価値も生まれています。
今の炊飯器は、コシヒカリが上手に炊けるというのが標準になっています。機種によっては米の品種に合わせて調整できるものもあります。これからは〈つや姫〉がおいしく炊ける炊飯器、というのが開発されるようにしたいですね。
〈つや姫〉はフェーン現象、冷害、台風という3回の危機を乗り越えて、品種登録に至りました。
第一の試練は2000年(平成12)8月です。フェーン現象で脱水症状が起きて、圃場に植えられたF4世代864個体の中に白穂が発生。この年は、品質やアミロース含有率を吟味して23個体を選抜しました。
選抜された個体(1株)を翌年植えたものが、系統(すべて同じ性質を持つ数個体のかたまり)になります。F5世代(2001年〈平成13〉)は、圃場で8系統を選抜。F6世代(2002年〈平成14〉)は、予備試験に出た8系統の成績が振るわず△評価。〈庄3187〉という育成地番号が付与された個体だけが本試験で選抜されました。
第二の試練は、2003年(平成15)の冷害です。この年も成績が振るいませんでしたが、ほかの系統も成績が悪かったために次年度に再試験となりました。
続く2004年(平成16)には、F8世代が台風15号の被害を受けています。これが第三の試練です。そのような中でも〈はえぬき〉よりも食味が高い◎の評価を獲得し、〈山形97号〉の地方系統番号が付与されたのです。
2006年(平成18)の奨励品種決定調査では、F10世代がコシヒカリをしのぐ新品種基軸として有望系統に選ばれました。
3回の試練の内、どこかで脱落していたらこのように優れた形質を世に出すことがかなわない事態に陥っていた、ということです。この有望な品種を、県を挙げて育てていこうという意気込みから、翌年には〈山形97号〉の第1回ブランド化戦略会議が開催されました。〈つや姫〉の名は一般公募で命名されましたが、炊いたときに白く輝くその姿にぴったりの名前になったと思います。
〈つや姫〉は炊飯米の外観と食味が優れ、玄米に光沢があります。白未熟粒が少なく、短稈(たんかん/丈が短い)だから耐倒伏性に優れています。コシヒカリより多収、ということなどが長所です。
白未熟粒というのは、フェーン現象などの暑さによって稲が体力を消耗したときに発生します。呼吸量が多くなり、消耗も多くなると、米粒のでんぷんがきれいに貯められず、空気の隙間で白く見えるものです。炊くと軟かい炊き上がりになってしまい、食味が落ちます。〈つや姫〉は、白未熟粒になりにくい形質を持っています。
短所は、耐冷性が中(〈はえぬき〉は極強)であることと、穂発芽性が中(〈はえぬき〉はやや難)であることですが、晩生の品種ですのでどちらの特性も実害はほとんどないと考えています。
東北大学の菅洋さんが本にまとめられていますが、それによると山形には57人の民間育種家がいて176の品種を出しています。その中で一番有名なのは〈亀ノ尾(注)〉です。ササニシキもコシヒカリも〈亀ノ尾〉の子孫品種なんですよ。
1893年(明治26)に神社にお参りに行った余目(あまるめ)の阿部亀治さんが、冷害の中でわずかに実っていた3本の穂を見つけて、水田の持ち主にお願いしてもらい受け、持ち帰りました。試験栽培を繰り返したことで完成させたといわれています。
なぜ、こういう伝統が培われたのかと考えたのですが、気象や水など米の生育に適した条件に恵まれていたことと、さらに良くしようと考えた人たちが、常に稲の状態を観察していたからできたことだろう、と思います。
民間育種が盛んだったことに加え、もっとすごいのは、できた種をどんどん分け与えて自由につくらせたことです。特許とかで囲い込むことをしませんでした。亀治は、〈亀ノ尾〉を他の品種と無料で交換し、種の純粋を守ることと、種の劣化を防ごうとしながら、普及に努めました。
食糧をつくる歴史の中で、つくり過ぎて余ってしまう、という時代は、かつてありませんでした。厳しい自然環境に打ち勝って、毎年、確実に収穫できるようにすることに人間は心血を注いできました。だからこそ、改良を重ねた大切な種を人に分け与えてきたのかもしれません。
(注)亀ノ尾
当時、庄内平野で栽培されていた稲は、晩生の稲が多く、冷害の危険率が高かったため、寒さに強く収量の多い〈亀ノ尾〉はまたたく間に県内に広がった。しかし、多肥料栽培時代に入っては耐肥性に劣り、長稈で倒伏しやすい形質から、つくられなくなって幻の米といわれた時代を経て、現在は酒米として復活している。
(取材:2012年9月13日)