学校の中を川が流れている、そんなすごい小学校が東京都杉並区にあります。井荻小学校の校庭には善福寺川が流れ、かつて子どもたちは自由に川を行き来していました。現在は、簡単に川に入ることはできませんが、井荻小学校の子どもたちは善福寺川に近づき始めています。心理的に遠ざかった川との関係を修復しようとする井荻小学校の活動を追いました。
編集部
武蔵野台地の上にある杉並区には、北から妙正寺川、善福寺川、神田川の3本の川が流れている。
善福寺川は杉並区を北西から南東に貫くように流れ、中野区の中野富士見町駅(地下鉄丸ノ内線)付近で神田川に合流する。善福寺池(上池・下池)を源とするが、都市化とともに流入する水量が激減。渇水を防ぐため、善福寺池から水が流出する美濃山橋のたもとで、1989年(平成元)から下水高度処理水を放水している。
中流域にある都立の善福寺川緑地と和田堀公園は、都内の川沿いには珍しく広い敷地(全長約4.2km)を持った緑地帯で、休日にはたくさんの人で賑わう人気スポット。和田堀公園の池にはカワセミなどの野鳥が飛来し、愛好家がカメラを構えて待つ姿が多く見られる。
しかし、善福寺川自体は矢板・コンクリート護岸になっていて、しかも深く掘り下げられているので、川にアプローチできる箇所は限られている。
また、緑地以外では川沿いの歩道は非常に狭く、人がすれ違えないほど。排水路化した東京の川という姿になっている。
この善福寺川を巡る井荻小学校の活動は、社会科の授業をきっかけとして始まったものだ。
住谷陽子先生は、2009年(平成21)井荻小学校に赴任して、最初に5年生を受け持った。
5年生の社会の授業の中に、「私たちの生活と環境」という授業があって、京都の鴨川が取り上げられていたという。生活や環境を守ることはすごく大事で、制度的な問題もあるけれど住民一人ひとりが考えていくことも大切、ということを学びの目的とした単元だった。
一時期とても汚くなった鴨川を、どうやって今のようにきれいに変えていったかという話の中に、地域の人たちの取り組みが紹介されていた。井荻小学校ができた当初は、校庭の中に流れている善福寺川には、いつでも入れる状態だった。そこで住谷先生は、京都の鴨川というどこかの知らない場所ではなくて、学校の中にある善福寺川と対比しながら学習しようと思ったという。
授業が終わったときに、「鴨川が変化したのはわかったけれど、今の善福寺川はどうなんだろうか」という疑問が、子どもたちの中から湧いて出た。
それで住谷先生はそれまでも野鳥観察などで環境教育を支援してくれていた〈すぎなみ環境ネットワーク(注1)〉の境原達也さんに、今の善福寺川について話をしてもらう機会を持つことにした。
「境原さんはいろいろ資料を集めて、区からの情報を伝えてくださいました。杉並区でもきれいにしたいと思っているけれど、まだまだできていないのが実状だったんです」
(注1)NPO法人すぎなみ環境ネットワーク
2003年(平成15)設立。環境保全分野において、市民が主体的に活動し、行政や事業者と協働することで、生活環境の向上を図り、地球環境の保全に寄与することを目的としている。
ある日の朝、3〜4人の子どもたちが突然教室の前に出てきて、「善福寺川がきれいになればいいと思っているけれど、いつもいつも他人を待っていたんじゃいけないんじゃないか」と言い出した。そして「自分たちのできることをやろう」と訴えたという。
「クラスの子どもたちも『やろう』って言ってくれたんです。言い出した子どもたちにとって、それはすごくうれしいことで『じゃあ、どうやってきれいにしようか』という話になりました」
教室の後ろに張り出した、自分たちの思いをまとめた言葉の書き出しは、『前の授業で川に入りたいね、という話が出たけれど、ただ見ていてもきれいになるわけじゃないから、川をきれいにする会をつくっちゃいました。イエ〜イ!』そのあとには、以下のような言葉が続き、子どもたちだけで、最初から本質的なことを目指していたことに感心させられた。
「この子たちは、川の中に入りたかった。でも、川に入るには許可が必要。じゃあ、できることから始めようということで、周辺がきれいになれば川の中にゴミが落ちないんじゃないか、と道路掃除を始めました。これは放課後の活動として行なわれました。
習い事や塾があって、曜日によって来られる子が違ってくることがわかったので、毎日やることになって、曜日ごとの分担表をつくりました。
じゃあ、先生はゴミ拾いのトングとか道具を準備したり、道具置き場を整備したりするね、と言って、危なくないように車が通らない所、美濃山橋から井荻小学校までの掃除が、2009年度(平成21)の3月から始まりました。
『6年生になったらどうするの』と聞くと、『もちろん、続ける』という答えでした。途中で少し下火になったときもありましたけれど、毎日のように来ている子どももいたりして、みんなで声をかけながら、続けていったんです」
そういう子どもたちの姿を見ていて、川に入って清掃できるように杉並区に申請してくれたのが、〈学校支援本部(注2)いおぎ丸〉の岩渕晴子さんだ。そうして2010年(平成22)9月に、とうとう善福寺川の中に入ることができた。
「それまでも私たちは、川に下水が流れ込んでいることは知っていたんです。東京都23区では合流式下水道を採用しているので、下水の中に雨水も一緒になっています。そのために雨が降って下水道管で受け止めきれない量になると、汚水まじりの雨水が下水処理場のほうにいかないで、下水道の隔壁を越流して川に直接入ってしまうんです。
知識として知ってはいたものの、実際に川に入ってみたら、あまりの臭いとゴミの多さにびっくりしてしまいました。
川の中にはガマや葦が生えているんですが、その根元にびっしりとトイレットペーパーが絡みついている。それが非常にショックでした。空き缶も相当たくさん出てきました。それまでは川の中の清掃はしていませんでしたから、溜まっていたゴミが、最初の年の清掃でいっぱい出てきたんです。
そういうゴミを集めてきて、どんなゴミが多いのかを調べたりしました。そこから、自分たちに何ができるだろうか、ということにつなげていきました」
(注2)学校支援本部
2006年(平成18)に改正された教育基本法で新設された「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」の規定に基づいてつくられた組織。年を追うごとに増加の傾向にある学校の役割をサポートするため、学校・家庭・地域の連携協力のもとで学校教育を進めていくことを目的としている。文部科学省の組織ではなく、任意団体。
井荻小学校の子どもたちは、自分たちにできることの一つとして「保護者に訴えること」を挙げた。それで学校公開の授業参観のときに、川調べのまとめの発表を行なうことにした。
川に入ったのは1回だけ。でも、周辺の掃除はずっと続けていたので、何とか認めてあげたいという住谷先生たちの思いもあった。2010年(平成22)11月に杉並区から青少年表彰を受賞したときには、正しいことをしていれば認めてくれるんだ、と励みになったのだろう。子どもたちが「大人が認めてくれた」と言ってすごく喜んだという。
杉並区でも善福寺川に自然を取り戻そうという動きが始まっていて、2011年(平成23)卒業間近の2月に、井荻小学校もそのシンポジウムの第一部で発表することになった。第二部は専門家の発表だったが、井荻小学校の発表は、専門家たちにも絶賛された。
発表資料には、子どもたちに何か残せるものをということで、一人ひとりが善福寺川についてまとめた〈1枚シート〉を使った。井荻小学校のほかの学年の子どもたちにも知ってほしいと、朝会のとき、同じ内容を全校生徒に向けて発表し、善福寺川への想いは井荻小学校全体に共有されていった。
「最初に清掃を始めた子どもたちは、今は中学2年生になっています。この子どもたちが卒業するときになって、じゃあ、何を残したいか、と聞いたとき『5年生に引き継いでほしい』ということになりました。
そしてその5年生が6年生になったとき、たまたま私が担任になったんです。
強制的にやらせたくはなかったんですが(どうしようかな)と思って道徳の時間にボランティア活動について聞いてみました。『君たちにできるボランティア活動はないかな』と問いかけたところ、みんな異口同音に『善福寺川の清掃活動!』と言ってくれました。
5年生も6年生の活動をずっと知っていたし、境原さんの指導で、教師や大人から習うんじゃなくて、善福寺川のことは6年生に習おう、といった授業もやっていたんです。ですから、6年生の活動を見て、話を聞くことで、5年生の中でかなり川への意識が高まっていたんですね。
それで話し合って、清掃は週1回の活動にしようということになりました。ただし曜日を固定してしまうと、その曜日に都合が悪い子どもはずっと参加できませんから、曜日は順繰りに変えていきました。
この一連の活動を知ったテレビ東京の「すなっぷ」という番組で、野鳥観察と川の中での活動ということで、1年を通じて取材に来られ、2回も取り上げていただきました。
こうして2年間、活動が続いたわけですが、今の6年生たちも引き継ぎ式をして、3月に卒業する6年生からバトンを渡されました。
うれしかったのは、新6年生が『6年生になって』という児童代表の発表のときに『一番頑張りたいのは清掃活動です』という言葉がすっと出てきたのです。6年生になったら、清掃をするんだという意識が当たり前のように子どもたちの心に根づいてきています」
2012年(平成24)この活動の基礎をつくった初代の子どもたちが中学2年生になったとき、7月に中学2年生から小学校5年生まで四つの学年で一緒に清掃活動をすることができた。
こういう活動が可能になったのは、子どもたちにとって善福寺川が非常に親しい川だったこと、〈すぎなみ環境ネットワーク〉の人たちと野鳥観察をずっと続けていたことが大きい。
〈すぎなみ環境ネットワーク〉のメンバーで井荻小学校の環境教育をサポートしてきた境原達也さんにもお話をうかがった。
「野鳥観察は2004年(平成16)から続いてきました。だから井荻小学校の子どもたちは、野鳥の名前をいっぱい知っています。ただ、環境と結びつけて考える機会が、なかなかなかったんです。
住谷先生が赴任した翌年に、理科専科に古野(ふるの)博先生が来たことも大きかった。古野先生が川の活動と野鳥観察を重ねて、総合的な活動案をつくってくれました。3年生で生きものに親しみ、4年生で社会と絡めて川の学習をし、5年生で水質検査をし、6年生で清掃活動にいく、という系統的な流れをつくってくださったんですね。
野鳥観察には、〈すぎなみ環境ネットワーク〉から多くのメンバーがサポートしてきました。それで、全校発表のときに、その方々を招待したのですが、『一緒に野鳥観察をしてきたことが、子どもの中でこんな風に熟成するとは思わなかった』と喜んでくれました。
私たちは野鳥への関心をきっかけにして、善福寺川や環境意識にも関心を広げてもらいたかったのです。
4年生の川についての学習では、まず川への想いや気づきを促すワークショップを行ないます。次に川に入って思う存分に遊んでから、3回目に地域の長老の方からも川について学び、4回目に自分が調べたいことを決めて(テーマ選定)、調べ学習に移ります。
2回目の段階で川に入って遊ぶことを体感しないと、次の段階に進むことができません。単なる机上の学習になってしまうんですね。
2010年(平成22)には、4年生に『好き』『嫌い』『不思議』『秘密』の四つの項目について聞きました。今の子どもたちは、『好き』か『嫌い』かはすぐに言えるんだけれど、『不思議』や『秘密』については、実体験に基づく訓練をしていないから出てこない。たくさんの経験をしながら掘り起こしていくと、それがどんどん出てくるようになります」
川調べは〈善福寺川博士〉というネーミングで、積極的に行なわれている。井荻小学校のこうした活動を可能にしたのは、やはり住谷先生や古野先生という指導者の力が不可欠だった。その想いは全校に共有されて、現在の担任である小室純子先生と工藤尋大(のりひろ)先生に、そして2011年(平成23)から東海林孝吉先生から校長を引き継いだ梅津典子先生へと引き継がれている。
実はミツカン水の文化センターアドバイザーの九州大学工学研究院教授の島谷幸宏さんも、〈善福寺川を里川にカエル会〉通称〈善福蛙(ぜんぷくかえる)〉という会をつくって善福寺川再生に取り組んでいる。井荻小学校とは、〈善福蛙〉の活動を通じてかかわるようになっていた。
2012年(平成24)12月2日に行なわれた〈善福寺川フォーラム〉というイベントで発表することになった井荻小学校から、〈善福蛙〉に専門的な内容の質問がきたときに、『水の文化』42号で登場してくださった中村晋一郎さん(東京大学総括プロジェクト機構「水の知」総括寄付講座特任助教)が、「直接、子どもたちに答えたい!」と申し出て、急遽、出前講座をやらせてもらうことになった。
〈善福寺川フォーラム〉では、中村さんが話した「流域圏」や「水際の大切さ」、「コンクリートやアスファルトで覆われているために、降った雨が地下浸透しないから、昔と比べて川がすぐに増水する」といった事柄が反映されていた。
特に雨が降って増水することで、下水が川に流れ込む仕組みを知っているので、「雨の日にはお風呂の水を抜かないで」、「雨の日には洗濯しないで」と、日常生活で住民ができる具体的な対策を訴えていたのには驚いた。子どもたちの理解度の高さ、吸収力の大きさには、本当に敬服させられた。
〈善福寺川フォーラム〉に参加した九州大学島谷研究室の林博徳さんは、福岡県福津市の上西郷川(かみさいごうがわ)で〈上西郷川日本一の郷川をめざす会〉の活動にかかわっている。上西郷川では一部を多自然川づくりで市民工事を行ない、子どもたちが入って遊べる川に生まれ変わっている。
林さんが井荻小学校と善福寺川の取り組みを上西郷川で活動する福間南小学校で話したところ、「下水が入って汚い川なのに頑張っていて、井荻小学校はすごい」、「東京の川には下水が入っているの?びっくりしました」といった反応が寄せられたそうだ。
今後は福岡と東京の小学生の交流も視野に入れた、活発な展開が予想される。
2012年(平成24)12月2日にあんさんぶる荻窪(東京都杉並区)で開催された善福寺川フォーラム。子どもたちの発表に励まされた大人たちは、みんな笑顔。
住谷先生は、川へのかかわりは清掃活動から始まり、さまざまな恵みをもたらしてくれたと言う。
「善福寺川の清掃活動は、続けていくうちに多くの副産物を生み出してくれました。こういう活動を真面目にやるというのは、地味なことです。しかし、地道に続けることの価値を集団の中で認め合うようになりました。頑張って掃除に来る子の中には、地味で目立たない子どももいますが、普段の生活では見ることができなかったその子の良さが光ってくるんです。そういうことに気づいていく感受性も広がっていきます。
言い出してくれた子どもも、実行力がクラスの中で認められるようになりました。認められることで、ますます相手を受け入れるようになる。期せずして、クラスづくりにも役立っていったのです。
みんなが願うことを地道に続ける中で、生まれる人間性というものがあるんだなあ、としみじみ感じました。子どもたちの中に仕組みができているのと同じで、学校の先生方も続けていこう、と思ってくださっている。それが、一番うれしいですね」
国語の授業で、「みんなで生きるまち」という単元で、提言をまとめる授業があったとき、善福寺川について提言しようと提言集をつくったという。学校のみんなに言いたいこととか、保護者に言いたいこと、区民の人たちに言いたいこと、区長に言いたいことと、いろいろな内容の提言が挙げられ、「区長にはどうやって伝えたらいいかねえ」と言っている間に、区長にメールを送った子がいたり。
「それにちゃんと返事がくると、大人に対する信頼感も違ってきます。テレビのニュースなんかを見ていると、悪い大人がいっぱい出てくるじゃないですか。そういう印象が払拭されるんですね」
テレビ東京の「すなっぷ」の最後に住谷先生は、
「彼らがやっているのは、単なる清掃活動じゃなくて、正しいことをやり続けることの重要さ。やり続ければ、人はつながっていくんだ、と信じられる経験をする、ということなんです」
と語っている。これは井荻小学校だけではなく、今の社会で一番求められていることなのではないだろうか。
(取材:2012年8月31日)