ジンベエザメの餌やりタイム。海水と一緒に餌のオキアミを吸い込むときに、立ち泳ぎになる。沖縄美ら海水族館〈黒潮の海〉水槽。
大型水槽ブームの火付け役となったのは、「沖縄の海との出会い」というテーマで、2002年(平成14)リニューアルオープンした沖縄美ら海水族館。しかし、ここの魅力は大型水槽やジンベエザメだけではありません。他所では見られない沖縄の美しい海と空を、陸の上に表現したいと語る館長の宮原弘和さんに、水族館にできること、可能性についてうかがいました。
沖縄美ら海水族館館長
宮原 弘和(みやはら ひろかず)さん
1978年琉球大学理工学部生物学科卒業。同年5月、旧・国営沖縄記念公園水族館入社。2002年4月海獣課長、2010年4月魚類課長、2011年6月水族館統括を経て、2011年6月より現職。2012年4月より水族館事業部長を兼務。
沖縄美(ちゅ)ら海(うみ)水族館(以下、美ら海)の前身は、1975年(昭和50)沖縄国際海洋博覧会で日本政府が出展した〈海洋生物園〉です。このときのテーマは「海—その望ましい未来」でした。博覧会終了後、その跡地は〈国営沖縄海洋博覧会記念公園〉として整備され、水族館もこの記念公園の一部として開館しました。
当時は今と違って、他の県、例えば長崎県・五島列島などから持ってきた大型の魚を展示していたり、サンゴの海の展示も生きたサンゴでなかったり。沖縄らしさに欠けるきらいがありました。
その状況が変わってきたのは、海洋博が終わって以降、1978年(昭和53)ごろからのことです。沖縄でも定置網漁が行なわれるようになり、ジンベエザメとか今まで見たこともなかった魚がかかるようになったのです。
それまでの漁は、魚を単に水産資源として見ていましたから、捕れればよかった。ですから、人間の食文化にとって資源的価値がないこれらの魚を、生きたまま捕獲する方法がなかったのです。
漁法が変化したことは、水族館が飼育する魚の種類や飼育方法に大変大きな影響を与えました。それらをうまく運んできて飼育もできるようになって、展示内容が変わり、世界初のジンベエザメ展示へとつながりました。今は漁をする人とのコンタクトを密にしていますから、珍しい魚が網にかかったという情報が入ると、すぐに現場に飛んで行きます。沖縄の場合は、漁師さんに「船に乗せて」と言えばすぐに乗せてくれるし、関係ができています。日帰りできるような漁法ですし、規模がちょうどいいのかもしれませんね。漁師さんだけではなく、海に携わる人たちが県民を挙げて応援してくれています。
昨日もちょうど、ジンベエザメでお世話になっている読谷(よみたん)漁協に旧正月のご挨拶にうかがったところです。当館では、こういうネットワークを大切にしています。
2002年(平成14)のリニューアル以前は、大型水槽の〈黒潮槽〉も1100t。ここでは、ジンベエザメがいかにも窮屈でした。施設も老朽化し、来館者数も1991年(平成3)の100万人をピークに少し落ちてきているということで、新たな魅力をつくろうとリニューアルしました。「沖縄の海との出会い」というテーマを掲げた新水族館には、7500t〈黒潮の海〉水槽がつくられました。
折しも、東京に葛西臨海水族館ができたり、各地に回游型の大型水族館ができてきた時代と重なりました。それでリニューアル計画時に、ジンベエザメの複数飼育が可能で繁殖もできる水槽をつくろう、という話が浮上したのです。
これだけ大きな水槽がつくれたのも、やはり以前の水槽でジンベエザメの飼育に成功していた、という実績があったからでしょう。国の事業ですから、大きな水槽をつくるからには、それなりの成果が上げられなくては実現はしなかっただろうと思います。
水槽の大きさだけでいったら、展示のダイナミズムという点ではあまり力を入れていませんでしたが、世界一は長い間アメリカ・フロリダにある2万2000tの巨大水槽でした。その後、アメリカ・ジョージアの1万5000t、アラブ首長国連邦・ドバイの1万t、シンガポールの1万800tの水槽が次々と誕生しました。
大型水槽がしのぎを削っている現状で、当館が一番誇りに思うところは、多くの魚を入れても、水がなお高い透明度を保っていることです。どれだけの量の魚が入れられるかは、水槽に海水を供給する能力と濾過する設備の能力によって決まります。
うちの強みは、沖縄の美しい水を豊富に取り入れられるところ。300m沖の水深20mの地点から2000m3/hを取水、最大能力としては3000m3/hの取水能力があります。〈黒潮の海〉水槽の飼育水は、その新鮮海水と濾過循環水とを併用するシステムで、1日に16ターンさせて透明度を保っているのです。
今までは大水槽、大型生物をお見せしていましたが、10周年を迎えて、バックヤードの工夫なども見ていただきたいと思っています。
水族館でよくあるのは、「この魚、何歳ですか?」という質問なんですが、生態がはっきりしないのでそれに明確に答えられるところまでには、なかなかたどり着きません。
私は1978年(昭和53)から、当館に勤務しています。海洋博が終わってからスタッフになりました。目指したのはジンベエザメとマンタを飼育して繁殖にまでこぎ着けること。最初は繁殖はおろか、くわしい生態もわからない手探り状態で始まったのです。
台湾で捕獲された雌のジンベエザメのお腹の中に、孵化した赤ちゃんが300匹もいたので、ジンベエザメが胎生だとわかりました。胎生とは、お母さんのお腹の中で卵が孵化して魚の形で産まれてくることです。このように、海の生きものの生態というのは、まだまだわからないことがいっぱい。それを我々も研究しながら、みなさんに見ていただいています。
沖縄の海の特徴は、サンゴ礁で縁取られていること。それと暖流である黒潮。もう一つ案外知られていないことですが、琉球海溝など深海の存在です。そこに棲む生物にも光を当てていきたいと思っています。総合休憩所〈美ら海プラザ〉に展示してあるメガマウスなどの研究も、まだまだこれから。深海には特に、まだ解明されていない謎がいっぱいあるんです。
人間が潜水病になるのと一緒で、深海魚も急に浅い所に持ってくると、うまく適応できません。それで加圧水槽を開発して、徐々に低い水圧に慣らしながら、普通の水槽で飼えるまでにします。なかなか難しいのですが、美ら海水族館で開発された技術です。こうした加圧水槽や自分たちで操作できる無人探査機などを生かして、深海魚の生態を明らかにしていきたいと思います。
試行錯誤の中で生態を明らかにすることができた魚種の一つに、沖縄で最高級魚として珍重されるアカマチ(ハマダイ)があります。加圧水槽を利用することで生態が初めて明らかになり、長期飼育が可能となりました。
沖縄でも捕り過ぎている魚種は、サイズがどんどん小さくなっています。グルクンも昔は20〜30cmのものが普通にあったのですが、今はそんなに大きなグルクンは水揚げされません。アカマチも1mぐらいだったのが、今はせいぜい80cmぐらい。このように、沖縄でも資源の枯渇は進行しています。生態を明らかにすることは、持続可能な漁労に貢献するという側面もあるんです。
これはへそ曲がりな言い方かもしれませんが、私はよく、「沖縄の海は、昔は汚かったよ」と言うんです。川も海も、見た目は今のほうがずっときれいです。
昔の海というのは、どんな生物も生きられる状態だったから、4月になると海岸にアオサやホンダワラが打ち上げられてきて、1週間もすると、雪景色みたいに真っ白になるんです。そんな風景は、今はまったくありません。臭いだってないじゃないですか。
冬の間、水温が低いときにはプランクトンが少ないから水も澄んでいるんですが、プランクトンがいっぱい発生する季節は透明度も低かった。しかし、今のように人工的につくった浜なんかでは、プランクトンも発生しません。山から木の枝なども流されてきましたが、今は森がありませんから、そういうこともなくなりました。
今の浜辺がきれいなのは、生態系が乏しくなった結果なのです。ですから、意外と人間の感覚というのはいい加減なもんなんです。人間のつくった美しさって、何なのかなあと思います。
私は名護市の出身で、浜や海で遊ぶのが当たり前、という環境で育ちました。そのころは好きという以前に、当たり前、日常だったのです。サンゴを見るには沖まで行かないとならなかったので、小学生のときに、サンゴを採取してきて近くで育てたり。当時、サンゴは雑草みたいな存在でしたから。そのころから飼育に目覚めたのかもしれませんね。
その後、国道58号線ができたり、海を埋め立てたり。そういう開発の歴史と一緒に時代を過ごしてきて、海の環境が激変していくのも見てきました。いなくなった生きものもたくさんありますよ。キスもたくさん釣れましたが、今は名護湾にはキスはいないかもしれません。そういうことをきちんと調べることも、水族館の役目の一つです。単なる展示だけでなく、研究とその成果を発信していかなければ、この先、水族館は生き残れないだろうと私は考えています。
観光客を呼び込もうと開発が進み過ぎてしまうと観光ができなくなる。ですから、生きものが本来の生態のままに生きている姿から、何かを学べるような水族館であるべきと思います。大きな海の中の生態系を持続可能に維持することと、水槽の中の生態系を持続可能にすることは、つながっているんです。
自然の海に行くと、例えばスズメダイがいます。スズメダイがいる所には必ず藻が生えています。餌を自分で管理しているんですね。そういう生きもの本来の姿を展示で表現したい、と思います。
見る人にどう発信するか、という意志、つまりバックグラウンドがないと、展示しても感動してもらえないんです。
それを可能にしているのは、飼育の高い技術でしょう。ちゃんと生かすための技術を磨く。
生きものが治りにくい病気にかかったときには、人間の医師や検査技師にも協力を要請して手を尽くします。ジンベエザメの健康診断をしている水族館なんて、ほかにはないと思いますよ。検査や健康管理も大切なんです。それで長生きさせていきたいと、全員が思っています。絶対に治すんだ、という意気込みがないと、これだけの体制はつくれません。
展示と研究を両輪で行なっているのは、やはり研究に興味のある人が集まってきているということもあるでしょう。研究に興味を持つことが、こういう仕事を長続きさせる秘訣かもしれません。
昨年(2012年〈平成24〉)11月に、当館は10周年を迎えました。その際に職員を集めて今後のテーマについて話し合いました。そこで出たのが「感謝」だったんです。自然への感謝、とは言っても、具体的にどう表現するのかは難しい。それで海への感謝の気持ちを表わそうということになって、サンゴを海に戻す活動を始めました。
サンゴがこれだけ減っている原因は、わかるようでわからないのです。しかし私たちは、水がちゃんとしていなくては、どんなに頑張って移植しても育ち切れないだろう、と考えています。何が問題でこういう環境になってしまっているのかを明らかにすることが、海への感謝を形にするために私たちが果たすべき働きなのだと考えています。
サンゴの移植は、東京の水族館でも進められていますが、それが実際に海に定着しているかどうかはあまり評価されていないのが現状です。
人工的な水槽の中でサンゴを育てて、サンゴが健全に育つために何が必要で何が阻害因子となっているかを検証することは、水族館が自然への感謝に応えることの一つです。イルカなどは生態系の頂点にありますから、短い期間であれば、多少、環境が汚染されても大きな影響を及ぼされません。しかし、サンゴは環境の影響をてきめんに受ける指標生物なのです。例えば、配水管に少しでも錆が出ていたら、水槽の中のサンゴは数日で死んでしまいます。水族館ではそういうことを検証しながら、自然界の水の環境をどうしていったら生物に優しい環境をつくれるのか見えるようにすることができます。
科学的に証明されているわけではありませんが、人間の暮らしがいかに海の生態系に負荷をかけているかは明らかです。そのことは、私たちが何をすべきかという道しるべになると思っています。
海に捨てられたプラスチック製品を、餌と間違えて食べた亀やイルカが死んでしまうゴミの誤飲は、子どもたちが見てもわかりやすい。こういうことを目にすると、陸上に住んでいる私たちの責任として、配慮しなくてはならないことが見えてくるのではないでしょうか。
美ら海水族館のリピーターは3割ぐらい。来館者の内訳を見ると、県外からが75%です。沖縄県内が23〜24%、残りが外国人です。今後は外国人の比率が高まることと思われます。
お蔭さまで、こんなに不便な所にあるのにたくさんのお客様が来てくださいます。なぜなんだろう、と考えてみたんですが、やはり沖縄の一番の魅力である青い海、水の魅力なんだろうと思います。海を切り取った形の展示ができている。それを維持しているからなんでしょう。
日本人は水が好きなんですね。私は館長になる前にはイルカの担当だったんですが、これだけの美しい水を循環させられる仕組みがあれば、水槽の中身はメダカだって満足してもらえるんじゃないかと、うがった考えを持っていたぐらいです。
沖縄のもう一つの魅力は空。空を表現できる展示はまだないんですが、海の魅力だけでなく、空の魅力を表現できる展示ができたら、美ら海がまた変わるんじゃないかと思います。
(取材:2013年2月13日)