水の風土記
水の文化 人ネットワーク

水辺の記憶を取り戻すことがまちづくりの鍵 
〜水の都・京都の歴史財産活用(Heritage Setting)〜

 水辺の空間が大事であることは、これまでも多くの人々によって語られてきました。しかし、あらためて「なぜ」と問われると、その理由を答えるには苦労します。 今回は、京都を足場に、旺盛なまちづくり活動を展開している宗田さんに、空間の意味、水辺空間がなぜ大事なのか、お話をうかがいました。

宗田 好史

京都府立大学人間環境学部助教授
宗田 好史 むねた よしふみ

1956年生まれ。法政大学工学部建築学科卒業。イタリア国立学術会議地中海地域経済研究所研究員、国連地域開発センター研究員などを経て、1993年より現職。
主な著書に『にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり』『都市に自然を取り戻す』(共に学芸出版社、2000年)等がある。

町家を残すのは女系家族

 京都市は、上京区、中京区、下京区、東山区等に分かれ、これを都心4区と呼んでいます。ここに今も2万8千軒の町家が残り、町家を活かした新しい店舗が約550軒以上あります。新たに町家に住み始めた方も約400世帯にのぼり、現在の京都は一種の「町家ブーム」と言ってよいでしょう。

 なぜ町家を大事にしようとするのか。250軒ほどの方に訊いてみました。「歴史都市京都を守る」とか、「景観を意識して」などという人はほとんどいません。

 現代日本人の消費構造は大きく変わってきていまして、モノは買わず、個性的なサービスを求めるようになっています。レストランも個性化が重視される。京都でもこの5年間に都心へ出店した全事業所の41%は飲食業です。その飲食店が個性を出したい時に、個性的な場を求め、町家に人気が集まるわけです。

 一方、今でも町家に住み続けるお宅には、いわゆる女系家族が多いとう特徴があります。お嫁さんは町家を壊す側にまわるのですが、娘さんは残します。娘と父親、あるいは妻と子供の愛情がこもる家、これが町家なのです。

 もちろん、家を守るのは基本的には女性です。ですから、町並み保存を勧める時には、できるだけ女性を中心にして話すようにしています。この方達の気持ち次第で、町家が残るか壊れるかが分かれますので。権利関係の説得などは男性といくらでも話せます。しかし、女性の場合は日々の暮らしの集積の上に感性が成り立っていますから、彼女たちの経験と感性に訴えかけるように話さないと、残したいという心を動かせません。

 ですから、周りがビルで囲まれても町家が残っているような場所の主は、「地価が上がるのを待って・・・」等と、利益をあてにして守っているのではなく、純粋に家族の暮らしを守るために残しています。立て替えてビルの上に住んだり、郊外に転居してもっと広い家に暮らすよりも、「この町内で」「この町家で」住むことが、家族のためになると考えているわけです。これが土地に対する愛着です。家族とその家に愛着を持てない人が、土地に愛着を持てるはずがありません。

まちへの想いとは

 私の家では、五山の送り火の時、妙法の妙の字が二階の窓から間近に見えます。小さくとも大文字も船形も見えます。年にたった1回、8月16日だけのことで、20時から順番に火がつき、準備の人々の声も聞こえてくるほどです。これは子どもにも、いい思い出になります。小さなことですが、住まいにはこんな個性が大事なのかなと思っています。

 このようなことは小さな幸せですが、そのような思い、愛着をもってまちに住んでいる人が、現在の日本にどれだけいるでしょうか。

 この「まちへの想い」がないと、いくらまちを活性化させようとしてもうまくいきません。京都が元気なのは、その想いを持っている方が集まっているからだと思います。

 私は、「土地に対する理解をもっている」ということが、20世紀から21世紀に変わる文化の最先端を行っている気がしています。これまでの大量生産・消費型を尊ぶ社会ではなく、個性を尊ぶ時代。つまり、個性が集まることで、地域の個性が生まれる時代。この時代の文化が「土地に理解をもつ」という心から生まれるわけです。

水辺空間の記憶

 水辺を考える時、ヴェネツィアや東京、大阪のように、湾岸部に発達した都と、京都のように河川沿いに立地した都市とでは大分違います。

 京都では、1935年(昭和10)の大洪水の記憶が残っています。大阪の場合はジェーン台風(1950)、第2室戸台風(1961)の災害の記憶が大きい。

 われわれの仕事は、土地にまつわるポジティブな記憶と、ネガティブな記憶を整理した上で、ポジティブなものを上手に引き出し、一方で安全を確保しながら、住民の土地への愛着を引き出していくことにあります。そこで住むことを不幸にしてしまうような技術的失敗は極力避けねばなりません。例えば、いくらポジティブな記憶を強調してまちづくりを行っても、洪水が1回あったらそのダメージは大変大きい。

 その意味で、水は魅力的であると同時に、災害を起こすリスキーなもので、水辺に住むにはその厳しさがある。ですから、やたらと親水空間をつくろうというわけにもいきません。そして、現在では、人々が、水辺の良い記憶と悪い記憶を共に見失っていることは見逃せません。

 一方、町家は水辺空間と異なり、悪い記憶をもっていない。大火は蛤御門の変(1864)以来起きていませんし、大きな地震も安土桃山時代の伏見地震(1596)以来起きていない。ところが、1935年(昭和10)年の洪水の記憶は、いまだに河原町界隈、特に南部では残っています。

魅力的な都市とは:ヘリテージ・セッティング

 水辺というのは、日本のような木造密集市街地では唯一開けた公共空間です。ですから、当然、みなさんが注目します。水辺でライトアップもします。ただ、目を全国に転じると、地方都市では、みなさんが戸外で時を過ごすということをしなくなりましたね。

 一人暮らしの世帯が京都市内で39%、東京区部で41%です。今や家族の人数は約1.2人。家で籠もっていても、することはテレビを見たりコンピューターをしたり。ですから、外食などをしに外に出てきてもよいのですが、それを受け止める魅力的な都市空間を造っていないという問題はあります。

 魅力的な都市空間とは、歩きやすいまちです。もちろん、景観やイベント等も大事ではあるのですが。

 歩行者はいったいまち中で何に目を惹きつけられるのでしょうか。実際に歩いている人にアイカメラをつけてもらい、何を見ているか調査しますと、建物など見ていません。見ているのは「商品」と「歩いている人」です。男性は女性と商品を見て、女性は商品と女性を見る。つまり、商品とそこを歩いている女性が目を惹くわけです。

 まちのソフト化、女性化と表現してもいいと思いますが、この流れに応じてこの10年で出店数が伸びているのは飲食店です。次は美容院。そして、今はエステサロンなどが伸びています。それを追いかけるようにコンビニやファッションが出てくる。ファッションが出てきたら、そのまちの活性化はホンモノです。一方、こうした業種が駆逐しているのが、麻雀、カラオケ、パチンコなど、男性の娯楽施設です。

 イギリスでは、ソフト化し女性化に成功し、まちが活性化しています。そのイギリスのキーワードは、「スペシャリティショッピング・イン・ヘリテージセッティング」(Speciality Shopping in Heritage Setting)。このヘリテージを遺産と訳すとうまく意味が伝わらずぴったりと当てはまる日本語がないのですが、特別なものをヘリテージ風に置く。すると人が惹きこまれる。これで成功したのが滋賀県の長浜、黒壁のまちづくりです。

 これを水辺で応用することは、まだ上手にできていない気がします。

 町家は、このヘリテージ風の一つで、昔はこの価値に多くの人は気づいていなかった。

 私が京都に来たのは11年前ですが、当時、町家はほこりをかぶっていました。京都市では1982年当時、「町家を保存すべき」と考えた人が20%でした。これが88年になると32%、2000年では83%になっています。82年当時は日本人の平均年齢が30歳前後。現在は40数歳で、地元の人々が成熟化すると共に町家が好きになってしまう。そこで、今は、町家が誇りになっている。

 また、この間に、町家がどんどんなくなってきた。なくなってから、町家に込められた価値に気づいてきたという側面もあります。機能的ではないことのもつ豊かさです。

 要は、自分の住む場所にどれだけの想いを込めているか、それが問題なのです。

京の水辺づくりは応用できるか

 一昨年、NHKが「京都は水の都である」というメッセージを載せた番組を放送し、いろいろなフォーラムも行われました。あのキャンペーンの成功は、水辺の記憶を呼び込めたことにあると思います。

 地下水、みたらし祭り、ホタルブーム・・・。高瀬川や琵琶湖疎水にホタルを放つ。ホテルに泊まっている人々や、レストランに来た人が、ちょっと目を外に転じるとホタルが飛んでいる。昔ホタルが飛んでいたほとんどの場所に、いまホタルが飛ぶようになった。元の生息場所は違いますので、もちろん生態系は全然ちがうわけですが。

 葵祭も、水の祭礼であるということがポイントです。斎王(さいおう:皇女で神職につく者を斎王と呼ぶ)が小さな女の子を二つ連れて、上賀茂、下賀茂で手をすすぐ儀式をし、それがハイライトになっており、TVなどでも放送するようになりました。水にまつわる神事を京都市全体がグレードアップすることをしています。川の清掃活動などの上に、文化的活動を載せていくわけです。

 水辺に出てくる機会をつくり、水は大切なもの、水はきれいなもの、水は京都を支えてくれているということを上手にアピールする。そういう大きな流れがあり、現在の京都では町家に匹敵するブームとなっているのが「水」です。

 町家が成功したのと同様に、水も京都の人々の記憶から呼び覚ますことをねらっており、みたらし祭りなら、子どもの頃おじいさんが連れて行ってくれた、それだけおじいさんが大事に思っていたという記憶がたくさん出てくるわけです。そして、自分たちが水辺で暮らしているということを意識するようになる。

 この事例を、他のどのまちでも当てはめることができるかどうかはわかりません。ただ、もう一度その地域の水の遺産、ヘリテージというものを、どれだけ豊かにそこに住んでいる方が想像力を喚起できるようにクリエイトしていくかが大事なことと思います。

 えてして歴史家は、人々の豊かな想像力を阻害するような解説を書いてしまう。これが失敗であって。われわれはもっと自由な想像力を喚起できるような、現代の市民が求めニーズにあっているものに転換できるのではないかと思っています。

 このことは怖さの記憶についても同様です。思い出すべきです。しかし、だからといって、堤防が唯一の解決策とは思いませんが。3割ほど余分に工事費を出せば同じ安全度で近自然型工法の護岸ができることはわかっていますし。人間が安全性だけで生きているわけではなく、それを犠牲にしても求めるべき暮らしの質があることもわかっている。そこで、環境や文化などの柱をたてて、どういう水との関係が求められているかを話していかねばならないと思いますが。

ヘリテージの中身

 イタリアでは住民参加のまちづくりというのは意外と活発ではないですね。住民評議会、地区評議会など、住民の意見を吸い上げる組織はボローニャやフィレンツェ等の革新自治体ではありまして、それはそれで優れたしくみで一定効果を発揮しました。しかし結局は、イタリア全土に普及はしませんでした。

 私はピサにいたのですが、サン・ラニエル祭りというイベントがあり、川沿いをライトアップします。それは市民参加で、窓辺にベニヤの桟をつけ、コップに入った蝋燭を立てていき、素晴らしいものでした。意見を述べるのではなく、イベントへの参加は盛んなのです。

 ヴェネツィア、ピサ、ジェノヴァ、アマルフィのレガッタ競争など、水辺を祝祭空間として見立てることもあり、イタリア人は、それがうまい。水辺にまちの誇りとなるような美しい町並みが揃っている。そして、「水辺はまちの表なのだ、水辺をきれいにしなくてはいけない」という気持ちを盛り上げる。

 最近、ローマ市がつくった都市計画でテルベ川沿いの再生に乗り出しています。河川沿いは公園にするという考え方で、緑をおいて、広場をおいて、ヘリテージ風にする。それがちょっとあるだけで、都市の大きな魅力になります。

 川が見える窓、川沿いの家はもちろんリスキーなわけですが、そこに住むことがどれだけ幸せなことか。京都でも、いまだに町家で最高なのは、鴨川が見える町家ですよ。

 ヘリテージの中身を見つけるように、豊かな歴史を演出する努力も必要でしょうし、それを都市デザイナーが意識することも大事なことでしょう。結局、ポイントは、外の人間ではなく、地元の人が子どもと一緒にどれだけ楽しんでくれるかですから。そういう住民参加ができるような、地道なコーディネートぶりが必要です。それをできる人材は、これから全国で出てくるのではないですか。

まちづくりコーディネーターの仕事

 まちというのは、譬えてみれば「患者さん」です。日本のまちは、どこも成熟し、強いて言えば70歳、80歳代の患者さんのようなまちが多い。ここで医者は、診察、診断、治療をするわけですが、一番大事なのは診察です。下手なまちづくりコーディネーターに限って、すぐ治療をしたがります。

 診察というのは、患者さんは痛みを伴いますから嫌がります。行政も原因発見を嫌がりますね。でも、怖がらずに診察してデータを取るべきなんです。丁寧に検査を重ね、わかったことを伝え、誰が見てもこの診断しかないという所までデータを集めるのが医者の仕事です。だいたい、成熟したまちは、往々にして複合病を併発している場合が多いですから、それが解き明かされれば、あとは誰が来ても治療はできます。そこまでするのが専門家であって、治療には素人でもできるものもあります。

 ただ、注意しなくてはいけないのは、土木屋は外科医で、われわれのようなまちづくり屋は内科医です。年寄りに外科手術を行うとダメージが大きすぎる場合がある。われわれが時間をかけてじわじわと内科処方をすすめている時に、いきなり道を造ったり、橋を造ったりする。サージカル・インターベンションを外科手術といいますが、公共事業はパブリック・インターベンションと言います。どちらも介入という意味です。

 例えば道路拡幅のために沿道区画整理事業を行う時でも、今75店舗ある内、何店舗が廃業し、何店舗が新築するか、きちんとデータを取って調べていればわかります。もしかしたら補償金をもらって別の場所に家を建てて移ってしまい、実際には30店舗に減る場合もあります。そこに何人の人が新陳代謝で新たに入ってきてくれるか。地価も勘案すれば、それもだいたいわかります。ですから、このままいじらずに75店舗残し、自然消滅を10年延ばすか、あるいは、いきなり外科手術を行い30軒に減らし殺してしまうかという選択が、地元の人にも迫られるわけです。外科手術を選択する人々は、区画整理を行っても30店舗からまた店が増加すると思っているわけですが、われわれはデータを踏まえ「ちょっとそれは予測できないぞ、だから慎重に」と言うことが役目です。

 そういう意味では、まちづくりコーディネーターにも、内科、外科の良好な協力が必要となるのでしょうね。

 (2004年6月14日)



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