機関誌『水の文化』50号
雨に寄り添う傘

ファッションとしての傘
−−イギリスとの対比から考える魅力とは

ロンドンは霧や雨のイメージが強いけれど、イギリスの人たちはあまり傘をささないといわれる。男性の傘はステータスシンボルであり、女性の傘はファッションの側面が強い。日本とイギリスの対比から垣間見える傘の魅力について、服飾史家の中野香織さんに語っていただいた。

服飾史家
明治大学国際日本学部特任教授
中野 香織(なかの かおり)さん

1962年(昭和37)生まれ。ファッション史から最新モードまで、幅広い視野から研究・執筆・レクチャーを行なう。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得。英国ケンブリッジ大学客員研究員などを経て文筆業に。2008年(平成20)、明治大学国際日本学部特任教授に就任。『モードとエロスと資本』(集英社 2010)、『ダンディズムの系譜――男が憧れた男たち』(新潮選書 2009)、『愛されるモード』(中央公論新社 2009)など著書多数。

ステータスシンボルだった英国紳士の愛用傘

 私の知る限り、傘の歴史を体系的にまとめた文献はごくわずかしかありません。特に雨傘が大衆化してからは、傘を「道具」と「ファッション」、どちらで捉えるべきか難しい選択です。いずれにせよ西洋人、特にイギリス人にとって、雨露をしのぐ方法は帽子やコートが一般的です。雨傘もあるにはあるのですが、よほど激しい雨のときしか傘を開かないようです。

 どんなファッション史にもレジェンドと呼ばれる人物がいるものです。イギリスの雨傘でその役割を担ったのがジョナス・ハンウェイでした。イギリスで雨傘が使われるようになったのは18世紀。旅行家だったハンウェイは外国から、担ぐようにして持ち歩かなければいけないほどの、大きな雨傘を持ち帰りました。

 当時の傘といえば、主に女性が使うパラソル(日傘)が主流でした。男性が傘をさすこと自体が珍しく、大きな傘をさしてまちを歩くハンウェイを見て、おしゃれなアイテムとは思われなかったようです。後に現在のようなコンパクトな形に近いものが開発され、雨傘は次第に認知されるようになりました。

 一方、細く巻き上げた傘は一種のステータスシンボルとしても見なされるようになりました。当時の英国紳士の肖像画を見ると、17世紀以降、彼らが手に持つのはサーベルから乗馬鞭、ステッキ、そして雨傘へと移り変わっていきます。雨傘は畳んでしまえば細いステッキ状になり、あるときは武器にもなり得る。そうしたものを持っていることが英国紳士のステータスになったわけです。

 こうしてイギリスに高級傘メーカーが創業していきます。1868年(慶応4・明治元)に創業したフォックス社(フォックス アンブレラズ)もその1つです。フォックスの傘は畳んだときに美しくなるようにつくられています。イギリスでは50ペンスほどで傘をきれいに畳むことを商売にしている人がいるほど、雨傘をいかに細く巻き上げるかに価値があります。

 もう1つ、イギリスの高級傘メーカーとして有名なのが、1836年(天保7)創業のブリッグ社(注)です。傘の先端まで1本の木材でつくられた美しいハンドル(手元)が特徴で、そのハンドルにはお酒を入れるフラスコが仕込まれているものもあったそうです。そんな遊び心が英国紳士らしいですね。

(注)ブリッグ社
英国傘メーカー「ブリッグ」は鞄メーカーと合併して「スウェイン・アドニー・ブリッグ」となっている

英国女王のビニール傘コーディネート

 では、英国淑女にとっての雨傘はどうでしょうか。つとに有名なのは、英国女王も使われているフルトン社の高級ビニール傘「バードケージ」です。鳥かごという意味のとおり、深いアーチ型のデザインが特徴です。

 英国女王であるエリザベス2世は「ワンスタイル&マルチシェード」というスタイルを貫いています。基本的なシルエットや組み合わせはほぼ一定だけれど、テーマカラーだけは常に異なるというスタイルです。例えば、黄色でコーディネートするなら、ハンドルやオーナメント(装飾)が黄色のバードケージを選ぶわけです。大衆にご自分の姿を見せるためのビニール傘であり、コーディネートの色の数だけ雨傘をおもちなのですね。

 このように英国紳士&淑女の雨傘は「ファッション」の側面が強いですが、雨傘はトータルコーディネートで見られることが多いと思います。高級スーツに身を包み、高価な靴を履いていても、安価なビニール傘を持っていたらアンバランスですよね。

 傘1本に愛着をもつ生活はなかなか楽しいと思います。なにより、一度よい雨傘を知ってしまうと安い傘に戻れなくなります。ハンドルが木でできている高級傘ならば、ハンドルの経年変化を楽しむという価値さえ含まれています。1本数万円するフォックス社やブリッグ社の高級傘、もしくはコーディネートのたびに変えるバードケージなどは安価なビニール傘と趣向の異なるものです。

 ただし、英国紳士的な価値観に沿っていえば、傘は贅沢品の要素をもっているとはいえ、あまりにも執着しすぎるのは恥ずかしいことです。雨傘はなくしたり盗まれたりすることが多いとはいえ、肌身離さず持ち歩くわけにもいきません。そのうえ、鞄や靴や帽子を他人とシェアすることはありませんが、傘は他人との間で貸し借りすることが多々あります。つまり、雨傘はファッション的な要素をもちながらも、取り替え可能な道具としての要素が強いのだと思います。

英国の高級ビニール傘「バードケージ」を使われるエリザベス女王


英国の高級ビニール傘「バードケージ」を使われるエリザベス女王
写真:Press Association/アフロ

傘を魅力的にする雨音と相合い傘

 では文化的な意味合いで、日本における傘の魅力を高めていくには、どうすればいいのでしょうか。

 私なりに考えた答えが、日本特有の「情緒」です。

 イギリスでは、パラソルは淑女の贅沢品として発達してきましたが、ロマンティックな小道具としても使われています。例えば、ちょっと気になる紳士がいたとします。しかし、その人をまじまじと見るのは、英国淑女にとって恥ずべきこと。なので、パラソルをさしながらちらっとその男性を見て、目が合ったらさっとパラソルで顔を隠す――。一種の「フラーティング」と呼ばれるものですね。恋の駆け引きとまではいかない、軽い戯れのことです。

 私はこうした、どこか情緒的ともいえる要素が、傘の魅力をより一層引き立てるのではないかと思います。さいわい、日本では雨や傘に関する表現がとても豊富ですね。例えば「相合い傘」。イギリスは階級社会の価値観が色濃く残っていますので、紳士が淑女に傘をさしかけることはあまりありません。傘をさしかけるのは執事の役目です。相合い傘というハッピーな表現は、縦書き文字をもつ日本特有の文化なんですよ。

 質のいい雨傘は、雨をはじく音さえも心地よいものです。相合い傘の下は自然と特別な空間になるので、心地よい雨音を聞きながら気のある者同士が会話をすれば、2人の距離はグッと縮まるに違いありません。

 これはおそらく、日本人にしかできないフラーティングです。日本の男性は、すぐにでも高級な雨傘を手に入れて、ぜひお試しください。

『相合傘 市村亀蔵・中邑喜代三』

『相合傘 市村亀蔵・中邑喜代三』
男女の相合い傘を描く場合、傘の柄を男性は右手で握り、女性は左手を添えるのが一般的。2人同時に柄を持つのが相合い傘、1人だけ持つと差しかけになってしまう
石川豊信 画/18世紀中ごろ(岐阜市歴史博物館蔵)



(2015年4月21日取材)

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