機関誌『水の文化』50号
雨に寄り添う傘

どこまでも理想の傘を追い求めて

東京・自由が丘にある「Cool Magic SHU’S(クール・マジック・シューズ)」。

東京・自由が丘にある「Cool Magic SHU’S(クール・マジック・シューズ)」。

都内に1万本もの傘を展示する専門店がある。その運営元である洋傘メーカーを立ち上げた林秀信さんは、番傘職人の仕事を飽くことなく見つめた子ども時代の夢をかなえようと、不惑を迎えてから傘業界に飛び込んだ。「丈夫な傘をつくってほしい」と富山県で言われ「ご当地傘」の開発にも取り組む。もっと楽しく、もっと便利に、もっと多くの人に――そんな思いで今日も傘をつくりつづけている。

株式会社シューズセレクション 代表取締役社長
林 秀信(はやし ひでのぶ)さん

1946年(昭和21)長崎県生まれ。上京後、飲食店経営などを経て、洋傘の研究開発に取り組む。1986年(昭和61)に株式会社シューズセレクションを設立。名刺に「年中無休」と記載しているくらい、常に傘の新しいアイディアを考えている。

世間を驚かせた500円の折り畳み傘

 2014年(平成26)春、東京・自由が丘に世界でも珍しい傘の大型専門店「Cool Magic SHU’S(クール・マジック・シューズ)」がオープンした。

 ガラス張りの4階建てのビルは、全体が巨大なショーケースのようなつくりで、およそ1万本もの傘が所狭しとディスプレーされている。取材した日、外は日差しがまぶしいほどの晴天だったが、店内に客が途切れることはなく、思い思いにお気に入りの傘を選んでいた。

 このショップを運営するのは、洋傘メーカーの株式会社シューズセレクション。社名の「シューズ」は靴ではなく、創業社長・林秀信さんの「秀」の字を音読みしたものだ。

「Water front(ウォーターフロント)」という同社のブランドが広く世間に知られるようになったのは、2000年(平成12)に発売を開始した「スーパーバリュー500」シリーズがきっかけだった。定価500円のコンパクトでカラフルな折り畳み傘は、ハイブランドの高級傘と使い捨てのビニール傘に二極化していた傘市場に新風を吹き込んだ。以来、「良い商品を低価格で」を信条に、さまざまな機能、デザインの傘を開発し、現在、オリジナルの商品は5000アイテムを超える。驚くことに、それらすべての傘は、林さんのアイディアをもとにつくられている。

 田園調布にある瀟洒(しょうしゃ)なゲストハウス兼ショールームを訪ねると、林さんが自ら出迎えてくれた。

「ここは、傘のために建てた家なんです。窓ガラスは四重になっていて、室内の温度や湿度も一定に保てます。理想的な環境でしょう? 贅沢かもしれませんが、傘がそれくらい大切にされる場所があってもいいと思うのです」と林さんは言う。

 ショールームに並ぶ傘を一つひとつ手にとり、その特長や開発秘話を熱心に語る姿からは、自身が開発した傘への深い愛情が感じられた。

  • 中庭には「水がなければ乾いてしまう」と傘用のプールも

  • 東急東横線・目黒線「田園調布駅」のそばにある迎賓館「御秀(ぎょしゅう)」

    1棟丸ごと、傘のためだけの「家」だ。1Fのゲストハウスから赤いカーペット敷きの階段を地下へ降りるとショールームになっている。中庭には「水がなければ乾いてしまう」と傘用のプールも

  • 赤いカーペット敷きの階段

    赤いカーペット敷きの階段

  • 中庭には「水がなければ乾いてしまう」と傘用のプールも
  • 東急東横線・目黒線「田園調布駅」のそばにある迎賓館「御秀(ぎょしゅう)」
  • 赤いカーペット敷きの階段

ただ傘が好きだった それが原動力

 林さんは、傘好きが高じて、40歳になって初めてこの業界に飛び込んだというユニークな経歴の持ち主だ。

長崎に暮らしていた子ども時代、ひまさえあれば近所の番傘職人の家に上がり込み、傘づくりの様子を飽きることなく眺めていたという。

「当時は、年2回のお祭りでしか買えないくらい傘は貴重品で、1本の傘を家族で何年も大切に使うのがあたりまえでした。そんな貴重な品への憧れもあり、手作業でつくられる傘の圧倒的な美しさに、すっかり魅了されたのです。でも、まさかそれが自分の仕事になるとは考えていませんでした」

 10代で上京し、東洋医学を勉強して治療院を開いた。すると腕がいいと評判になり、瞬く間に大繁盛。次に飲食店事業へと進出し、そこでも順調に業績を伸ばしていった。他人から見ればうらやましい話だが、林さんの胸中は複雑だった。

「ビジネスとしては成功だったのですが、ずっと何かが違うと感じていました。私は、ほんとうは〈ものづくり〉がしたかった。そのとき、子どものころから好きだった傘を思い出したのです。よし、傘をつくろう。そう考えた途端、迷いがなくなりました」

 いくつものことを器用にできないという林さんは、それまでの事業をすべて手放し、傘づくりに全精力を傾けた。とはいっても、傘づくりの知識もノウハウもないゼロからのスタートだ。まずは、傘の産地で有名な茨城県の古河市に縫製工場を建てて、職人を集めた。同時に、傘専用のミシンを事務所に置き、職人を招いて傘のつくり方を必死に学び、技術を身に付けようとした。

「最初は得意になって、自分で試作した傘を持って営業に行っていたのですが、やはり仕上がりがどこか不格好で……。これでは売れるものも売れやしない。ものづくりと言っても、自分は傘のアイディアを考えることに注力した方が効果的だと気づきました」

傘への隠れたニーズは暮らしのなかにある

 異業種から傘の世界に参入した林さんは、独自の視点から次々とオリジナル製品を開発した。例えば骨が24本ある傘。番傘をヒントに、軽量化を工夫したところ、風に強く美しい傘として話題になった。「洋傘は骨が8本」という業界の常識にとらわれない発想から生まれた製品だ。

 2003年(平成15)に発表した「ポケフラット」は薄型の折り畳み傘で、今も同社のいちばんの売れ筋となっている。ポケットやカバンにすっきり収まる傘がつくれないかと考え、扇子の構造から、骨を斜めに重ねて平たく畳むことを思いついた。「生まれて初めて、天才と言われました」と林さんは笑う。

 日常のちょっとした気づきから、「こんな傘があったらいい」と思いつくと、それを形にせずにはいられない。カバンが濡れないように傘の片側を広くした傘、ワンタッチで閉じられる折り畳み傘、男性がスマートに使えるようデザインした男らしい日傘など、林さんがつくる傘はどれも着眼点がユニークだが、たしかに必要とする人がいるものばかりだ。

 地方に行けば、そこに暮らす人々の声に耳を傾け、新しい傘のヒントを探す。例えば富山では、「強風や雪の重みで、傘がすぐダメになる」と嘆く声を聞いた。そこで、しなやかで丈夫なFRP製(注)の傘骨を使って強度を上げ、なおかつ軽く、見た目もすっきりとハンサムな傘「富山サンダー」を開発した。

 桜島の火山灰に困っている鹿児島の人々のためには、「桜島ファイヤー」をつくった。肩まで覆うキャップ型のビニール傘で、風に舞う火山灰を防ぐことができる。小学生のランドセルもすっぽり入り、視界を妨げないので安全性も高い。こうしたご当地傘は、地元の人はもちろん、その機能性を評価してさまざまな人が購入している。そのほかにも、海辺の強い紫外線をシルバーコーティングで99%カットする「湘南スーパーテトラジャンプ」など、遊び心あふれるご当地傘も次々と発表。地方によって気候や環境が異なるように、その土地ならではの特徴をもつ個性的なご当地傘が、全国各地に誕生するのもおもしろいかもしれない。

(注)FRP製
FRPとはFiber Reinforced Plasticsの略称で、繊維強化プラスチックを指す。ガラス繊維などをプラスチックに混ぜて強度を向上させた複合材料。

ご当地傘の1つである「桜島ファイヤー」。


ご当地傘の1つである「桜島ファイヤー」。火山灰を避けるために、首から上を覆うキャップ型のフォルム

もっと楽しく、もっと魅力的な傘を

 林さんが傘づくりでこだわるのは、バランスと美しさだ。バランスのいい傘は、優れた建築物と同じように、見る者の目に心地よい。さらに、女性用の傘は上品な貴婦人のようなたたずまいで、男性用の傘は力強くクールな男前であることが理想という。

「自分のつくりたい傘をつくること」が最優先なので、世界進出には興味がないと言うが、林さんの傘は海外でも人気。日本から大量にお土産として買って帰る人も多い。なかには品番まで指定する外国人観光客もいる。特に成田国際空港の売店における販売本数は相当なもの。

「自分の傘が広く認められるというのは、やっぱりうれしいですね。実際、日本の傘文化はヨーロッパなどと比べても、とても豊かになってきていると思います。でも私は、もっともっと傘を日常生活に取り入れて楽しむようになってほしいですね」

 そのためには、ファッションと同じように、新しい魅力的な傘を次々とつくり出すことが大事だという。

「いつも新鮮な驚きがあって、選ぶのが楽しければ、すでに傘をもっている人でも、また1本、さらに1本と買ってくれるでしょう。だから手に入れやすい価格帯を維持するのもとても重要なんです」

 頭のなかには傘のアイディアがあふれていて、時間がいくらあっても足りない。その究極の目標は、「人類を傘から解放すること」だそうだ。

「天気予報を見て、今日は雨が降るのか、傘を持っていくべきなのかを毎日悩むのは煩わしいもの。だから私は、常に携帯できる万年筆サイズの傘をつくりたいのです。そうすれば、急な雨に遭遇しても、傘を持ってなくて悔しい思いをする人がいなくなります。決して夢物語ではありません。私が生きているうちに、必ず完成してみせますよ」

 林さんの話を聞いていると、傘の進化が楽しみになってくる。次はどんな傘を生み出して、私たちを驚かせてくれるのだろうか。

迎賓館「御秀」地下1階のショールームで、お気に入りの傘を手にする林さん

迎賓館「御秀」地下1階のショールームで、お気に入りの傘を手にする林さん



(2015年4月24日取材)

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