機関誌『水の文化』51号
水による心の回復力

ひとしずく
ひとしずく(巻頭エッセイ)

川の話

ひとしずく

作家
梨木 香歩さん

1959年生まれ。小説作品に『西の魔女が死んだ』『家守綺譚』『沼地のある森を抜けて』『ピスタチオ』『f植物園の巣穴』『雪と珊瑚と』『冬虫夏草』など、エッセイに『春になったら苺を摘みに』『ぐるりのこと』『水辺にて』『渡りの足跡』『鳥と雲と薬草袋』などがある。

 九州山地の外れ、わりに標高の高い場所に山小屋をつくってから、もう四半世紀が過ぎた。たまに行くだけだが、そのくらい長い間縁を持っていると、自然に地元の人とも知り合いになる。

 その中でもHさんの経歴は異色だ。もう八十は過ぎていらっしゃると思われるが、もともとは子爵の次男で神奈川県にお住まいだった。十代の頃、家庭教師をしてくれていた米国人の女性に恋いこがれて周囲の反対を押し切り、彼女について米国に渡った。結婚し市民権を得、軍隊に入った。軍隊に入れば無料で大学で学べるというシステムに引かれてである。除隊後メリーランド大学の水産学部に入り、院で研究を続け、魚類博士になった。そのうち日本の地方の国立大学から招かれ帰国、教授職についた。時代はバブル景気の頃で、Hさんはクルーザーで釣り三昧、米国仕込みの豪奢な生活を送っていたが、株かなにかで大失敗し、財産をすべてなくし、おまけに奥様まで難病で亡くした。すっかり自暴自棄になり、電車に乗って九州の外れで降り(ここが私の山小屋のある場所に近かったのだ)、そこの小さな温泉旅館で下足番として働いていた。数年後、教え子たちが、足跡を辿ってたずねてくるまで(Hさんはそれまで経歴を明かしていなかった。旅館の女将さんは、やっぱり、と頷いたそうである)。

 今はその旅館を辞して、近くの川のそばに山小屋を建て、一日一組限定のレストランなどをしている。たまに地元の新聞に環境問題のことなどについて文章を書くこともある。昔は大きなアメリカ車に乗り馴れていらっしゃったのだろうが、今は自転車で山道を行き来する生活だ。

 そのHさんに、地元の川の源流に連れて行っていただいたことがある。

 道は途中で立ち消え、小さな流れに沿って歩くと、やがて水底から一つ二つ、空気が浮き上がるように水が湧いてくる場所があった。傍らには、湿った、黒っぽい岩壁が覆い被さらんばかりにそそり立ち、一面にイワタバコの花が咲いていた。イワタバコのあれほどの群生は、そのとき初めて見た。勧められて飲んだ足元の水は、清らかで体が悦ぶのがわかった。それから少し下ったところで、私たちは小さな釣りをした。川遊びをしたいという私の要望に応えて下さったのだ。さっきのような、純度百パーセントのようなところには、生きものはあまりいないんです、きれいすぎて。この辺りで、ようやく、小さな魚ぐらいは出てくる。そう言いながら、簡素な釣り道具を取り出した。私たちは河原の石を裏返し、カゲロウの幼虫を針の先にくっつけて、カワムツを釣った。食べるとしたら唐揚げかしら、と私が言うと、こうやって、と、Hさんは小さなカワムツを頭から丸ごと呑み込んだ。目を丸くしていると、だいじょうぶ、きれいなもんです、と笑った。Hさんは、こんなふうに、今、川べりで命を繋いでいるのだ、と思った。太平洋で海釣りをしていたHさんは、川を遡り、ほんの少し、命のにぎわいがある、そんな場所を見つけたのだった。

源流付近の清冽な水。地中から湧き出した一滴一滴が集まり、生命を支える川となる


源流付近の清冽な水。地中から湧き出した一滴一滴が集まり、生命を支える川となる
写真:小川秀一/アフロ



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