日々感じる何かしらのストレスは、「三つのR」に表されるストレス対処法によって軽くすることができるという。そして、滝を眺めたり、川辺で穏やかな時間を過ごすといった「水空間にふれること」でも同じような効果が得られるそうだ。私たちが心身を健やかに保つヒント、そして水辺が人の心にもたらす価値について、精神科医の古賀良彦先生に語っていただいた。
杏林大学医学部精神神経科学教室教授
日本ブレインヘルス協会理事長
古賀 良彦(こが よしひこ)さん
1946年(昭和21)東京都生まれ。1971年(昭和46)慶應義塾大学医学部卒業。医学博士。1976年(昭和51)杏林大学医学部に転じ、助教授、主任教授などを経て現職。うつ病、睡眠障害、統合失調症治療・研究のエキスパートとして、日本催眠学会理事長、日本薬物脳波学会副理事長なども務める。著書に『いきいき脳のつくり方』(技術評論社 2010)、『早引き 心の薬事典』(ナツメ社 2011)など。
私たちが心身ともに穏やかに過ごすには、どのような精神の状態がベストだと思いますか?
日常的に感じる「ストレス」や「ホッとする」といった感覚は、自律神経と大きく関係しています。自律神経は交感神経と副交感神経からなり、交感神経はストレスなどを感じ緊張した状態、副交感神経はそれとは逆の働きをする神経です。通常両者はバランスがとれていて、「ホッとする」という感覚は、副交感神経の働きが交感神経よりも少しだけ上回った状態です。
とはいえ人間は難しいもので、気持ちがゆるみすぎてもよくありません。理想は、やわらかなのにほどよい緊張感があり崩れない「ところてん」のような精神バランスです。私たちは、自分でこのような状態を積極的につくり出した方がいい。ストレスは頭痛や不眠などを引き起こす「心身症」の要因になりますので、そのつどうまくやりすごすことが大切なのです。
そこで、「三つのR」に表されるストレス対処法をご紹介しましょう。 ①Rest(レスト=休養)、②Relaxation(リラクゼーション=くつろぎ)、③Recreation(リクリエーション=活性化)です。ストレスの語源は「歪む」。体も気持ちも歪んでしまった状態は、休んでリラックスすればそれ以上悪化はしませんが、元には戻りません。ストレスのない丸い円の状態に、自分をつくり直す必要があります。
「休んで、くつろいで、積極的に自分をつくり直す」。これを力まず、でも意識して、毎日少しずつ心がけることで、ストレスは溜まりにくくなります。
具体的に何をすればよいのでしょうか。それは、ちょっとした楽しみをもち、一瞬でもいいので「夢中」になることです。条件は、簡単でお金がかからないもの、しかも日替わりでできるものだと、なおよいです。
例えば、忙しいから夕食をコンビニ弁当で済ませる人がいますが、卵焼きなど一品だけでいいのでつくってみる。たくさんだと準備や後片付けがたいへんですから。料理をすると一瞬夢中になりますよね。何かに夢中になってそれしか考えない瞬間をもつことが、ストレスをやりすごすことにつながります。
そういった意味では、今回のテーマである「水辺」も「三つのR」を巧まずして満たしてくれるものだと思います。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」と鴨長明が『方丈記』で記しているように、川はいつも新鮮なものですね。滝や湖もそうです。ずっと同じところに同じ水があるわけではなく、刻々と変化しています。そもそも、水があれば、そこには生命がある可能性がきわめて大きい。水から生まれた人間という存在をみんな無意識に感じていて、だから水のたっぷりあるところに行くと懐かしい感じがしたり、くつろいだ気分になると思うのです。
カナダのバンクーバーを旅したときにおもしろいなと思ったのが、滝や川、湖など水のそばに行くと、不思議なことに人間はあまり動かなくなるんです。無とは違いますが、静かになります。水辺は気持ちをゆったりさせ、何も考えない穏やかな瞬間ができるのでしょう。それがレストやリラクゼーションを満たします。公園でも、芝生だけの公園に寝転ぶより、水場があるほうが長くくつろげると思うのです。
さらに、水辺に行くまでのプロセスがリクリエーションになりますね。自転車を走らせれば、風をきる新鮮な感覚が味わえます。リラクゼーションということでいえば、水族館のクラゲを見ていると同様の効果を感じる人が多いようです。おそらく、あの人間の想像を超えた動きが魅力を感じさせるのでしょう。
また、特に滝などは、落ちたら大変なのでほどよい緊張感があります。危険とはいわないまでも、やや気を引き締めながら心洗われる感じがありませんか? 副交感神経寄りでゆるみすぎるのではなく、交感神経がよい緊張感を支えている。滝を眺めることは、人間にとって非常によい精神のあり方に近いのではないでしょうか。
私たちの日常のほとんどの場面は、テレビやパソコン、スマートフォンが支配する「オーディオビジュアル」の世界だといわれています。つまり五感がありながら、「見る」「聞く」の二つしか使っていないのです。しかし、水辺は私たちが普段使っていない感覚をもたらします。
水辺に行くと、水にさわってみたり足を浸けたりという行為を、自然にやろうとしませんか? また、湖でも川や滝でも、森の香りや生きものなど、必ず新鮮な「匂い」があります。このような感覚は、オーディオビジュアルだけで味わうことはできません。普段使っていない感覚を自然のなかで刺激する。それが、自分を一瞬でも日常とは違う世界に連れていく。だからリクリエーションにつながるのだと思います。
それは、なにも遠方である必要はありません。歩いて、あるいは自転車で行ける近所の水辺で十分です。同じ川でも、日によってまったく違うはずです。ちょっと雨が降れば、匂いも、水の色も、気温も違う。そういったことをほんの少し意識するだけで、いつもとは違う新鮮な刺激に出合える。水辺とは、そういう場所なのではないでしょうか。
(2015年8月5日取材)