機関誌『水の文化』51号
水による心の回復力

文化をつくる
「水空間」に浸ると身も心も軽くなる

編集部

本来の「癒し」は受け身ではない

 水には人の心を癒す力があるといわれる。研究論文によると、たしかに水辺にはストレスを軽減する効果がある。では、ストレスで身も心も歪んだ私たちに、水辺や水空間はどんな影響を及ぼすのか。

 概説は文化人類学者の上田紀行さんにお願いした。上田さんは「癒し」という言葉を最初に使った人物だ。実は、今回の特集の出発点は「水辺の癒し」だったが、癒しという言葉は受動的な感じがするので、使わないでおこうと思っていた。

 ところが上田さんが提示した「癒し」とは、「私を癒し、世界を癒す」という思想のもと絆を取り戻し、世界をもっと生きやすい場所にすることで傷ついている自分も癒そうという、きわめて能動的な意味だった。

 現代社会の問題に警鐘を鳴らす上田さんに、あえて人類の歴史から解き明かしていただいたのは、今の生きづらさがどこからくるのか知りたかったからだ。必要なのは受け身の「癒し」ではなく、自身がエネルギーをもつこと。仕事以外で「自分がわくわくする何か」を見つけ、生きる喜びを感じられるような〈複線化〉がカギになると上田さんは説く。

水辺にひしめく「夢中にさせる要素」

〈複線化〉が必要な現代。私たちはいろいろなストレスを抱えている。その対処法として「三つのR」を教えてくれたのは精神科医の古賀良彦さん。ストレスのない状態に「自分をつくり直すこと」が必要で、特に有効なのは「一瞬でも夢中になること」。取材を振り返ると、たしかに水辺には夢中になる瞬間が多かった。

 ふわりふわりと泳ぐクラゲを眺めたとき。御舟かもめから大阪の街並みを見上げたとき。滝の前で「耳に手を当てて」音を聞き取ろうとしたとき。枯山水を前に座り込み、水の気配を感じようとしたとき。夢中になったそれぞれの瞬間、自分をつくり直していたのだと思い至る。

 古賀さんは「ホッとしすぎないこと」も大切だと言う。ただ休み、リラックスするだけでは不十分。滝ガールこと坂﨑絢子さんに案内していただいた滝では、苔の生えた岩場を歩いて冷や汗をかいた。適度な緊張感もまたストレスを拭い去る。

 水辺で得られるのは「安らぎ」よりも「活力」かもしれないと考えたのは、滝巡りの後に「早く仕事がしたい!」と言った女性がいると坂﨑さんに聞いてから。「滝といういちばんフレッシュな状態の水」(坂﨑さん)からエネルギーをもらったのだろう。

水に浸る時間が身も心も軽くする

 水に浸る効果を体感したのは、「水の癒し力」を五感から設計しているしこつ湖鶴雅リゾートスパ 水の謌と、天然温泉を備えた平針東海健康センターだった。仮に平針東海健康センターに風呂がなかったら、同好会活動はここまで盛んだっただろうか。練習後の風呂で身も心も軽くなるから、普段は口にしない話も飛び出す。互いの心の距離が縮まり、毎週通うのが楽しみになる。風呂を介したコミュニケーションにはそういう一面があると思う。

 興味深いのは、古賀さんが「水のそばに行くと人はあまり動かなくなる」と指摘したこと。なぜ静かになるのか? それは上田さんが提示した「水辺は異界との境界線」という観点に答えが潜んでいる。

 常に動いている海や川は、今の産業社会における固定化された陸上の生活とはまるで異なる世界だ。そう考えると水辺はまさに境目。そこにたたずむ人が静かになるのは、異界(水)を眺めていると羊水に浮かんで育ったころの記憶がよみがえり、幸福感に包まれるからなのか。

 私たちにとって、水辺や水のある空間(水空間)はどんな存在なのかという問いを、上田さんは「生きづらい社会を生き抜くために必要ななにものか」と解き明かした。水空間には私たちを夢中にさせて心を解放し、エネルギーを与える力もあるのだと認識すれば、〈複線化〉につながる趣味や生きがい、思いもよらない活動の芽が生まれてくるはずだ。



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