山で働く木こりや炭焼きの人々が、手折ったたんぽを鍋に放り込んだのがきりたんぽ鍋のはじまりといわれている
水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。今回は秋田県の「きりたんぽ」です。清らかで豊かな伏流水が育む米、そして鉱山で働く人から伝わったしょうゆを用いた「きりたんぽ鍋」は、秋田の郷土料理として広く知られています。〈発祥の地〉といわれる秋田県北東部の鹿角市を訪れ、その由来や食べ方について見聞きしました。
ぐつぐつと煮立った鍋の蓋を開けると、しょうゆの匂いが立ちのぼり、きりたんぽが姿を現した――。
きりたんぽは、炊き立てのご飯を粘りが出るくらいに潰し、おにぎり状にして杉の串に握りつけ、火であぶって串を抜いたもの。鍋に入れる際に手折るからきり(切り)たんぽといわれるが、手折る前は「たんぽ」と呼ぶ。
そう教えてくれたのは、発祥の地 鹿角きりたんぽ協議会の岩船勝広会長。たんぽの語源は、①がまの穂(短穂)に似ている、②串に握りつけるときの形が稽古用の槍(たんぽ槍)にそっくりという二つの説がある。
たんぽの基本的な食べ方は二通り。一つが鶏肉から出汁をとったしょうゆベースの「きりたんぽ鍋」。主な具材は鶏肉、きのこ、せり、ねぎ、ごぼう、こんにゃく。もう一つがみそを塗って火で炙る「みそづけたんぽ」だ。
文献が残っていないため年代こそはっきりしないものの、そもそもたんぽは山に入って杉などを伐り出す山子(やまご)と呼ばれる木こりや炭焼きの人々の間食だったという。「おにぎりを持参してもすぐに硬くなってしまうので、杉の枝に刺して焚火で炙って食べていたようです」と岩船さん。これがみそづけたんぽにつながる。また、山でキジやウサギを捕まえてつくる鍋に、手折ったたんぽを放り込んだのが、きりたんぽ鍋の原型とされる。
ここで疑問を抱く人もいるだろう。古くから冷害に悩まされてきた東北地方で米は貴重ではないのかと……。
「いえいえ、秋田は昔から稲作が盛んでした。夏は気温が上がりますし、水も豊富です」と岩船さんは言う。
たしかに秋田地方は豪雪・寒冷であるものの、夏季は暖流の影響もあって高温になるうえ、雪は豊かで清らかな伏流水をもたらす。天候さえ順調ならば米づくりに適しているのだ。事実、米と杉と金銀鉱は戦国時代からこの地の三大資源とみなされていた。
金などを採掘する鉱山もまた、大きな影響を与えた。鹿角市には708年(和銅元)の発見と伝わる尾去沢(おさりざわ)鉱山がある。しょうゆをこの地に持ちこんだのは、全国からここに集まった鉱員だといわれている。
「鉱山のおかげでしょうゆという新しい食文化が入り、今のきりたんぽ鍋になりました。それ以前はみそ鍋だったはずです」(岩船さん)
史跡 尾去沢鉱山の米田将好(まいたまさよし)係長は「実は尾去沢鉱山こそがきりたんぽ発祥の地という説もあるのです」と明かす。坑道に梁を架けるため、木を伐りに出た鉱員が、山子と同じように外で調理していた可能性がある。その証拠は、きりたんぽ鍋にこんにゃくが必ず入ること。
「当時、こんにゃくは鉱山で働く人の肺によいとされ、食べることが推奨されていたのです」(米田さん)
鹿角市が〈発祥の地〉と名乗るのは、隣接する大館市の料亭が「これは鹿角市のスタイル」と明言してしょうゆベースのきりたんぽ鍋を供したこと。それが秋田市の料亭に伝わり、さらに県内へ広がっていったという経緯がある。
岩船さんは「旬のときに食べてほしい」と願う。旬は秋だ。新米が出回り、きのこもせりも豊富にある。市内には、オリジナルのきりたんぽ料理を提供する店が並ぶ「きりたんぽ通り」もある。〈発祥の地〉の味を、ぜひ一度は味わっておきたい。
(2015年8月27〜28日取材)