製麺機などを使わず、木鉢や延し棒などの道具を使い、自分の手でこねて、延ばして、包丁で切る「手打ちそば」。そもそも江戸でそば切りが流行(はや)り、まだ機械がなかった時代からあった。「水回し」などの技が必要な手打ちそばは、そばと水の関係を体験するのにうってつけ。いばらき蕎麦の会の協力のもと、編集部がそば打ちを体験した。
そばを切った後に粉を払う。あとはたっぷりの湯でサッとゆでていただくだけだ
そば職人やそば通から高く評価されている茨城県のブランド品種「常陸(ひたち)秋そば」。実が大きく、粒ぞろいがよいうえに、香りと味わいが豊かなのが特長だ。
そんな常陸秋そばを実際に打って持ち帰れるそば打ち体験がある。そば愛好者の団体「いばらき蕎麦の会」が定期的に開催している「そば打ち講習会」だ。今回は編集部のそば打ち未経験者2名が、講習会に参加させてもらった。
そば打ち講習会では、まず講師による模範演技が行なわれる。いばらき蕎麦の会事務局次長の仲山徹さん、同事務局の掛札(かけふだ)久美子さんをはじめ4名が2組に分かれて実演を開始。大まかな流れは、篩(ふるい)通し→粉を混ぜる→加水(水回し)→練り→地延し→丸出し→角出し→肉分け→本延し→たたみ→切りとなる。
手本を見せるだけでなく、各工程の意味や注意点、作業するときのコツといった解説が丁寧なので、情報量はとても多い。それゆえ参加者のなかには、メモをとるほか動画を撮影する人の姿もあった。
実演後、そば打ち体験がスタート。編集部が挑戦したのは、そば粉500g+小麦粉200gの計700g。いわゆる「二八そば」だ。まず篩通しでは、そば粉の半分を篩にかけてから、小麦粉、残りのそば粉の順に木鉢へ。こうすると、そば粉と小麦粉が混ざりやすくなるという。
粉を混ぜたら、約350mlの水を3回に分けて注ぎ、粉にまんべんなく水を浸透させていく「水回し」に移る。1回目は水の7割程度を入れ、粉全体をかき混ぜていく。粉をあおるように上下を入れ替えることも忘れてはいけない。
パン粉状になってきたら2回目の加水。残りの水の半分ほどを注いでかき混ぜ、大きな粉の粒を細かくバラす。指先に力を入れ、手を熊手のようにし、指の間で粉を転がすイメージだ。そして粉の粘り気を見ながら3回目の加水で水加減を調整しつつ、小さな粒を大きめの粒にしていく。
実際に水回しをやってみると、そば粉のいい香りが漂ってくるが、のんびりしてはいられない。粉の表面が乾かないように、できるだけ短時間で行なうのがベストだからだ。しかしダマになってばかりで、なかなかうまくいかない。
それもそのはず。水回しや練りなど木鉢で行なう作業は「包丁三日、延し三月、木鉢三年」と言われるほど難しく、奥が深い。そばの仕上がりを左右する重要な工程でもある。粉全体に水が行き渡っていないと、そばを打ったときに粉っぽくなり、水が多すぎると水っぽくなってしまう。ゆえに加水量の見極めが大切だ。
では、そばの水分量はどれくらいが最適なのか。仲山さんによると、そばの加水率は約45%がよいという。そばを100g打ちたいときは粉55gに対して水45g。打ち終えた生そば100gはゆでると約150gになる。つまり粉は55gで、水は45g+50g=95gとなり、ゆでそばの63.3%が水分だ。そばには思いのほか多くの水が含まれていることを知る。
その後も実演を思い出しながら各工程にトライ。約1時間30分のそば打ち体験は、あっという間に終了した。水回しを筆頭に、要所要所で講師に助けてもらったものの、自分でそばを打てたという達成感は大きい。そば打ちのおもしろさや奥深さを体感できた。
ところで、いばらき蕎麦の会とはどんな組織なのだろうか。
「常陸秋そばのファンクラブとして1999年(平成11)に立ち上げられたのが、いばらき蕎麦の会です」と掛札さんは言う。また発足の背景には、常陸秋そばを軸とした地域活性化の意味合いもあった。
常陸秋そばは1978年(昭和53)、選抜育成法によって誕生した。そのルーツは金砂郷(かなさごう)村(現・常陸太田市)赤土(あかつち)地区の在来種。今は県も常陸秋そばの原原種(種そば)を守っている。
「私たちが畑を借りている赤土地区では交雑を防ぐため、半径2km以内の畑は常陸秋そばの原原種しか植えられません。ほかにも農家に原原種を栽培してもらって、採れたものを原種として農協に納めてもらい、その種を一般の人に販売して、そばをつくってもらいます。そういう取り組みを毎年続けているので、常陸秋そばは廃(すた)らないんです」と仲山さんは語る。
常陸秋そばを県内外へ向けてPRすることも、会の役割の一つ。手打ちそばの食べ比べができる「常陸秋そばフェスティバル」や、会で栽培した新そばを提供する「収穫祭」など、さまざまなイベントを立ち上げてきた。常陸秋そばを守り、宣伝することが地域おこしにつながっている。
会の活動には、そば文化の発展に寄与するものも多い。その一つに、茨城県立太田西山高等学校の生徒に対するそば打ち技術指導がある。同校は2022年度から「全国高校生そば打ち選手権大会」(そば打ち甲子園)に出場。2023年度は敢闘賞に輝いた。「次はベスト3に入れるように、というつもりで教えています」と、仲山さんは期待を寄せる。
日々そば打ちの技術を磨き、知識を深めているのは会員も同じ。その最たるものが1泊2日の「そば打ち強化合宿」。講師を招いて実演・指導を行ない、福島県檜枝岐(ひのえまた)村の裁(た)ちそばなど、県外のそば文化も積極的に取り入れる。しかし仲山さんは「それだけじゃつまらない」と、合宿のテーマをさらに広げていった。
「小麦粉に含まれるグルテンを研究したり、うどん打ちをやったり、テーマは幅広いです。今は江戸流のそば打ちだけをやっている人がほとんどですが、もっと視野を広げた方が楽しいと思うんですよ」と仲山さんは語る。
茨城県内外に約250名いる会員のなかには、趣味でそば打ちをする人以外にプロを目指す人もいる。「全日本素人そば打ち名人大会」でともに「名人」と認定された仲山さんと掛札さん。そば打ちを始めたきっかけは何だったのか。
「自分で打ったそばで年を越せたらいいな、それだけですね」と仲山さんは言う。「じゃあちょっとやってみるかということで、仲間と福島県会津若松市の桐屋さんに通うようになったんですよ」。ちなみに桐屋・権現亭の店主・唐橋宏さんは、いばらき蕎麦の会の顧問でもある。
掛札さんは、意外にも同会事務局のパート職員となるまで興味がなかったそうだ。「でも皆さんがそばを打つ姿を見ていたらカッコいいなって思いはじめて。試しに一度打ったらハマってしまいました」
掛札さんの言う通り、そば打ちには実際にやらなければわからない魅力がある。取材日の夜、講習会で自分が打ったそばを食べた。切り幅がバラバラなのはご愛嬌だが、仲山さんに教わった「熱湯で60秒から65秒」でさっとゆでて水で締めたそばの味は格別だった。今度やったらもっとうまくできるはず、と妄想している。
(2023年12月16日取材)