機関誌『水の文化』73号
芸術と水

芸術と水
【奏でる】

「癒やしの音」奏でる 水を用いた祈りの楽器

「グラスハープ」をご存じだろうか。大小さまざまなグラスを並べ、さらに「水」を入れて調律し、水で濡らした指先でグラスの縁をなぞり音をつくりだす楽器だ。世界でも数少ないプロのグラスハープ奏者、大橋エリさんにしくみと魅力を教えてもらった。

グラスの縁を指でこすった振動で水に波紋が生じる

グラスの縁を指でこすった振動で水に波紋が生じる

大橋 エリさん

インタビュー
グラスハープ奏者/打楽器奏者
大橋 エリ(おおはし えり)さん

国立音楽大学打楽器専攻卒。2005年からグラスハープ奏者として全国で活動。2015年に発表した『ファンタジック☆グラスハープ』をはじめ、グラスハープのソロアルバムは3作品をリリース。

食後に音で遊んだ中世の貴族たち

ずらりと並んだ大小さまざまなグラスの縁を踊るように指が滑り、その振動から生まれた美しい音色が響きわたる──。JR中央線・豊田駅そばの珈琲ギャラリーでは、満員の聴衆を前に大橋エリさんが「グラスハープ」を奏でていた。

グラスハープとは「天使のオルガン」と称され、中世ヨーロッパで人気を博した楽器である。ワイングラスやゴブレットの縁を指先でこすり音を出すのだが、音調を整えるためにグラスのなかに水を入れ、縁をこすって振動を与えるために指先を水で濡らしながら音を奏でる。このように「水」を用いるのが他の楽器にはない特徴だ。

「中世ヨーロッパの貴族たちが食事のあとにグラスをこすって音を出して遊ぶことが流行し、グラスハープと呼ばれるようになりました。また、土器をこするような行為を含めると、紀元前からあったともいわれています」

大橋さんはそう語る。モーツァルトやベートーヴェン、サン=サーンスなど著名な作曲家たちがグラスハープのための作品を数多く残しており、ガリレオ・ガリレイも大ファンだったと伝わる。

毎年恒例のクリスマスライブでグラスハープを演奏する大橋エリさん

毎年恒例のクリスマスライブでグラスハープを演奏する大橋エリさん

スムーズな演奏に欠かせない水

3歳からピアノを習った大橋さんは、小学校で鼓笛隊に入り、中・高校では吹奏楽部でパーカッションを担当。打楽器の幅広さに惹かれ国立音楽大学で打楽器を専攻し、オーケストラやアンサンブル、ソロなどに取り組むなか、民族音楽をはじめとするルーツ・ミュージックに興味を抱く。

「ファウンド・パーカッションと言って、新聞紙や植木鉢など身の回りの素材を見つけて音にするのですが、その過程でグラスハープに出合ったんです。『こんなに素敵な、魔法のような音がする素材があったんだ』と驚きました」

グラスハープは、グラスの縁を指の腹でこすって出る音が丸いお椀状の部分で共鳴する。タンブラーなどよりもワイングラスの形状がもっともふくよかに音を増幅させ、それが癒やしの音色となる。

また、ワイングラスは大きさや形状、厚みによってそれぞれ音が違う。大きければ低い音が、小さければ高い音が出るし、薄いグラスの音は低く、厚いグラスは高い音となる。大橋さんが用いる標準的なセットはグラス40個前後。それを演奏しやすい順に並べる。

1つのグラスに一音を割り当て、調律するため水を入れる。実はワイングラスに水を入れなくても音は鳴るのだが、欲しい音を得るには巨大なワイングラスが必要で、それは明らかに演奏を妨げる。

「水がないと困るんです。それに演奏していると、グラスのなかの水に波紋が生じるので、『あっ、いま振動から音が生まれている、神秘的だな』と思います」

ワインやビール、コーヒーを使ってほしいと言われることもあるが、水以外の液体だと、音の響きが少し止まってしまう。特にワインは澱(おり)で音色が悪くなる。その土地の天然水を使ってほしいと言われることもあるが、基本的には水道水。しかし、時折水の違いを感じることもあるそうだ。

「『今日は水がとろとろしているな』と感じることはあります。気温なども関係するので一概に水の成分とは言い切れませんが、土地によって少しずつ違う気はします」

  • ワイングラスに水を注ぎ、音調を整える

    ワイングラスに水を注ぎ、音調を整える

  • 自宅に備えたスタジオでグラスハープの魅力について語る大橋さん。ご自身のグラスハープを調律し、実際に音を奏でてくれた

    自宅に備えたスタジオでグラスハープの魅力について語る大橋さん。ご自身のグラスハープを調律し、実際に音を奏でてくれた

「祈り」にも似た指を水に浸す行為

グラスハープを演奏する前、大橋さんは入念に手を洗う。手に脂分が残っているとグラスの縁をこするときに滑ってしまい、摩擦が足りず音が響きにくいからだ。

また、演奏中は常に水気が指にあることが絶対条件。大橋さんの場合、体にいちばん近い位置に水で満たした小さなグラスを1つ置き、演奏中に気づかれぬようにそっと指を浸す。一曲は3~5分。一度水をつけると1~2分もつので、一曲につき1回か2回浸す。

「手をきれいに洗って、さらに水を指につけてグラスの縁をなぞることで音楽が生まれます。演奏前に両手を重ねて指を水に浸すという行為は、私にとって『祈り』に近いもの。水は音を生んでくれる神様のような存在なんです」

天使のオルガンとも言われるグラスハープ。水は、その美しい音色を生み出す運指をスムーズにし、また奏者の心理まで整えるという重要な役割を果たしていた。

手元の小さなグラスに指を浸す。それは「祈り」にも似た行為だと語る

手元の小さなグラスに指を浸す。それは「祈り」にも似た行為だと語る

グラスハープ普及のために

2022年(令和4)7月、大橋さんは日本グラスハープ協会を立ち上げた。合格すると会員になれる「グラスハープ検定」も用意したが、グラスハープを少しでも多くの人に知ってもらうために会費や受験料は一切不要だ。

中世の貴族が食後に楽しんだように、グラスハープは自宅でも試すことができる。例えばグラス5つ、ドレミファソがあれば『ジングルベル』が、グラス4つ、ドレミソがあれば『メリーさんのひつじ』が奏でられる。

「身近なグラスから音が出て、水によるちょっとした調整から音階ができていく──こうしたアナログな作業こそ、デジタル機器に囲まれた今の子どもたちに必要ではないかと思うのです」

日本グラスハープ協会URL
https://glassharp-fan.com/

(2022年12月10日、21日取材)

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