機関誌『水の文化』73号
芸術と水

芸術と水
【文化をつくる】

芸術と向き合えばわくわくする日々が訪れる

編集部

岡本太郎が発見した日本の原初的芸術

呆けたように見ていた。なんだろう、この異様な姿形は。いったい何を伝えたかったんだろう……。

2018年(平成30)の夏、岩木川取材の前に三内丸山遺跡を初めて訪ねた。縄文土偶の展覧会「あおもり土偶展」が開かれており、縄文時代の土偶たちがずらりと並んでいた。

今でこそ縄文土器やこれら土偶は日本が誇るべき原初的な芸術と見なされているが、かつてはそうではなかった。縄文土器を芸術の問題として初めて取り上げたのは、「芸術は爆発だ」のフレーズと万博記念公園に今も残る『太陽の塔』で知られる岡本太郎だ。

1952年(昭和27)、太郎は縄文土器に触れたとき「からだじゅうがひっかきまわされるような気がしました。やがてなんともいえない快感が血管の中をかけめぐり、モリモリ力があふれ、吹きおこるのを覚えたのです」と著書『日本の伝統』に記す。太郎が発見した縄文文化は、今もさまざまな分野に影響を与えている。

  • 特別史跡 三内丸山遺跡から出土した重要文化財『大型板状土偶』(おおがたばんじょうどぐう)。約5000年前、縄文時代中期の紀元前3000年ごろのもの 三内丸山遺跡センター蔵

    特別史跡 三内丸山遺跡から出土した重要文化財『大型板状土偶』(おおがたばんじょうどぐう)。約5000年前、縄文時代中期の紀元前3000年ごろのもの 三内丸山遺跡センター蔵

  • 青森県八戸市の風張1遺跡から出土した国宝『合掌土偶』。正面で手を合わせる姿勢からその名がついた。縄文時代後期、紀元前2000年~1000年前のもの 八戸市教育委員会蔵

    青森県八戸市の風張1遺跡から出土した国宝『合掌土偶』。正面で手を合わせる姿勢からその名がついた。縄文時代後期、紀元前2000年~1000年前のもの 八戸市教育委員会蔵

自分が感じた世界を静かに楽しむ

翻って現代に目を転じると、コロナ禍において一部の芸術、芸術活動は不要不急だと騒がれたことは記憶に新しい。楽しみにしていた展覧会やライブが次々と中止されるのを悲しく思った人たちは多いはずだ。無観客でライブを行ない、それをWebで配信するミュージシャンも現れた。みんなが芸術に飢えていた。

以前から浮かんでは消えていた「芸術と水」というテーマに編集部が取り組もうと決めたのは、コロナ禍に起きたこれらの出来事がきっかけだった。2022年度は、コロナ禍で抑えざるを得なかった「遠くへ行きたい」という人びとの気持ちに寄り添おうと、71号で「南西諸島 水紀行」を、72号で「温泉の湯悦」を企画し、今号は「芸術が不要不急であるはずはない」という思いから企画した。

ところで、芸術とは何だろうか。

百科事典には「独自の価値を創造しようとする人間固有の活動の一つを総称する語」とある。芸術文明史家である鶴岡真弓さんの編著『芸術人類学講義』をひも解くと、「アートart」はラテン語の「アルスars」が語源で、その概念は医術や土木技術など人間がなすあらゆる「技/術」を指していた。そこから特に「限りある生に、限りない時空をもたらそうとする大いなる営み」が芸術と呼ばれるようになったという。

こう聞くと「芸術ってハードルが高い」と感じる人がいるかもしれないが、決して難解なものではない。69号「水の余話」で小池俊雄さんが私たちに紹介してくれた画家の富岡惣一郎は「トミオカホワイト」と名づけた白い絵の具を用いて雪国を巡り描いた表現者だが、生前こう語っていたという。

「画を難しく考えることはない。好きな画を見つけ、自分なりに感じとる世界を静かに楽しめばよい」(『トミオカホワイトの世界』)

昨夏、トミオカホワイト美術館で開催された「生誕100年記念 永遠(とわ)に」を観た。「白」の美を追求し、「白の世界」を表現しつづけた富岡は「雪」のイメージが強かったが、意外なことに「水」も描いていた。

富岡惣一郎『田子倉湖・冬A』 提供:南魚沼市トミオカホワイト美術館 この画は水を張った湖ではなく、風に揺れた一瞬の水をとらえた作品と解釈されている

富岡惣一郎『田子倉湖・冬A』 提供:南魚沼市トミオカホワイト美術館
この画は水を張った湖ではなく、風に揺れた一瞬の水をとらえた作品と解釈されている

表現者たちの心的な水、身体的な水

芸術にはさまざまな分野がある。当センターのアドバイザーや連載執筆陣など水に関心が高い人たちに助言を受けたうえで、編集部が取材先やテーマを決めた。自らの思いを水に託し作品にした表現者、日本古来の芸術を思索している研究者に、「水は芸術にとって、あなたにとってどのような存在なのか」と聞いた。すると、表現者たちには原体験として「水の記憶」があることがわかった。

水と人について「人間をはじめとする哺乳類みたいな生命体は、水を自分の体のなかに蓄えて、それをぴっちりと皮膚で覆い、新陳代謝しつづけている」と松浦寿輝さんは言い、「人間とは水を皮膚で覆った水袋のようなものではないか」と大小島真木さんも言う。松浦さんは隅田川を身近な自然として育ち、大小島さんは幼少期に家族と湧水を汲みに行った思い出をもつ。

梶井照陰さんは海に囲まれた島で暮らし、先人が川の水を引いた田んぼで稲を育て、目の前に広がる豊饒なる海へ舟をこぎ出し魚を獲る。松本佳奈さんは実家がかつて銭湯を営んでおり、地下水を沸かした大きな風呂が身近だった。湯に浸かって元気になって帰っていく人びとを番台から見つめた。

一方、水に触れたことで認識が変わったと語るのは大橋エリさんと小田香さんだ。大橋さんはグラスの水が震える様を音が生まれる瞬間ととらえる。小田さんはユカタン半島に点在する泉「セノーテ」に潜り、自分がどこにいるのかわからなくなる感覚に陥りながら撮影しつづけ、水への畏敬の念を抱くようになった。

身体を通じて水と触れることは、表現者の内面に変化を呼び起こす。

日本古来の芸術と水・水辺が示すもの

数多(あまた)ある日本古来の芸術からは「浮世絵」と「俳句」に焦点を当てた。連歌(れんが)から俳諧(はいかい)、俳諧連歌から俳句へ。青木亮人さんに教えていただいた俳句の歴史は興味深い。徐々に裾野が広がっていくと同時に、「型」にはまって新鮮味を失うと、松尾芭蕉や正岡子規のような破壊者が現れ、それまでの価値観をつくり直して俳句は息を吹き返す。それは、俳句に限らずこの世のあらゆるものと共通しているようだ。

梅雨、夕立、驟雨(しゅうう)など雨の表現が多彩なこの国で、暮らしのなかのささやかな出来事に目をとめ、感じたことをたった十七字で詠(よ)──日々を丁寧に生きることにもつながる俳句に強い興味を抱いた。

川、海、池など水辺を多く描いた江戸時代の浮世絵がヨーロッパの絵画、特に印象派に影響を与えたのは、藤澤紫さんが指摘したように浮世絵が庶民の平穏な日常を描いていたからだ。

逆にヨーロッパの絵画は、18世紀まで名もなき庶民など描かなかったそうだ。1867年(慶応3)に開かれたパリ万国博覧会などを通じて浮世絵が知られるようになり、ゴッホ、マネ、モネといった印象派の画家たちが傾倒していく。19世紀後半から20世紀初頭にかけてヨーロッパやアメリカで起こった日本文化の流行は「ジャポニスム」と呼ばれる。日本人として誇らしいが、本質はそこではない。

巻頭言「ひとしずく」の執筆を依頼した千住博さんは、著書『芸術とは何か』で浮世絵の影響を受けた印象派の作品がのちに日本へ逆輸入されたことを「同じ人間としての真実味を伝え、宗教も思想も哲学も超え、人間として共感され、受け入れられたことは当然」と記す。ほんとうにいいものは国境を越えて伝わっていく。

「水」を切り口に対話した表現者たち

特集を通じて、たくさんの芸術作品に接した。生きること、死ぬこと、私たちはどこから来てどこに向かうのか──ふだん突き詰めて考えないことを考えさせられる、豊かな時間だった。

川は止めることなく流れゆく時間を、そして生きている実感をもたらす存在だと語ってくれた松浦さん。小説『川の光』を読み返してネズミ一家の冒険にわくわくした。光が跳ねてきらきらした川の情景が目に浮かぶようだ。

大小島さんの公開制作を伴うプロジェクトを訪ねた編集部は、人間以外の何かになりきって、人間に向けて「Dear Human」で始まる手紙を書き残した。大小島さんの作品は、やさしく、時に厳しいまなざしで、「考えることをやめちゃいけないよ」と私たちに語りかけてくる。もう一度この世界を見つめ直そうという気持ちになった。

海を渡る風や震動によって生まれる波は一つとして同じものはない、と話す梶井さん。佐渡を離れ、あらためて写真集『NAMI』をめくると、波を撮っているようでいて実は一瞬として同じものはない自然の儚さ、尊さ、美しさを撮っていることに気づいた。

あからさまに水を映さなくても水の気配が色濃く漂う松本さんの映画『マザーウォーター』。その静かで優しい世界に浸った。流れに身を任せながらも自分の気持ちに正直に生きている人たちのそばには、決まって水が寄り添っているにちがいない。あたりまえすぎて忘れそうだけれど大切なことを、この映画は思い出させてくれる。

独学でグラスハープの演奏を習得した大橋さんのクリスマスライブで聴いたグラスハープの音色は美しかった。一つの音が水の力も借りて膨らんでいくと同時に、別の音が重なる。夢見心地になるような、何とも言えない心地よさを感じる。演奏の合間にそっと指を水に浸す動作を、大橋さんは「祈りに似た行為」と口にした。

那須の山麓で「水庭」の石の椅子に座り、渓流のせせらぎと池と池の間を流れるパイプからの水音に耳を澄ませ、物思いに耽った。「水庭」の160もの池は、かつて水田だった土地の記憶をつなぐ。川や海と比べると池は静的で、記憶を積み重ねるようなイメージだ。

ユカタン半島北部に点在する泉「セノーテ」は時々人を呑み込むうえ、死体が上がらないこともある。底に沈んだ人を魚がついばんだとすれば、その魚を親とする稚魚はそれを体内に蓄えているかもしれない。映画『セノーテ』の小田さんのカメラワークからそんな妄想が広がった。今は日本各地の地下を撮りつづけている。遠い国の神話的な泉の次は、身近な異空間をどのように生々しくとらえてくれるのか、そこにも水が流れているのだろうか。

印象的だったのは、水を切り口に作品について表現者に尋ねると、秘めた思いや創作に対する姿勢、哲学が浮き彫りになることだ。皆、真摯にこちらの問いに答えてくれたし、聞く側にとっては水という切り口があったからこそ、より深く話を聞くことができた。

「自分が感じたことを他者に伝えたい」という思いから芸術は生まれる。千住さんの言葉を借りれば、芸術は人間同士の「イマジネーションのコミュニケーション」にほかならない。

今を生きる私たちの芸術との向き合い方

再び岡本太郎の言葉を借りる。作品の前に立ち、誰の作なのかを気にして、巨匠のものだと知ると感心したふりなどしなくていい、芸術がわからないと馬鹿にされるのではないかと心配などしなくていいと太郎は説く。「それらの作品を自分の生きる責任において、じっと見つめてごらんなさい」とも。他の多くの表現者も、芸術に知識はいらない、ただ自分が感動するかどうか、心惹かれるかどうかでいいと言う。

『水の文化』の読者には、日ごろから芸術に慣れ親しんでいる人もいれば、ちょっと苦手という人もいると思うけれど、水には関心が高いはず。芸術に親しんでいる人ならば、自分の好みではない分野に触れるときに水を入口にしてはどうか。苦手意識のある人ならば、手始めに水をテーマにした作品に触れるのはどうだろう。新しい生き方が見つかるというと大げさかもしれないけれど、ものの見方や感じ方が変わる可能性はあると思う。

それまで誰も芸術とは思わなかった縄文土器に触れ衝撃を受けた岡本太郎のように、さまざまな作品に触れて刺激を受け、モリモリと力漲(みなぎ)ることを感じて、未だ来ない「未来」を夢想したい。同じ作品を見て友人と語り合えば、他者をより深く理解できると同時につながりも生むだろう。それは個々が孤立しがちで、分断社会と呼ばれる混沌とした今の時代を生きるための知恵や力や支えになるはずだ。

芸術が不要不急?とんでもない!いろいろな芸術作品を見て、聴いて、触れて、たまに自分でも何かを試みて、わくわくする毎日を過ごしたい。

氷柱から溶け落ちる一滴の水を捉えた写真。表現者たちの作品と話に触発された編集部の一人が撮った

氷柱から溶け落ちる一滴の水を捉えた写真。表現者たちの作品と話に触発された編集部の一人が撮った

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