建築史家 建築家
藤森照信(ふじもり てるのぶ)
1946年長野県生まれ。1971年、東北大学工学部建築学科卒業。東京大学大学院および生産技術研究所で村松貞次郎に師事し、近代日本建築史を研究。工学博士。主な著書に『日本の近代建築』(岩波書店 1993)『人類と建築の歴史 』(筑摩書房 2005)ほか。「熊本県立農業大学校学生寮」(熊本県菊池郡 2000年)で日本建築学会賞作品賞を受賞。
建築工事の中では水は嫌われ者で、水を使わぬやり方を「乾式工法」と呼び、戦後の主流となってきた。割を食ったのは左官で、戦前までは仕上げの主役だったのに、戦後は壁紙やボードや合板に代わられて久しい。
左官が嫌われた理由は簡単で、水を使うから周囲がベタベタし、その間、他の工事は止めなければいけないし、乾くまで何日もかかるから。
近年は左官仕事の味わい深さが再評価され、土や漆喰も少しずつ現場に戻ってきているが、それでも工事の主流は乾式。
水という物質は、木や土や鉄などにくらべ、身近な割にはよほど扱いにくいらしい。
このことは、我が家の台所と洗面所を見ても明らかで、配偶者が日夜掃除にこれ努め、たいていのものはピカピカに磨き上げられている中で、手拭(てぬぐ)いだけがだらしなくダラリと垂れている。
もちろん手を拭くためだが、なぜか昔も今も手を拭くには手拭いが欠かせない。もっとシャンとして美しい手拭き用具が現れてもよさそうだが、手拭いの優位は変わらない。昔も今も材料は木綿。
手に着いた水分を取り去るには、木綿で拭くしかなく、よって台所と洗面所にはダラリ。時には汚れてダラリ。
最新の技術を投入すればなんとかなるのでは、と考えても、車を見ると諦めるしかない。車は、鉄に代わってプラスティックが、ガソリンに代わって電気モーターが、人の手に代わってコンピュータが運転する日も近いらしいが、フロントガラスのワイパーはどうだろう。
人が手で窓ガラスを拭くように、金属製のアーム(腕)がせっせと水滴を取り除き、産業革命感がそこだけにあふれている。いつワイパーが取り付けられたか知らないが、以来、技術革新がなかった唯一の箇所ではあるまいか。
「あるまいか」ではなく「ある」が正しいと確信したのは、アメリカのスペースシャトルの着陸をテレビで見た時だった。なんと、スペースシャトルの操縦席のフロントガラスには小さなワイパーが顔を出していた。NASA技術陣をしても代わりが無かったのだろう。スペースシャトルもわが家の台所も同じ。
現代の産業で少しの汚れも許されない場所をキレイにするには、最後は布で拭きとるし、もし凸凹があれば、人の手によるしかない。
最も身近で最も扱いにくい水を、ちゃんと扱うことのできるのが布と人の手というのはうれしい。水は古来、水のままだが、その扱う用具も、古来、ダラリ。