機関誌『水の文化』58号
日々、拭く。

概説
概説

「拭く」行為に宿る精神性と宗教性

ガンジス川のベナレスで洗濯する人々。

ガンジス川のベナレスで洗濯する人々。ベナレスはヒンドゥー教の一大聖地で、ヴァーラーナシー、バラナシとも呼ばれる(提供:アフロ)

生活するうえで、大多数の人が無意識のうちになにかしら拭いている。ならば、「拭く」行為には、水気をとる、汚れを拭(ぬぐ)い去るということ以外に何か意味があるのではないか―。これが今回の特集の出発点だった。そこで、まずは「拭く」という行為に宿る精神性や、その裏側に潜んでいるであろう宗教性について、山折哲雄さんにお聞きした。

山折哲雄さん

インタビュー
宗教学者/評論家
山折哲雄(やまおり てつお)さん

1931年(昭和6)サンフランシスコ生まれ。1954年、東北大学インド哲学科卒業。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。著書に『「ひとり」の哲学』『髑髏となってもかまわない』『義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ』『これを語りて日本人を戦慄せしめよ 柳田国男が言いたかったこと』など。

「拭く」の原体験は本堂の縁側掃除

私の実家は岩手県花巻市の浄土真宗西本願寺派の小さな寺です。小学校6年生のときに東京から疎開し、父親は私を住職の後継者にしようと、日常の修行をさせました。なかでもいちばんつらかったのは、本堂の縁側の拭き掃除です。縁側を拭いてから、長い阿弥陀経を父親と唱える。毎朝必ず、この二つの行為をしなければ朝食にありつけませんでした。

ここで「拭く」という行為を徹底的に叩き込まれたのです。昔の古い寺の縁側は、長い一枚板ではなく、短い板を貼り合わせて敷き詰めたものでした。だから、両手を雑巾に当てて腰を上げ、廊下の端から端まで一気に拭くのではなく、短い板一枚ごとに右へ左へと拭き掃除をしなければなりません。雪の降る寒い冬など特にきつかったことを覚えています。

まだ子どもですから、つらい労働から早く解放されたいとの一心でやっていました。しかし、今振り返ってみれば修行の場でした。これが私にとって「拭く」という行為の原点です。

目に見えない穢れを叩き出す

異文化における「拭く」行為のさまざまな側面を見せつけられたのは、インドを旅したときでした。

ヒンドゥー教徒にとってガンジス川の水は、肉体と霊魂を分離するほどの高い浄化力をもった、聖なる水です。したがって火葬した骨灰や糞便も流せば、その同じ川で洗顔や洗濯もします。

洗い場の一画で不思議な光景を見ました。女性たちは洗濯物をガンジス川の水につけて汚れを洗い流した後、拭いて(水気をとって)から岩に叩きつけているのです。洗濯物を拭いては叩く、叩いては拭くの作業を繰り返している。叩けば生地が傷むだろうに、なぜそんなことをするのでしょうか。謎だったのですが、あまりこれについて考察した文献を読んだことがありません。

私なりに考えた仮説はこうです。外面的な穢(けが)れと同時に、着物に染みついた、あるいはそこに内在している目に見えない穢れを叩き出しているのではないか。だから拭き浄(きよ)める行為と叩き出す行為が連続している。拭くことを叩くことで補強している、と見ることもできるし、叩いて悪しきものを滲み出させ、それを拭きとるとも読めます。文化人類学者がこれをどう分析するか、興味ある問題です。

心の垢を拭い去る聖地としての温泉

インドのベナレスで温泉に入ったときのこと。地下を掘り下げてつくった4m四方の湯壷まで石段を10段ほど降りていき、首くらいまである湯に立って浸かる温泉です。しっとり毛穴に入り込んでくるような、体になじんでいく湯は、日本の温泉では味わったことのない心地よさでした。足の裏に当たる砂地の感触が、これまたすばらしかった。

しばらく浸かるとみんな静かに体を拭いて石段を上がり、出ていきます。日本の温泉のように体を洗わないのです。せっけんはなく、持ち込みも禁止されています。よく見ると、出ていくとき湯壷の四隅に両手を合わせて拝んでいました。そこにあるのは、ヒンドゥー教の小さな彫刻の神像でした。

そのとき初めて気づいたのです。インド人にとって温泉とは、体の垢を洗い落とす場所ではなく、心の垢(あか)を洗い流し、拭い去る聖なる場所なのだと。

やはりインド人は内面に染みついた穢れと外面の物理的な汚れを区別しているのだとわかりました。

実は日本の温泉にも昔は同様の役割があったのです。修験道の霊場のそばには温泉があり、巡礼者は心身を浄めてからお参りしました。日本の温泉は、内面的な穢れと外面的な垢を同時に拭い去る二つの意味をもっていたのですが、近代化に伴ってもっぱら慰安の宿となり、もう一方の意味を日本人はすっかり忘れてしまったのです。

約1800年前に発見されたという日本最古の温泉「湯の峰温泉(ゆのみねおんせん)」。

約1800年前に発見されたという日本最古の温泉「湯の峰温泉(ゆのみねおんせん)」。かつて人々は熊野詣の途中にここで湯垢離(ゆごり)を行なって身を浄め、旅の疲れも癒したとされる
(提供:アフロ)

死の穢れを浄化する刀の「研ぎ拭い」

「拭く」という行為に「穢れを拭い去る」意味があるなら、最大の穢れとは何でしょうか。

それはいうまでもなく、「死」の穢れです。

平安時代、貴族政権が中国の律令制度を移入し刑法のシステムをつくったなかで最大の刑罰が死刑でした。これは国が死の穢れを地上に広げる重大な行為です。

おそらくそのことを、中国の官僚たちよりはるかに日本の官僚たちの方が意識していたのでしょう。死刑を規定したものの、平安時代350年間を通じて公的には一度も執行されていません。

しかし私的には執行されていました。それを担当したのは武士でした。貴族は極度に死の穢れを嫌ったのです。平安時代まではこうした二重構造になっていました。

やがて武士政権が誕生すると、武士たちは人を殺すことで得た穢れを浄めるという重大な問題に直面したわけです。人を殺(あや)めた刀の穢れをどう拭い去るか。ここで「研ぐ」ないし「拭く」という行為が重視されます。

どんな名刀でも人を斬れば刃こぼれします。だから研磨しなければなりません。研磨技術の歴史は日本が世界でもっとも古く、旧石器時代から始まりました。世界的なベストセラーになった『銃・病原菌・鉄』の日本語版序文で著者のジャレド・ダイアモンドは次のように述べています。

「研磨加工を施し、刃先の長い石器を最初に作ったのは日本人だった。これは、世界各地の人類がまだ石器を用い、鉄器について何も知らなかった時代のことで、ヨーロッパで石器が研磨されるようになる1万5000年以上も前のことである。」(倉骨彰訳/草思社 2000)

研ぎ拭いの伝承で日本刀は武士の魂に

中世を通じて刀の研磨技術はどんどん進歩し、信長・秀吉から家康に至る時期に頂点を極めたのが、日本刀研磨の第一人者、本阿弥光悦でした。彼は家康に芸術村の土地の寄進を受け、陶芸や書や工芸にも才能を発揮したルネッサンス的芸術家の祖ですが、その中心を成している技芸は「研磨」だったわけです。

研ぐことによって刀の内部に染み込んだ穢れを浮き彫りにして、それを最終的に拭い去り、浄化する。こうした伝承が連綿と引き継がれ、やがて「日本刀は武士の魂」という思想が誕生します。

このような歴史をもつのは世界で日本だけです。刀剣が工芸品として美術館や博物館で展示されるのは日本刀くらいしかないでしょう。武器として刀剣を展示しているのは世界にも多くありますが、それとはまるで扱いが違う。「武士の魂」の象徴ですから、一種の神ともいえます。日本刀を展示している世界中の美術館では、研磨のために日本へ送り返す。それで研磨が商売になっています。

「研ぎ拭い」の技術は、漆工芸など日本の職人芸のなかにもさまざまな形で入り込みました。法隆寺の宮大工も鉋(かんな)の研ぎ拭いに命をかけ弟子にも伝えているし、「包丁一本さらしに巻いて……」の歌で知られる料理人の世界でも同じこと。それらはすべて根本を探っていくと「死の穢れを拭い去る」問題に行き着くのだと思うのです。

黒澤明監督の映画『用心棒』の最後の対決場面で、仲代達矢のピストルに三船敏郎の出刃包丁が勝ちますが、私は「あれは日本人の日本刀信仰の発露だ」と冗談まじりでよく言うのです。

日本独自の工芸技術が生み出した日本刀。

日本独自の工芸技術が生み出した日本刀。外国にも刀剣はあるものの、均整のとれた美しいフォームや合理的な造刀法、優れた研磨は見られないという
(提供:アフロ)

〈座る文化〉と「拭く」行為

もう少し私たちの日常生活に照らして「拭く」行為を考えてみると、家のなかでもっとも穢れる(汚れる)場所はどこかといえば、天井や壁ではなく床でしょう。するとこれは「床に座る文化」に深く関係しています。拭くというのは、基本的に床に体を沈めてする行為です。

最近の日本人はとても背が高くなりました。背の低い私など電車に乗ると、まるで林の中にいるようです。背が高くて腰高になると、あぐらや正座をしにくくなります。床に座る文化から椅子に座る文化に移り変わってきたことと、雑巾がけのような床を拭く行為が軽んじられるようになったことには、相関関係があるかもしれません。

ロダンの「考える人」。中宮寺や広隆寺にある「半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」。どちらも座って考えています。さて「考える行為が終わったら、この二人は次にどうするでしょう?」と講義でよく学生に問いました。私の答えはこうです。「考える人」は、考えることをやめたら立って歩き出す。「半跏思惟像」は、考えることをやめたら腰を下ろして床にあぐらをかく。

西洋的な〈立つ文化〉と、アジア的な〈座る文化〉。日常生活の基本として、立つことを中心に暮らしている文化圏と、座ることを中心に暮らしている文化圏と真っ二つに分かれます。あぐらや正座は「座る」ことに直結する文化であり、椅子に腰かけるのは「立つ」ことに直結する文化です。世界全体の分布でどちらが優勢だったかといえば、〈座る文化〉圏の方が、そもそも多数派でした。日本も〈座る文化〉でしたが、近代化の優等生になり〈立つ文化〉へと、いち早く移行しました。

それを成し遂げたのは煎じ詰めれば教育の力ですが、行きすぎたら立ち止まり、見失いがちな価値を少しばかり取り戻すのも、やはり教育の力でしょう。

〈座る文化〉に由来する雑巾がけも、近代化とともに失くした習慣の一つ。一時期、清掃を外注する学校が増えましたが、最近は生徒に雑巾がけをさせる小学校が復活してきているようで、よい傾向だと思います。

飛鳥時代における彫刻の最高傑作とされる中宮寺の国宝『菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)』

飛鳥時代における彫刻の最高傑作とされる中宮寺の国宝『菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)』(伝如意輪観世音菩薩)
提供:中宮寺/撮影:飛鳥園

穢れを拭きとるなかで生まれた発酵文化

神道的な禊(みそぎ)は、どちらかといえば外面に付いた穢れを洗い流し、拭きとる行為です。一方で仏教的な考え方からすると穢れは内面化するので、繰り返し修行として「拭く」行為をしなければなりません。それが寺における拭き掃除、雑巾がけであり、心の穢れを拭きとることに結び付いています。

しかし日本人の信仰心ないし精神構造の基底には、神仏習合の世界観があります。神道か仏教かの二者択一ではありません。互いに補完し合うのが日本文化です。

先に述べたように日本の温泉もかつては外面と内面の穢れを同時に洗い流し、拭い去る場所でしたが、一方で世界に冠たる日本人の風呂好きは、モンスーン地帯の発酵文化の影響でしょう。湿度がとても高いので、毎日風呂に入らないといられない。これは酒、みそ、しょうゆ、酢、納豆……などの発酵文化とも深くかかわっています。

発酵とは腐敗していくものを純化する技術です。例えば酒は、いうなれば穀物を腐らせることによって、最終的に純正な液体を抽出したもの。こうした発酵のプロセスが穢れから清浄な物を生み出します。したがって解釈のしようによっては、発酵自体が穢れを拭きとる過程であるともいえるわけです。

(2017年11月16日取材)

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