身の回りを拭くものといえば、ティッシュペーパーなどの「紙」も身近な存在だ。水回りでいえば、トイレットペーパーは現代の必需品と言っていい。そこで、家庭で使われる紙の歴史、特にトイレットペーパーを中心に「家庭紙史」を研究する関野勉さんに、国内外のお尻を拭く紙や道具についてお聞きした。
インタビュー
家庭紙史研究家
関野 勉(せきの つとむ)さん
1934年青森県生まれ。文房具の卸売業、万年筆のインクメーカー、防虫剤・殺虫剤の販売会社を経て、1970年に製紙会社へ転職。その後、機械すき和紙連合会で勤務。世界65カ国を回り、トイレやトイレットペーパーに関する史料・資料や各国のトイレグッズを集めるなど、家庭の紙の歴史を研究している。
文房具関連の仕事をした後、1970年(昭和45)からトイレットロール(注1)とティッシュペーパーを製造する製紙会社に勤めたのですが、3年後の1973年(昭和48)に第一次オイルショック(注2)が起きました。あのときは日本中が混乱しましたね。もちろん、紙の在庫はすっからかんでした。
ところが、オイルショックが終わって落ち着くと、「どうしてトイレットロールはこの幅なんですか?」「なぜミシン目が入っているんですか?」といったいろいろな問い合わせがありました。ところが、答えられなかったのです。あって当然と思っているので誰も知らないし、歴史について書いたものもありません。
そこで自分で調べはじめたのです。海外にも足を運び、ざっと65カ国は訪ねています。
手漉きの紙は、紀元前に中国で発明されました。前漢時代(前202〜後8)とされています。日本に伝わったのは、『日本書紀』によると7世紀です。610年(推古18)に高句麗から渡来した僧・曇徴(どんちょう)が伝えたとありますが、実際には4〜5世紀には伝わっていたと考えられています。
紙には、書写、包む、拭くなどの用途がありますが、トイレットペーパーとして紙が使われた可能性を示す記録が6〜7世紀の中国の家訓書『顔氏家訓(がんしかくん)』にあります。訳し方によって異なるようですが、私は「文字の書いてある紙は、鼻をかんだり、厠(かわや)で使わないこと」と解釈しています。ですから、この頃すでに紙がお尻を拭くことに使われていた可能性があるのです。
紙を使う前は、籌木(ちゅうぎ)を使っていました。用便の後にお尻を拭う木片のことです。「かき木(ぎ)」とも呼びます。飛鳥、奈良、平安時代まで使っていたようですが、高貴な人と庶民では籌木のつくり方も違っていたようです。高貴な人が使う籌木は角を削って滑らかな形に加工していました。中国は木ではなく竹だったそうです。
洗って再利用することもあったようです。籌木はお尻を拭くだけでなく本として使ったり、荷札として使ったりもしていました。ですから鉋で削って二回使ったものもありますし、一回で捨てたものもある。籌木といっても木を割るわけなので、いろいろな形があります。
12世紀後半の絵巻に『餓鬼草紙(がきぞうし)』があります。これは六道のうち餓鬼道に堕ちた者を描いたものですが、高下駄を履いて排便しています。そして人間と餓鬼がいて、その周辺に紙が散らばっているのです。『餓鬼草紙』には詞書(ことばがき)がないので想像するしかありませんが、平安時代が終わって鎌倉時代あたりからはお尻を拭く道具として紙が使われるようになったようです。つまり中国では6世紀頃に、日本では12〜13世紀頃に、お尻を紙で拭く習慣が生まれていたと考えてよいでしょう。
ただし、庶民が使えるようになるのはずっと後の江戸時代からです。ちり紙の「浅草紙」が有名ですね。古紙を溶かして漉きなおした、あまり質のよくない再生紙ですが、庶民の日用紙として多く用いられました。
(注1)トイレットロール
用便後の清拭に用いられる専用紙で、ロール状の巻紙のこと。今はトイレットロールをトイレットペーパーと呼ぶことが一般的。本稿では場合によって「ちり紙」と「トイレットロール」を使い分けた。
(注2)オイルショック
1973年の第四次中東戦争をきっかけに、アラブ産油国が原油減産&大幅値上げを行なったため、石油輸入国に失業・インフレ・貿易収支の悪化という打撃を与えた事件(第一次オイルショック)。また、1979年のイラン革命に伴って産油量が減り、原油価格が急騰した(第二次オイルショック)。
いえいえ。これが実にさまざまなもので拭いています。「お尻を拭く道具」は世界中で15種類ほど確認されています。
私もお世話になった慶應義塾大学名誉教授の西岡秀雄さん(注3)が著した『トイレットペーパーの文化誌』(論創社 1987)には、「指と水」「指と砂」「小石」「土版」「葉っぱ」「茎」「とうもろこしの毛・芯」「ロープ」「木片・竹ベラ」「樹皮」「海綿」「布切れ」「海藻」「雪」「紙」が挙げられています。
古代ギリシャ・ローマ時代の地中海諸島では海綿を使っていたそうです。私もキプロス、ギリシャ、トルコ、イタリア、フランスは海綿だったことを確認しました。
ところが、エジプトは海綿ではなく、砂漠に落ちている「小石」を使っていました。ピラミッド観光の男性ガイドたちは、ポケットに小石を数個必ず入れています。なぜかわかりますか?砂漠に落ちている小石は熱いので、拾ってもすぐに使えません。だからポケットで冷やしておく。使い終えたら捨てますが、灼熱の砂漠なので自然に消毒できる――というしくみなのです。
水がないので洗えませんからね。小石なら砂でこすられ、熱で殺菌されます。エジプトのトイレで紙を使っていると「君は日本人だね」と言われました。世界中の人が紙を使っているわけではないのです。
西岡さんの『トイレットペーパーの文化誌』が出版されたとき、世界人口は約55億人。西岡さんは「世界人口の1/3しか紙は使っていない」と書いています。ただし、今の生産量(約3400万トン)に鑑みると、世界人口の1/2、つまり35億人くらいは紙を使っているはずです。
(注3)西岡秀雄さん
1913-2011。慶應義塾大学名誉教授、大田区立郷土博物館館長、日本トイレ協会名誉会長。専門は考古学・人文地理学。
①指と水 | インド、インドネシアほか |
②指と砂 | サウジアラビアほか |
③小石 | エジプト |
④土版 | パキスタン |
⑤葉っぱ | ソビエト(当時)、日本ほか |
⑥茎 | 日本、韓国ほか |
⑦とうもろこしの毛・芯 | アメリカ |
⑧ロープ | 中国、アフリカ |
⑨木片・竹ベラ | 中国 |
⑩樹皮 | ネパールほか |
⑪海綿 | 地中海諸島 |
⑫布切れ | ブータンほか |
⑬海藻 | 日本 |
⑭雪 | スウェーデン |
⑮紙 | 各国 |
第一次オイルショックのときは、まだちり紙の方が多く使われていました。当時は紙を巻いてミシン目を入れる機械がまだ少なかったからです。ちり紙なら重ね切りすれば済みますからね。トイレットロールの生産量がちり紙を逆転したのは1977年(昭和52)です。トイレットロールに切り替わった理由の一つに「トイレの水洗化」があります。
それが長い間なぞでした。イギリスのオックスフォード大学出版局が刊行する『オックスフォード英語辞典』にトイレットペーパーの記述があるのですが、「トイレットロールは誰が開発したのかわからない」と書いてありました。私が調べたのは5〜6年前ですから改訂したかもしれませんが。
ずっと調べていて、ようやくアメリカのセス・ウェラーという人が、自分で特許を取得して自らトイレットロールをつくっていたことを突き止めました。
アメリカに手漉きの紙が渡ったのは1690年で、1817年に機械式の製紙に切り替わります。セス・ウェラーは1838年に生まれました。1871年、セス・ウェラーは「Improvement in wrapping- papers」という名で特許「Patent US 117355」を取得します。「紙にミシン目を施してロール状にして用意する」というもので、これがトイレットロールの基本特許となりました。
セス・ウェラーは、1877年もしくは1878年にA・P・W(Albany Perforated Wrapping Paper Co.)という会社を設立し、トイレットロールを製造します。A・P・W社のトイレットロールがヨーロッパに輸出されていたことはわかっています。
私の手元に、1904年の消印が押されたフランスの絵葉書があります。トイレマナーの絵のなかにはトイレットロールがしっかり描かれていますので、セス・ウェラーの発明が海を越えたのではないかと想像しています。
現存する史料によると、1924年(大正13)です。東京都紙商組合の「和紙随想録」には、土佐紙株式会社芸防工場(現・日本製紙グループ本社)が外国航路の汽船に積み込むため、トイレットロールをつくる機械を設置したと記されています。
標準ですね。日本人の一人当たりの年間消費量は約8kg。幅と厚さ、長さによって変わりますが、トイレットロール1個を150gと考えると、年間で53個。アメリカ人は9kg使っています。これはかなり古いデータですが、フランス人は3kgだそうです。かつて主食はパンと肉でしたから、ウサギの糞のようにうんちがコロコロしていてお尻が汚れにくい。だから使用量も少なかったといわれています。ところがドイツ人は結構使っていて、トイレットロールの製造も盛んです。
アメリカでは1930年代に色つきのものが登場します。また、海外では古紙をそのまま使用した黒っぽいものを多く見ます。
日本の昔の手漉き和紙は原料となった楮(こうぞ)の色ですし、浅草紙はねずみ色でしたが、徐々に白色が好まれるようになりました。
紫色が高貴な色とされているのは天然には存在しない色だからです。白色も同じで、真っ白くできなかったからこそ望まれた。薬品のなかった時代、白くするには水や雪にさらすしか方法はありませんでした。薬品で白くできるようになったのは昭和50年代からです。今は柄物やピンク色を好む人もいますが、母親が赤ちゃんの便の状態を気にしているように便は健康のバロメーターですから、見えやすい白色の方がよいでしょうね。
トイレットロールをつくれない国があることです。イランやイラクの北方には水があるので紙はつくれる。けれど砂漠の国、例えばサウジアラビアやアフリカの国々では無理です。だからサウジアラビアは砂と水でお尻を洗うのです。紙は水がないとつくれません。
そして、海外にはトイレットペーパーを買えない人たちもいます。特にインドではとても高価なので、ホテルのトイレットロールが日本の1/3くらいの大きさしかない。一人か二人が一晩泊まるのに必要な分しか置いていません。そう考えると、日本は恵まれていますね。
印刷の「刷」は漢字です。「する、こする」のほかに「はく、ぬぐう、きよめる」という意味もあります。刷新とは「拭いて新しくする」ということですが、中国には「拭」という文字はありません。実は、「拭」は国字なのです。
「蕗(ふき)の葉」の語源は「拭く」だと私は考えています。金田一春彦さんが『ことばの博物誌』(文藝春秋 1966)で、対馬の豪家のトイレを借りたときに新しい蕗の葉がうず高く置いてあったのを見て「紙を知らなかった昔の人は、用便のあと始末はフキの葉を用いたもので、それでフキの葉というのではなかろうか?」と書いています。「蕗=拭き」と考えたのですね。
日本はヨーロッパよりも古くから紙を知っていますし、使ってもいます。しかし、「拭く紙」が脚光を浴びることはありませんでした。「拭く」という作業で使われ、捨てられる地味な存在の紙に光を当てるために、私はこれからも研究を続けます。
(2017年10月25日取材)