しゃきしゃきのせりをくぐらせていただく「せりしゃぶ」
水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。今回は、宮城県名取市の伝統野菜「せり」を使った「せりしゃぶ」です。せりは仙台市の周辺でお正月に欠かせない身近な野菜。ここ数年、仙台名物として脚光を浴びる「せり鍋」の元祖は、このせりしゃぶなのです。
あたり一面に、もわもわと茂る色鮮やかな緑のじゅうたんができている。仙台市中心部から南へ車で約30分。名取市下余田(しもようでん)に広がる「せり田んぼ」だ。
全国屈指のせりの生産量を誇る宮城県のなかでも、名取市は約8割を占める主要な産地。名取でのせり栽培の歴史は古く、江戸時代中期に書かれた書物によれば、江戸時代初期の元和年間(1615-1624)頃から、野生のせりを改良して栽培が始まった記録が残る。
「名取でもせりが栽培できるところは限られているのです」と教えてくれたのは、一般社団法人 名取市観光物産協会・事務局長の相原いづみさんだ。
「名取川の伏流水が湧き上がる上余田と下余田の2ヵ所でのみ、せりの栽培が行なわれています。水温が年間を通して約15度と一定であることも、せり栽培に好条件なのです」
この名取産のせりを丸ごと食べ尽くす鍋料理「せり鍋」が、新たな仙台名物として注目されている。2016年まで開催されていた「仙臺(せんだい)鍋まつり」では、せり鍋が2年連続でグランプリを受賞。毎週5000人以上が訪れるゆりあげ港朝市でも、テイクアウトのせり鍋が大人気だ。
「採れたてのせりの味を知ってもらうためにも、ぜひ名取に足を運んでいただければ」と、相原さんは今後の展望を話す。
実は、このせり鍋の元祖が「せりしゃぶ」だ。具材はせりのみ。どのようにして生まれたのか。
出荷真っ盛りの12月下旬、名取市下余田で代々専業農家を営む三浦隆弘さんのせり田んぼを訪ねた。三浦さんはせりしゃぶ人気のきっかけをつくった人物である。環境NPOの活動に参加するほか、田んぼで自然体験ができる「なとり農と自然のがっこう」を主宰。2004年(平成16)頃から農薬や化学肥料を使わない環境保全型のせりをつくりつづける。
「農家には地域の伝統を担うインタープリターのような役割があります」と三浦さんは言う。
「地方はそのときどきの国の政策に振り回されがちですが、肝の部分は何かを考えなければ〈代わりの利く存在〉になってしまいます。在来作物をつくる農家に生まれたからには、その土地でできることがあると思います」
地元の旬の食材を地元でおいしく味わってほしい。そんな三浦さんの考えに賛同する飲食店や消費者らと知恵を出し合い生まれたのが、せりしゃぶだった。行政や関係団体はかかわっていない、草の根からじわじわと湧きあがったムーブメントだ。
「私たちが大事にしているのはルーツです。仙台名物に笹かまぼこや牛タンがありますが、原材料まですべて仙台ならではのものは多くありません。震災以降、県外から多くの方に支援で来ていただくなか『この地域ならではのもので迎えたい』というみんなの思いに、せりしゃぶがうまくはまったのだと思います」
三浦さんが今朝採れたばかりのせりを、塩・こしょうとオリーブオイルで和えたサラダにして振る舞ってくれた。せりを生でこれだけ味わったのは初めてだが、鼻に抜ける爽やかな香りとしゃきしゃきの食感がクセになる。「鮮度がいいからこその味ですよ」と三浦さんは笑う。
三浦さんのせりは、葉、茎、根まですべて柔らかくおいしいと、地元の目利きにも評判だ。肥料や品種など試行錯誤を重ねた結果でもあるが、三浦さんは「軟水であることと安定した水量が大きく関係しています」と言う。
下余田地区の中央部に旧河道を利用した用水路が走り、両脇に延びるせり田んぼにパイプを伝って地下水がかけ流されている。三浦さんが見せてくれた地下水位の変動図によると、栽培・収穫期こそ水位は下がるものの、毎年きちんと回復している。枯れない水脈があるからこそ、良質なせりの栽培を維持できているのだ。
そもそも湿田地帯だった上余田・下余田地区では稲作が難しかったので、せりをはじめレンコンやくわい、イグサなど、土地に合ったものを昔から栽培してきた。
せりの収穫風景を見せてもらった。水かさのある田んぼのなかに膝をついて腰までつかり、せりの束を根ごと掘り出す。収穫したせりは離れの作業場に運ばれ、選別する前に地下水の水圧を利用してザブザブ洗う。日が暮れると収穫作業はできないため、夜に洗浄作業を行なうそうだ。
きれいに洗ったせりは、枯れた葉や軟弱な茎などを取り除き、100g単位の束にして出荷される。収穫から出荷まで、すべて三浦さん家族による手作業だ。
せり鍋が注目されるなか、三浦さんが懸念することがある。何かがブームになると、目先の売り上げを求めて本来の旬や地域性を失ってしまうことがままあるが、せり鍋も同じ道をたどる危険があるからだ。
「仙台周辺で採れたせりを地元で味わうのが本来のせりしゃぶですが、県外から仕入れたせりを提供する店が仙台に増えているのが悩ましいところです」と三浦さんは言葉を強くする。
「今の3〜5倍まで田んぼを広げても売り上げは見込めると思いますが、持続可能性や味など失うものも大きいと思うんです。価値観を共有できる飲食店や消費者との関係性を、自分の手の届く範囲で大事にしていきたいです」
三浦さんが「本物のせりしゃぶを味わってほしいから」と仙台駅そばの割烹料理店「いな穂」に案内してくれた。いな穂の先代親方の稲辺勲さんが三浦さんの結婚式の二次会で料理を担当した縁で、13年前に三浦さんがせりを持ち込んで相談した店だ。
いな穂のせりしゃぶの具は、せりのみ。鴨肉でとっただしに生のせりをさっとくぐらせて味わう。驚いたのが、根っこの柔らかさと甘み。三浦さんいわく「根っこがいちばん栄養を吸っているからそれだけおいしい」。取材中、せりだけを食べつづけているのに、まったく飽きがこない。
「初めてのお客様は見た目の量に驚きますが、味わうとクセがなく、やはり根っこがおいしいと好評です」といな穂の親方、伊東一良さんは言う。
名取の伝統野菜を使った、新名物のせりしゃぶ。三浦さんたちのような存在がいる限り、一過性のブームでは終わらないはずだ。
撮影協力:いな穂
仙台市青葉区中央1-8-32 名掛丁センター街東
Tel.022-266-5123(せりしゃぶは例年10〜4月に提供)
(2017年12月21日取材)