天然のイワナとヤマメが棲む小菅川(山梨県)の源流域で竿を振る石垣さん。
このエリアは小菅村漁協が1人5匹までの「持ち帰り制限」を設定している
川の上流部に棲み、水生昆虫を食すイワナやヤマメ、アマゴを釣る「テンカラ」。使うのは、竿と糸と毛鉤の3点だけという、至ってシンプルな釣りが近年人気を集めている。国内外の講習会を通じて、テンカラの方法と魅力を伝える「テンカラ大王」こと愛知工業大学名誉教授の石垣尚男さんに、テンカラの歴史や魅力、海外での反応について伺った。
インタビュー
愛知工業大学名誉教授
石垣尚男(いしがき ひさお)さん
1947年静岡県生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)体育学部卒業。医学博士。動体視力研究の第一人者。27歳でテンカラと出合う。各地で開く講習会では科学的分析をもとにわかりやすく指導することから「テンカラ大王」と呼ばれ親しまれている。アメリカやイギリスなど海外でも指導・普及活動を行なう。釣り関連の著書に『超明快レベルラインテンカラ』、DVD『テンカラ新戦術』など、研究者としての著書に『スポーツ選手なら知っておきたい「眼」のこと』などがある。
渓流に棲むイワナやヤマメ、アマゴを「毛鉤(けばり)」で釣る方法をテンカラと呼びます。毛鉤とは、鉤の軸に小さな羽毛を糸で巻いて水生昆虫に似せたもの。その毛鉤を魚が潜んでいそうなポイントに打ち込み、水面や水面近くを流して漂わせ、本物の水生昆虫と間違えて飛びついた魚を釣り上げるのです。
魚が身を躍らせて食いつく瞬間が見えるのでとてもスリリングですし、竿と糸と毛鉤だけのシンプルな仕掛けということもあって、徐々に人気が高まっています。
三物で成り立つ釣りは、テンカラだけではないでしょうか。しかも、テンカラの毛鉤は凝らなくても大丈夫です。見栄えがよくなくても十分釣れます。これは先達が見つけた知恵です。そもそもテンカラは、山奥の渓流でイワナを釣り、その魚を乾燥させて温泉宿などに運んでいた「職漁師(しょくりょうし)」由来の釣りとされています。昭和30年代まで、職漁師たちは夏になると山奥の渓流のそばに簡単な小屋をつくり、数人で共同生活しながら魚を釣っていました。
テンカラという言葉が知られるようになったのは今から40〜50年前。かつては「毛鉤」や「毛釣り」などの呼び方がありましたが、テンカラという名称に集約されました。語源も調べたのですが、はっきりしたことはわかりません。発祥地も不明です。新潟と長野の県境にある秋山郷(長野県下水内郡栄村(しもみのちぐん))の毛鉤は秋田のマタギが伝えたとの説もありますが、定かではありません。
ただし、イワナ釣りの記録ならば元禄年間(1688-1704)まで遡れます。1694年(元禄7)に加賀藩奥山廻り役(注1)が記した『宗兵衛記録』に、「黒部川でイワナを獲っている五人組を見つけたので、小屋を壊したうえで釈放した」という記述が残っています。釣り方は書いてありませんが、この五人組が職漁師だとすれば毛鉤で釣っていた可能性があります。職漁師は多いときに一日200匹釣り上げたそうですから、いちいち本物の虫を採って鉤につけるような手間はかけず、1本の毛鉤でパッと釣っては魚籠に入れ、すぐさま竿を振るような効率のよい釣り方だったはずです。
山間に暮らす人たちがたんぱく質を確保した伝統的な技。それが、テンカラとして生きつづけていると言ってよいでしょう。
(注1)奥山廻り役
加賀藩が立山・奥黒部の国境の監視のために設けた役で、有力な百姓がその任にあたった。時代が下ると木材盗伐や密貿易の取り締まりに力を注いだ。
興津川(おきつがわ)の河口部で生まれ育ったので、子どものころから海や川で遊んでいました。小学校5年生からアユのどぶ釣り(注2)をしていましたし、中学生ではキス釣りも始めました。大学生になっても帰省すれば釣りをしていましたね。
テンカラに出合ったのは27歳のときです。ある日、愛知県の神越川(かみこしがわ)上流でエサ釣りをしていましたが、まったく釣れません。すると後から来た人がさっと支度してテンカラを始めて、目の前でアマゴを2匹釣り上げて去っていきました。驚きましたよ。それがテンカラとの出合いです。本を読んで勉強して「よし、テンカラをやってみよう!」と。エサ釣り、ルアーフィッシングも続けましたが、徐々にテンカラだけになりました。
子どもの遊びには、だましたりだまされたりするものが多いですね。しかもそれが楽しい。テンカラも同じで、毛鉤というニセモノでだまして釣るもの。「だましちゃったぜ! わっはっは!」というような本能的なおもしろさと遊び心があります。
テンカラは、イギリスで生まれてアメリカで発展したフライフィッシング(フライ)とよく比較されます。フライがアメリカに渡るとリールが開発され、ドライフライという水面に浮く毛鉤をつくる方法も編み出されました。つまり、フライは魚を釣る目的のために、いろいろと「付け足していく」わけです。ところがテンカラは「必要なものはこれだけ」と削っていった結果、道具は最小限の三物です。テンカラは付け足すのではなく「削っていく」釣りなのです。
昔、日本人は貧しかったですね。でも、ものがなかったからこそ知恵や工夫が生まれました。例えば、部屋にちゃぶ台を置けば食卓になり、片づけて布団を敷けば寝室にもなる。一つのものでいろいろと賄ってしまうのは、生活のなかで日本人が編み出した知恵でしょう。
テンカラも同じで、毛鉤は1種類あればいいのです。「この毛鉤で出てきてくれないなら、また今度釣ればいいさ」と考えて、次のポイントに向かう。自分の腕と竿と毛鉤が届く範囲で、そのとき反応する魚だけを釣って楽しむ。手を替え品を替え、何がなんでも魚を引きずり出そうとする釣りではありません。テンカラは、日本人の自然に対する優しさが現れた釣りともいえるでしょう。
(注2)どぶ釣り
清流の淵やよどみに毛鉤を沈めてアユを釣る方法。江戸時代末期ごろ金沢に始まり、小田原や静岡地方に伝わる。「沈め釣り」ともいわれる。
はい。日本より人気があるかもしれませんね。アメリカには、“the more you know, the less you need”(知れば知るほど、必要なものは少なくなる)ということわざがあります。
今、アメリカでテンカラが「TENKARA」(テンカーラ)と呼ばれ注目されているのは、日本のテンカラのあり方が、このことわざの本質に触れているからです。
ご存じのように、アメリカは物質文化の方向に突き進んできました。ところが「生きるために、そんなにいろいろ必要なの?」と考える人たちが出てきています。テンカラはまさに「知れば知るほど、必要なものが少なくなる」釣り。テンカラを知ったアメリカの人たちは「こんなシンプルなもので釣れるじゃないか!」と感激して、「いい釣りだ、クールだ」と認めています。クールと言われるのは、「三物で釣る。これで釣れなければしかたない」とあきらめる「潔さ」にあります。
ところが最初からそうだったわけではありません。私が海外でテンカラの講習会を初めて行なったのは2009年のニューヨーク州。反応は冷たかったですね。リールはないし、竿も入れ子構造の振り出し竿。アメリカの人たちから見ると、子どもがやるような「チープ」な釣りなんです。翌年はカリフォルニア州に行きましたが反応は変わらず。ところが、2011年のモンタナ州では80〜90名が参加しました。テンカラが知られはじめて、見る目が変わったのです。
私のテンカラの弟子にダニエル・W・ガルハルドというアメリカ人がいます。彼にはテンカラだけでなく、日本文化についても教えました。ダニエルがテンカラUSAという会社を立ち上げてテンカラのイベントを開き、私が講演することを続けた効果もあったようです。
2017年のコロラド州では、200名ほど集まりました。飛行機に乗ってきた人もいましたね。海外の人たちはTENKARAを題材に動画を投稿していますし、アメリカにはテンカラのプロガイドまでいます。
テンカラがあるから生きていける。それくらい大きなものです。テンカラに出合って40年以上、年間50日は竿を振っているのにまったく飽きません。テンカラを楽しんで、家に帰ってきた途端に「また行きたいな」と思うくらいです。
「自分が渓流に佇んでいるイメージ」ですね。美しい緑のなか、きれいな水が流れていて、鳥がさえずっている――そういう空間に立っている自分を想像するだけで幸せな気分になります。そしてそこには必ず水がある。「釣りで大事なのは魚でしょう?」と思うかもしれませんが、水なくして魚は語れません。
川の水は千変万化です。水量、濁り、時間帯によって変化しつづけます。その水のなかに魚はいる。釣り人は「増水して水位が10cm高い。魚はどうしているのか?」「今は水温が低いけれど、太陽に照らされて上がるはず。何度になれば魚は活性化するかな?」と考えますが、そのときは魚ではなく水について考えている。つまり、魚を語ることは、水を語ることなのです。
そうでしょう! そういう人を増やしたいと講習会を続けています。それに、テンカラという釣りそのものがおもしろいので、「魚を持って帰りたい」とか「たくさん釣りたい」という欲がだんだんなくなってくるのです。
つまり、テンカラが普及すると、魚が今よりも生き残れるようになります。自分の趣味のためだけに魚をごっそり釣って持ち帰るのではなく、自然への負荷をなるべくかけず、みんなで楽しんでシェアすることが大切です。生態系サービスが注目されるようなこれからの時代、テンカラは非常によい釣りの手段だと考えています。
(2018年4月20〜21日取材)