滋賀県大津市の唐橋公園付近で行なわれた「淡海を守る釣り人の会」主催の「第13回 釣り人による清掃活動」
琵琶湖はバイカル湖やタンガニーカ湖などとともに世界的に有名な古代湖であり、ここでしか見られない固有種も多い一方、外来魚のブラックバスを狙う釣り人の姿は絶えない。今、「ごみ拾い」をきっかけに、釣り人たちと環境保全に取り組む人たちとの間で、かつてない交流が生まれている。
「店長はね、長めの竿を使って、きれいなサイドスローで投げるよ」
そんな釣り仲間の言葉を思い出しながら、琵琶湖南端の釣り場で、京都市の釣具店「バスフィールド」の店長、川村岳大(たけひろ)さんの姿を探した。川村店長が積極的に行なってきた、琵琶湖の釣り人のマナーアップのための活動について聞くためだ。
釣り場では「釣り人が居れば水辺は綺麗になる。」という言葉を印刷したごみ袋を配る活動も行なっているとも聞く。それも見てみたかった。
ほどなく川村店長を発見。前日の「淡海(おうみ)を守る釣り人の会」(後述)の清掃でも会っていたが、湖面を見つめる鋭い目は、そのときとは様子が違った。
川村店長が「バスフィールド」をオープンしたのは1999年(平成11)のこと。独学で始めたバス釣りに夢中になり、勢いで店を開いたのだという。当時は90年代に盛り上がったバス釣りブームが勢いを失っていった時期。周囲からは「ビジネスとしては厳しい」と忠告を受けたが、やってみたいという思いが勝った。
開店から4年が経ったころ、琵琶湖のバス釣り界を揺るがす事態が起こる。「滋賀県・琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」(通称・リリース禁止条例/略称・リリ禁)の制定である。
バスに代表される外来種が与える琵琶湖の生態系への悪影響が深刻化しているとして、さらなる駆除が求められることになり、釣り上げた際のリリース(川や湖に放すこと)が禁止されたのだ。これにより、琵琶湖でバスを釣った場合は、持ち帰る、もしくは回収ボックスに廃棄しないといけなくなった。
この〈リリ禁〉制定前後は、漁業関係者ら条例に賛成する者、バス釣りを好む釣り人ら条例に反対する者の間で議論が過熱した。
「僕もインターネット上の掲示板などで、実名を出して意見を表明していきました。僕の立場は少し特殊で、バス釣りを誰もが楽しめる環境は守りたいと思っていたので〈リリ禁〉には反対。でも、釣り人側からの生命倫理、つまり『かわいそうだ』といって駆除を否定する声も違うと。鉤(はり)で釣り上げている以上、僕らもバスを傷つけていたんですから」
賛成派と反対派の間に深い溝を残したまま〈リリ禁〉は施行された。多くの釣り人にとって納得のいかない結果となったが、川村店長は落胆することもなく今後を見据えた。議論を通じ釣り人側が取り組むべき課題が見つかったからだ。
「釣り人が出すごみの問題がバス釣りのイメージの悪化を招いていたのは間違いありませんでした。ここをちゃんとしない限り、今後どんな意見も通らないと思ったんです」
川村店長は「釣り人はごみを拾うもの」をごくあたりまえにすること、そのうえで釣り人以外の多くの人に知ってもらうことが大事だと考えた。そして釣り竿を持ち、ライフジャケットを着用して、明らかに釣り人だとわかるスタイルで清掃活動を開始することにした。さらに前述の「釣り人が居れば水辺は綺麗になる。」というキャッチコピーを印刷したステッカーやごみ袋の販売も始めた。
こうした取り組みは徐々に釣り人の間で知られるようになった。ごみ袋には釣り具メーカーから協賛を受けており、「釣り人はごみを拾うもの」という新たな常識は少しずつ定着していった。
そんな川村店長の活動に影響を受け、行動を起こした人がいる。バス釣りを愛し、大阪から足しげく琵琶湖に通っていた津熊操(つくまみさお)さんだ。
津熊さんは釣り仲間と2人で清掃活動を始めた。2カ月に一度、琵琶湖の釣り場でごみを拾っていくというものだった。
「川村店長の活動を参考に、釣り人だとわかるスタイルでごみを拾いはじめたんです。当初は呼びかけがうまくいかず、参加者は数人という、規模の小さなものでした」
津熊さんたちは、活動をもっと多くの人たちとともに行ないたいと考え、より積極的に呼びかけていった。そんな方針が、思わぬ出会いを引き寄せる。
国土交通省が管理する施設で、琵琶湖や河川に関する情報収集・提供を通じて近隣住民との交流を図っている「ウォーターステーション琵琶」に勤務する武田みゆきさんは、津熊さんからのメールを受け取ったときのことを振り返る。
「私たちはSNSで日々の琵琶湖の水位や放流量をアナウンスしているのですが、それは釣りをする際の情報源にもしていただいていました。そんなこともあり、SNSで釣り人のマナーの問題を発信したことがあったんです。それを見た津熊さんから、一緒に清掃活動をしてもらえないかというメールが届いたのです」
地域のための活動をしている人や団体が行政に協力を求めることは珍しいことではない。ただ、琵琶湖における釣り人という立場にある者が行政にアプローチしてくるケースは、当時ほぼなかった。〈リリ禁〉を巡る紛糾は釣り人たちに「招かれざる客である」という疎外感を与えていた。武田さんは続ける。
「〈リリ禁〉以降の釣り人と行政の関係はギクシャクしていて、行政側も多くの人がこの関係を変えていけないかと考えていました。だから、釣り人が頼ってくれるのを待っていたところがあったんです。自分たちの仲間のマナーの悪さを指摘されるかもしれない人にかかわっていくのは、勇気が必要だったはず。そんななかで津熊さんたちは一歩を踏み出してくれたんです」
心意気に打たれたウォーターステーション琵琶は協力を快諾。つながりをもつ団体に声をかけ、津熊さんたちの清掃活動への参加を促した。参加者は26名に膨らんだ。
「釣り人のマナーに厳しい目を向けていると思われる団体も参加してくださったのですが、ありがたく思うのと同時に『厳しいことを言われるかもしれない』という不安もありました。『絶対怒られるやん』って」(津熊さん)
だが、ともに清掃活動を行ない、琵琶湖への思いを語り合ううちに理解は深まった。釣り人が決して招かれざる客ではないということを津熊さんたちは知ることとなる。
その様子を見ていた武田さんは、津熊さんたちの背中をさらに押した。滋賀県が主催するイベント「淡海の川づくりフォーラム」に参加し、釣り人たちの思いをより多くの人に届けないかと提案したのだ。
今度は津熊さんたちが行政の心意気にこたえた。慣れぬプレゼンテーションでこれまでの活動を紹介し、釣り人の琵琶湖への思いを伝えた。
「フォーラムはコンペ形式で、そうしたものに慣れた活動歴の長い団体の発表も多くあったのですが、津熊さんたちはそれを上回る評価を受け〈マザーレイクフォーラム賞〉を受賞したんです」(武田さん)
決して流暢ではなかったというプレゼンテーションに高い評価が与えられたのは、琵琶湖の環境を考える人々の、釣り人への期待と関心の表れだった。
このイベント参加を機に、津熊さんたちは団体名を「淡海を守る釣り人の会」とした。清掃活動の規模を大きくしていくとともに、さまざまな立場の人々と交流しながら、釣り人が琵琶湖のために果たせる新たな役割を模索している。なお、バスフィールドの川村店長も清掃に参加し、津熊さんたちの大きく広げていく活動をサポートしている。
淡海を守る釣り人の会の一員である田城愛さんは、これからのビジョンを語る。
「琵琶湖の様子の変化にいち早く気づくことができるのが釣り人。アオコや新しい種類の藻の発生を、いち早く琵琶湖博物館の学芸員に伝え研究に活かしていただいたケースもあります。釣り人が水辺に立ったり、ボートで湖上に出たりして得た情報が、琵琶湖のために活用されるしくみをつくれないか。そんなことも考えているんです」
利害や意見の相違などを整理した情報は物事を捉えやすくする一方で、先入観を生み対立を深めることもある。「娯楽の場を守ろうとする釣り人」「それを苦々しく見る住民」「規制する行政」――。琵琶湖の釣り人が感じてきた疎外感は、こうした構図の独り歩きがもたらしたものだったように思う。
だが、異なる立場の人たちとも臆せず交流し、釣り場の美化に努め、釣りで得た情報を社会のために活かすといった新たな役割を担ってみせようとする釣り人たちには、そんな構図をいとも簡単に壊してくれそうな、前向きさとエネルギーがあった。
(2018年4月15〜16日取材)