古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)
1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属。2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞。
日本リーダーズダイジェスト社発行『世界の大河―歴史とロマンを求めて』(1980年)では、伴野朗はメコン川には、三つの顔があるという。①チベットの雲から生まれ出た神秘を浮かべた顔、②インドシナ半島の「母なる大河」として穏やかな微笑みを浮かべた顔。生活、農業、都市、宗教、文明そして大地そのものまで、インドシナ半島はそのすべてをこの川に負っている。③メコン川には憂いを帯びた顔がある。メコン川はその豊かな流れゆえに、人間たちの争奪の場となる。インドシナ戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦、中越戦争などで政治的、民族的な対立紛争が続いたからである。
この書によりメコン川の流れを追ってみたい。遠くヒマラヤ山系チベット高原の海抜5000mの源から発するメコン川は、南に流れて中国雲南省を過ぎ、やがてミャンマー、ラオス国境に出る。激流が岩を咬み、岸を穿ち、峡谷を侵し、急勾配を砕けながら流れ落ちる。やがてゆるやかな流れとなり、ラオス、タイ国境を南に、さらにラオスの旧王都ルアンプラバンを過ぎ首都ビエンチャンに出る。さらにラオスの西南端を横切り、滝となってカンボジアに流れ込む。
カンボジアの首都プノンペン付近で、内海のようなトンレサップ湖に通じる水路と合流し、ベトナム南部に広大で肥沃なメコンデルタを形成する。こうしてメコン川は大きな九つの河口から膨大な水と土砂を南シナ海に吐き出している。中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの6カ国を流れる国際河川である。ラオス、タイ、カンボジアの一部はこの川が国境をなしており、このことから、昔から戦乱が絶えない。
モンスーンの気候によって季節的にメコン川の水位は増減する。夏には高水位となり、10月下旬水が引き始め、最低水位は3月、4月となる。メコン川の諸元は全長約4350km、流域面積約81万km2、年間最大流量5万2000m3/s、年間最小流量1750m3/sである。
青柳健二著『メコンを流れる』(NTT出版・1996年)、同著『メコン河 アジアの流れをゆく』(NTT出版・1995年)は、ともに源流域中国から河口メコンデルタ地域まで豊富な写真で捉えている。
源流中国青海省・雲南省の印象を龍神舞い降りる天空の大地を発つと表現する。メコン川流域では雲南省南部からカンボジアまで、主な宗教は南方上座部仏教である。4月中旬の暑い時期にタイ民族の「水かけ祭り」が繰り広げられる。自転車に乗った人に女の子がにこやかに水を掛けるシーンは和やかな光景である。中流域ミャンマー、ラオス、タイを慈しみの島、そして精霊の滝へとして、ラオス南部カンボジアの国境に近いソンパミットの滝を写す。このあたりは早瀬、滝、島などが多い。またコーンパペンの滝は、メコン川本流で最大の滝で、落差約15m、幅300mを誇り、上流、下流の往来を妨げている。
メコン川はこのあとカンボジアを流れていく。カンボジアの流れについて、水神走る、祭りの狂熱に酔うと表す。カンボジア各地の予選大会で勝ち抜いたボートがプノンペンに集まり、レースを行なう。ボートには蛇神ナーガをかたどっている。ナーガは人間に恵みをもたらす雨や水を司る神である。水祭りは、人々に豊かな作物や川にもたらしてくれる水に感謝する行事である。
管 洋志著『メコン4525km』(実業之日本社・2002年)は、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの国々の流れに沿って撮っている。麗江はナシ族の住む町。すばらしい疎水が巡らされている。疎水の利用法は早朝に飲み水を汲み、次に野菜を洗う。午後に洗濯、夜には汚水を流す。一晩経って朝には再びきれいな氷河の溶け水が流れてくる。
ミャンマーでは一面に広がる整然とした田圃の淡い緑、目を見張る美しさ、かつて世界一の米の輸出国であった面影を残す。ラオスではコーンパペンの滝で捕れたオオナマズがリヤカーで運ばれている。体長2m、体重100kgを超すという。
タイでは、象とのつながりが深く、戦争では象も一緒に戦っている。近年森林伐採に利用されていたが、タイでの森林伐採禁止によって象たちの働き場がなくなったことを捉える。カンボジアでは、トンレサップ湖から流れるトンレサップ川とメコン川が合流するところに首都プノンペンがある。雨季になるとメコン川の水がトンレサップに向かって逆流し、アジア最大の湖まで広がり、魚も増え、人々に豊かな恵みをもたらす。
メコン川の最終点はベトナムのカントー付近で川は三本に分かれ、湿地帯を形成し、豊かな大地の実りと漁場をつくる。そこに無数の船が行き交う。乾季になると川の水は塩っぽくなる。逆に雨季にはメコンの水が流れ込み、ミルク紅茶の色から黄土色に染まる。メコン川はさまざまに変化しながら長い旅を終える。
鎌澤久也写真・文『メコン街道 母なる大河4200キロを往く』(水曜社・2004年)は、メコンを下流域のメコンデルタから、上流に向かってカンボジア・アンコール遺跡群、ラオス・ナムグムダム、タイ・ゴールデン・トライアングル、ミャンマー・インレー湖、中国・青いケシの花などを源流まで追っている。
歴史紀行として石井米雄・横山良一著『メコン』(めこん・1995年)があり、ポール=ライトフット著『メコン川』(帝国書院・1987年)は児童書である。
インドシナ半島に和平が訪れると、メコン開発はその地形と豊かな流量から、国際協力のもと、主に水力発電ダムの建設が進んだ。吉松昭夫・小泉 肇著『メコン河流域の開発 国際協力のアリーナ』(山海堂・1996年)は、メコン川の支流と本流での開発プロジェクトを紹介し、メコン川支流のナムグムダムの発電計画、そして、ナム・グム計画などを通じて体得した経験から国際協力を述べている。
ラオス領内のメコン川支流のナム・グム川に建設されたナムグムダム貯水池(1972年12月竣工)は、高さ70m、総貯水容量70億m3である。ダム直下に建設された発電所は150MWの設備容量をもつ。ここで発電された電力はラオス国内で消費されるほか、タイに輸出されている。ダムは発電のみでなく、洪水調節や灌漑(かんがい)にも役立っている。
堀 博著『メコン河 開発と環境』(古今書院・1996年)は、実際にメコン川の開発に対し国連技師として従事したことから、多岐にわたって論じられている。その内容は第1章メコン川とその流域、第2章では、下流域のラオス、タイ、ベトナム、カンボジアにおける農業、森林資源、水運、水力発電、第3章下流域のダム開発計画―その変遷と国際協力、第4章上流 蘭倉江とその本流ダム開発、第5章ダム開発の環境問題―熱帯大陸河川の場合、第6章新メコン委員会の設置と今後の開発を論じ、メコン川流域の持続的開発のための協力に関する協定も掲載されている。メコン開発に関するバイブルとなっている。
松本悟著『メコン河開発 21世紀の開発援助』(築地書館・1997年)は、ラオスに建設されたナム・グム第1ダムとナム・ソン・ダム及びナム・トゥン第2ダムについて、住民移転問題、経済性への疑問、水没地の伐採問題、電力問題などを検証し、世界銀行、アジア開発銀行の動きを紹介し、メコン川開発の今後について追及する。
リスべス・スルイター著『母なるメコン、その豊かさを蝕む開発』(めこん・1999年)は、メコン開発に対し、その流域に住む人々の犠牲でなっている、これからの開発は農民や漁民たちと一緒に図られるべきだと問う。
メコン流域全体には6576万人が住み、さまざまな民族が分布する。生態学者たちがメコン流域を巡った、森下郁子他著『メコンとメナム・チャオプラヤに行く』(遊タイム出版・2016年)には食文化などを表す。山岳地帯はジャポニカ米、低地ではインディカ米を育てる。それぞれの土地にあったトウガラシが食文化の中心となる。魚食文化については、山岳民族はほとんど魚を食べない。ベトナム、カンボジアなどでは魚を並べたり、魚を干すときは腹を上にしないで背を見せる。
秋道智彌編『図録 メコンの世界―歴史と生態―』(弘文堂・2007年)は、総合地球環境学研究所のプロジェクト研究「アジア熱帯モンスーン地域における地域生態史の統合的研究:1945-2005」をまとめたものである。森林、大地、水域、野生動物と家畜、モノづくりの智恵、食文化、食と栄養・健康、商品と国際交易、モンスーン地域の資源管理からなる。
おわりに、春山成子著『自然と共生するメコンデルタ』(古今書院・2009年)を掲げる。本書は、地理学者の立場から、メコンデルタは変動地帯、多雨地帯であることから自然災害と隣り合わせである。台風災害、豪雨災害、旱魃(かんばつ)、山崩れ、斜面崩壊、火山噴火における災害に対し、人々がどのように向き合っていくかに焦点をあてて、論考されている。
以上、メコン川について紹介してきたが、あまりにもメコン川の世界は巨像であって、わずかに鼻の一部に触っただけに過ぎない。
〈大地春や蛇行のメコン雲に果つ〉(千葉 香)