機関誌『水の文化』61号
水が語る佐渡

佐渡
伝統芸能

海を越え、育まれた芸能

島内に35ある能舞台の一つ「大膳神社能舞台」。1846年(弘化3)に再建されたもの

島内に35ある能舞台の一つ「大膳神社能舞台」。1846年(弘化3)に再建されたもの

「芸能の宝庫」といわれるほど多くの民俗芸能が伝承されている佐渡。流罪によって流された貴族や知識人たちが伝えた「貴族文化」、鉱山の発展で奉行や役人たちが江戸から持ち込んだ「武家文化」、北前船で商人や船乗りたちが運んできた「町人文化」。海を渡って伝えられたものが融合した佐渡の伝統芸能の概略を紹介する。

島外の文化を受け入れた島

 ハァー 佐渡へ 佐渡へと
 草木もなびくよ♪

佐渡を代表する民謡として全国に知られる「佐渡おけさ」。実は元々佐渡で生まれたものではなく、はるか熊本の港唄「はんや節(ハイヤ節)」がそのルーツとされる。

「北前船によって九州から佐渡にもたらされた『はんや節』が、小木の港町から、やがて相川の金銀山まで伝わり、『選鉱場おけさ』として唄い継がれるようになったと言われています。佐渡の芸能は、このように海を渡ってきたさまざまな文化を取り入れ、影響を受けながら、独自の発展をしてきたものが多いのです」

そう語るのは、自身も地元の「鬼太鼓(おにだいこ)」で鬼の舞い手を演じているという、佐渡市教育委員会の野口敏樹さんだ。

佐渡には、「貴族文化」「武家文化」「町人文化」という三つの文化の影響が色濃く残っている。中世には、佐渡は流刑地とされ、順徳上皇や日蓮上人、世阿弥(ぜあみ)など、時の政争に敗れた貴族や文化人が流人として渡ってきた。彼らがもたらしたのが上方の貴族文化だ。

江戸時代に入ると、今度は金山開発のため幕府の統治下におかれ、武家文化が広まった。さらに、西廻り航路が確立されて北前船の寄港地になると、商人や船乗りが全国の町人文化を佐渡に運んできた。

離島であるがゆえ、一度入って来た文化は外に出ることなく蓄積され、その結果、歌舞伎や人形芝居といった娯楽から民謡、能楽、神事祭礼まで、まるで日本の縮図のように多彩な芸能が、佐渡の各地に根づいていったのである。

  • 佐渡市教育委員会の野口敏樹さん。現在は西・北教育事務所長

    佐渡市教育委員会の野口敏樹さん。現在は西・北教育事務所長

  • 毎年6月、牛尾神社で行なわれる例祭宵宮薪能

    毎年6月、牛尾神社で行なわれる例祭宵宮薪能(提供:野口敏樹さん)

  • 熊本の港唄・はんや節がルーツとされる「佐渡おけさ」

    熊本の港唄・はんや節がルーツとされる「佐渡おけさ」(提供:野口敏樹さん)

集落ごとに異なる「鬼太鼓」の多様性

佐渡の芸能としてまず挙げられるのが能楽だろう。最盛期には200近い能舞台が建てられ、現在も35が残っている。能の大成者、世阿弥が流島されて広めたと思われがちだが、実は江戸時代初頭、初代佐渡奉行として派遣された大久保長安が、武家の教養のために能楽を持ち込み、庶民まで広く能を開放したことが大きいらしい。

佐渡は稲作が盛んなため、五穀豊穣を祈る祭儀礼も多い。初春には、田植えを模した儀式で豊作を祈願する「田遊び」、「御田植」といった神事がいくつかの神社で行なわれる。また、天文年間(1532-1555)から続くとされる城腰(じょうのこし)の「花笠踊」は京風の雅な舞いだが、かつて新田開発の際にご神託により水田に水が出たことへの感謝として、久知(くじ)八幡宮例大祭(9月)に奉納される。同じような花笠踊は、山を越えた赤玉集落や、島の北側の相川地区の北田野浦集落などにも伝わる。

そして、佐渡の人々にもっとも親しまれている伝統芸能が「鬼太鼓」だ。「おんでこ」とも呼ばれる古くから伝わる芸能で、悪魔を払い豊年を祈る神事である。

野口さんは「佐渡には約260の集落がありますが、そのうち120近くの地域の祭りに、鬼太鼓が登場します」と語る。

野口さんによると、佐渡の鬼太鼓は三つの系統に分類される。

一つは、国中平野から両津湾沿岸に広がる「国中系」で、能楽を思わせる洗練された太鼓と鬼の舞いが特徴だ。野口さんの両津湊地区を含め、佐渡の鬼太鼓の約7割はこの国中系だ。

二つめは、相川地区を中心とした「相川系」。豆まき系とも呼ばれ、鬼が舞う代わりに烏帽子をかぶった翁が豆まき風に踊る。かつて相川金銀山の鉱夫が鏨(たがね)を手に持って舞ったものが始まりともいわれている。

三つめが、新潟側の海沿いに見られる「前浜系」で、2匹の鬼が対になり、太鼓と笛に合わせて向き合って踊るのが特徴だ。

「実際には、鬼の顔も舞い方も集落ごとに個性があって、一つとして同じ鬼太鼓はありません。それぞれ『自分の地区の鬼太鼓が一番』と思っていますよ」と野口さんは言う。

  • 18世紀後半に記された『佐渡年中行事図』には相川の祭りとして鬼太鼓の様子が描かれている(舟崎文庫蔵)

    18世紀後半に記された『佐渡年中行事図』には相川の祭りとして鬼太鼓の様子が描かれている
    (舟崎文庫蔵)

  • 能楽を思わせる洗練された太鼓と鬼の舞いが特徴の「国中系」

    「鬼太鼓」の三系統
    能楽を思わせる洗練された太鼓と鬼の舞いが特徴の「国中系」(提供:野口敏樹さん)

  • 鬼が舞う代わりに烏帽子をかぶった翁(おきな)が豆まき風に踊る「相川系」

    「鬼太鼓」の三系統
    鬼が舞う代わりに烏帽子をかぶった翁(おきな)が豆まき風に踊る「相川系」
    (提供:野口敏樹さん)

  • 2匹の鬼が対になり、太鼓と笛に合わせて踊る「前浜系」

    「鬼太鼓」の三系統
    2匹の鬼が対になり、太鼓と笛に合わせて踊る「前浜系」(提供:野口敏樹さん)

次世代につなぐ佐渡の伝統芸能

多彩な芸能が今も息づく佐渡だが、高齢化による芸能の担い手不足は深刻だ。羽黒神社の「やぶさめ」のように、伝統がありながら十分な人数が集まらず休止を余儀なくされている行事も多い。野口さんの地元湊町も、40年ほど前に一度大きな転換期を迎えたという。

「かつては町内が組で分かれ、鬼太鼓や神輿、山車などを各組が専ら継承していました。しかし、それではもう祭りが成り立たなくなってきた。そこで30代、40代の青年らが立ちあがって『若松会』を結成し、組に関係なく子どもたちを集めて鬼太鼓などの芸を地域全体として伝承することにしたのです。当時小学生だった私は、その初期のメンバーです」

一方、島外から佐渡の伝統芸能を支援しようとする動きも少しずつ出てきている。例えば、新潟大学の学生が鬼太鼓を習い覚えた縁で、卒業した後も地域の祭礼に参加するなど、関係人口(注)も増えつつある。

そして今、地域全体で力を入れているのが、毎年5月末に開催される「佐渡國鬼太鼓どっとこむ」という芸能祭だ。鬼太鼓をはじめ島内のさまざまな伝統芸能が集結する一大イベントで、年々人気が高まっている。

伝統を守るのはたやすいことではないが、佐渡の人たちは次世代へつなぐために手を尽くす。

(注)関係人口
移住した「定住人口」でもなく、観光目的で訪れた「交流人口」でもなく、地域や住民と多様にかかわる人々のことを指す。

(2018年11月30日取材)

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