北極にある「グリーンランド氷床」はグリーンランドの面積の82%を占める。グリーンランド氷床の融解が進み、現地の人々が影響を受けていると報じられるなか、氷河だけでなく氷と海洋の相互作用や人々の暮らしへの影響まで研究する北海道大学の杉山慎さんに現状をお聞きした。
グリーンランドの「ボードイン氷河」。末端が海や湖に流れ込み氷山を生み出すカービング氷河(撮影:杉山 慎さん)
インタビュー
北海道大学低温科学研究所 教授
杉山 慎(すぎやま しん)さん
1969年愛知県生まれ。大阪大学基礎工学部卒業。大阪大学大学院基礎工学研究科、民間企業研究員、青年海外協力隊ザンビア共和国 理数科教師などを経て2017年より現職。パタゴニア、南極、グリーンランドなどで氷河氷床に関する物理現象と変動メカニズムの解明に取り組む。GPSや気象測器を用いた氷河上での観測のほか、「熱水掘削」という技術を用いて氷河底面での観測を進める。
私の研究対象地の一つ、グリーンランドに初めて調査に入ったのは2012年でした(注1)。「氷そのものの動き」が私の研究テーマですが、グリーンランド氷床(注2)が気温の上昇によって急激に融けていることを知り、どのくらいの速度で融解が進んでいるのか、またどのくらいの氷が失われているのか知りたいと思ったのです。
グリーンランドは北極に位置する世界最大の島で、厚さ2000mほどの氷床が陸地の約80%を覆っています。仮にグリーンランド氷床がすべて融解すれば、海面が7m以上上がるといわれています。
現地で氷の動きを調べていて、あることに気がつきました。末端が海や湖に流れ込んで氷山(注3)を生み出す氷河を「カービング氷河」といいますが、グリーンランドにはこのカービング氷河が多くあります。そしてカービング氷河のへりの水の濁った場所に、鳥やアザラシがたくさん集まっていたんです。
氷河から流れ出る淡水は海水に比べて軽いため、氷河の底から海に流れ込んでも表層に浮き上がってきます。さらに調べてみると、へりの水は、淡水が浮き上がるときに海底のプランクトンなども一緒に巻き上げるので魚が集まる。だから氷河のへりが鳥やアザラシにとって豊かな捕食の場になっていることがわかったのです。
この光景を見て、氷河が変動することで海や生物にどんな影響があるのか、研究の範囲を海にも向けるようになりました。
(注1)グリーンランドの調査
文部科学省の「GRENE北極気候変動研究事業(2011-2016)」「ArCS北極域研究推進プロジェクト(2016-2020)」に参画する形で調査を実施。
(注2)グリーンランド氷床
陸上に降り積もった雪が蓄積され氷になって流れはじめたものを氷河と呼ぶが、なかでもグリーンランドと南極大陸を覆う氷は特に規模が大きいため「氷床」と呼ばれる。
(注3)氷山
氷河や陸上の氷が海に押し出され、割れて流れ出した大きな氷塊。
そうこうしているうちに、カラーリット(注4)との接点も生まれました。私たちのチームが拠点にしているのは、グリーンランド北西部にあるカナックという人口600人ほどの村で、ホッキョクグマやアザラシ、イッカクなどの伝統的な狩猟や犬ぞりの文化が今も残っています。特にイッカクは希少種で、それだけこの海域が豊かなのでしょう。
当初、私たちは海に出て調査をするために村の人に船を出してもらう必要があり、向こうも徐々に私たちの活動に興味をもちはじめて、いろいろ協力してくれるようになりました。そのうちの一人が大島トクさんです。彼女はこの地でハンターとして暮らす日本人・大島育雄さんの娘で、彼女自身もカナックに数十人いるなかの指折りのハンターです。育雄さんは40年ほど前にグリーンランドに渡り、この地域で植村直己さんと一緒に活動した一人です。
トクさんは獲物を撃つだけではなく、毛皮をなめしてカラーリットの伝統的な防寒着をつくることもできる数少ない人物で、そうした伝統文化がすたれないよう、子どもや若者への技術継承をライフワークにしています。彼女の助けを受けて、私たちは現地の公民館で研究内容を紹介するイベントを開いています。そのため、村の人たちはとても協力的です。
カナックは北緯77度、南極の昭和基地よりもずっと極点に近い位置にあり、目の前の海は10月ごろから翌年の7月ごろまで海氷に閉ざされて物資の輸送船が入ることができません。スーパーにもほとんど物がなくなってしまうので、村の人たちは海氷が融けて船が入ってくるのを心待ちにしています。そのため氷がいつ融けるのか、それが年々どう変化しているかは、彼らにとっても関心事なのです。
(注4)カラーリット
エスキモー系の先住民族である広義のイヌイットのうち、カナダに住むイヌイットと区別するため、グリーンランドに住む人々をカラーリットと呼ぶ。
カラーリットと接しているうちに、温暖化が人々の生活にも影響していることがわかりました。ハンターの一人が、「最近アザラシを撃った後、船に引き上げにくくなっている」と教えてくれたのです。
通常、海の表面は氷河か海氷の融け出した水による淡水層で覆われ、その下にある海水層とは混ざりにくい。一方、アザラシには海水で浮き、淡水では沈んでしまう性質があります。つまり、氷の融ける量が増えていることで淡水層が厚くなり、アザラシがハンターの手の届く位置まで上がってこなくなっているのかもしれません。
また、北極は雨が降ることが少ないのですが、ここ数年は夏に大雨が降っています。2016年の夏に橋や水道管を破壊するほどの洪水が起きたのですが、これも氷が融けすぎたことで、通常あふれない川が氾濫したためと考えられます。さらに翌年は、洪水だけでなく土砂崩れの被害もありました。カナックから50kmほど離れた場所に、大島育雄さんが暮らすシオラパルクという人口20~30人の村があります。この背後の山が崩れて、いくつかの建物が被害に遭いました。氷もそうですが、最近は凍土も融けてもろくなっているといわれています。
また、沿岸の自然環境が変化したためか、オオカミが以前は来ることのできなかった集落にも姿を見せるようになったという話も聞きます。
こうした状況も目の当たりにするなか、氷河と海を含めたもっと広範囲で環境の変化が社会にもたらす影響を調べようというのが、ここ数年の私たちの取り組みです。
グリーンランドでは今、オヒョウ(注5)が注目されています。この地域ではオヒョウが昔から食べられてきたのですが、流通システムがなかったので必要な分しか獲ってきませんでした。ところが、最近グリーンランドの水産会社がオヒョウを高く買い取るようになったことで価値が上がり、現地ではオヒョウ漁がブームです。
というのも、日本で回転寿司のエンガワとして需要があるため、日本向けにずいぶん輸出しているようなんです。日本で見かける甘エビの多くもグリーンランド産です。グリーンランドの水産業において日本が重要な取引先となっていることを考えると、氷河は意外にも身近なところにあるという気がしてきませんか?
私たちは、温暖化で北極の氷が融けることを悲観的に捉えがちですが、カラーリットにとっては物資が入りやすくなり、船での移動もしやすくなるなどメリットもあります。カナックでも、氷が融けて交通の便がよくなるほうがいいと考える人は大半です。
ただし、犬ぞりや昔ながらの狩猟といった伝統文化は少しでも気候が変わると残りづらくなるので、少なくとも年配の方々はこの状況を憂いています。
こうした二面性が難しく、興味深いところでもあります。
地球上にある水の循環を考えるうえで、氷河はとてもユニークな構成要素です。地球上の水の約97%が海水で、残りの淡水の7~8割が氷河にあることを考えると、氷河の変化は重要な問題です。
氷河を見る機会はなかなかないかもしれませんが、カナックには飛行機をチャーターせずとも旅客機を乗り継いで行けます。実は、世界地図を真上から見るとカナックと日本は比較的近いうえ、同じ起源の祖先をもつとの説があるように容姿もよく似ています。時間さえとれれば、ぜひ行っていただきたい場所です。
(注5)オヒョウ
カレイの仲間で1mを超える大型の海水魚。グリーンランドでの伝統的な釣り方は、海氷に穴を開け、延縄のようにたくさん釣り鉤を付けて穴から下ろすもの。
(2019年12月27日取材)